鼓動 〜ありがとう〜 投稿者:Kouji 投稿日:8月13日(火)03時18分
「いよいよですね……」
『……』
「始動……始まります」


 ドクッ
 ……
 ドクンッ
 ……
 ドクンッ
 ドクンッ
 ドクンッドクンッ


『オッシャア!!』
「主任。システム安定に入りました。成功です! このまま第五段階に進みます」
「……わかった……まかせるよ」


 ガチャ……
 重い開発室の扉を抜け、さらにその先にある厳重なキーロックが施された扉を抜ける。
 すでに深夜で、周りに人気はない。
「部の長瀬さま……開発部の長……」
 静かな廊下にアナウンスの声が二重になって響く。
 コツッコツッ…コツ……
 足音すらずっと遠くに届いていそうに大きく聞こえる。
 喫煙室に向かう廊下で、愛煙していた煙草とジッポライターを胸のポケットから取り出
すと、
 シュボッ
 煙草の赤い光が暗い廊下に点滅する。
「ふぅ〜」
 煙が廊下の奥の闇に消えていった。
「……私たちは……何をしようとしているのだ……」
 同じように闇に溶けた問いに答えられる者はいなかった。








    『鼓動  〜ありがとう〜』



「あわわわ! ごめんなさいです!」
 まったく……呆れてものも言えなかった。
 ただ……チラッとそこにあるワックスの入ったバケツを見て、それじゃなくてよかった
と安堵していた。
 バケツの水をかけられた浩之はびしょ濡れなったシャツを脱いだが、さすがにズボンや
下着まで脱ぐわけにはいかず、体育もないので着替えることも出来ない。
 ハンカチでさっと拭いたが今はただその気持ち悪さに耐えるしかない。
 放課後とは言え、掃除時間の最中だ。土曜ということもあり、まだ昼を廻ってそうたっ
ていない。周りに鞄を持って帰る途中の生徒で人垣が出来ている。
 そして、その張本人は自分のしでかした事に泣きながら謝っている。
「もういいって……」
 浩之はパタパタと手をふるが、それだけでは相手をなだめる事などできない。人垣から
知り合いを数人ピックアップすると、その場を任せ、その少女を連れて校舎を出た。
 もちろん、後日に数人分の余分な食費がかかることになったわけだ。
 その二人は中庭の隅座り込んでいる。
 今日はマルチをなだめるのに30分ほどかかっていた。さすがに今日のはちょっと辛い。
夏後の程良い陽光のおかげで塗れた制服は乾き始めてはいるが、マルチの顔はまだ涙に濡
れていた。
 あーっと頭をかきながら浩之はため息をつく。
 この辺りで終わらせないと、と切り札の言葉を使う。
「そろそろ許さないと俺も怒るぞ」
 最後はいつもそんな言葉で締めくくられる。
 言っている事は無茶苦茶だがマルチにはこういった言葉の方が効果がある。
 現にマルチはフルフルと首を振って浩之を仰ぎ見た。
 ここ数週間、マルチが再び転校という形でここに戻ってから、そんな会話が広げられて
いた。
 ドジは相変わらず減る事はなかった。増えないだけマシだが……
 どんなにドジをしても、浩之がマルチの事を疎ましく思うことなど無かった。
 だけど、マルチが泣いて謝るのには感心しない。
 ドジをする度にちょっとした会話が広げられていた。
 訂正しておくが、マルチなら相手が謝らなくったって許す事が出来るはずだ。
 そして、それをもっとも理解しているのは本人ではなく、周りの、おそらく浩之だろう。
 だからこそ浩之はマルチを愛しく思っている。
「それじゃ、帰るか……」
 頭をぽんっと叩く。
 頷いて立ち上がるマルチ。
 浩之は無言で目の下を拭ってやった。



 今のマルチの帰るところは、浩之のそれと同じ場所。
 そのことを知っているのは、学校では限られた人間たちだけ。むしろ学校以外のほうが
管理はしっかりしているだろう。
 別に隠す理由は当人には無いのだが、来栖川の方からそう言われていたからだ。まだ正
式に発売していないモノを持っている人間がいる事を知られると、企業的に問題があると
いうもっともな理由だった。
「浩之ちゃん? どうしたの?」
 その限られた人物の一人が声を掛けてきた。
「いや、今から帰ろうと思っていたんだが」
「それなら一緒に帰らない?」
 マルチが嬉しそうに「はいです」と答えたので、帰る用意を済ませると三人一緒になっ
て学校を出た。
 途中、あかりが久しぶりに料理を作ろうかと言うから、スーパーに寄ることになった。


