『Dear SONG,Dear HEART』  1st track 投稿者: Kouji

  −朝−−

 春と夏のちょうど間。
 少し雨の多い時期だった。
 その日も朝から少し小雨がぱらついていた。
 傘をさす人、ささない人の数が半分くらいの小雨だった。
 大学生のカップルだろう二人がいる。雨がきつくなりそうな雰囲気の空、学び舎に向かっているのだろうか。
「はい」
 少女が自分の傘を青年に差し出した。ピンクの、あきらかに女性ものの傘だ。
 青年はちょっと複雑そうな表情で少女の顔を伺う。
「浩之ちゃん傘持ってきてないでしょ?」
 にっこり笑って、傘を差し出す。
 青年は言いかけた言葉を飲み込んだ。
「えっ? 持ってきてるの?」
「いや、持ってきてないけど……なあ、傘を俺に貸して、お前はどうするつもり何だ?」
 少女は、それこそにっこり笑って、
「私はいいよ」
「……」
 何か言いたそうだったが、傘を受け取った。
 タイミングよく雨が少しきつくなったから……
 青年はそれを広げると、少女の肩を引き寄せた。
「えっ、えっ」
 慌てて青年を見上げる。少女にはその顔がどこか不機嫌そうにしているように見えた。
 傘は二人入るには小さく、それでも少女は雨にぬれることはなかった。
 そのかわりに、青年の肩が濡れている。
 それを見たとき、青年の少し不機嫌な理由が分かった気がした。
「ごめんね、浩之ちゃん……」
 呟きに、青年は鼻を鳴らすと抱き寄せる腕に力を入れた。



  −朝−−

 同じ日の朝だった。
 一つ離れた駅の側。
 当たり前のように、ここにも雨は降っている。
 そして、当たり前のように自然に、同じように一つの傘に入る二人の姿が見て取れた。
 大きな傘から見ても、それを用意していなかったのは少女の方だった。
「ごめんね、冬弥くん」
「しょうがないよ。由綺は家による時間がなかったんだろ? それでもこうやって会えるんだからいいよ」
 少女は少し人とは違う、多忙な生活に身を置いていた。
 それに、こうしていられる方が青年には嬉しかったのだが、恥ずかしくて自分の口からは言えなかった。
 少女はギュっと青年の腕を握った。
 少女もこうしていられる幸せを感じてのことだった。
「今日は学校にどれくらいいられるの?」
「……あのね……」
 言い出しにくそうに、青年の顔を見上げた。
 青年は不思議そうな目で見つめかえした。
「すぐに帰らないとだめなの?」
 少女はくびを振った。
 悲しそうな顔で、小さな声で呟くように言った。
「今日は大丈夫(オフ)なんだけど……来週から1ヶ月ほど学校に行けなくなるの……冬弥くんにも会える時間が少なくなるね……」
 それほどまでに多忙な生活だった。
 それは青年にもわかっていたのに、やはり寂しかった。
「そう……でも、しょうがないよね。……じゃ、今日はどこか遊びに行こうか?」
 明るさを忘れていない笑顔で、少女は頷いた。
 青年も頷いて、肩を抱き寄せる腕に力を入れた。




  『Dear SONG,Dear HEART』


 翌日の夜になって、その地域の雨は強さを増した。
 少しの風も伴なって注意報が出される。
 浩之はベッドに体を横たえて、ボーっとTVを眺めていた。その時に注意報が流れるのを目にしたのだが、窓の外はそれほどの雨ではなかった。
「またか……」
 ここ数日、注意報のでなかった日は少なかった。
 幸いこのあたりは水はけもよく、川などもなかったので、そういった心配はなかった。
 プルルルルルル……
 プルルルルルル……
 浩之はめんどくさそうに受話器に手をかけた。
「はい。藤田です」
「あっ、浩之ちゃん?」
「なんだ、あかりか……」
 相手の声を聞いてさらにめんどくさそうに答えた。
 浩之なりの照れなのだろうが……
 電話口の相手もそれをわかっていて、「くすっ」っと笑い声をもらした。
「なんだ!? 用事が無いならもう切るぞ……」
「あっ、ごめん。何でもないのに電話してごめんね……」
 浩之は相手に聞こえるようにため息を吐いた。あかりはもう一度「くすっ」っと笑う。
「やっぱり浩之ちゃんだ……」
「で……今から行けばいいのか?」
 電話口でこくりと頷いた。
 浩之は電話を切ると、大きな傘と少しの用意を持って玄関を出た。

