マルチの場合 『心』 投稿者: Kouji
「ねえ浩之ちゃん……ちゃんとマルチちゃんの気持ち、ちゃんとわかってあげなきゃダメだよ」
 俺がマルチを選んだとき、あかりはそう言った。
 少し寂しげな、親友のようなまなざしで。
 それなのに俺は……


「なあマルチ……また一緒にどこかに行こう」
 来栖川エレクトロニクスの開発室に特別通してもらった俺は、『HMX−12型』と
書かれたBOXに呟いた。その小さな窓ガラスの中には横たえられたマルチが見える。彼女がロボットだと
実感させられるように、体にコードが絡みつく。それでも愛しさに何らかわりはなかった……
「俺は………」
 何度目か、そう呟いたとき開発室の扉が開いた。
「藤田君」
 開発主任の長瀬さんとマルチの妹機セリオが入ってきた。セリオはあきらかに非難の視線を
投げかけてくる。その視線に俺は顔を上げられない。
 長瀬主任の声だけが耳に届いた。
「結論から言うよ。マルチは助かる」
 静かな声だった。俺は顔を上げ、長瀬主任を見た。俺はどんなに情けない顔を見せてもかまわ
なかった。ずっとその言葉を聞きたかったのだから。
 しかし、長瀬主任は浮かない顔をしている。セリオを見ると、今度はセリオが視線をはずした。
「な、何かあったんですか!?」
「その前に何があってマルチがこうなったか話してくれないか?」
 暗にいつもと様子が違う事を言っているようだった。
 娘を心配する目で問いかけてくる。その言葉と視線に胸が脈打った。
 思いつくのはただ一つの言葉だった。


「あの……浩之さん?」
 部屋でごろごろしてた俺に掃除機を持ったマルチが申し訳なさそうに呟いた。
「あの、お掃除してしまいたいので、どいてくれませんか?」
「ああ」
 俺はそう言うと、掃除が終わったであろうソファーの上に腰をかけた。そこから嬉しそうに
掃除機をかけるマルチをただぼんやりと眺めていた。
 メイドロボットとは言え、こうしてみていると何ら人間と変わらない。
 それは俺がマルチと出逢ってからの感想だった。ずっと変わらない思いだった。
 自慢じゃないが、マルチを普通の女の子じゃないと思ったことは一度もなかった。
 ずっとそうやって扱ってきたつもりだった。
 しかし、不意に言葉が頭をよぎった。
 言ってはいけない事だ。普段の俺なら思いもしないことだった。
 それならせめて掃除機の音で掻き消えてしまえばよかった台詞だった。

「マルチは成長しないのか?」

「………浩之さん?」
 マルチがとまどった顔で振り返った。掃除機が同じ所を吸い上げ続ける。
 言ってしまってから後悔した。ひどく後悔した。
 「なんでもない」と言えばよかったのだろう。それか、いつものように笑ってごまかせば
よかったのだろう。
 しかし俺はただ黙ってマルチを見つめているだけだった。


「やっぱりそうか……」
 長瀬主任は寂しそうに呟いた。
「マルチは繊細な娘だからな……言葉を理解したとき、心と頭が反発してショートして
しまったんだろう」
 そうだろうと俺も思う。マルチはいつも俺の言葉に着いてきた。ずっとだ。
 それを俺は……
「考えてたって仕方がない。先ほど結論は言ったよね。マルチは助かると。でも……」
「でも……なんです?」
 マルチが助かるなら何でもよかった。しかし、長瀬主任がうかない顔をしているのは
気がかりだった。誰よりもマルチのことを考えてる人だから。
「おそらく前の記憶はほとんど消去しなくちゃならないだろう」
 なっ!!
 それでは助からないのと同じじゃないか。今ある同型のメイドロボットと変わらないじゃないか。
「そうでないと君に会う度にそのキーワードが思い出されてショートしてしまうからね」
「そこだけ消すことは出来ないのですか!?」
「……おそらく無理だ。色々と不都合が出るみたいなんだ。それほど君の言葉はマルチに
とって影響が大きいんだ」
 一瞬瞳が気色ばむ。
 俺はこの人の信頼も裏切ったのだ……
 おそらくセリオも同じ気持ちだろう。
「それで……マルチはどうなるんですか」
 俺は小さな声でたずねた。
 長瀬主任は小さく一呼吸置くと静かに言った。
「記憶をフォーマットし、1からはじめるか……このままの記憶を残し、キーワードの除外、
もしくは変更を試みるか。しかし、後者は失敗すると取り返しがつかなくなる。記憶は1で
はなく0になる」
「……それはどう言うことですか?」
「心の成長まで止まってしまうって事だ。他のHMX−12型と同じになってしまう」
 つまり、マルチがマルチじゃなくなってしまうわけか。ドジもしない、一般の性格の丸い
メイドロボットになってしまうと。
「どうする藤田君」
 長瀬主任は最後の決定権を俺にくれたのだ。
 マルチの幸せを何より思ってる人が、こんな俺のために。
 おれは逃げるわけには行かなかった。
 長瀬主任のためにも、心配そうに姉を見るセリオのためにも。
 そして、何よりもマルチのために。

