『Dear SONG,Dear HEART』
−雨−−
「……」
「……」
がたっ……
少女は突然立ち上がる。
「……」
部屋の内線をとるが、何も話さない。
いや、話しているのか……それはわからないが、電話口の相手は数度、返事をすると受話器をきった。
少女はそのまま上着を手にとり、部屋をでた。
カラァァン
「あ、いらっしゃ……り、理奈ちゃん!」
びしょぬれの男女が3人。扉をあけて入ってくる。
冬弥はその一人に見覚えがあった。
「すいませーん。タオルかなにか貸していただけませんか?」
男がカウンターの冬弥に声をかける。そのまま扉の外へ出ると、濡れた上着を絞った。
一応店に入る前に上着やスカートなど、ある程度はしておいたのだが、まだまだ面白いくらいに絞れた。
冬弥は慌てて奥にいる彰にタオルを持ってこさせた。
マスターが気をきかせて3人に暖かいコーヒーを作っている。
「どうぞ」
冬弥はタオルを理奈と始めてみる少女に手渡した。
「どうもありがとうございます」
丁寧にお礼をする少女はとても可愛らしく、冬弥も、カウンターにいる彰もドキドキしていた。
理奈もその少女も雨に濡れ、妙に色っぽく見えているせいだと、心の中で互いの思い人に言い訳をした。
「り、理奈ちゃんもどうしたの? 仕事は?」
「ちょっとね……冬弥くん、心配してくれるの?」
冬弥は即答を避け、少し困った顔で理奈を見る。
その顔に理奈は小さく微笑んだ。
「どうする浩之ちゃん? お知り合いみたいだから私たちは帰る?」
少女は扉の外にいる浩之に声をかけた。
カラァンと鐘が鳴る。
浩之は上着だけでなくTシャツまで絞っていたのか、上半身裸だった。理奈は思わず目をそらした。ちょうど店に客がいなかったからよかったものの……客がいなかったからの行動だろうか……
「はい、タオル」
あかりはあわてて駆け寄り、タオルを渡した。
「サンキュ……帰るにしてもだ。あかりはどうする? 風呂」
タオルを受け取るとあかりの髪の毛をふいてやった。
わしゃわしゃと髪を揺らされるなか、やっぱり困っていた。このまま帰っても風邪をひくのがおちだろう。
「お家に帰って、お隣りに借りるからいいよ」
とりあえずそう答えておいた。
「あら? お風呂がどうかしたの?」
理奈は背を向けたままたずねた。
あかりが理由を話すと納得したようだった。
「大変ね」
「ええ、でも一日くらいなら貸してもらえると思いますから」
「ほんとに無理に言っても絶対貸してもらえよ。……はい、おわり」
あかりの髪からタオルをはなすと、自分の体を軽くふき、濡れたTシャツに袖を通した。
帰ろうかと話している二人を彰が呼び止めた。
「マスターがコーヒー飲んでけって、それに風呂ならあるけど使うかだって」
二人は互いに顔を見合わせた。
「そうだな、少しあったまってくか……でも、あかりはともかく、……理奈ちゃんだっけ。早く帰って風呂にでも入った方がいいよ」
「……あかりはともかくって…………」
ちょっとふくれる。
愛敬のある、かわいらしい仕種で。
「お前は一応傘に入ってただろ。でも理奈ちゃんはずっと雨に打たれてたんだぞ」
「そっか……」
理奈は二人のやりとりを少しうらやましく眺めていたが、首を振った。
「せっかくだからコーヒー飲んでいきたいし……」
3人はカウンターの席でコーヒーを飲んでいる。
その場で軽く紹介しあった。
どうも浩之は緒方理奈のことを知らなかったようだが、理奈にはそれが少しショックだった。
風呂には、さすがに着替えも持って無く、入るわけにもいかなかった。
それでも、コーヒーはとてもおいしく、暖房を暑いくらいにかけてくれていたので、少しは体が暖まっていた。
もとよりあかりはそれほど濡れていなかったが、やはり理奈が心配だった。
カウンターの向こうでは冬弥が何か重要なことを忘れているような気がしていた。
