その何気ない一言が…… 投稿者:JUN 投稿日:7月3日(月)00時09分
                           To Heart SS


                                  JUN

                           その何気ない一言が……



  case 1. 神岸あかり



「あ〜、たまにはラーメンが食べたいぜ」


 一緒に下校している途中、藤田浩之がポツリと漏らした何気ないその一言は、神
岸あかりにとっては重大な挑戦だった。
 あかりと浩之は生まれた頃からの幼なじみである。そして何故か、あかりは浩之
が好きだった。
 だから小学生の頃から、あかりは浩之を料理で餌づけしていた。
 幸いあかりの母親は、著名な料理評論家だった、その親譲りの料理の腕前により、
あかりの料理は浩之のお気に入りとなった。浩之の好みを研究して味つけに活かし
た成果だ。
 しかしあかりの料理のレシピは、和食と洋食がメインだった。
 麺類は今まで作った事は無かった。インスタントで済ませることは可能だが、そ
れでは藤田浩之研究家のプライドが許さない。ここはなんとしても浩之専用のレシ
ピを開発して、ラーメンでも気に入られるよう努力しろという暗黙の啓示だと受け
取った。
 その時から、あかりの地道な努力が始まった。
 ラーメンで肝心なのはスープだ。これで味つけが決まるといっても過言ではない。
 あかりはまず、母親のコネを通じて闇のレシピ請負人を訪ねた。
 それは依頼人のためのオリジナルレシピを作成する影の料理人である。
 脱サラしてラーメン屋を始めるような人は、オリジナルのスープを作れるほど料
理の腕もそれを研究するだけの時間もない。そんな人たちのためにオリジナルのレ
シピを開発して売るのがその仕事である。
 彼があかりのために作ってくれたラーメンのレシピは、あかりの口で味見しても
確かにおいしいと言えるものだった。自分だけでレシピを開発したとしても、ここ
まで上手いものが作れるかどうかは分からない。
 しかしそれは、藤田浩之研究家であるあかりが納得できる味では無かった。
 あかりは受け取ったレシピを破り捨てると、本物のあかりオリジナルのレシピを
生み出そうと決意した。
 ラーメン屋通いを始めて店員と仲良くなり、味つけの秘密を聞きだしてはそれを
メモする。そのデータを元に、さらに改良を加えて浩之好みの味つけにするのだ。
 途中で壁にぶつかったこともあった。出し殻とチャーシューの問題だ。
 上手いラーメンを作るには、出し殻に使う肉とチャーシューに使う肉を別々にす
る。その方がスープもチャーシューもおいしくなるのは当たり前だ。
 しかし家庭用のラーメンで、わざわざ出し殻とチャーシューを別々に使っていて
はお金がかかる。料理にお金をあまり使えない浩之の台所事情を考えれば、肉を捨
てるなんてもったいないことはできない。
 しかし出し殻に使った肉は、ぱさぱさになっておいしくない。
 あかりは悩んだが、解決策は意外なところで浮かんだ。
 料理の技法の一つで肉を塩漬けして余分な水分を取ることにより、出し殻はスー
プに旨味を与えるとともにスープの旨味を逆に吸収するようになる。これならチャ
ーシューにしてもぱさつかない。
 壁を乗り越えた事であかりのレベルは一つ上昇した。
 ついにあかりオリジナルのラーメン“浩之ちゃんスペシャル”は完成した。
 最後の試練として、この道50年と3ヶ月の名人である、ラーメン源さんに試食
してもらうことになった。彼は本当においしいラーメンしか食さないという食通で
もある。
 馬面の彼は一口スープをすすると、ただ一言、
「上手い」
 と唸った。
 そして後は黙々と、あかりのラーメンを食した。
 名人にも認められたラーメンのレシピを携えて、あかりは藤田家に向かう。例え
世界中の人間が全て認めたとしても、あかりにとって今までのは予行演習であり、
これからが本番なのだ。
 そして藤田家のチャイムを鳴らす。


「もう、浩之ちゃん。何食べてるの」
「やっぱ夜食にはカップめんだよな。このジャンキーでチープな感じがたまんない
ぜ」
「そんなんじゃ栄養偏っちゃうよ。しょうが無いなあ」


