『Bitter Melody』 投稿者: Kouji




「あれ? どうしたのお兄ちゃん?」
 たった一人でテニスの練習をしていたはるかは、もう暗くなったフェンスの向こうに誰かが立っているのを見た。
 正確にはその場には二人いた。
 一人ははるかの兄で、もう一人は……
「こんな時間まで頑張ってるんだ」
 吐く息が白い。久しぶりに冷え込んだ夜だった。
「……冬弥こそ、こんな時間に何してるの?」
「さっきそこで先輩に会ってな……片づけるの待っててやるから一緒に帰ろうぜ」
 ちょっと考えて、
「手伝ってくれないの?」
 哀願した。
「白々しい……ほれっ、さっさと片づける。でないと先に先輩と帰るぞ」
「あ、待っててよ。冬弥もお兄ちゃんも」
 二人は顔を見合わせて「どうしようか?」そんな顔をした。でも、すぐに笑って、
「まあ、しょうがないな……待っててやるから」
 はるかはうんと頷くと長い髪をなびかせ、元気にコートに駆け戻った。



   『Bitter Melody』


「いいのか? こんな時間まで学校のコートを使って」
「うん。今大事な時期だし、ちゃんと長瀬先生に許可もらってるから」
 そうなんですか? と、はるかの隣りを歩く青年に顔をむける。冬弥の言いたいことがわかったのか、その青年は笑って頷いた。
 もう辺りが暗くなっていた、それだけではすまされない時間だった。
 24時間営業のコンビニや、深夜までやっている喫茶店以外はもう閉まりかけている。
 大通りの横、昼間なら商店街がにぎわう道もシンと静まり返っている。ぼうっと灯る街灯と、時々走り抜ける車のヘッドライトが三人の影を変化させている。
「いくら大事な時期ったって……せめて一緒に帰れる友達と練習しろよ」
 冬弥の言葉にはるかはちょっと驚いたようなしぐさを見せた。
 その顔のまま冬弥を見上げる。
「心配してくれてるの?」
 小さなため息を吐いた冬弥は、はるかの頭を小突いた。
 いたっ!
 非難の目を向けるはるかに、冬弥はもう一度ため息を吐いた。
「お前は先輩と違って、どっかぬけてるからな……彰と同じだ」
 その言葉に嫌そうな顔を兄に向ける。
「ねえお兄ちゃん。彰ほどひどくないよね?」
 青年の返事ははるかをもっと落ち込ませるものだった。


 しばらくたわいもない雑談をしながら家路に向かっていた三人だが、突然はるかが立ち止まった。
「どうした?」
 後の二人もあわせるように立ち止まる。
「…………」
「どうかしたのか?」
 無言で額を押さえるはるかに、二人はもう一度訊ねた。
 あぅ……
 小さくうめいたはるかは、なんとも情けない声で呟いた。
「……自転車…わすれた……」
  ・
  ・
  ・

「……やっぱ、ぬけてるな……」


「お前は疲れてるだろうから、俺が行くよ」
「いいよ、わたしが行くから」
 青年は首を振ると、はるかに自転車の鍵を出すように言った。
「先に藤井くんと帰ってなさい」
「それなら、僕がいきますよ。先輩だってクラブに塾じゃ疲れてるでしょ?」
 冬弥もそう言ったが、青年は首を振った。
「俺は家に帰ればいいけど、君ならまた自分の家に戻らないとだめだろ? 二度でまになるから、やっぱり俺が行くよ」
 はるかはしょうがなく鍵を差し出した。
 青年はそれを受け取ると駆け出した。
「先に帰ってていいから!」
 少し先で一度立ち止まった青年は、そう叫ぶと、再び走り出した。


「どうする? 先帰るか?」
 はるかは少し考えて首を振った。
 そうだなと、冬弥も頷いた。
「どうせこの道を通るからな……ここで待っとくか」
 そう言ってマンション前の階段にはるかを座らせた。
 そこなら明るいし、道の様子も分かりやすかった。
 冬弥は、そうだ! と立ち上がると、小走りに自動販売機の方へ走っていった。
「ほれっ」
 はるかの方に缶ジュースをほうり投げる。
 ナイスキャッチを見せたはるかだったが、小さく叫ぶとその缶を落とした。
 カツン! ガツン! と階段を落ちていった缶ジュースと少しにやけた顔で戻ってくる冬弥を恨めしそうに睨み付けた。
「わりい!」
 言いながらも顔が笑っている冬弥は落ちた缶ジュースを拾うと、もう一つの方をはるかに渡した。
 はるかの横に並んで座る。
 プルトップの口の辺りを簡単に拭うと、冷ますように缶のHOTコーヒーに息を吹きかけた。
 はるかもそれに習って息を吹きかける。
「……ありがと」
 コーヒーを啜りながらどこか嬉しそうに囁いた。