「浩之ちゃん。いつも、ありがとうね」
 湯上がりのいい匂いがする。
 その頬が赤く上気している。
 時間を決めて上がろうとしているのに、いつもあかりが先に待っている。
 浩之は小さなため息を漏らしたが、それに関しては何も言わなかった。言っても変わらないことを知っているからだ。
「これだけは言っておく。……銭湯には洗面器だ!」
 かわりに分けのわからないことを言ってあかりを困らせる。
 案の定、どう答えていいのかわからないあかりを見て少しわらった。
「それにしても、何もこんな日に……」
 いつものように荷物(洗面器)をあかりにわたすと、傘に入れる。あかりも傘を持っていないわけではないのだが、それが自然のことのように思えたからだった。
「ごめんね……、でもずっとこんな調子だから……」
 ここ数日、神岸家の浴室の修理のため二人は銭湯に来ていた。そうでなければこんな雨の日に銭湯に誘わないだろう。
 最初誘ったのは浩之の方だったのだが……
 浩之の荷物(洗面器)を持ったあかりはそれでも幸せだった。
「そういや、大雨・洪水注意報が出てたんだが……それほどでなくてよかったな」
「うん。あれって、結構広い範囲のものでしょ? だからここは大丈夫だったんじゃないかな」
 もっともらしいことを言う。
 たしかにそのとおりで、このあたりでは雨はそれほど激しくない。
「そうだな、もう解除されてるかもな……なあ、少し歩くか?」
 浩之はいつものようにあかりを散歩に誘う。
 あかりはいつものように小さく頷く。
 雨の中、二人の幸せの時間だった。



 カラァァン
 鐘と雨の音が入ってくる。
「いらっしゃいませ……なんだ彰か」
 入ってきた青年はなんとも情けない顔でタオルを要求した。
「突風で……傘が壊れちゃったから、ここによっただけだよ」
 なるほど、折れて使い物にならなくなった傘を持っている。
 喫茶《エコーズ》は、この雨のせいで、いや、いつもどおりというのか客足は少なかった。
 彰はカウンターから店の奥に入ると、マスターに挨拶をした。
 どうせだから閉店まで店を手伝うと言うのだ。
「急に雨が強くなって……冬弥も帰るときには気をつけなよ」
 奥で体をふきながらカウンターにいる冬弥に声をかける。
 冬弥はだるそうな顔で窓の外を覗く。
 激しく打ち付ける雨。
「確かに……雨、きついな」
 閉店までもうしばらくある。冬弥は「帰る前にゆるくならないかな」そう思いながら仕事を続けていた。
 その時、店の電話が鳴った。



「どうする? ……もう一度風呂入るか?」
「でも、もう着替えも無いから……」
 二人はしょうがなく家路に向かうところだった。
 注意報どころか、警報が出てもおかしくないくらいの雨の強さに変わっていた。
 もう暗く、風もあるので、走ってかえるのは危険だった。
 浩之ではなく、あかりのことなのだが……
「まあいいか……こういうのも楽しいよな」
 あかりは困った顔で否定も肯定もしなかった。
 浩之はおそらく台風や雷が好きなタイプだった。そういったものに「ワクワク」する人間だ。
 でも、ずっとこうしているほどあかりのことを思って無いわけではない。傘は常にあかりを中心にしていた。
 確実にあかりは浩之ほど雨に濡れていない。
 もう傍目で分かるほどではなくなってしまったけど、その気遣いはあかりにもわかっていた。
 だから、あかりはできるだけ浩之に体をよせた。

 二人が少しの近道をするため、公園を通り抜けようとした時だった。
 雨の中、傘もささずにベンチに座っている人影が見えた。
 その少女は、雨でぼやけた灯りの下で、ただ静かに座っていた。


「あの……」
 あかりが自分の傘を差し出した。
 少女は少し顔を上げてにっこり笑う。
「あっ……」
 驚いたのはあかりだった。
 見た事のある笑顔だったから。あまりにも輝く笑顔だったから。

「緒方…理奈さん……?」

 雨はきつく、きつく打ちつけていた……



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