ホワイトアルバム『美咲の場合』 投稿者: Kouji



「ふ、藤井くん!?」
「ああ、よかった……やっぱりここにいたんだ」
「あ、あの……しばらく来れなくなるから……見ていたかったの……」
「うん」
「ここなら……あの、その……藤井くんに会えると思って……」
「うん。ほら、会えたじゃない」
「そうね。会えたわね……」
「うん」
「でも、すぐに行かなきゃ……」
「……うん」
「でも! でも……きっと……」
「うん。わかってる」
「……ふじ…いくん……ごめんね……」
「いいよ、美咲さんが決めたことだから……寂しいけど……待ってる」
「うん。待っててね……きっと」
「そうだ。約束しよう。美咲さん」
「うん。……帰ってきたら……」
「あ、ダメだよ美咲さん」
「えっ?」
「約束事を決めない約束にしよう」
「えっ? あ、……うん……いいよ」
「帰ってきたら絶対に会うから……あれ、これが約束?」
「くすっ」
「やっと笑ってくれたね……」
「あ……うん」
「そっちの方が何倍もいいよ」
「うん……ありがとう、藤井くん。私もそう思うの……だから、きっと……」

 そう言って美咲さんは行ってしまった。
 心地よい美咲さんの香と、頬に暖かく幸せな感触を残して……




「そう行っちゃったんだ……」
 あれ以来俺は彰と会うのが辛かった。だから、なるべく会わずにいたんだ。
 逃げたんだ。
 しかし、こればかりは報告するしかない。
 でも、久しぶりにあった彰は以前とそう変わらない彰だった……
 こんな所でも俺はずっと空回りだな……
「で、冬弥。美咲さんはどこに行ったの?」
 ……
 こんな所までかわってないな……
「前に美咲さんが言ってただろ。勉強のためにヨーロッパへ行くって。向こうの演出や劇を見て勉強するんだって」
「え、えー。ヨーロッパって外国だよ……そんな遠いところに行っちゃったの?」
 相変わらず、ちょっと抜けてるな……
「あ、はーい……」
 マスターがカウンターの奥から顔を覗かせる。
「うん。わかった……ごめんね、そろそろ忙しくなる時間だから」
「ああ……」
「冬弥! ………ありがと」
 俺は振り返らずに頷くと、喫茶店を出ようとした。

 カラ、カラァァン……
 クラシックが流れるだけの静かな店内に、静かに鐘の音が響いた。


「冬弥……くん……」
 鐘の音より小さな音だった。



「なんだか、懐かしいな……冬弥くんの声……」
 俺と由綺は弥生さんの許しをもらって、喫茶店のすぐ近くの小さな公園に来ていた。
 彰よりも久しぶりに会う由綺は、どこか疲れているようで、でも、かわらなかった。
 俺の勝手な思いこみかもしれなかったが、由綺は、かわらないでいてくれた。いや、でも、どこかかわったかな……
「どうしたの冬弥くん?」
「なんでもないよ。それより由綺も頑張ってるね」
 俺がいなくたって由綺は頑張れる。そう思いたくて……そう……思っていたかったのは俺の弱さか……いや、傲慢だな……俺の……
「……冬弥くん?」
 由綺だって強くないのに……俺だけ逃げて……会わずに……美咲さんに対しても……決めたのに……
「どうしたの冬弥くん?」
「わっ!」
 目の前に由綺の顔があった。
 疲れて、不安で、弱くて、それでも、いつものような由綺の顔だった。
「な、なんでもないよ……で、どう? 頑張ってる?」
「冬弥くん……人の話聞いてなかったね」
 由綺はちょっと悲しそうに笑う。
 俺は小さくなって謝った。
 由綺がちょっと微笑む。その笑顔に、俺は言わなければならないことを思い出す。
 心が痛むのは俺が弱いからか、由綺に対して甘えが残っているからだろうか。
 それでも言わなければならなかった……
「……由綺……あ、あのな……」
「なに?」
「美咲さんのことなんだ……」

 その時の由綺の顔が忘れられない。
 笑顔で、いつもの、笑顔で、少しだけ目を潤ませた、そんな笑顔で……
 何を言おうと思っても、その笑顔の前で、俺は少し泣いた……

「それでは由綺さん。行きましょう」
「うん……」
 弥生さんは由綺の背中を押して車に乗り込ませる。
「それじゃ……冬弥くん………また、会えるよね……」
「ああ……」
 俺はそれだけ答えた。
 ドアを閉める弥生さん。ふいにこちらに来て、ハンカチを差し出してくれた。
「さしあげます。その顔では歩かないほうが良いですから」
 あっ……
「ありがとう」
 弥生さんは答えず、由綺を連れて行ってしまった。


 この6ヶ月、何をしてすごしただろう……
 彰にも会うようになり、休みがちだった大学にも出るようにはなった。
 由綺ともたまに会うようになり、でもやっぱり物足りないひびだった。

「それじゃ、今日はもう先にあがります……」
 その日俺は喫茶店でのバイトを夕方前で終えた。
 別に用事があるわけではなかったし、暇を持て余してすごしてしまうのはわかっていたが、簡単にいうならそんな気分だった。
「会いたい……」
 俺は、気持ちの流れるままそこへ向かった。



「雪……だ」
 澄んだ空なのに雪が降ってきた。
 風がきついからかな……
 ふと風上の空をうかがう。
「なるほど、もうそんな季節なんだ……」
「そうね、もうそんな季節なのね……」


 懐かしい香だ。
 風下からなのに、涙が出そうなほどだ……
 俺はゆっくりと確かめるように振り返る。


「ただいま……」
「おかえり……」
 顔を見合わせてにこりと笑う。
「あれ、涙……」
「泣いてるの?」
 二人とも同時に顔を拭う。
 それがちょっと、おかしかったから、俺たちは笑った。
 泣きながら笑って……
 きつく、抱きしめた。


「どうだった? 向こうは?」
「……楽しかった。でも……」
「でも?」
「……きっと藤井くんも同じだったんじゃないかな……」
「それならわかるよ……」
「うん」
「俺もずっと……そうだったからね」
「うん」

「会いたかった」
「私も……私もずっと、会いたかった!」


 心地よい香と、唇に暖かい感触がひろがった。


 

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