 こうして神岸あかりに、また一つ浩之ちゃんレシピが加わるのであった。


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 case 2. 姫川琴音



「琴音ちゃん、すっかり明るくなったなあ。やっぱ超能力に脅える必要がなくなっ
たからかな」


 一緒に下校している途中、藤田浩之がポツリと漏らした何気ないその一言は、姫
川琴音には重大な衝撃だった。
 一緒に帰るほどの仲になったとはいえ、琴音と浩之の間には共通項はほとんどな
い。
 趣味が違い過ぎるのだ。
 琴音は正統派のお嬢様である。趣味や特技もイルカを鑑賞したり風景画を描いた
りとバリバリの文科系だ。ラッセルによるイルカの生命哲学とか、印象画の画家に
よる風景画の描き方の違いなど琴音の話題に浩之は笑って頷いてくれるが、本当に
分かってるのかどうかは琴音にもよく分からない。
 逆に浩之がときどき話す下らないダジャレは、琴音には全く通じなかった。性格
もだらけてはいるが、スポーツが得意な浩之は行動派でもある。身体の弱い琴音に
付き合うには欲求不満なところもあるだろう。大食漢な浩之にとって、琴音の小食
は心配のタネでもあるようだ。
 要するに、これだけ共通項の無い二人が一緒にいる事自体があり得ない事なので
ある。
 そんな二人を結びつけたのが、琴音の超能力だ。
 かつて琴音は、自分が持つ制御不能の『ちから』のために友達も作れないでいた。
根がおせっかいな浩之は、そんな琴音を見逃すことができず親身になって解決して
くれた。
 つまり超能力の暴走が無くなれば、浩之が琴音に付きあう理由もないのだ。
 超能力の制御訓練を通じて浩之にほのかな好意を抱いた琴音にとって、それは重
大問題だった。
 浩之には不幸そうにしている身の回りの人物をほってはおけない。だったら、超
能力に代る新たな不幸を身につければ良い。
 そう思い立った琴音は自らの不幸を極めるべく修行の旅に出た。
 琴音が最初に目をつけたのは、同じ校内の一学年上の勤労少女だった。
 父親は既に死別、母親は過労で病院に入院しており、幼い弟と妹の生活費を稼ぐ
ためバイトに明け暮れるという彼女の不幸ぶりには学ぶべきものが多々あった。
 超能力も使えないのに何も無いところで転んだり、道端で犬に追いかけられたり
という間の悪さには、さすがの琴音も感心したものだ。
 しかし両親は健在で年収も高く、兄弟もいない琴音には少女から学べる不幸はほ
とんどなかった。琴音が少女の不幸を予知してさらに少女の間を悪くたことに琴音
は感心したりしたが、思考派の彼女がその間の悪さを身につけることはついにはで
きなかった。
 同じ校内ではこれ以上の不幸のスキルアップは望めないと判断した琴音は、広く
校外に師匠を求めることにした。
 次に選んだ師匠は、お○たかおる(女性)だった。彼女は思い込みが空回りする、
ひとり不幸上手の達人だった。
 琴音は彼女の周りについて行動を子細に渡って観察し、どうしたらひとり不幸上
手になれるかを研究した。
 彼女の不幸の原点は、名前にあった。
 しかし姫川琴音と藤田浩之では、どちらに転んでもまともな名前になる。彼女の
不幸は学べそうにないと判断した。
 そして不幸を探すうちに、世の中には究極の不幸技があることを知った。
 彼女はその不幸技の使い手を訪ねに、練馬区の彼が住む町へ訪れる途中に立ち寄
った中国青島省で彼と出会った。
 彼が見せてくれた技は確かに不幸を源泉としたものだった。その技を極めるため
に過去何人もの達人が、谷底に転がり落ちるように自らの不幸を極めていったとい
う言い伝えがあるのももっともだと思った。
 この技は誰もが身につけられるような技では無いのだ。
 彼自身もライバルとの勝負には負け続け、その上方向音痴で彼女もいないという
不幸の三重苦に陥っていたのだ。そしてその不幸が、技を極めていた。
 琴音には幸か不幸かこの技に対する素質があった。
 琴音は彼と行動を共にし、技の手ほどきを頼んだ。
 しかしその頃から、彼はスランプに陥っていった。琴音が側に付きだしてから、
彼は技を使う事が出来なくなったのだ。
 ついには彼は、琴音に気持ちを告白した。彼は琴音の見目麗しさと優しさに心奪
われていたのだ。
「すみません。私、好きな人がいますから(はーと)」
 琴音の返事は簡潔だった。
 その言葉で彼は復活した。そして不幸技の完成形を、その場で琴音に披露してく
れたのだ。
 バリアーで威力を防いだ琴音はその技の原理を見抜いた。そして全く同じ技を再
現したのだ。
 彼に礼を言うと、琴音は再び母校に帰った。それは浩之の前で技を見せて、再び
浩之にかまってもらうのだ。


