「……さよならですね」
それが求めていた人間としての笑顔なら、
もはやマルチはロボットではなかった。
『HM−12』が発売されたのは、もう2年も前になるだろうか。
当時、恋人にふられた俺は、高校時代からバイトで稼いでいた金を頭金にそれを購入した。
最初、ペットを飼うような、寂しさを紛らわすためだけの理由だった。
でも、そのロボットは俺の生活に、心に次第に入り込んでいった。
たった2年なんだ……
3年付き合った恋人よりも、ずっと重い存在だった。
ロボットだったからだろうか……
だから興味があっただけなのだろうか……
俺はちょっと自嘲気味に笑った。
10年以上御無沙汰だった涙というモノを感じながら……
〜
強いて言うなら、期待していたからだろう。
我侭で、傲慢で、度が過ぎた期待を……
〜
〜 the starting point 〜
カシュゥゥゥ……ピッ…ガガッガアァァァ……
「えっと……このスイッチを押して、起動音が止まった所で赤いボタンを押しながら名前を入力……」
止まってるよな……
次は、赤いボタンを押しながら名前っと……
名前?
そんなの考えてないぞ……
あわてて部屋中を見回した。ふと目に入った言葉を思わず口に出してしまった。
『マルチ……ですね?』
もう何年も前に流行った、『マルチメディア』というタイトルの本だった。
でも、まあいいか……
「えっと了解ボタンはっと……」
そんなこんなで、コンピューターなんか触ったことのない俺が辞書のような説明書を見ながら何とか立ち上げたころには、日付が変わっていた……
まがりなりにも『マルチメディア』という本を持っている俺だが、読んで無いものはしょうがないよな。
「さて、このスイッチを押すと……」
ドキドキしながら最後のボタンを押した……
「……おはようございます。マルチです……よね?」
おお!
ちょびっと感動してしまった。
「あの、ご主人様。お名前は?」
キョロキョロとはせず、じっと俺を見つめてくる。
答えずに、その目を見つめた。
綺麗な目だと思ったが、マルチは急に照れたように視線をはずした。
「は、恥ずかしいです……」
チロチロとこっちを見ては顔を赤らめている。
か、可愛い……
HM−13タイプと迷ったんだが……可愛すぎる。
俺ってロリコンだったのか……いやいや、そんなはずは……
「あの? ご主人様?」
「お、おう!」
うう……今度はこっちが目をあわせられない……何を照れてるんだ、俺は……
この子にしてよかったかも……
〜 2 years after 〜
マルチはよく働いてくれた。
料理も、掃除も、彼女の仕事だからというだけでは説明がつかないほど、楽しそうに働いてくれた。
時々はドジもするけど、一生懸命に。
大学に行ってる時も、バイトしている時も家に帰るのが楽しみなくらいだった。
一緒に遊びに行くこともあったな……
何度か大学に連れていったことも……そん時は冷やかされたりしたもんだ。
楽しかった。
でも……
時々、思い出したように痛感する。
「なあマルチ……何か欲しいものあるか?」
決まってこう答える。
「ご主人様の側にいられるだけで、マルチは幸せです……」
嬉しくないわけじゃない。
そう言われて嬉しくないことは絶対に無い。
でも……
「なあ……何かしてやりたいんだよ……」
困ったような顔をして、小さく俯いてしまう。
「私はその言葉だけで幸せです……」
そんな時、巷に流れているニュースのことが頭に浮かんだ……
『最近、メイドロボの不当な扱いが目に余ります…… え、今朝も来栖川工場前には……』
開発工場だろうか……
メイドロボを連れてその中に入っていく人たち。
彼女たちにはつらい里帰りだ。
……
おそらく、壊れたからでも、役に立たないからでもないだろう……
強いて言うなら、彼女たちに過度に期待をしたから……
同じ人間(たちば)として見れないくせに……
何かを期待して……
「ご主人様?」
……ああ、そうだな……
何でもないよと頭を撫でてやった。
マルチはそうされるのが大好きで、嬉しそうに頬を染める。だけど俺は……
〜 Parting night 〜
「……さよならですね」
それが求めていた人間としての笑顔なら、
もはやマルチはロボットではなかった。
彼女が求めたのではない……
俺が求めた…そんな笑顔だった……
でも……
『来栖川』の案内窓口で、俺とマルチは別れた。
笑顔のマルチにどのようにも応えることなく、俺は逃げるように別れた。
俺はちょっと自嘲気味に笑った。
10年以上御無沙汰だった涙というモノを感じながら……
〜 in the cherry season 〜
バキィィッ!!
耳鳴りがする……
口の中を切ったか……血の味が広がった。
目の前の俺を見下ろす、突然俺を殴り付けた白衣の男を睨んだ。
でも……男はそれよりも、もっときつい視線をしていた。
「……すべての人間を殴るわけにもいかんが……あの子はな……」
ひどく寂しそうな表情に変わっていた。
……
互いに何か言おうとして、互いに言葉が出てこなかった。
「……あの子は、泣いていたぞ……」
まさか……
「……もう一度殴られたければここに来い」
一枚の名詞を残してその男は去っていった。
ポーン……
さくら吹雪の中、何かが俺の目の前に飛んできた。
やわらかい黄色のビニールボールだった。
公園の中から飛んできたのか……
ボールを拾って、公園の方に振り向いた。
「あの……ボール取ってくれませんか?」
……
彼女だった……
いや、同じシリーズの、たぶん違う名前で呼ばれる彼女たちの一人だった……
公園にいる小さな男の子と女の子の相手をしているんだろうか、
しきりにその子たちが彼女を呼んでいた。
「はい。すぐ行きます〜」
その側にいるのはその子たちの両親だろう。幸せそうな顔で子供たちを見守っている。
「あの……大丈夫ですか?」
ああ…痣のことか……
大丈夫だと笑って彼女にボールを手渡すと、一つ聞いた。
もう一度……
「幸せ……ですか? 皆さんが幸せだったらわたしは幸せですけど」
そうだよな……
それが彼女たちの幸せなんだ。
「でも……それはあなた様も同じじゃないんですか?」
にっこりと笑って駆けていった。
……ああ、そうだな……
俺は小さく笑うと、
「さて、もう一度殴られに行くか……」
さくら吹雪の中、名詞に書かれた場所に向かった。
〜
強いて言うなら、期待していたからだろう。
我侭で、傲慢で、度が過ぎた期待を……
でも……もしかしたら……
〜
(Fin)
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メイドロボを、同じ立場でも、割り切っても考えられず、
それでも彼女らを手に入れたものは
どういった感情で接するのだろうか・・・
舞台は自分の心です
過度の期待をしてしまうであろう、自分の心です
自信も無いくせに・・・
これは物語らしく少し幸せに終えました
でも、もし自分なら・・・