『M』 投稿者: Kouji

「結婚しよう」
 それが浩之のプロポーズの言葉だった。
 もっとも率直な、真摯な言葉で伝えたかったからだ。





   『M』



「いててて……」
 浩之が顔に痣を作って帰宅したのは、まだ5月の初めだった。
 頬に当てられたハンカチは少し赤く染まっていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄るマルチは酷く心配な顔をしている。
 血はどうやら口の中を切ったらしく、もう止まっていた。
「何があったんです?」
 非難の視線は一切含まれていない。ただ素直に心配するだけの瞳だ。浩之は小さく笑ってマルチの頭を撫でた。
 そうすべきだからではない。
 浩之がそうしたかったからだ。
 少しの。ほんの些細な事件だったから。
 少しだけ心が痛んだ、ほんの些細な事件だったからだ。



 浩之は頬を押さえてその男を睨み付けた。
 薄暗い路上で、涙を流して二人を見ているあかりはキッと唇を噛み締めている。
 その相手は地面に蹲っている。頬に痣をつくっている浩之と、腹を押さえて蹲っている男と……いつもなら真っ先に間に入るのに、入れない。ただ、唇をきつく噛み締めて泣いた。
「……なんでだ……なんであかりさんじゃないんだよ!」
 優しそうな男だとあかりから聞いていた。
 二つ年下の小説家を目指しているという男だと聞いていた。
「あかりさんは……お前のことが好きだったんだぞ!」
 浩之を殴り付けた男は少し泣きそうだった。
 浩之は少し安心していた。
 それだけの強さは持っているんだと、少し安心していた。
「なのにだ、なんでロボットなんだよ!」
 優しいのかと思った。
 あかりが言うようにこの男は本当に優しいのかと疑問に思ったが、どうやらあかりを思う気持ちは本物らしい。
 浩之はちょっと笑った。
 俯いてちょっと笑った。
 少し安心していた。
 しかし、上げた顔は相手を睨み付けていた。その腹に一発強力なのをいれた。
「お前に言われる筋合いはねえな! 俺は好きなんだよ! そのロボットが!」
 浩之は相手の胸座を掴んで、立ち上げた。
「お前は何だ? あかりの何なんだ? 自称恋人のつもりか?」
 口の中で血の味がするが、そんなことは気にならなかった。
 睨み付け、もう一発思いっきり殴った。
 涙を流して二人を見ているあかりはキッと唇を噛み締めている。
 頬に痣をつくっている浩之と、腹を押さえて蹲っている男。いつもなら真っ先に間に入るのに、入れない。ただ、唇をきつく噛み締めて泣いた。
「……一度会ってみるか? お前の言うロボットがどんなものか」
 いまだメイドロボの理解度は低い。
 一般的にはそれほど広まらないのは、高額だからでもある。
 それもあるが、家族ですんでいるものには必要ないからだ。
 世間には慰み物にしか見ない人たちすらいる。
 ここにいる浩之とあかりも高校時代に出会わなければ、また人生が変わっていただろう。
「……」
 男は答えない。
 話だけならあかりから聞かされている。嬉しそうに話す時に、必ず浩之の名前が出るのが辛かった。
「……まあいい。俺はもう帰るぞ」
 その言葉であかりは男に駆け寄った。
 心配そうに男の顔を覗き込む。浩之の方は見ない。
 それが浩之なりの優しさに対するあかりなりの返事だった。



 マルチは浩之の痣に濡れタオルをあてがった。
「……もう、そんなことしないでくださいね」
 浩之が悪いのではないのはよく分かっているが、浩之が怪我をするのは嫌だった。
 心配そうに見るマルチの頭を浩之はずっと撫でた。
 浩之の気のすむまで……
 マルチが笑ってくれるまで、微笑みながら、ずっと撫でていた。






   『speak TO my HEART』



 マルチは浩之が大学へ行っている間にいつもの掃除をする。
 毎日あきもせず同じ時間を暮らしていたのだが、その日は昼過ぎに来客があった。
 ピンポーン……
「はいぃ」
 玄関の扉を開けると、若い男がいた。
 若いといってもマルチよりかは年上に見えるのはしょうがない。
 その学生風の男は黙ってマルチを観察した。
 しかし、不思議と不快感はない。
 その瞳が真摯だったからだろうか。
「何ですか?」
 マルチはにこやかに笑って訊ねた。男が少し照れるくらいに……
「あっと、あのごめんなさい……間違えました」
 何を間違えたのか、男は頭を下げ、去ろうとした。
 しかし、何を思ったのか立ち止まると、マルチに訊ねた。
「あなたは、あの、来栖川のメイドロボットですよね?」
「はい」
「……あなたはこの家で必要とされているのですか?」
「えっと、そう思いますけど……」
「……あなたは幸せですか?」
「はい。幸せです」
「…………」
 男は意を決したようにその言葉を口にした。
「あなたは……どうして生まれてきたのですか?」
 言って、少し後悔したが、訊ねずにはいられなかった。
 それに対する答えがなくても、それほど求めていなくても、訊ねずにはいられなかった。
 案の定マルチは困った顔で男を見た。
 それが男がどこかで求めた答えだとわからずに……



