ホワイトアルバム『はるかの場合』 投稿者: Kouji


「冬弥」
「ん?」
「……バカみたい」
「……そうだな」
「あははっ」
「ふん! はるかだってバカみたいだぞ」
「……?」
「顔見てみろよ」
「……あはは」
「バカみたいだろ」
「ん」
「さて、そろそろ帰るか」
「そうだね」
「じゃ…」
「じゃ、競争だね」
「お、おい! 待てよはるか! 卑怯だぞ!」

 駆けていく
 日常という舞台の上を
 何かに心奪われながら、何かを不安に思いながら
 それでも何かに心を救われながら
 時には振り返りながら、時にはがむしゃらに前だけを見つめ
 駆けていった

 忘れることの無い白いアルバムに詰まった思い出と
 いつかは再びやってくる季節をつれて……



 もう紅葉の過ぎ去った紅葉並木の下を歩く。
 向かいから歩いてくる高校生たち。手に持つ大学の願書が、もうそんな季節なのかと思わせる。
「冬弥くん?」
 懐かしく、ひどく懐かしく感じる声だ。
「由綺……」
 まだ少し声が震える。自分に臆病で、相手も臆病で、それで傷つけて、傷ついて、そんな日々を思い出させる。
「どうしたの? こんなとこにいて大丈夫なの?」
「……うん。でも、弥生さんが待ってるから行かないと……」
「そう……」
 互いに言葉が続かない。
 二人は、無くしてしまったのだから……
 でも……
 思う。
「今年は絶対に最優秀賞とりなよ! 応援してるから」
「うん」
 願う。
「でも、もうADやめちゃったから、TVの前でだけどね」
「うん……見ててね」
 そして、見ていようと誓った。
 強がりじゃなく、心のそこから「森川由綺」という女性を。
 彼女も思っているだろう。
 決してアイドルとしてでなく、森川由綺としての人生を見ていてほしいと。
「それじゃ行くね」
「頑張って!」
「うん! はるかによろしく言っといてね」
 そして二人はわかれた……
 自分の場所へ向かう足取りはそれほど重くなかった……


「冬弥。疲れてる?」
「いいや」
 そうは言っても、こたえる声に力が無いことを認めざるをえなかった。
 それでもはるかの声でかなりおちついていた。
「なあ、卒業したらどうする?」
 大学生活もあと半年とない。いろいろあって、就職活動などする気が起きなかったのだから、しょうがない。まあ、はるかが就職活動をしているイメ
ージも浮かばないが……
「ん……わかんない」
 はるかの言葉は予想してたものである。これではるかに卒業後の明確なビジョンでもあれば自分の立場が失われていたな……
「そうか、わかんない…か……」
「冬弥は?」
「わかんない」
「あははっ」
 まったく……人のこと笑えないだろうが。
「歩こ」
 ……相変わらずマイペースな奴め。
「良い天気だね」
「そうだな。良い天気だ」
「ん」
 本当に良い天気だった。
 申し訳程度に吹き抜ける風が心地よかった。
 そんな天気だから、ただ歩くだけでも気分が良かった。

 どれくらい歩いただろう。適当な公園で休むことにした。疲れたから俺が言い出したことだが、はるかは全然平気のようだ。
「あはは、おじさんだね」
「おまえがタフすぎるんだよ!」
 二人は小さなベンチに座る。前に何度もあったように……
「なあはるか?」
「ん?」
「はるかはテニス続けたらどうだ?」
 この台詞をいうのに昔はかなり思い切りがいったものだ。最近ではそれほどでなくなったのだが、やっぱり少し心が揺れた。
「……わかんない」
「わかんない…よな」
「お金」
 余りにも急すぎるぞおまえは……俺の心揺らいだ言葉に対するこたえがそれか。
「財布持ってきてないから」
「で? 何で俺が金をやらなければだめなんだ?」
「………あっ、ジュース買うからお金貸して」
 そう言えばいいんだよ。
 硬貨を数枚、俺の分とはるかの分を渡した。
「スポーツドリンクな……」
 と言おうとしたが、はるかはすでに駆け出していた。
 ちょっと苦笑して空を見上げた。
 まったく……いつもマイペースで、真っ直ぐで、きまぐれで、無気力かと思えば行動派で……それがいつからはるかの自然の姿になったんだろう。
 あの過去から逃げるためなのはわかってる。
 ただ、はるかにとってじゃなく、俺にとってのはるかの自然な姿はどっちなんだろう。
 やめていたテニスを、始めようとしたときの、あの目がはるかの自然な姿だったのだろうか……
 それでも、逃げるのをはるかはやめた。そんな気がする……
「わたしになれなかった…か……」
 はるかはいつかなるだろうか。わたしになった後のスーパースターに……
 その時、俺はどうしてるんだろう……
 ぼんやりと空を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「ひゃあ!」
 首筋に冷たいものを当てられ、俺はベンチからずり落ちた。
 恨めしそうに見上げると、「あははっ」と笑いながらスポーツドリンクをさしだすはるかがいた。

 寄り添うようにベンチに座ってジュースを飲んだ。
 空になった缶を、それでも飲んでるように口へもっていく。
 疲れがとれなかったわけでもなく、ただそうしていたかったから。
 ただ、この距離でいたかったから。
「寒いか?」
「ん、ううん」
「そうか……」
「あっ、やっぱり寒い」
 そう言って肩を寄せてくる。俺も寄せる。
 それでもいつか終わりがくる。
 そんなことはわかっているのにな……
 少し寂しく思いながらも、できるだけはそうしていようと思った。
「わたしになる…よ」
 はるかは、いつものとぼけた口調でそう言った。
「わかってるよ」
 俺もとぼけた口調でいう。
「あはは……じゃあスーパースターになるよ」
「ははっ……じゃあ俺もなるさ」
「二人でスーパースターだね」
「そうだな」
 なんだかわからなかったが、声を出して一緒に笑った。


「それでいいよね」
「ん? なにが?」
「卒業」
「卒業したあと?」
「ん」
「卒業したらスーパースターになりますって?」
「そう」
「それもいいな」
「あはは……それもいいよね」
「うん! それもいい」
「あははっ」
「はははっ」

 天気の良い日、公園の小さなベンチに座りながら二人は笑った。