PROJECT『M』 1 投稿者: NTTT
プロローグ PROJECT『A』


「はい、おまちどうさまでした」
にっこりと笑う少女。手に持った皿の上では作りたてのスパゲッテイが湯気を立てている。
「ありがとう、おお、旨そうだな」
男は皿を受け取ってしばしスパゲッテイを検分した後、おもむろにフォークで口に運ぶ。
少女の目は男の口元に集中している。いまが緊張の一瞬だということが誰にも伝わる、そんな表情。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ後、男は左手で「OK」のサインを出す。
遠巻きに見守る人々のどこからともなく起こる拍手。少女は上気した頬を真っ赤に染めて四方に頭を下げ
ていた。
160センチを超えるスレンダーな体系の少女の動作としてはいささか滑稽ではある。

男は優しく少女の肩を一つたたき、声をかける。
「アヤネ、良くやった、6回目でここまでやれるとは上出来だ」
「いえ、私、物覚えが悪くって、5回も失敗してしまいました。申し訳ありません」
「いや、こっちの予測では10回目ぐらいから食べられるものが出来るだろうと思っていたからね」
「それは・・・ちょっと、ひどいです」
少女は頬をポッとふくらませる。
表情だけを見れば誰しも「彼女」を人間だと思うだろう。
だが、肩のあたりで切り揃えられた髪は金属光沢の青、耳にはやはり金属のカバー。
「彼女」の名は「アヤネ」、もしくは「HMX−12」という。
来栖川エレクトロニクスロボット工学研究所にて生み出された多機能型汎用アンドロイド。
通称『メイドロボ』のプロトタイプ1号機。
それが、「彼女」だった。

「学習能力はかなり発達したようだね、夏立君」
「ええ、パターン認識能力がかなり上がってます。このぶんなら、本で読むだけで大抵の料理が作れるよう
になるでしょう」
「S班の『セリオ』はどんな調子だい」
「向こうはもうほぼ完成ですよ。サテライトシステムとの同調タイムラグがあるぐらいですよ」
「アヤネ、お前のお姉さんはもうすぐ完成だとさ」
「申し訳ありません。私の方が先に開発されたのに、失敗ばかりしていて・・・」
「しょげなくていい。お前は失敗しないと先へは進めないんだから、今のうちにたくさん失敗しておくんだ」
「本当に、ありがとうございます。こんな私のために・・・あっ、お茶煎れてきますね」
「ああ、頼むよ。ついでにえーと、その、あれだ・・」
「本社からのメッセージを確かめてくるんですね。わかってますよ、ついでに見ておきます」

「今の、わざとでしょ、主任」
「ありゃ、ばれたか」
「バレバレです。そのうちアヤネにも気づかれますよ」
「そうなればまた一歩完成に近づくわけさ」
「なるほど。でも自発的に気を利かせるなんてのは、感情を持ったロボットならではですね」
「前にも言ったろ、感情を理解し同調することが出来るのは、理性じゃない、感情だけなんだよ」
「確かに。さっきの呼吸は『阿吽』て感じでしたよ、プログラマーも草葉の陰でうれし泣きしてるでしょう」
「入院してるだけだ、死んだわけじゃない」
「一人は神経失調、一人は胃潰瘍ともなると、もしも死んだら主任が殺したようなもんです」
「半分は君にも責任があるんだからね、夏立君」
「そのうち見舞いにでも行きますか、主任。」
「アヤネも連れて行くか、いい経験になる」
「止めましょうよ。アヤネの顔は見たくもないはずですよ、悪化したらどうするんです。おお、アヤネ、ご苦労
様」
「遅くなってすみません、お茶を煎れてきました。それから主任さんに、メッセージが入ってました」
「ほう、何て?」
「えーと、盗聴用のビデオ機器の調子がおかしいんで、一人会長の屋敷に派遣して欲しいそうです」
「まったく、過保護なじいさんだ。年がら年中孫の様子を覗き見して、楽しいもんかね」
「主任も年頃の子供を持てばわかりますよ。で、誰を行かせましょうか」
「一応、サテライトシステム関係だからな、S班から適当に・・・ん、アヤネ、どうした?」
「『とうちょう』って何ですか?それと、私の顔がどうかしたんですか?」
「ま、一段落ついたことだし、私が行く。夏立、説明しとけ、ただし、ほんわかとだぞ、ほんわかと」
「説明しとけって、そんなダークなこと、どうやって、主任、待って、待ってくださいよ」


第1章に続く
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第1章 『A』から『 』へ


朝の登校風景。どこにでもあるいつもと変わらぬ日常に見えるその風景にはただ一点、異質な物があった。
黒塗りの大きなリムジン。
しかし生徒たちをかきわけるように校門へ向かうその姿は、その学校では日常の風景の一つであった。
いつものように校門の少し手前で止まるリムジン。いつものように降りる一人の少女。
いつものように少女は運転手に軽く頭を下げ、校門へと歩く。異変はその時起こった。
制服に身を包んだ少年が一人、走ってきた勢いのそのまま、少女を突き飛ばすようにぶつかる。
勢いに抗うことなく、少女は地面に転がった。