 浩之はあかりを呼び出していた。
 一つは先日の事を謝るためにだったが、もう一つ話しておきたいことがあったからだ。
「こないだは悪かったな……」
 始めに謝った浩之だが、あかりは何を謝っているのかわからなかった。
 というよりも、謝るほどの事はされていない。
 それどころか、謝るのは自分の方だと本気で思っていたが、口には出さなかった。
「どうしたの? 言ってくれていいよ、浩之ちゃん……」
 相変わらずあかりは浩之に関してはするどい。
 自分を呼び出した理由がそれだけでないことには、はじめから気がついている。
「ん、ああ……」
 浩之は思い切ってそれを告げる。
 それでも、あかりの反応は浩之が思っていたのとそう変わらなかった。

 帰り道、浩之はふと空を見上げた。
 赤く染まる夕焼けは、少しあかりを思い出させた。
 浩之は少し苦笑すると、自分に気合を入れるために両手で頬を打った。





「結婚しよう」

 浩之はマルチの小さな手をとって言った。
 何のことか分からずキョトンとするが、浩之は彼女の頭を胸に抱いてもう一度告げた。
「結婚しよう」
 その言葉を理解したのか、その顔が紅潮する。
「え、えっ? あ、あの……」
「ショートしないように聞いてくれよ……二人だけのとか、そう言うのじゃなくて、みんなに知ってもらおう。いろんな人を招待して……芹香さんや長瀬さんたちも、みんな招待して」
 抱きしめる腕の強さは一向に緩まない。
 ただ、優しく囁く。
「いやか? 俺のこと嫌い…なわけないよな?」
 胸の中で何度も首を振った。
 浩之の言う通りだ。マルチが浩之を嫌いなわけが無い。
「……ははっ、そんなに首を振ったら首が取れちまうぞ」
 浩之も緊張しているのだろう、声がいつもより少し早い。
 嫌われていないことはわかっていたんだが、プロポーズを受けてくれるかはまた別だ。
「で、でも……子どもはどうするんです? わ、わたしには……」
 ロボットのマルチに子どもが望めないことなどとうに承知だった。
 浩之はクスッと笑うと、マルチの、そのもっとも人間的でない部分に話しかけた。
「なあに。寂しくなったら長瀬さんに作らせたらいいさ。マルチよりしっかりした娘ってのもいいかもな」
 もう一度、囁きかける。
「……どうだ? 俺と結婚してくれるか?」
 マルチはショート寸前の状況で小さく頷いた。






   『Marriage』



「まったく……ホンキなの?」
 志保は呆れた表情でやってきた。
 手にはある意味その場にふさわしくない物を持っている。
 それに、浩之の見知らぬ男が二人、志保の後ろに立っている。
「……信用できるんだろうな」
 志保の問いには答えず、少しにやけた顔を向けた。
「当然でしょ!」
 少し膨れた顔で答える志保に、それならいいんだと小さく笑った。
 そこで、思い出したかのように真顔になる志保。
 少し言いにくいことなのだろうか、困った顔で浩之を見た。
「……あかり来てたわよ。なんだか頼りなさそうな男の子と一緒に」
「いいんだよ。呼んだんだから」
 当然のようにそう答えた。
 あまりの堂々とした言葉に、志保は苦笑をもらした。
 浩之も少し笑うと、静かに立ち上がった。
「そろそろ始めようか」





 立ったままTVを眺めていた楓を、耕一は後ろから抱きしめた。
「どうしたの? 面白いニュースでもやってたの?」
「……ちょっとだけ昔の私たちに似た……そんな人たちのね……」
 そう言って楓は少し笑った。



 ニュース番組は小さなコーナーで、ある結婚式を紹介していた。
 その映像の最後に新郎のメッセージ映像があった。
 式のはじまる前にとったものだった。


 『……これを見ている皆にお願いです。
  彼女たちの可能性を消さないでください。
  ……何も人間として見ろとは言わない。
  だけど……
  俺はそんな彼女を愛しているんだと……
  そんな人間がいる事も知っておいてください。

  彼女は、今日の今をもって、
  HMX−12ではなく、藤田マルチになったんですから』








   『like a sunflower』



 世界は何も変わらない。
 法律での二人の結婚は認められず、二人のもとには非難の手紙が寄せられる。
 エゴだとか、神を冒涜してるだとか……
 それでも、二人は幸せに暮らしている。
 二人を応援する手紙が来ているのも、事実だった。

 世界は何も変わらない。
 でも、永遠に変わらないものなど無いのだから、少しずつ……
 そう。少しずつ変わっていくことに期待しよう。



「浩之さん……わたしは浩之さんが好きです。永遠に……」

「……なあ、マルチ。永遠に変わらないものなんてないよ。だから……今よりもっと好きになるんだ」


 そしてマルチは笑った。
 向日葵のように、大きな笑顔で笑った。



    fin






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 MainTitLe 
            『M』

 SuBTitle
            『speak TO my HEART』
            『Marriage』
            『like a sunflower』

 acter&actress
            『HMX−12 (藤田)マルチ』
            『藤田 浩之』
            『神岸 あかり』
            『長岡 志保』

            『柏木 楓 & 柏木 耕一』

            『・・・』



 write&produce
            『Kouji』