みどりいろのいきもの  投稿者:MIO


 誰のものかも解らない指紋にまみれた、バスの窓。

「・・・」
 マルチは、そんな窓に、べたぁっと顔をくっつけて、流れる景色を眺めていた。
 毎度の事である。
 バスが出てしばらくすると、マルチはいつも、靴を脱いで座席の上に膝立ちし、
窓に顔を寄せるのだ。
 そして、バカみたいに呆けた顔で、景色に見入る。
「・・・」
 セリオは慣れっこだ。
 研究所に帰ったら、学校であった事と、バスの窓から見えた事を逐一聞かされる。
 呆けた顔をしているが、あれはあれで集中しているらしい。
 だから、今は話しかけないほうがいいのだ・・・と了解している。
 ホントは・・・いろいろ話したいこともあるけど、マルチは一生懸命なので、あん
まり邪魔はしたくなかった。
 ところが、今日は勝手が違ったらしい―――
「セリオさん」
 マルチは、窓から顔を引き剥がすと(ぺりっ、という変な音がした)、すとんと
座席に腰を落とす。
 彼女は、やけに神妙な顔をすると、靴をはきはきしながら、
「セリオさんは・・・○ックって、何だか知ってますか?」
 と言った。
 ムッ○・・・セリオは、口には出さずに、その名前を2度、反芻した。
 たしか、マルチが好きな子供向け番組のキャラクターだ。
「その質問は、ム○クが、いったいいかなる生き物か・・・ということですか?」
「はい」
 そんなことは、来栖川のデータベースを検索すればすぐに解る。
 解るけれど・・・
(そこまでする必要も・・・)
 良く考えたら、ただの雑談の中に、たわむれに生じた話題だ。
 雨降る道路の水溜り、そこに何故か生まれた水の泡・・・そういうふうなものだ。
 なら、データベースを検索してまで受け答える必要はない。
 セリオがデータベースを検索すると、しっかり記録が残るわけで、しかもテスト
期間中なものだから、何故その事柄を検索したのかを報告しなければいけない。
 後々面倒だ。
 そもそも、あれの正体くらい、調べなくとも解る。

「モップのお化けではないでしょうか」

 セリオの言葉に、マルチは
「おぉー!」
 と、大仰に驚いてみせる。
「やぱりセリオさんも、そう思いますか? 実は私も、かねがねそう思ってたんです
よぉー!」
「あれは、どうみてもモップのお化けでしょうね」
「そうですよねぇ」
 マルチは深く納得して、うんうんと頷いていたが、突然「あっ」と声を上げた。
「どうかしましたか、マルチさん?」
「は、はい! ムッ○はモップのお化けとして―――」
 マルチは、こきゅっと唾を飲む。

「ガ○ャピンは?」

「ガチャ○ン!?」
 マルチは重大な事を忘れていた自分に、たいそう腹を立てた。
 セリオは新たな謎の出現に、雷に打たれたようなショックを受けた。
「・・・」
「・・・」
 二人はしばらく黙り込んだ。
 お互いに、その緑色の生き物の出現が、事態を新たな方向へ導く者だと悟ったか
らだ。
 最初に口を開いたのは、マルチだった・・・
「わ、私は―――」
 セリオは願った。
(マルチさんの出した答えが、私の答えと一緒でありますように!)
 緑の髪の少女なら、あの緑色の生き物のことが、良く解るに違いないという、論理
的思考のもとに、セリオは一心不乱に祈った。
 表情は変えなかった。
「私は―――あれは、イモ虫さんだと思います」
「!?」
 セリオはぞっとした。
 その、ぶよぶよとした虫を、想像したからではない。

 ―――イモ虫さんだと思いますー

 マルチの的確かつ、穿った意見は、まさに緑色のシンパシーによるものだろう。
 そして、その豊かな発想! とても自分には出来そうもない、とセリオは内心
地団太を踏んだ。
(や、やはりマルチさん)
 思わず額の汗を拭う。
 さすがのセリオも、今回ばかりは動揺を隠せない。
 だが、決して負けてはいない。
 彼女の推論もまた、彼女なりのポリシーに準じたものであるからだ。
「私は、イモ虫とは思いません」
 キッパリと言い放つ。
「えっ!?」
 マルチの表情が引きつる。
 セリオは構わず続けた。
「私は―――あれを、なまこの一種と考えます」