          ※


「浩之ちゃんは何か食べたいものある?」
 スーパーのかごを持ったあかりが特価品を見ている。
「ポクテ料理」
「え、なに? ポクテ? ごめんね、私知らないから」
「わたしも知らないです。どんな料理ですか浩之さん?」
「いや、冗談だったんだけどな……そうだな、久しぶりにスパゲティでも喰うか」
 簡単なものを選んだのは遠慮があったからではない。本当に食べたかったから。
「あ、それなら分かるよ。浩之ちゃんは」
『ミートソース』
 あかりとマルチ、二人の声が重なり、くすくすと笑いあう。
 それにくすぐったさを感じた浩之は、
「あかりの食いたいものは無いのか?」
「私? 私はシェフだから」
 と微笑む。
「あかりさん、かっこいいですぅ」
「へぇへぇ」
「あ、浩之ちゃん、それとって」
「んー」
 缶に入ったソースだ。当然か。それでもあかりの料理の腕は損なわれないだろう。
 と、その時マルチが小走りに調味料が並んだ棚に向かっていった。
「浩之さん、これなんですか?」
 手にしていたのは小さな黒い瓶。不思議なことにラベルも黒い。
「んー……むぅ? あかり、パス」
「これ? うーんなんだろね……あ、なんか書いてあるよ……鬼の素?」
「なんでしょうか?」
「……やめとけ」
 そういわれて、マルチは元の棚に瓶を戻した。
 それからもそんな会話を繰り返しゆっくりとスーパーを回る。家に着いた頃にはいつも
の何倍の時間がかかっていた。
 何割増かの幸せをつれて。
 その幸せが幸せだったと気づくのにそれほどの時間はかからなかった。


          ※



「ピンポーン……」
 食卓の用意をしていたところに呼び鈴がなる。
「あ、はーい」
 あかりがエプロンで手を拭き、玄関に向かおうとするが、それを浩之が手で制す。
「いいよ、俺が出る」
 「はーい、何でしょうか」と言いながらドアを開けると、
「藤田浩之君だね」
 黒い服の見知らぬ男が立っていた。整った背広姿。間違っても何かの勧誘や営業周りの
サラリーマンには見えない。
 見知った男では無いが、どこから来たのかはわかる。
 男は冷たい目で名刺を差し出してきた。
「来栖川重工? その社員がいったい何の用だ?」
 口調がきつくなってしまうのは男の態度に機嫌を悪くしただけではない。案の定の肩書
き。浩之の知り合いとは違う一面の男だからだ。
「そのHMX−12から聞いてないのか?」
「……その呼び方をするな……で、いったい何の用だ?」
「では、正式な書類だ。マルチを返してもらう」
 分厚い封書を下駄箱の上に投げるように置く。
「それは契約書ではない。見ても見なくてもかまわん物だ」
「何ぃ!?」
「聞こえなかったのか? もう一度だけ言う。そのHMX−12を今、回収する」
「それは長瀬さんの意向か!? 約束したはずだろう!」
 書類に目を通さずに叩きつける。
「長瀬とどのような約束をしたのかはしらないが、もう決まったことだ」
「決まったことだと!? てめぇ!! それにマルチもマルチだ! なんでそんなことを
俺に黙ってるんだ!」
「浩之ちゃん、ちょっと! ……あの、私からもお願いします! マルチちゃんを……」
「いいんです。あかりさん」
「でも……」
「ごめんなさい、浩之さん……こんな、こんなわたしでも、多くの人の役に立てるのが嬉
しいんです」
 精一杯明るい口調で言う。
 しかし、表情は浮かない。
「いままで……今までありがとうございました」
 だが浩之は収まらない。
「こんな? こんなってなんだ?! おいっ!」
「ごめんなさい……」
「君もいいかげんにしたらどうだ?」
 黒服の男が間に入る。浩之は舌打ちをしたが少し冷静になった。
 あかりは台所に戻り無言でコンロの火を消す。
 茹ですぎたスパゲティの鍋の泡がさぁーっと消えていった。



