ラスト・ヒーロー・イン・ねこっちゃ 投稿者:MIO 投稿日:6月8日(木)03時07分
 ねこっちゃは可憐な少女である。

 超能力が呼んだ暗い影も今はなく、その表情には、たおやかな笑みさえ浮か
び始めている。
 生来がお嬢様育ちの彼女が、オドオドとした態度を改めたときにどんな変化
がおこるかなど、藤田浩之くらいしか想像できていなかったに違いない。

 ねこっちゃは今、底抜けに愛らしかった。

 暗い過去などなかったように、男性ファンを獲得するねこっちゃ。
 藤田浩之というコワモテの彼氏さえいなければ、彼女は一日50通を越すラブ
レターに目を通さなければならなかっただろう。
 今朝でさえ、49通のラブレターがゲタ箱に押し込んであったのだ。
 そのうち目が悪くなるかもしれない。
 メガネが必要になるかもしれない。
 だが、それも、ねこっちゃの愛らしさに拍車をかけるだけであろう。
 とにもかくにも・・・

 ねこっちゃは可憐な少女である。

 長い前置きだが、もう少しお付き合い願いたい。
 さて――
 周知の事実だが、ねこっちゃは絵が上手い。
 彼女が伏目がちに筆を走らせる様は、校内の(公式、非公式を問わず)ねこ
っちゃファンの脳みそを沸騰させることだろう。
 そんな、煩悩丸出しのやつらは、ねこっちゃの描く絵の、ほんとの良さって
やつがわからない。
(当然――そんなことを、ねこっちゃは気にしなかったが・・・)
 というわけで、絵が上手いねこっちゃなのだが、彼女、実は静物画や風景画
しか描いたことがなかった。
 対人恐怖症だったからかもしれないが、それは藤田浩之の憶測である。
 とにかく・・・
 そんなねこっちゃだから、はじめて「人物画にチャレンジしたいなぁ」と思
ったのは、ずいぶん後のことで・・・ちょうどそのことに思い至ったとき・・・
 ねこっちゃは、この世の春を謳歌している身分だった。
 彼氏、藤田浩之との交際三ヶ月目に突入。
 いちばん甘ったるい時期である。
 
 ――藤田さんを描いてもいいですか?

 嫌とは言えない。言わせない。
 そして数日後・・・
 放課後、人気のない美術室には、椅子に座っている藤田浩之を描く、ねこっ
ちゃの姿があった。
 楽しそうだ。本当に幸せそうだ。ニコニコ笑顔で筆を走らせている。
 ふと――
 ねこっちゃの手が止まった。
 モデルの藤田浩之が、居眠りしている事に気付いたのである。
 くすくすと、耳に心地よい声で笑うねこっちゃ。
(藤田さん、可愛いっ)
 くすくすくす・・・
 あんまり可愛いので、ねこっちゃは寝ている藤田浩之を描く事にした。
 目のあたりをちょっといじれば、あっと言う間に『おねむの藤田さん』だ。
 くすくすくす・・・
 と、そのときだ。
 ねこっちゃの、思いがけなく細い指先から、消しゴムが逃げ出した。
 コロコロと、美術室の隅へ転がっている。
(あっ、いけない・・・)
 ねこっちゃは、藤田浩之を起こすまいと、極めて静かに立ち上がろうとした。
 静かであることに、注意を払いすぎた。
 ねこっちゃは、ちょっとだけドジな女の子かもしれなかった。

 立った拍子にイーゼルが倒れた。

 超能力の奇跡か、天性の勘の良さか・・・ねこっちゃは、素早くそれに気づ
いた。

「はーいッ!」

 裂ぱくの気合!
 ねこっちゃは、見事な後ろ蹴りを放った!
 かかとを叩きつけられたイーゼルは、転倒方向とは正反対の力を与えられ、
バランスを取り戻す。
 だが、それは終わりではなかった。
 イーゼルの端には、デッサンに使った木炭が転がっていたのである。
 飛び上がった木炭が、くるくると回って掃除用具入れのロッカーヘと飛んだ。
 放っておけばよかった。
 浩之は、それくらいのことでは起きない。
 だが、ねこっちゃはそうは思わなかった。
 木炭がロッカーにぶち当り、甲高い音を響かせるのを、恐れた。
(藤田さんが起きちゃう!)
 ほとんど無意識。
 ねこっちゃは跳んだッ!