 それからどれくらいたっただろうか。
 自転車で通る人物、それどころか誰一人とやってこない。
 缶コーヒーはとっくに無くなり、日常の他愛も無い話はつきかけていた。
「遅いな……先輩」
 冬弥は何度となく立ち上がり、遠くを眺めた。
「ちょっと見に行くか?」
 はるかにそう聞いた。
 少し考えて、小さく頷いた。
 二人は学校の方に向かって歩き出した。
 その横の大通りを、すごい勢いで車のヘッドライトが通りすぎた。






    Bitter Melody −失くした日に−


 冬弥は手が白くなるまで拳を握り締めた。
 ガッ!!
 思い切り壁を殴り付けた。どこか切れたのだろう、少し血がにじんだ。
 しかしそんな事は関係なかった。
 もう一度、壁を殴った。
 そんな冬弥をあわてて彰が止めた。
「……どうして!」
 扉の向こう。たった一枚の扉の向こう側にはるかがいるのに……
 そこに行けない自分を憎んだ。
 ガチャッ……
 扉からはるかの両親が出てくる。冬弥はその奥にはるかの姿を確認して、自分の瞳に涙があふれるのを感じた。
 その姿は、椅子に姿勢よく座って、必死に涙を堪えているように見えた。



「……冬弥ちょっといい?」
 深夜の待合室に顔を覗かせたはるかが冬弥を外に誘った。
 他にも何人かそこにいたが、遠慮してもらうと二人は病院をでた。
「……どこいくんだ?」
「……ちょっと」
 二人はそれっきり何もしゃべらなかった。


「……ここ……か?」
 学校のテニスコートだった。
 校舎から少し離れた所にあるそれは高いフェンスで囲まれている。
 はるかはそのフェンスの一角に冬弥をさそった。
 小さな錆付いた扉だった。よく見ると鍵がかかっていない。
 はるかはその扉を思いっきり蹴りあけた。
「おい!」
 冬弥の言葉は聞き流してテニスコートに入った。
 冬弥は仕方なく後に続く。

 はるかはコートの脇に隠すように立てかけられていた2本のラケットとボールを持ってきた。
「はい」
 その一本を冬弥に渡す。
「……なあ、はるか……」
「……片づけてないのはわたしじゃないよ。テニス部の先輩たちからの習慣」
 冬弥と反対側のコートに向かうはるか。
 その様子は、いつもと変わらないように見えた。
「……はるか…………」
「…………おねがい……少しつきあって……」
 振り向かずに呟くはるか。
 どこがいつもと変わらないだ! 冬弥は自分を叱咤した。


 コートに明かりは灯っていない。
 月明かりと、フェンスの向こうに立っている数本の街灯の明かり、そんな中で、二人はテニスをした。
 はるかのプレーはいつもより完璧に思えて……だからこそ冬弥も必死になってボールを追った。
 はらかが誰とテニスをしているのか……そんなことは関係なかった。
 ただ、二人して暗闇の中で必死にボールを追った。
 どれくらいの時間が過ぎただろう。
 もう空が紫色に変わっていた。
「……もう…いいのか……」
 二人とも地面に座り込んでいる。
 息せき切らし、制服は土と汗で汚れている。
「……ありがと」
 先に立ちあがったのははるかだった。
 コートの反対側、冬弥の方に歩み寄ると手を差し伸べた。
 冬弥はその小さな、手をとって立ち上がった。
 冬弥は立ち上がってもその手を離さなかった。自分より小さな、とてもすばらしい手だと感心していた。
 きゅっ……
 はるかも力をいれて冬弥の手を握った。
 少し兄の手に似ているかなと、そう思って……
 そのまま冬弥に体をよせる。
「今日は寒いね……」

「……ねえ、わたし泣かなかったよ……お兄ちゃん、誉めてくれるかな……」

 流れる涙を見せまいと冬弥の胸に抱かれる。
 流れる涙を見まいとはるかを胸に抱く。
「ああ、先輩だって……俺だって誉めてやるよ」
「……うん」
「だから……もう……」
「……うん」
 明け方のテニスコートにはるかは……










    Bitter Melody −セピア色の思い出と−



「髪……切ったんだ……」
 はるかが学校に来たのは3日たってからだった。
 長かった髪は冬弥のそれよりも短く切られている。
「うん……ばっさりと……それじゃ先に行くね」
 上履きを履き、自分の教室に向かおうとした。
「それじゃな……」
 下駄箱の前で交わした短い挨拶だった。冬弥も自分の教室に向かって歩き出した。
『あっ……』
 二人は同時に立ち止まる。互いに振り返らずに……
「テニス……やめたから……」
「……そうか」
 冬弥は振り返り、ちょっと大きな声で言った。
「その髪も似合ってるぞ!」
 はるかも振り返り、
「ありがと」
 少し笑って答えた。







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