「止めろ」
老人の声が暗い広間に響く。
ストップした画面から目を離した老人は、傍らに控えていた初老の男に鋭い眼光を向けた。
「芹香には怪我はなかったのだろうな」
「はっ、念のために医者にも見せました。少し擦りむいただけのようで御座います」
「お前がついていながら、どういう事だ。たるんでおるのではないのか」
「申し訳御座いません。この長瀬、不覚で御座いました」
「この男の身元は調べたのだろうな」
「はい、すべてこの報告書にまとめさせて御座います」
「来栖川に悪意を抱くようなものではないのだな」
「その点は、大丈夫で御座います。交友関係にも、そういった者の存在は御座いません」
「しかし、2回とは偶然とも思えん。その上、芹香になれなれしく口をききおって、芹香は何と言うておるのだ」
「調べさせまして御座います。これ、小僧、何と言っておったのだ?」
「いい年した男を捕まえて『小僧』ってのは止めてくださいよ、正直に言って、声自体はわかりません」
「では、わからんのか、長瀬」
「これでもロボットに表情を作るのにはちょっとした権威でしてね、唇を読みました」
「ほう、で、何と言うておったのだ、長瀬主任」
「会長、どうやら『運命』と言っているようです」
「運命、運命だと、何を馬鹿な・・・たかが道でぶつかっただけではないか」
「あの年頃のお嬢さんには運命的な出会いに感じるんでしょう」
「あんなどこの馬の骨とも知れぬようなやつにそんなものを感じたというのか、芹香は」
「まあ、お嬢さんはあまり異性との交友がない方のようですし、そういう事もあるのではないかと・・・」
「許さん、何としても引き離せ、長瀬」
「はっ、心得まして御座います」
「いや、そいつはちょっとまずいんじゃないですかね」
「黙っておれ、小僧」
「いや、お前こそ黙っておれ。長瀬主任、まずいとはどういう事かの」
「いや、話してもいいんですが、すぐ取り乱す人の前ではちょっと・・・」
「何だと、小僧」
「お前は下がっておれ、用があれば呼ぶ。それまで来てはならん」


「さて、まずいとはどういう事かの」
「こう申しては何ですが、私の知る限り、芹香お嬢さんは自分からお友達を作る方ではないと思うのです
が・・・」
「貴様、わしの孫を自閉症だとでも言うつもりか」
「私は『自閉症』なんて言ってませんよ、すぐに口に出す程気にかけているのは会長の方です」
「・・・何が言いたい・・・」
「あの少年はなかなか積極的そうですしね。お嬢さんの交友関係にはああいうのも必要だとは思われませ
んか」
「あんな男より、芹香の友人なら、わしがいくらでも・・・」
「前にそれをやって、怒らせたんじゃありませんか?今の学校に通う原因になったと聞きましたよ」
「ぐ・・・長瀬か、長瀬だな」
「誰から聞いたんでもいいじゃありませんか。お嬢さんが一度決心したら止められないのは、身にしみてわ
かってるでしょうに」
「しかし、あの男は、・・・男ではないか。もしものことが、いや、あるはずも・・いや、あっては・・」
「私も恋人にはどうかと思いますが、友達としてはいい機会だと思うんですがね・・」
「恋人、恋人だと、そんな馬鹿な、・・・ちょっと待て、その男にはもう、惚れとる女がいるのではないのか?そ
ういう年頃ではないか」
「ちょっと待ってくださいね、報告書を、・・・えーと、本命らしいのが一人いますね」
「うむ、そうじゃろう、そうじゃろう。ならば、友達というのもよかろう。お前の言う通りかもしれん」
「ですが、このままじゃ恋人にはなりませんな」
「なに、どういう事じゃ、何かあるのか」
「付き合いがかなり長いんですよ、いや、長すぎる」
「長くて結構ではないか、付き合いが長ければ情も深まるというものだ」
「長すぎて男女としての意識が薄れすぎてますね。何かインパクトのある出来事でもなけりゃくっつかない
でしょう」
「それは困る。困るぞ。どうする、長瀬」
「たとえば、怪我をした彼女を彼が介抱してあげるとか・・・」
「おお、良いかもしれんな、だが、それだけでは弱くないか?他にも何か・・」
「彼女に他の男を接近させるというのも、かなりいい方法でしょうね」
「おお、それが良い、あの学校の誰かを雇えば簡単な話だ」
「言っときますが、あの年頃の子供は意外に口が軽いですよ。バレた時はとり返しがつきません」
「なに、うまくやれば良いだけの話だ」
「ただ、この娘だけにこだわる必要もないんですよ。もう一人いるようですのでね」
「二股もかけとるのか。なおさら芹香には近づけられんではないか」
「いや、そういうのじゃなくて、中学以来の腐れ縁みたいな間柄ですね。ケンカ友達というやつで、恋人関係
には程遠い」
「それでは役に立つまい」
「いや、こいつを読む限り、この娘は彼に惚れてますね。本命の娘に気を使ってるのと、彼との関係が変に
変わるのを恐れているんでしょう」
「おお、気の毒な話だ。そいつとくっつけてしまえば良い」
「とはいいますが、こういう娘はよほど追い込まないと動きませんよ」
「方法が、あるのか?」
「たとえば、これでもう彼とは会えないとかということになれば・・・」
「その娘の両親はなにをやっとるのだ。会社員ならば何とかなるやもしれんぞ」
「念を押しますが、裏工作がバレれば、逆効果にしかなりませんよ。いったん彼と仲良くなれば彼女たちも
芹香お嬢さんの友人になる可能性は大です」
「他におらんようなら、誰か雇って男にくっつけても良いな」
「まあ、もうすぐ新学期ですから。新入生として入学させるのは簡単でしょう」
「おお、そういえばメイドロボのセリオとアヤネはどうなっとるのだ」
「もう、明日にでも学校に送り込んでテストできますよ」
「実際にたくさんの人間と触れあわさせねば、欠点は見えてこんからな・・・長瀬、良い考えがあるぞ」
「ああ、アヤネに芹香お嬢さんのお目付け役をさせたいんでしょう?なるべくお嬢さんにくっついて彼と二人
きりにはさせないようにしましょう」
「いや、それだけではない。男ととくっつけてしまえ」
「会長、気は、気はお確かですか?」
「お前の作っておるアヤネには感情があるのではないのか?」
「た、確かにそうですが・・・」
「感情を持っておるならば、恋心も抱くのではないのか?」
「いや、しかし、それは・・・」
「『どんな感情でもロボットに与えることができる』。お前の持論ではないのか?」
「しかし、会長・・・」
「もちろん、期待はしておらん、場つなぎ程度で良い」
「会長、待ってください」
「わしはこれからこの報告書を詳しく読むことにする。コピーをあとで届けさせるから、参考にしろ」
「会長・・・」
「期限は新学期までだ。予算はいくら使っても構わん」