「やーッ!」

 運動神経は人並みか、それ以下のねこっちゃだが、彼女には超能力がある。
 いっぺんに使えば疲労著しい超能力だが、自身をサポートするように、すこ
しずつ使えば消耗は少ない。
 ねこっちゃの体が、地面と並行に飛んでゆく。
 超能力あらばこそ。
 重力を無視した、軽やかかつ雄美な跳躍であった。
 
「はーいッ! はいはいはいぃぃッ!!」

 着地するより早く、木炭を、指の間で素早くキャッチする。 
 ねこっちゃの壮絶な美貌もあわさり、まさに神業と呼ぶにふさわしい光景が
展開された。
 木炭をしっかりキャッチしたねこっちゃは、クルッと回転して着地姿勢。
 だが――
 着地した地点に問題があった。
 最初にねこっちゃが落とした消しゴムは、今、なにかしらの怨念でも晴らす
かのように、彼女に牙を剥いたのである。
 消しゴムを踏んづけて、ねこっちゃはバランスを崩す。

「あいやーッ!」

 重ねて立ててあった美術部員のイーゼルが、ねこっちゃの肘鉄をくらった。
 まるでコントかなにかのように、イーゼルの群れが連鎖を起こして倒れ始め
る。ドミノ倒しのようだった。
 それを認識するがはやいか―――
 ねこっちゃは、再び跳躍ッ!

「たーッ!」
 
 空中で、拾ったばかり木炭を素早く飛ばす。
 超能力で補強された木炭は、すさまじいスピードで飛ぶと、黒板横の掲示板
に食い込んだ。
 壁際のイーゼルが、木炭に引っかかり一瞬だけ止まる。 
 一瞬。
 それで十分だった。
 
「あーーーいッ!」

 イーゼルが再び崩壊のセレナーデを奏でる前に、ねこっちゃは着地、問題の
イーゼルを片手で支えていた。
 あぶないあぶない。
 ねこっちゃの八面六臂の活躍は――

「ッ!?」

 事態は収拾してなどいなかった。
 倒れるイーゼルに、別働隊がいたのである。
 途中から巧妙に枝分かれしていたイーゼルの列は、小賢しくもねこっちゃの
目を盗み、連鎖を続行していた。
 しかし、ねこっちゃは慌てなかった!
 素早く、床に置かれていたテレピン油の缶を蹴りあげる。

「ぉあたぁーーーーーっ!!」

 神速の蹴り。
 飛び上がった缶が、またも地面と水平に飛び、イーゼルにぶつかった。
 イーゼルは崩壊のベクトルを反転。再び安定する。
 問題は・・・
 飛び上がった缶である。
 落ちれば大音響は間違いない。
 しかし、それもねこっちゃの守備範囲内であった。
 イーゼルを支えていた右手を離し、素早く反転!
 片足を後ろに蹴り上げ、今度は脚でイーゼルを支える!
 ねこっちゃは、フリーになった両手で、美術室のカーテンを毟り取った!
 
「ハイハイハイハイッ! はぁぁぁぁぁいッ!!」

 両手に掴んだカーテンを振り回すと、素早く超能力の補強!
 カーテンは、柔らかな布とは思えぬスピードと強度で、美術室を対角線に飛
んだッ!
 
「あーーーーーいッ!!」

 ねこっちゃの腕が振るわれると、カーテンの一端が渦を巻く!
 
