隆山歳神祭祀 『羽無乃一』 投稿者:MIO 投稿日:6月20日(火)19時15分
 春の日差しもどこへやら、ずいぶん暑くなってきた。
 梅雨の湿気が尾を引いているせいもあるだろうが、今年は特に暑い気がする。
 生来から暑さが得意ではなかった俺は、避暑もかねて、再び柏木家に厄介に
なっていた。
 千鶴さんの話しに寄れば、この時期になると、水門の方から風が吹く事が多
くなるそうだ。立地条件から柏木の屋敷は、その風をもろに受ける事になる。
 涼しいのはそのせいだろう。

 なぜ水門の方から風が吹くのかは良くわからないが、高地だし、このあたり
は極めて奇妙な地形らしく(何度か大学の調査隊が訪れているそうだ)、その
おかげなのかもしれない。

 長くなったが――
 柏木家は今日も涼しい・・・

 バサッ!

「え?」
 今の今まで、傍らで本を読んでいた楓ちゃんが、急に立ち上がった。
「楓ちゃん?」
 俺が、どうしたの? と問うより早く、楓ちゃんは俺を睨みつけた。
 な、なんだ――!?

「ハムっ!!!」 

「はむ?」
「ハムです!」
 大声で言った後、楓ちゃんはヨヨヨとばかりに泣き崩れる。
「耕一さんは毎日毎日寝てばかり、グータラグータラ、食っちゃ寝食っちゃ寝
の自堕落さんです! 穀潰し!」
「あ・・・ああ、ご、ごめん・・・」

「だからハムください!」

 何故っ!?
「ハム!」
「ええっと――ダラけてたのは謝るよ、ホントごめん! で、でも、ハムをく
れってのは・・・」
 どうして?
 楓ちゃんは、俺がちっとも理解していないと察するや、悲しそうに俯く。
「お歳暮・・・」
 へ?

「耕一さんは、どうしてお歳暮をくれないんですかッ!」

 心からの叫びだった。
 悲鳴にすら聴こえた。
 
 お歳暮・・・

 そのコトバに、俺は深い衝撃を覚える。
 たしかに・・・たしかに俺は、お歳暮をあげたことがなかった!

「――って、楓ちゃん」
「なんですか?」
「俺・・・ほら、まだ大学生だしさ・・・お歳暮は、ちょっと」
 そう言った途端、楓ちゃんはボロボロと涙を零しはじめた。
 俺は慌てる。
「ど、どどどど、どうしたのさ!?」
「耕一さんの・・・耕一さんの・・・」
 楓ちゃんは、小さく息を吸うと、

「耕一さんの、インチキ足長おじさんッ!」

 は?
「うわーーーーーーーーーーーーんッ!」
 泣きながら走り去ってしまった。
 追うべきだったのだろうが、俺は立ち尽くしたままだった。
 わけがわからん。
 脳みそが事態に対処しようとやっきになっているが、サッパリだ。
 と、そのとき――

「うふふふふっ、耕一さん、妹を泣かしましたね」
 
「その声は、千鶴さん!?」
 どこにいるんだ!?
「ここです」
 ちゃぶ台の下から、千鶴さんがほふく前進で現れた。
「な、なにを――」

「耕一さん! 楓の気持ちを理解してあげてくださいッ!」

 だから・・・
 なにをどう理解しろっていうんだ、この状況をッ!
「楓は・・・あのコはただ、耕一さんを『ハムのひと』って呼びたかっただけ!」
 千鶴さんは、辛そうに、せつなそうに言う。
「わたしにはわかる! だって――」
 千鶴さんの頬に朱がさした。
 甘いため息を吐いた彼女は、そっと胸を押さえて言う。

「わたしも、昔はそうだったから・・・」

「はぁ」
 サッパリわからん。
 ハム?
 ハムのひと?
 俺は別所哲也か。
「耕一さん!」
「は、はい」
「楓にお歳暮をあげてください!」
「いや、そんなこといわれても・・・」
「出来ればハムを!」
「いや、だからね千鶴さん――」

「むしろハムを!」

「聞けよ」
 ヒトの話を。
「でなければあのコが可愛そうッ!」
 挙句の果てに、千鶴さんは泣き出してしまった。
「・・・」
 泣く女性と、エロ本の自販機の誘惑には勝てない。だが、ハムを買おうにも
俺には金が無かった。
 まさか千鶴さんに無心するわけにもいくまい。
 俺はどうにか断ろうとしたのだが――

「買ってやれよ、耕一ッ!」

 天井を這いまわっていた梓が吼える。

「そうだよ、お兄ちゃん!」

 今の今まで、戸棚のなかに隠れていた初音ちゃんが、俺を責め立てた。
 全員が声を揃えて「ハムかーえー」とわめき散らす。
「そ、そんなこと言われたって、ハムを買う金なんてないよ! 楓ちゃんは、
あの、お歳暮に送るようなデカくて上等なハムが欲しいんだろうからさ!」
 そのとき、三人がいっせいに「ハム!」と唸った!