「お願いします……マルチのためになる方を」


「いいかいマルチは人間と同じなんだ。そのマイクから彼女に呼びかけてくれ。
戻って来るように」
 まるでアナログで不確かなやり方だが、開発主任が言うのだから間違いないだろう。
俺は小さな窓から見えるマルチにささやくように思いを述べた。
「なあマルチ……また一緒にどこかに行こう。遊園地だって、動物園だって、お前の好きな
所に連れてってやるから……」
 チラと長瀬主任をうかがう。続けてといった視線で頷いた。俺も頷き返す。しかし、言葉
が出てこない。
 俺はマルチをじっくり見た。
 横たわった体から伸びるコード、あの柔らかかった体を固定しているのは冷たい金属だった。
 やはりどれだけ見ても愛しさを失うことはない。
 その時俺はある考えに至った。
「なあ……マルチ……お前はずっとそうだったよな……体が成長しなくたっていいじゃないか……
人間と違ったっていいじゃないか……」
 慌てて長瀬主任がマイクで割り込んでくる。「それではダメだ!」と。しかし、俺はやめなかった。
 俺なりに優しく囁いてるつもりだったし、キーワードを削除したってマルチが変わるわけじゃないなら、
俺流にやらせてもらうことにした。
「なあマルチ思い出してくれ……俺がマルチをマルチ以外として扱ったことがあるか?
 人間と違うからって俺がお前を疎ましく思った事があるか?
 いくらドジをしたってお前を邪魔に思った事があるか?
 なあ……わからないか? どんなに俺がお前を………」
 俺はその言葉を、たった一言いわなければならなかった言葉を思いっきり叫んだ。



「全く何だってんだよ!」
 ホントに何だってんだ!
「……浩之さん……ごめんなさぁい……」
 来栖川エレクトロニクスからの帰り道。マルチが申し訳なさそうに着いてくる。
 そのわりに顔は嬉しそうだ。
「あ、あの……嬉しかったです……」
「……二度と言わないからな!」
「は、はい! でも、やっぱり嬉しかったです……」
 俺は小さくため息をついた。そしてマルチの横に並ぶ。
「なあ、なんであんな事したんだ?」
「え、えっと……私を任せていいか試すって言ってました……」
 なるほど……全部芝居か。
 マルチの記憶が消えるって言うのも、長瀬主任の表情も、あのセリオまでもが
人をだますために芝居をうってたわけだ。
 セリオは終わった後申し訳なさそうな顔をしていたから許そう。うん許そう。しかしだ、
あの主任だけは許さん! こともなげにあの恥ずかしい言葉を録音までしてやがった!!
くそっ!
 まあ、俺の責任てのもあるだろうが……今度仕返ししてやる!
 その時にはマルチにも協力してもらおう。
 しかし、
「なあ、お前がショートした理由てのは、やっぱり俺の言葉か」
「えっ……は、はい。そうだと思います」
 そうか、これからは気をつけるか。
「あの……やっぱり……怒ってますか?」
 横に並ぶマルチの足が少し鈍った。黙って考え込む俺を怒ってると思ったのか。それに、
マルチが俺をだまそうとしたなんて初めてだからな。気にしているんだろう。
 俺は立ち止まってマルチを見た。
 マルチも俺を見た。今にも泣き出しそうなくらい潤んだ瞳をしている。
 もう一度小さなため息を吐くと、俺はマルチの頭を軽く撫でてやった。
「別に怒ってないさ……もとはと言えば俺が悪いんだからな」
「浩之さんは悪くないです! 浩之さんのおかげで私は私が好きになれそうです……
だからやっぱり浩之さんは悪くないです」
 マルチは上気した顔で見つめてきた。
 俺はそんなマルチを愛しく思った。軽く抱きしめ、おでこにキスしてやった。

「ひ、浩之さん……………」
 ………プシューーー
 と湯気を出して力が抜けていった。その場に崩れそうになるのをとっさに受け止めた。
「お、おい! またショートしたのか!?」
 俺はその日二度目の来栖川エレクトロニクスの門を叩いた。



     終わり