「なまこ!!」
 叫んだマルチは硬直し、そして一筋の涙を流した。
 なまこ・・・なんと繊細で精密で、そして説得力のある解答だろう。
 そうだ、その通りではないか! あのぶよぶよとした姿態、腕についた醜いイボ
と、ずんぐりとした体! なにより、海中を怠惰に浮遊するあの姿は、まさになま
こそのものではないか!
 一部の隙もない、理路整然として、美しく、ピッタリと隙間無く、型に嵌る解答!!
 これぞ、推理と言うものではないか!
 マルチは感動した。
 この時ばかりは、論理的思考を妨げる自分の心というものが、煩わしく感じた
ほどである。
「さすがですよ・・・さすがなんですよ・・・さすがすぎます」
 マルチは呟き、上を向いた。
 もうこれ以上、涙がこぼれないように。
「私こそ・・・マルチさんの答えに、AIを打たれました」
 セリオは、マルチとは逆に俯いた。
 マルチの天晴れな解答に、不思議な気恥ずかしさを憶えたからだ。

 ふたりの友情は深まった。
 
 そして・・・
「せっかくですから・・・」
「はい?」
「せっかくですから、あの生き物たちの詳細なデータを、検索してみましょう・・・」
 セリオの言葉に、一瞬嬉しそうに笑ったマルチだが、すぐに彼女の事情を思い出
す。あんまりアホなことにサービスを使用すると、あとで叱られてしまうのだ。
 そして、叱られるのはきっと、彼女一人・・・
「いいのです、マルチさん・・・今の私は、こうしたい気分なのです」
「・・・」
 どうやら、なにを言っても聞きそうにない。
(セリオさんの好きにさせるのが、メイドロボの道と言うものでしょう・・・)
「・・・では、お願いしますセリオさん」
「はい!」
 セリオは、すぐに検索をはじめ・・・程なくして作業は終った。
 残酷なほどに素早く、そして正確に・・・
「っ!?」
 セリオの体が、ビクッと震えた。
「セリオさん!?」
「・・・そ、そんな・・・そんなバカなことが・・・」
 わなわなと震えるセリオに、マルチはただならぬ予感を感じて、にわかに緊張した。
(こ、これは・・・不動明王生霊返しですか?)
 もしそうなら大変な事になる。
 マルチの対処は、じつに迅速だった。
「わんわんっ!」
 犬の鳴きまねである。これを吠声(はいせい)と言い、この行為には魔よけの力
があるのだ。
 これも、マルチが学習型であるが故の、行動であろう。
 だが、事態はもっと驚異的だった!!
「マ、マルチさん・・・」
「わんわ―――セリオさん!? 大丈夫ですか!?」
「私は大丈夫・・・それより、大変な事実が発覚してしまったのです!」
 セリオの声は、いつになく緊迫している。
「今から私が言う事を・・・いいですか? 落ち着いて聞いてください」
 マルチは動揺を隠せない。
 セリオの声は、緊張していると言うよりも、怯えている。
 あのセリオが、怯えているのだ!
「検索結果によれば、○ックは・・・モップお化けでは、ありませんでした!」
「なっ!?」
 でも・・・そんな・・・あれはどう見ても・・・
 そうだ、あれを見て、モップお化けじゃないと、何人の人間が言えるだろう?
 いいや、言えまい。
 あれが・・・あれがモップお化けでないなんて、そんなことあるものか!
 だが・・・
 そう断言するには、セリオの瞳は真っ直ぐ過ぎた。
「じゃ、じゃあ! ム○クは、一体なんだと言うんですか!?」
 セリオは、何故か―――