「はぁぁぁぁぁいっ! ハイッ! ぉあたぁぁぁぁっ!!!」
 
 カーテンの一端が、教室奥の戸棚に括り付けられる!
 と同時に、カーテンは元の柔らかさをとりもどし、ふわりと広がる。
 ねこっちゃの妙技が生み出した、カーテンのクッション!
 テレピン油を満たした缶は、見事にクッションのうえに着地する。

 戸棚が揺れた。

「あッ!?」

 戸棚の中にしまわれていた石膏の胸像が、ゆっくりと落ちる。
 だが大丈夫。
 ねこっちゃには、まだ片方の手が残っている。
 ねこっちゃは、余裕だった。
 もう片方の手で、カーテンを毟り取るのだ。
 そうしたら、テレピン油の缶と同様の方法で、石膏像を受け止める。
 完璧だった。
 ――だからかもしれない。
 ねこっちゃは油断し、ミスを犯した。

 先ほどと同様、カーテンを毟り、超能力で飛ばす!
(あ、ダメッ!?)
 なにかの拍子に、カーテンを広げるタイミングが狂った。
 
 クッションは、一瞬にしてトランポリンへと化けた。

 石膏像が跳ねる。

 最悪な事に、石膏像の落下点には、居眠りする浩之がいた。

 落ちれば砕ける。それは両者に言えることだ。
 石膏像にも、そして――浩之の頭蓋骨にも。

 石膏像は慈悲無き落下をやめようとしない。

 ねこっちゃに、それを追う術はない。

 両手はカーテンを支え、後ろへ蹴り上げた右足は、イーゼルを支えていた。
 カーテンを持つ手に、体重を支える力のの一部を依存させているため、両手
を離せない。
 右足だって、離せばイーゼルの大崩壊が再来することは疑いようもない。

 どうする?

 方法は、一つしかなかった。

「はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいッ!!!」

 ねこっちゃの超能力が炸裂した。
 膨大な熱量が周辺から奪われ、密室に風が逆巻いた。
 イオン化した空気の中を、増大した静電気が踊り狂う。
 紫電が閃いた。

 そして――

 石膏像が、浩之の頭上1メートルで止まった。

 まだだ。
 
 ねこっちゃは、まだ安堵のため息をつけない。
 そうしたかったのに、出来なかった。
 細かく超能力をつかったツケが、今、彼女を襲おうとしている。
 眠い――
 おそろしい誘惑が、彼女を襲い始める。
 これ以上は力を使うことは出来ないと、ねこっちゃは痛感した。
(ふ、藤田さん・・・)
 愛しい人のことを想い、ねこっちゃは泣きそうになる。

 浩之の頭上に浮いた石膏像を、破壊する事も、動かす事もできない。

 必死になって、形振り構わずに、現状維持が手一杯。
 ねこっちゃは身動きがとれない。そして眠い。
 超能力の限界は、すぐそこまで忍び寄っていた。
 汗が吹き出る。
 浩之は起きる気配がない。
 石膏像は、よりにもよって・・・一番デカイやつだった。
 まぶたが重い。
 もうダメだ。
 もう、これ以上は無理だッ!!
 覚悟を決めたッ!
 キッと視線を石膏像に向けるッ!

 ねこっちゃは、最後の気力を振り絞って叫んだッ!!



「ロミオ・マスト・ダァァァァーーーーーァァイッ!!!」



 藤田浩之がビクッと震えて目を覚まし、その頭上に石膏像が落下を開始。
 藤田浩之はワケがわからず、キョロキョロとあたりを見回している。
 その頭上に、石膏像が落ちてくる。
 あと30センチ・・・20センチ・・・10センチ・・・

 激突まで、あと1センチ・・・

 ねこっちゃは、その映像を最後に眠りの海に堕ちた。




 できれば、もう目を覚ましたくない気分だった。


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 功夫映画(ジャッキー以外)を見てる人には、なんとなくわかるかと・・・
 とりあえず、長いお話を連発して申し訳ないです。

 う・・・
 ねこっちゃじゃないですが、時間が時間ゆえ、おこちゃまな俺はかなり眠いです。
 

 あ、『感染経路、特定不可』について、感想ありがとうございましたッ!
 ホッとひと安心。
 今夜は良く眠れそうであります。  

http://www.interq.or.jp/black/chemical/