牛馬の友 投稿者:MIO 投稿日:5月8日(月)23時20分
 今更こんな事を言ったって、誰も信じやしない。

 あるいは、嘘つきのレッテルを貼られるのが関の山だ。

 しかし、だからといって、真実を曲げる事は出来ないのだし、今ここで主張
しておかなければ、わたし自身が、その事実を忘却の彼方へと追いやってしま
いそうだった。

 そう、恐ろしいことに、わたし自身が、それを忘れつつあるのだ。

 だから、今こそ声高に叫ぶ必要がある。

 わたし、坂下好恵は、実は―――



 女の子なのである。



 〜牛馬の友〜



 坂下好恵について、驚くべき真実が打ち明けられてしまった。
 しかし、まぁ・・・
 彼女はいわゆる被害者のようなものだ。
 彼女(我々が坂下好恵と呼ぶ、頑強肉体をもった、信じがたいことに”女性”
というセックスを保持した男性)は、同じクラスの娘たちに比べると、断然に
整った顔立ちをしている。
 確かに、頑丈な骨格と、強靭な筋肉、分厚い皮膚を保持しているが、一見し
て、その体が重戦車の如きパワーを秘めているとは思えない。

 触ればやわらかそうですらある!

 やはそれには理由があって・・・
 格闘技の実践者ではあるが、恵まれた才能ゆえに、あまり殴られた事が無い
彼女は、同じ部活動の女子のように、不自然に曲がった鼻や、傷ついた瞳など
備えてないし、前歯もすべてナチュラルだ。
 屋内競技なもんだから、肌も色白である。
 髪型こそ色気のないベリーショートではあるが、彼女には似合っていたし、
むしろ、それが好きだという者も、当然いるだろう。
 まぁ、信じがたい事実ではあるが、彼女はかなりの美男子であった。

 そこで、坂下好恵は、しょうしょう疑問に思う。
 何故、男からのアプローチがないのか・・・と。
 そりゃあ、綾香のように飛びぬけて美人で、男ウケする性格でもないだろう。
 そりゃあ、葵のように可愛い系の容姿では、間違ってもない。
 だが、
 わたしのようなのが好きだってのが、一人くらいいるのではないか。
 坂下好恵だって、女の子なのである。
 一人前にレンアイがしたい。
 空手が恋人だなんてのは、一足お先に彼氏もちになってしまった葵に対する
強がりだった。
 彼女だって、休日は男の子と遊園地にいって、観覧車にのったり、アイスク
リームを食べてみたいのである。(たいそう、おぞましいけれど)

 自分の何がいけないのか?

 坂下好恵は、傍らで昼食を食べている友人と(空手仲間)、自分を比べてみる。

「このコよりはマシだと思うのだけれど・・・」

 友人は、坂下好恵の無礼な思惑に気付くわけもなく、一心不乱に昼食をとっ
ている。
 格闘技をやっているだけあって、重箱(・・・というのも、いささか過小評価
ではあるが)に顔を埋めるようにして貪り食っている。
 食欲旺盛だ。
「格闘技をやっているからな」
 頑丈な骨格は、おおよそ人間のものとは思えず、太い骨格と、古ゴムタイヤ
の如き筋肉が、中天の日差しを浴びて、中庭に異形の影を落としていた。
 ゴムチューブを巻きつけたような弾力を持つ皮膚は、毛深く、黒い剛毛に覆わ
れている。
 鼻面は長く伸び、鼻汁に塗れた鼻と、長い舌、異様に白目の少ない、離れきっ
た両眼を見ていると・・・

「まるで、牛か馬のようだ」

 よくみれば、四つんばいである。
 大丈夫か。
 気分でも悪いのか。
 しかし、友人はそんなそぶりも見せず、一心不乱に昼食を貪り食っている。
 
「水牛のようだ」

 仮にも格闘技者なのだから、牛に例えるにも『闘牛』というものがあるだろう
し、坂下好恵もその辺は思慮したのではあるが。

 もぐ・・・もぐもぐ・・・もしゃもしゃもごもぶ・・・・

 重箱に詰められたレタスを、のろのろと咀嚼する様は愚鈍以外の何ものでも
なく、どこを見ているのか解らない黒い瞳は、うすボンヤリとした光をかろう
じてたたえてはいるものの、どうやったって、それが知性の光にだけは、見え
なかった。
 良く見れば、水牛の角のような寝癖もある。

 もぉー・・・

 鳴いた。
 それも、牛のような声で・・・だ。
「・・・」
 旧い友人である。
 ともに空手を学んできた。
 綾香や葵よりも、ずっと旧い付き合いだ。
 そりゃあ、かねてから「なんだか、このコは、牛に似ているナァ」と思って
いたさ。
 しかし・・・

「今日ほど、このコが牛に見えた日はない」

 傍らの友人は、四つんばいで、黒い毛皮で(ああ、今気付いたのだが、今日の
彼女は丸裸である)、涎をたらす長い鼻面で、角があって、蝿がぶんぶん飛んで
いて、それをシッポで追い払っている。
 牛にしか見えない。
 それも水牛だ。

「いや、しかし」

 なにごとも、心構えではなかろうか?
 そうなのだ。
 友は教えてくれているのだ。
 
「牛だ、牛だと思っていれば、やがてホントの牛になる」

 そういうことなのだ。
 友人は、坂下好恵に伝えているのだ。
「女だ、女だと思っていれば、やがてホントの女になる」
 そうだったのか・・・
 坂下好恵は泣いた。
 友の友情に泣いた。
 友の奇跡に泣いた。
 明日からは強く生きよう!
 明日からは女らしくあろう!
 だって、坂下好恵は女のコなんだモン!
 明日からは、スカートの下にジャージをはく必要はないし、少女漫画を変装
して買いに行く必要もない。
 恥じをしのんで男子便所へ入ることも、しなくていい!
 明日からは髪を伸ばそう!
 ショッピングへ出かけよう!
 新しいワンピースを買おう!
 アクセサリを、香水を、そこの厚いブーツだって買うのだ!
 ちょっと背伸びして、お母さんの口紅を塗ってみようか!
 そうだ、藤田浩之に無理を言って、一日だけデートしてもらうというのはど
うだろう?
 葵には悪いけれど、でも、一日だけでいいから、あの男とデートしたかった
のだ。他の男ではダメなのだ。
 他の男では、ちっとも面白くないと・・・
 ・・・
 嗚呼、坂下好恵はたった今気付いてしまった。
 好きだったのだ。
 あの、馬鹿で、お調子乗りで、ヘラヘラしているあの男が、好きだったのだ。
 ・・・
 好恵の瞳に、再び涙が溢れた。
 気付くのが遅すぎた、でも、気付く事が出来てよかった。
 友よありがとう。
 本当にアリガトウ。
 好恵は普通の女の子に戻ります。
 
 そう、坂下好恵はもう、普通の女の子。

 だから、声を上げて泣いてもいいんだよ。
 大声で泣きじゃくってもいいんだよ。
 だって、坂下好恵は女の子じゃないか。
 さぁ、泣こう!
 さぁ、鳴こう!



「ンも゛ぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」




「あ、藤田先輩! 何故か中庭に水牛が二匹いますよっ!」
「おっ、本当だ」
「なんでしょうか・・・あれ」
「・・・そういえば、センパイがなにか実験するとか言ってたな」
「来栖川先輩・・・ですか?」
「ああ、あれはおそらく、先輩の魔術だ」
「なるほど」
「うむ」
「とりあえず、牛臭いので場所を移しましょう」
「そうだな、葵ちゃん」   
  

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