 微笑んだ。

(散り際の笑み!?)
 あまりの艶やかさに、マルチは思わずあとずさる。
 そして、セリオの少しだけ紅い、艶めいた唇は、驚異的な真実を告白した。

「―――雪男の子供です」

「ゆきおとこのこども!!」
 信頼しきっていた足場が、一気に崩れ落ちていく・・・そんな幻想がマルチを
襲った。恐怖、混乱、そして・・・絶望。
 それでも・・・それでも、マルチのピュアなハートには、どんな闇も覆い隠す
ことの出来ない、希望が輝いている!
 しかしそれは・・・最後の砦でもあった。
 マルチは、必死の形相でセリオにすがる。
「じゃあ、ガチャピ○はっ! ○チャピンは、イモ虫なんですよね! そうなん
しょセリオさん!」
「・・・」
「セリオさん!」
(お願いです、そうだと・・・ガチャ○ンはイモ虫だと言ってください・・・)
 マルチは半べそで、セリオの肩を掴む。
 セリオは・・・その手にそっと自分の手を乗せ、ゆっくりと頭を振った。
 哀しい、空虚な微笑が、セリオの顔に浮かんでいる。
 マルチは、ここでやっと気づいた。
(セリオさん、微笑んでいた! さっきからずっと・・・あのセリオさんが!)
 いつも無表情なセリオ・・・そのセリオが、微笑んでいるのだ。
 だが、嬉しい気持ちにはなれなかった。その逆だ。
 ただ・・・哀しかった。
 初めての笑みが・・・絶望に満ちた笑みだなんて・・・哀しすぎる!
 悲劇だ。
 否
 悲劇はこれからだったのだ!
「ガ○ャンは、イモ虫ではないんです・・・」
「そ、それじゃ、やっぱりセリオさんの言うように、なまこ―――」
「違います」
 うそ! うそ! うそだと言ってください! そう叫んだはずのマルチ、だが、
彼女の言葉は、空気を震わせることなく消えた。
 希望の光に手を伸ばしたマルチの手は、むなしく空を切る形になった。
 掴めなかったら・・・落ちるしかない。
「ガ○ャピンは、あの、みどりいろのいきものは・・・・」
 セリオは、死刑宣告にも似たその言葉を、そっと告げた。

「恐竜です」

「きょーりゅー!」
 頭が真っ白になるマルチ。
 そんなマルチに、セリオは追い討ちをかけるように言う。

「しかも、赤ちゃん」

「しかも、あかちゃん!!」

「しかも、冒険好き」

「しかも、ぼーけんずき!!」
 マルチの喉から、ヒュー、という乾いた風が漏れた。
「あ、あかちゃん・・・きょーりゅーの・・・あ、あか・・・ぼうけん・・・」
「マルチさん!」
 セリオは、堪らなくなってマルチを抱きしめる。
(言わなければ良かった! 言わなければ良かった!)
 そう強く想うけれど・・・それは不可能な事だった。
 仕方のないことだった。
 それなのに、セリオは自分を責めつづけた。
 マルチは・・・
「セリオさん・・・」
 優しい声。
 セリオが恐る恐る顔を上げると、いつものマルチの笑顔があった。
 マルチは、そっとセリオの肩を抱く。
「わたし、平気です」
「マルチさん・・・」
 幾分憔悴しているようだったが、しかし、明るい笑みだ。
「ごめんなさ、マルチさん・・・わたしは・・・」
「怖かったんですよね・・・、一人で、その事を知っているのが・・・怖かった」
「・・・」
「でも、今は一緒です。一緒だから怖くないです。そうですよね? セリオさん」
(ああ、マルチさん・・・)
 セリオの胸に、何とも言いようのない、温かな気持ちが溢れた。
「わ、私・・・」
 上手く言葉に出来ないセリオ。
 そんなセリオを、慈母の如き笑みで抱き寄せるマルチ。
 マルチはセリオの目を見て小さく頷き、そしてこんな事を言った。

「言われてみれば・・・恐竜の赤ちゃんにも、見えますよね」

「あ・・・」
 暗雲が晴れてゆく!
 そうだ。そうなのだ・・・
 言われてみれば、見えない事もないのだ。
 あの、みどりいろの、極彩色のジャバラ型の腹部を持ったいきもの。
 あの、みどりいろの、巨大なイボ状の突起を持ったいきもの。
 あの、みどりいろの、異常に発達した眼球を持ついきもの。
 言われてみればそうなのだ!
 良く見ればそうなのだ!
 セリオとマルチは、互いに涙に濡れた顔を見詰め合い、そして笑顔で頷いた。
「「言われてみれば、きっとそう!」」
 心地よい声が重なり合い、唄のようになってバスに響く。


「「良く見てみれば、あれは恐竜の赤ちゃんだ!」」

 
 ちなみに、二人の言葉を余すところ無く聞いていたであろう、バスに乗っていた
人々全てが(運転手も含め)立ちあがり、二人に惜しみない拍手を捧げた事は―――

 言うまでもない!!! 
 


後日談・・・

「あれ、人が入ってるんだよ」

「「ひとがっ!?」」