          ※



「浩之ちゃん……どうしたいの?」
 あかりの微笑みに浩之は感謝した。



          ※



「いつでも帰ってきていいんだぞ!!」
 ドアを開け、浩之はまさに車に乗り込もうとしたマルチに大きな声でいう。
「何度も言ったはずだぞ! マルチだから俺は!! ……俺はマルチだから……一緒に居
たんだ」
 確かに、何度も聞いた言葉だ。ずっと聞いてきた声だ。大好きな声だ。
 泣いているのだろうか。
 肩が小さく震え、車のドアノブに手を掛けたまま動かないマルチに、今度は自分の想い
を伝えるように呟いた。
「最初はロボットだから人に忠実だと思ってた……ロボットにある心だから、人間じゃな
いその暖かい心に惹かれたんだと思ってた……でも! でもな……きっとそんなんじゃな
いんだよ……」
 扉から一歩外に出る。あかりは気をきかせたのか、その扉を閉めた。そんなことしても
近所には何があるか筒抜けだ。だけどそこにあかりの居場所は無いのだから。
「そりゃ、ドジにはちょっと困ることもあるけどな……でもな」
 マルチは顔をあげるが、振り返らない。
 待っているのだ。
 浩之が言わなければならない言葉を。
「深く考えるのはよそうぜ……他人がなんて言ったっていいじゃねえか。俺はマルチだか
ら……なぁ、マルチ」
 あかりは扉にもたれかかって「うん!」と頷く。
 浩之の態度に、少し流れた涙を拭って、「それでいいよ」と頷いた。



          ※



「私たちが作ろうとした物は何だ?」
 自問の後、長瀬はタバコをふかした。
 煙が暗い部屋に消えていく。
 誰も居ない部屋は、娘達が生まれた部屋だった。
 今は次のシリーズの銘がうってあるだけで、まだ誰も居ない。
 いや、ここで生まれたものなど何も無いのかもしれない。
「私は、人を作りたかったのだろうか……」
 娘達は病院でもない所で生まれた命だ。
 普通の人たちにとって、馴染み薄い匂いや見たこともない装置の中で生まれてきた者の
事を考えた。
「それとも……心を作りたかった……のか」
 長瀬はタバコを吸いきるまでの長い沈黙の間、考えを巡らせたが答えは出なかった。
 だが、自分の行動に対する答えを出してくれる者が他にいることを知っている。
 科学者でも、心理学者でも、大学の教授でも、宗教家でもなく、何でもない普通の青年
こそがそれに答えてくれる。
「いや、答えでは無いか……一つの考えだな……」
 答えではない。だが、それで良かったのだろう。
 今も自分の娘達と思いつづける彼女等を見守っていく中で大切なのは、その答えではな
いのかもしれないのだから。



          ※



「……」
「なぁ、マルチ……なにか理由があるんだろ?」
「……」
「……だったら、聞くだけでいいから聞けよ」
「……」
「俺だってなぁ、どうしてこんな事をって思うこと有るぜ。別に誰かに期待して生きてい
るわけじゃないし、誰かに何かをしてやれるかなんてそんなに思ったことは無い」
「……」
「誰だってとは言えないけど。俺もあかりも、雅史も志保も自分のことを大層に言えるも
んじゃない。そこの黒いのだってな」
「……」
「人間の脳っつったって、そう大したもんじゃないって事さ。だからな、今度そんなこと
言ってみろ。大嫌いになってやるからな」
「……」
「だから、ちゃんと帰って来いよ!」
「……」
「俺は他のどんなことより、マルチが帰ってくることに期待しててやるから」



          ※



「彼はそんなことを言ったのかね」
「長瀬主任、よろしかったのですか?」
「よろしかったかどうかは今決めることではないだろう」
「ですが……何のためのテストだったのですか」
「いいんだ。これは決定事項だ。それに約束でもあるからな」
「……」
「第一、十分にデータはとれているだろう?」
「それはもちろん」
「なら問題ない」
「はい……」
「人間の脳も大したこと無い……か。言ってくれる。人がどれだけその部分に期待してい
るか……潜在能力、ZONE、第六感、これらはいまだ全てを解明されたわけではない。
そんな人間の脳を大した事が無いと……」
「……嬉しそうですね、主任」
「そう見えるかね? まぁ、悩みが増えたような減ったような感覚でね」
「それはどういう意味でしょうか?」
「いや、いいんだ。では、上のほうの手続きは任せる。私はあの子の所へ行って来るよ」
「また赤字……ですか」
「新型だからな……もちろん見た目は変わらないが、セリオにつけた機能も付けてある」
「いくらお嬢様達のご友人とはいえ……」
「それだけじゃない……私の、そしてあの子の友人だからな」



          ※



 そして季節は移り変わり、もう新しい年になろうとしていた。
 終業式も終わり、町は忙しい時期に入っている。
 軽い鞄を持った二人は校舎を抜ける。
 空は見上げるまでも無く青く、雪も降りそうに無い快晴。
 そして……


「浩之ちゃん……あそこ」
 校門の前に見慣れぬ車が停まっていた。
 その横に一人の少女が立っている。


  ずっと信じていた。
  小さな不安と戦いながらも。
  だから笑っていられた。


『おかえり』
 二人は微笑む。
 真冬に向日葵のように大きな笑顔で立っている少女に。


  大切な物は他人が決める事じゃない。
  大事な物はいつも自分の中にあった。


「ただいまです」

 少女は潤んだ瞳で駆けだした。