ところでだ。
浩之とあかりはマスターの事がどこか引っかかっていた。コーヒーを飲みながら、ちらちらと様子を伺う。
「どっかで会ったことありませんか?」
浩之の問いに無言で首を振る。
二人は、確かにどこかで見た事があるような、そんな気がしていた。
ひそひそ……
(どっかで、見た事あるよな……)
(……浩之ちゃんも? 私もなんだか見た事があるような気がするの……)
ひそひそ……
冬弥はカウンターから出ると、内緒話をしている二人を苦笑しながらも緒方理奈の横に腰掛けた。
話し掛けるでもなく、ただ黙って横に座っていた。
−雨の夜−−
「お嬢様。どちらに向かいましょう?」
「……」
「かしこまりました」
車は走り出した。雨とエンジンの騒音とは対照的な、静寂な車内のままで。
「どうしてあんな所にいたんです?」
あかりはコーヒーを飲みきった時にそう聞いた。
考えてやったタイミングなのかはわからなかったが、それは絶妙のタイミングといえた。
理奈は思わず、冬弥の方を振り向いた。
あかりではなく、冬弥の方を……
冬弥がもう一度訊ねる。
理奈は少しうつむいて、それでも笑顔を見せた。
「ちょっと詞をつくってたの……」
理奈のその言葉に、理奈のことをよく知らない浩之以外が首をかしげた。
「詞って……英二さんが作んじゃないの?」
『緒方英二』理奈の実兄。妹の理奈や森川由綺といった少女たちのプロデューサーとして有名な男だった。その方向性として、作詞・作曲はもちろん、ステージや舞台の演出までおこなう徹底したものだった。
その彼がどうして?
「今度の曲は兄さんのプロデュースじゃないの……」
信じられないといった顔の面々を、理奈は明るい顔で見回した。
「もちろん今回だけよ……ね、話題を呼ぶでしょ? 才能の再確認も出来るし……(兄さんの……それに……)」
最後の言葉はもちろん心の中の台詞だ。
「それは……冬弥くんには悪いけど、森川由綺に勝つためよ……」
理奈は残っていないコーヒーを飲むふりをする。
薄く口紅のついたティーカップを少しにらむような目つきで……そんな横顔の理奈に冬弥は何も声をかけられなかった。
雨と暖房の音だけが大きく聞こえた。
浩之はわざと音を出してコーヒーをすすると、興味なさそうな素振りできいた。
「で、いいのできたの? その……森川由綺に負けないような……」
理奈はちょっと驚いたような顔で笑うと、
「そんなにすぐには出来ないわ……でも、なんとなくいいのが出来そうよ」
雨の中、その曲のタイトルだけは決まっていた。
「あっ!」
冬弥は思い出したように声をあげた。
「由綺……来るんだった……」
理奈たちがやってくる少し前、電話があったことを話した。
なにやら話したいことがあったらしく、ここにいることを確認したようだった。
しかし、いつまでも待っていられない。
「どうするあかり。そろそろ帰るか? それとも森川由綺に会ってからにするか?」
あかりは返事のかわりに、可愛いくしゃみをした。
「やっぱ帰るか……」
あかりは小さく頷いた。
森川由綺に興味が無いわけではないが、理奈にあえた事には素直に喜んでいた。
二人は礼を言って、コーヒーの代金をカウンターに置いた。冬弥も、カウンターにいる彰もおごりだと言ったのだが、あかりはにっこり笑って首を振った。
そして、軽く挨拶をして扉に向かったのだが……
カラァァン
浩之たちが扉の数歩手前にきた時、まるで自動ドアのようにその扉が開いた。
そこにいたのは森川由綺ではなく、浩之たちの見知った人物だった。
あまりにも美しい髪の印象のする美少女だった。
「芹香さん……」
理奈たちは、浩之とあかりの頭を撫でるその少女を不思議そうに眺めた。
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