「ワタシへ・・・」 「アナタへ・・・」 「もう何日になるだろうか?」 「或いは何週間か?」 「或いは何ヶ月?」 「或いは何年・・・否、何十年」 「それでも、今なおワタシは」 「そう、今もなおアナタは」 「あの、夏の日の出来事を」 「あの、暑い隆山での出来事を」 「思い出せないままでいる」 「思い出せない。アナタの記憶からスッポリと」 「大きな穴を残して、スッポリと」 「消え去ってしまった、アナタの隆山での」 「あの暑い夏の日の出来事」 「その記憶」 「その思い出」 「それらを、アナタは思い出せていない」 「今もなお、ワタシは思い出していない」 「日々を、虚ろな鏡の前で過ごしながら」 「鏡の中の」 「鏡に映る」 「毎日少しずつ」 「しかし、確実に」 「若さを消耗していく自分自身に、話し掛ける」 「だけれど、鏡に映ったアナタは」 「鏡に映ったワタシは」 「あの日のままの」 「若さを保った」 「鏡の中のワタシ」 「あの頃のワタシ」 「そして、ワタシにアナタは」 「ワタシはアナタに」 「毎日のように話しかける。なぜなら」 「鏡の中のワタシは、あの頃のワタシ。日々を謳歌した」 「喜びに満ちていたころの」 「ワタシ」 「鏡のなかから、老いてしまったアナタに」 「アナタは話し掛ける」 「そして、アナタはワタシに話し掛ける」 「二人は、過去と未来だけれど」 「連なっていないのは」 「あの、夏の日の出来事が」 「スッポリと抜け落ちて」 「過去と未来との繋がりを」 「その連続性を」 「断ち切ってしまったからだろうか?」 「いいや、違う」 「違うのか。アナタは、違うと思っているのか」 「ワタシは知っていた」 「アナタは知っている?」 「ワタシは、過去を知り、その連続性を確認している」 「ワタシは、過去を思い出し、その連続性を再び獲得している?」 「いや、アナタはまだ知らずにいる。しかし」 「思い出そうとしている」 「そう、なぜならば」 「なぜならば」 「アナタはワタシに、小さな見覚えがあるはずだった」 「アナタは鏡の中のワタシ、若き日のワタシ、あの頃のワタシ」 「しかし、それに混じりだした」 「混じりだしてしまった」 「不愉快な記憶、その因子」 「あの日、あの暑い夏の日、隆山で」 「アナタに覆い被さった、異形の影を」 「その忌まわしい面影を」 「鏡の中のワタシは」 「鏡の中のアナタは」 「知ればいい。思い出して。そうすれば」 「忘れてしまった、出来事を」 「忘れてしまった、ワタシのことを」 「アナタは似ている」 「見つけて。そうすれば、忘れる前のように、ワタシのことを」 「とても似ている」 「愛してくれるハズだから」 「嗚呼、とても似ている」 「さぁ、今こそ思い出す」 「鏡の中のワタシは似ている」 「あの」 「鬼に」 「アナタは思い出した」 「ワタシは思い出す。わたしは記憶を取り戻す」 「絶叫と深淵と、不条理な下腹の熱に、アナタは過去と未来を繋ぐ」 「ワタシは」 「アナタは」 「あの出来事のあとに、妊娠してしまう」 「妊娠してしまった」 「鏡の中のワタシは」 「鏡の中のアナタは」 「妊娠している」 「妊娠した」 「ならばどうする。アナタは」 「殺してやる」 「嗚呼」 「産まなければいい。ワタシは産まない。出産んでたまるものか」 「不可能だけれども」 「堕胎すとも、堕胎してやるとも。陰惨な、忌まわしい過去ごと」 「それは、絶対に不可能だけれども」 「肉体から排泄して、この世から消し去る事に、躊躇いはないから」 「それでも、アナタは」 「ワタシは堕胎す。こんな子供はいらない。死ねばいい」 「死ねば」 「生まれる必要などない。あの、忌まわしい冒涜的な出来事の結果なぞ」 「必要の無い、忌まわしい結果なぞ・・・と、アナタはワタシに」 「ワタシはアナタに宣言する」 「宣言した。してしまった」 「死んでしまえ。わたしの、おなかの中の子供など、死んでしまえ」 「死んでしまえ」 「死ね」 「そこで、年老いたアナタは気づく」 「鏡の中のワタシが、若い頃のワタシが」 「アナタに」 「鏡の中のワタシは、その長い爪を」 「鏡の中のアナタは、この長い爪を」 「ワタシの喉笛に、そっと近づける」 「アナタの喉笛に、そっと近づける」 「笑いながら」 「笑いながらだ」 「だけれど、ひどく哀しげに」 「そう、だけれど、涙を知らぬままに」 「そうして、ようやく・・・ワタシはすべてを理解する」 「そう、アナタは」 「そう、ワタシは」 「もう既に、生んでいたのだ」 「もう、二十年も前に」 「あの暑い日の結論を」 「ワタシは吐瀉していた」 「忘れてしまっていたけれど」 「そうするしかなかった。そうしたかった。そう望んだ」 「けれど。アナタは確かに」 「産んでいた」 「産んで、そして忘れた。でも、アナタは確かに」 「産んで・・・しまっていた。死ねばいい子供を」 「せめて、その言葉を聞かなければ、或いはワタシは」 「死ねばいい。呪われた子供め。アナタは・・・わたしの子供じゃない。あの」 「あの、暑い夏の日に出会った」 「獣の子供め。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ」 「死ぬのは・・・アナタだ」 「ちくしょう・・・ちくしょう・・・」 「ワタシは」 「アナタは」 「どうして・・・」 「どうしてそんなにも」 「どうしてこんなにも」 「あの頃のワタシに」 「あの頃のアナタに」 「似てしまったのか」 「似てしまったのだ」 「ワタシは思い出したくなど、なかった」 「思い出したくなかった。それは何を」 「とても思い出したくなかった」 「あの、隆山での出来事を? あの暑い夏の日の出来事を? あの鬼の―――」 「馬鹿め。誤って生んでしまったオマエのことを、だ」 「嗚呼」 「穢れたワタシの赤ちゃん、思い出の日と共に、永久に死んでしまえ」 「嗚呼、どうしてこんな」 「サヨウナラ、ワタシの赤ちゃん、死んでしまえ」 「・・・サヨウナラ、ワタシのお母さん、死んでしまえ、もう一人の」 「アナタ」 「そして・・・ワタシ達」http://www.interq.or.jp/black/chemical/