『居酒屋』 投稿者:Kouji 投稿日:5月13日(土)03時23分

「もう帰りましょうよ〜」
 サラリーマンの部下と上司だろうか、酔っ払った上司をなだめていた。
「うるさい! もう一杯だ」
 仕方無しに自分の前におかれた日本酒の瓶をとり、そそぐ。
 その男は引っ手繰るようにそれを取ると、軽く口をつけ、一気に流し込んだ。
 その様子に誰かが心配そうに話し掛けた。
「……もうお止めになったらどうですか?」
 若い女将だ。
 見た目では20代の前半だろうに、たった一人でこの居酒屋を切り盛りしてる手腕はな
れたものだった。その若さと美しさがこの店を密かな人気にしている。
 穏やかな笑顔で男に話し掛けた。
 ぽーっとその女性を見たのは部下の方だけで、男はコップに注がれた酒を一気に呷った。
「もう一杯!」
 女将は苦笑してコップに注ぎ、他の客のところにいった。
「は〜、綺麗な人ですね〜、長瀬主任……」
 部下の男は去っていった女将の方を眺めていたが、もう一人の男は小さく含み笑いをす
るだけだった。




「あっ、ダメダよ浩之ちゃん」
「おっ! いけいけ〜!」
 ガッっと大ジョッキをもった浩之と雅史は立ち上がる。
 その一気に、不安な声を上げているのはあかりで、はやし立てるのは志保だった。
 その横でマルチはオロオロと二人を見比べている。
 もちろん早く飲みおわったのは浩之だった。その少し後に雅史がジョッキをテーブルに
置いた。
「ぷっは〜! よっしゃ!」
 浩之は大きくガッツポーズを作る。
 そんな浩之に拍手を贈っているのは志保だけだ。
 相変わらずの人の良さで、強引に参加させられた雅史は顔を真っ赤にして椅子に座り込
んだ。
「大丈夫ですか〜?」
 マルチがお絞りを雅史の顔にあてた。
 雅史はちょっと笑って、大丈夫だからとマルチの手をどける。
「ありがと……」
 そういって顔を向けたその向こうにいる女性に雅史は不思議な言葉を掛けていた。
「あ、マルチちゃん。向こうにお姉さんがいるよ……」
 マルチは言われた方を向くが、そこにいたのは見た事も無い綺麗な人間の女性だった。
 視線が合うと、にこっと微笑んでくれた女将がいるだけだった。
 マルチはもう一度確かめるように雅史の方を向くが、そこには寝息を立てている青年が
いた。




 程よくを通り越して酷く酔っている長瀬はテーブルに突っ伏しながら独り言のように呟
いた。
「なぁ……どうしてあの子達にあんなものがついてると思う?」
 長瀬のいう、あの子達とはメイドロボの事だ。そして、あんなものとは彼女たちの外部
アンテナ(耳の部分にあるもの)のことだ。
 部下である若い男はその答えなら知ってますといった笑みで、胸を張って答えた。
「センサーと集音と熱放出、サテライトシステムの受信の効率を考えた上ででしょう」
 その通り一辺倒な答えに、長瀬は苦笑した。
 確かにその答えは間違っていない。
 だが、なぜそうなったのかはこの若い男は知らないのだ。
 先の開発者たちが目指したものが、一体どういったものか分からないのだ。
「昔、ほんの少し昔はまるで人間みたいな彼女たちもいたんだ……」
 なぜ、人と同じように口からものを摂取し、
 なぜ、人と同じような物言いを強要したのか、
 なぜ、そんな彼女たちに不十分な心を与えたのか……
 長瀬の呟きは若い部下には届かなかった。




 セリオは少し戸惑いながら酒を摂取した。
 それを楽しそうに見ているのは、少し酒の入った綾香と、いつものようにぽーっとした
視線の芹香だ。
「本当に大丈夫でしょうか?」
 戸惑いながらも飲み干した後に、心配になって綾香に尋ねた。
「嫌だったら、最初にそう言えばいいでしょ」
 綾香は少し意地悪そうにそう呟く。
 でも、次の瞬間には笑って、「大丈夫よ、あなたの姉さんたちだって大丈夫だったんだ
から」そう笑って言った。
 その言葉に遠くから様子を見ていた女将が微笑む。
「…………」
「ほらね、姉さんも大丈夫だって」
 綾香の言葉に後押しするように頷く。
 セリオはたった一人知っている姉のマルチが同じように酒を飲むところをイメージした。
 どうもあわないようだが、そのイメージが少し笑えるものだった。
「ま、私たちのように顔に出る事も、実際に酔っ払う事も無いけど……たまには私たちに
付き合えるようにしときなさいね」
 綾香はそう言って自分も一杯飲む。
 女将に空のコップを用意してもらうと、同じようにそそぐ。それを芹香に渡した。
「姉さんは少しずつよ。お酒に強くないんだから」




 長瀬は突然立ち上がった。
 酔った体がふらつくのを部下が慌てて支えた。
 支える男の方も相当酔っているのか、すでに千鳥足だった。
「大丈夫ですかぁ? 突然立つんだもんなぁ」
 そうかと思えば、長瀬は部下の腕を振り払ってまた椅子に座った。
 空になったコップを突き出す。
 もう一杯と言いたいのだろう。だが、横から出てきた腕がそれを取り上げた。
 部下の男ではない。その証拠に男はポーッとその人物に見とれていた。
「もう御よしになってください」
 女将は困ったように微笑む。
 客の姿はまばらで、すでに深夜にさしかかっていた。
 しかし、長瀬は虚ろな瞳で女将を見つめると、コップを奪い、突き出す。
「……もう一杯だ」
 長瀬の酒量はすでに部下の男が知るものを越えていた。
「ええぃ! 長瀬主任! きょ〜おはとことんつき合いますよぉ! なんせめでたい日で
すからねぇ」
 



 部下の男も酔いつぶれ、閉店した店には他に誰もいない。
 静かな店に時折いびきの音が響く。
「謝りにならないでください。あの子たちは幸せになりたいのではありませんから」
 女将は眠ってしまった長瀬にささやいた。
「きっと、誰かを幸せにしたいのです」
「……それで……いいのか……」
 寝言のように呟いた。
 再び寝息を立てる。
 長い沈黙の後、女将は優しく微笑んだ。
「……あなたがお作りになられたのは何です? 人間ではないでしょう?」
 女将は寝息を立てた長瀬の髪を優しく撫でている。
 二人の見た目には親子ほどの差があり、娘が父親の頭を撫でているような仕草が妙にしっ
くりきていた。
「あの子達もそうでしょう」
 先ほどまで店で飲んでいた二人を思い出す。
「その上で、あなたはあの子達の幸せを真剣に悩んでいる」
 女将は真剣な表情のまま、口の端だけで微笑む。
「でも、あなたが思うほど……私たちは不幸ではないのですよ」




 次の日、来栖川エレクトロニクスが新型のロボットを発表した。