ガチャッン!!
楽しいはずの食卓で、いや、さっきまでは確かに楽しかった食卓だったが、二人は箸を投げ出すように立ち上がった。
テーブルが揺れ、食器たちが音を鳴らすが、二人の注意はそんなところに無かった。
顔を見合わせ、ベランダに駆け出す。
もう陽は完全に沈み、月が明るく輝いている。
二人は総毛立つのを感じていた。
冷たい夜風にではなく、はるか遠くに感じる自分たちと同じ物に!
誰もいない、静かな部屋から電話のベルが騒ぎたてる。
トゥルルルゥ……
トゥルルルゥ……
トゥルルルゥ……
ガチャ!
「もしもし! 耕一か!?」
電話先の女性がまくしたてるように言う。
彼女も感じたのだ。
二人が感じたものと同じ物を。
しかし、それ以上に二人を驚愕させたのはその後に女性が発した言葉にだった。
「ち、千鶴姉が! 千鶴姉が一人で確かめに行ったんだよ!!」
深い闇の中だった。
それらも確かに感じていた。
あろうはずの無い同郷の匂いに、かすかな戸惑いと、大きな高揚感を感じていた。
そのひとつが合図をするように呟いた。
人間には分からない言葉で、この地球上で分かるとしたら10人と満たない言葉で呟いた。
それを日本語に直すとこうだった。
「狩れ……」
二つの影が闇の中で飛んだ。
二人の思いは確信に変わっていた。
それと同時に、かすかな希望がついえたのを知った。
祈りの気持ちが大きくなる。
感じたのは二人と同じ物だった。
十数体のエルクゥたちだった。
痕 − RING a RING ! −
《前編 −千鶴の章−》
楓は震える手で隣りに立つ耕一の腕を取った。
その腕も震えてはいたのだが、真剣な目で耕一を見上げる。
耕一は安心させようとその体を優しく抱きしめる。
「……耕一さん」
震えていたのは体だけではなかった。
しかし、耕一にもそれほど余裕があったわけではない。それでも笑顔を愛しい子に向ける。
「千鶴さんなら大丈夫だと思うけど……」
気がかりだったのは千鶴よりも電話をかけてきた梓だった。
一応電話では抑えるように言っておいたが、もし千鶴の身に何かあれば決して許さないだろう。
無謀を省みずに向かっていくに違いない。
「……梓姉さんなら、初音と一緒にいる限り無茶はしないわ」
楓はそうは言いながらも心配だった。
「どうする? 僕たちも隆山に行くか?」
楓の心情だけではない。耕一も心配だからそう言った。
もしそのエルクゥたちが耕一たちか梓たちのどちらにも気づいてないなら、全員が集まるのは目立つだけだった。
気づいてないなら隆山にいくより、それを感じた場所に行くべきだ。
千鶴のように……
しかし楓は首を振った。
「……どっちにしろここにいてもだめです……まずは移動しましょう」
何かを決意したような目で、少し悲しそうに笑った。
その決断をおこなう少し前……
千鶴は大きな間違いをおこしていた。
この辺りでは珍しくない山の中だが、そこに人が居るとなると珍しい事だった。
「ほう……珍しいな……こんな所に貴様のようなやつがいるとはな」
それがどういった事か分かっている。
目の前にいる一見人間のような生物は星を渡るのだ。
一つの星にそう何十年といるわけではない。
楽しみおわったら次の星を目指す。そんな生物たちだ。
千鶴は慎重に距離をつめる。不自然じゃなく、仲間のように見せかけて近づく。彼女もその生物なのだから。
しかし、ふと疑問に思った。
目の前の生物はあえて人間の言葉、慣れ親しんだ日本語を話しているようだった。
それを意識した時、痛烈な匂いを感じた。
血だ……血の匂いだ。
「……うぁ……お…かぁさん……」
少し先の、ほんの100メートル程先に小さな女の子がうめきをあげている。
その上に覆い被さっているものを見た時、千鶴は怒りに力を解放した。
「ああ、食ったのさ!」
そいつは千鶴の右腕を既のところで躱し、跳躍する。木の枝に飛び乗ったそいつは大きく笑った。それほど大きくない木なのに、少しもしなることなく夜の風に揺れている。
そいつの特殊な能力の為だ。
千鶴はその力を把握しようとはせず、ただ怒りにまかせて飛んだ。
運が好かったのか……
そいつが千鶴の力を侮って、正面で受けようとした事と、
ほんの少しだけ千鶴の純粋な力が上だった事が皮一枚で千鶴を現世に留めていた。
右肩からの出血に千鶴は倒れそうになったが、気力を振り絞って足に力を入れる。
まだやるべき事が残っているから、千鶴はそいつの左胸から血まみれになった自分の左腕をぬく。右腕はしばらく動きそうに無かった。
様子を見るつもりだった。
そう梓にも(一方的に)伝えて出てきたのだが、家に帰って梓たちにしかられる前にやるべき事があった。
ほんの100メートルがとてつもなく長い距離に思える。
一方的に飛び出してあの子たちも怒ってるでしょうね、と思うと、少し力が戻ったような気がした。
「なんで一人で行くんだ!」
「そうだよ……私たちも一緒に行くよ!」
「様子を見に行くだけです。あなたたちは耕一さんに連絡を入れておいて」
「でも……」
「大丈夫ですよ。無事に帰ってきますから」
「でも、やっぱり!」
「梓……初音はどうするんです?」
「う……」
「えっ、私は大丈夫だよ!」
「いいから……耕一さんと楓に連絡をとっておいてくださいね」
永遠の100メートルが終わりに近づいたころ、千鶴は少女が生きている事に安堵した。
目を瞑り、体を丸めてガタガタと震えているその少女に罪悪感を覚えた。
その少女に覆い被さっているのは、母親だろう女性だった。ただ、胸より上がまるまる無くなってはいたが……
千鶴は、気を失いながら震えている少女の上からその女性を除けてあげた。
バァッッ!
それは突然の感覚だった。
千鶴は何が起こったのかわからないまま背を丸め、自分の腹部を覗き込む。
そこを見ても一瞬おかれた状況を理解できなかった。
何のことはない。
少女の細い腕が自分のお腹を押しているだけだった。
ただ、拳一個分がふき出す血をそえて、その中に消えていただけで……
「言っただろう。食ったって」
そう言って少女は微笑んだ。
千鶴は薄れる意識の中で梓たちにどう言い訳するかを考えていた。
「何!?」
楓は理由の無い嫌悪感に突然体を震わせた。
横では耕一も真剣な目で窓の外を睨み付けていた。
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