「ハム! ハム! 耕一のハムが欲しい〜! でかくて肥えた豚の肉〜! 燻
して、テラテラ光ったら〜! お歳暮箱に押し込んで〜! 耕一、手渡し、嬉
しいな〜!」

 不気味な歌だった。
 上から、下から、四方から!
 柏木姉妹の歌が聞こえるッ!
「ううっ!?」
 急に力が萎えて、俺はがっくりと膝をついた!
 ダメなのか!? 
 俺はハムを買わなきゃダメか!? 
 ただでさえ貧乏学生で食うのにも困ってんのに、高級ハムを買わなきゃいけ
ないってのか!?
「ぐ、ぐぅぅっ・・・」
 し、しっかりしろ柏木耕一ッ!
 ここで負けたら、ドリームキャストを買えなくなるぞッ!
 ああ〜っ! ダメだ・・・
 やっぱりダメだ!
 なんか・・・すごく・・・ハム・・・買いたくなって・・・
 そのときだっ!

「もうやめて! 姉さん!」

 楓ちゃん!?
 彼女の乱入で、謎の歌が止んだ。同時に、カラダも自由をとりもどす。
「もういいの! 姉さん! 初音! わたしはいいのッ!」
 千鶴さんが、困惑した表情で楓ちゃんを見る。
「でも、それでいいの? あなたは――」
 楓ちゃんはニッコリ笑って、首を横に振った。
「いいの。耕一さんを『ハムのひと』って呼べないのは、たしかに辛いけど・・・
でも、耕一さんが苦しむのを見るのは、もっとずっと、辛いから」
 楓ちゃん・・・
 なんだか良くわからないが、ここは感動する場面なのだろう。
 たぶん。
 俺はいまだに事情が飲み込めないが、千鶴さんたちは泣いていた。

「楓・・・あなたって子は・・・」
「わかったよ、楓。アタシはもう、なにも言わない」
「がんばってね、楓お姉ちゃん!」

 それぞれが好き勝手なことを言いながら、ゾロゾロと部屋を出て行く。
 勝手もいいところだ。
 俺は完全に置いてけぼりだ・・・
 事情を説明しろ、事情をッ!
 どうして、お歳暮なんだ!?
 どうして、ハムなんだ!?
 どうして、皆が変な歌で俺を篭絡しようとする!?
 どうしてッ!? 
 どうしてッ!? 
 どうしてッ!?

「見てください、耕一さん・・・」
 楓ちゃんは、妙に晴れやかな表情で去っていく姉妹たちの背中を指差した。


「姉さん達が山へ帰っていくわ!」


「だから、どうしてッ!!?」


 一ヵ月後――

 隆山から帰り、再び日常へ復帰していた俺に、一通の手紙が届けられた。
 楓ちゃんからだった。


 耕一さんへ。
 このあいだは、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。
 それと、このあいだのお礼に、10円ガムを一つ同封しておきました。
 食べてください。
 食べたら、わたしの事『ガムのひと』って呼んでいいですよ。

 
 最後の行には、楓ちゃんらしくも無い、可愛らしいウサギのイラストが添え
てあった。
 わからないことは、確かに多い。
 だが――
 これでいいのかもしれない・・・
「・・・ガムのひと・・・か」
 俺はため息を吐いて、手紙をゴミ箱へ放り込んだ。

 最後にコレだけは記しておこう。
 俺は今年、ある会社に就職が決まった。
 社会人となった俺は、今度こそ彼女に送らなければならないのだろう――
 その結果がどうなるにしても。
 何が待ち構えているにしても。
 俺は、送らなければならない。

 ハムを――
 

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 ハムの語源は、実は日本の神道の中にあります。
 古事記にも

「与太ノ尊、羽無ノ比礼ヲ振リテ曰ス」
 
 とあるように、ハムは当初『羽無』と記され、神の贈り物とされていました。
 近代、肉の腸詰がハムと呼ばれるようになったのは、古代の日本に渡来していた
異人が、なんらかの方法で――

 って、信じるなよ。


   

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