「主任!まさかOKしたんですか!!」
「『期待してない』とまでいわれるとな、つい・・・」
「アヤネに恋なんかできるとお思いなんですか!!」
「今のアヤネにはちょっと荷が重いな。第一彼が恋に落ちるかどうか・・・」
「まあ、そりゃそうでしょう。なにが悲しくて・・・」
「いや、そういう事じゃない。ロボットが人間を恋に落とすことは充分に可能だと思ってる」
「主任、あなた、気が、気が変に・・・」
「問題は外見なんだよ、夏立君」
「外見の何が問題なんです。髪の色ですか?耳カバーですか?」
「もっと根源的な問題だ。セリオもアヤネも来栖川のお嬢さん達に似すぎている」
「モデルにしたんだから当たり前です」
「同じ外見だったら生きてる方に情が向くもんだろう?」
「アヤネだって生きてますよ!!私らとはちょっと生き方が違うだけです」
「とりあえず、ボディーを総とっかえだ」
「やっと今のボディーの力加減を覚えたのに、取り替えようってんですか!!」
「記憶と認識能力をレベル2の段階にまで下げよう」
「それじゃあ、赤ちゃん以下です!!」
「アヤネは我々おじさん達との付き合いが長すぎるんだよ。かなりスレてる部分がある」
「アヤネのどこがスレてるんですか!!」
「相手は高校生なんだ。今のアヤネでは恋愛にはおそらく発展しない」
「だからって、そこまで変えてしまったらアヤネじゃなくなっちまうじゃないですか!!」
「そのとおり。これから作る『彼女』はアヤネじゃない」
「は!?」
「『アヤネ』の今のシステムと記憶はバックアップを取ってしまっておくさ。来るべき14号が『アヤネ』になる」
「じゃあ、私たちは、何を作るんです?」
「今の所は『名無し』だ。だから私たちの班も『名無し』班ということだな」
「そんな無茶な・・・」
「名前は顔ができてから考えるさ。それまでは保留ということにしよう」
「そういえば、顔はどんな顔になるんです?」
「問題の彼の幼なじみの顔を少し参考にさせてもらった。あとは『無茶苦茶かわいく』と指示しておいたよ。
彼はどうも『妹』タイプに弱いようだ」
「また、アバウトな・・・どんな顔になるんでしょうね・・・早く見てみたいもんだ」
「なんだ、夏立君。結構やる気あるんじゃないの」
「言っときますがね、スタッフにぶっ倒れる人間が続出してもそれは一切主任の責任ですよ」


第2章に続く