「完成形・獅子咆哮弾!!」
 どごおおおおぉぉん。
「いつもの“ちから”の暴走と、全然変わらねえじゃん」


 数ヶ月後、エクストリームで相手を文字どおり全く寄せつけずに勝ち進む琴音の
姿があった。


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 case 3. 来栖川綾香



「綾香って、何やらせても完璧だよなあ。やっぱ敵わねえぜ」


 放課後、いつものように付き合っていた藤田浩之がポツリと漏らした何気ないそ
の一言は、来栖川綾香にとっては重大な問題だった。
 綾香は天才だった。どんな競技や遊びでもすぐにコツを覚え、マスターしてしま
う。その飲み込みの速さは天才的だった。
 アウトドアだけではない。勉強もそつ無く熟し、西音寺女学院では常に成績は学
年1位だった。授業を受けただけで内容を学習できてしまう上に、必要とあらばす
ぐに最高の家庭教師が手配される。
 華道や茶道などのお稽古事は苦手としていた。だがそれは行動派でジャジャ馬の
綾香にとっておしとやかにするのが嫌だというだけであり、もし本気で取り組めば
上達は早いだろう。
 そして天下の来栖川財閥のお嬢様である。
 非のうちどころの無い完璧ぶりだ。
 その完璧さが仇になって、綾香はかつて初恋の人のプライドをずたずたにしたと
いう過去がある。もっともその責は何も知らなかった綾香が負うべきものでは無い
し、綾香もそれは承知していた。
 しかしそれ以来、綾香は男と正式に付き合う事はなかった。
 その綾香にとって、浩之という男は久々に興味が持てる男だった。
 まず何よりも気があう。勝負事の好きな綾香にとって、事あるごとに挑戦してく
る浩之は格好の遊び相手だった。
 おまけに飲み込みが速い。最初に始めた時には綾香にアドバンテージがあった種
目でも、次に遊んだ時には明らかに上達していた。中にはたった一日で上達してし
まうこともある。この上達ぶりには一緒にいる綾香も舌をまくほどだった。
 そして何よりも自然体で付き合ってくれる。大抵の男はまず来栖川の名前を知っ
て身構えてしまう。それでなくてもエクストリームの女王という肩書きは、男を遠
ざける効果がある。
 そのいずれに対しても、浩之が気を置くことはなかった。話のタネにすることは
あるが、それだけだ。
 それだけに、浩之のその言葉は問題だったのだ。
 やはり綾香と浩之では、浩之が綾香に適うところは一つも無い。家格、財力、成
績、スポーツ、どれを取っても綾香が上だ。
 あるいは弱いところを見せれば、相手の庇護欲を誘うこともできただろう。しか
し綾香は意味もなく弱みを見せるのは嫌いである。
 だが弱みもなく、相手に優るところが一つも無いとなれば、そんな女と付き合う
男は大変だろう。そんな事を気にする人ではないが、やはり浩之にも男としてのプ
ライドはある。
 ここは女として、苦手もあるところを見せるべきだろう。
 その時から綾香の、苦手を身につける努力は始まった。
 なにしろ何をやっても身につけてしまうから、苦手を見つけるのは大変だった。
 まずカラオケのクィーンとまで言われた少女にカラオケ勝負をした。試しに歌っ
ったところカラオケ採点機が100点を示した時、少女は自分に教えられることは
何も無い事を悟った。
 次に弓道に挑戦した。西洋式のアーチェリーなら経験があるが、力ではなく技術
とバランスを重んじる和弓は綾香も始めてだった。
 先生となった少女を真似して、綾香は会を決めた。綾香が静止した的の真ん中に
矢を当てた時、少女は綾香が自分を超えた事を悟った。
 並み大抵の師では苦手を身につけることはできないと悟った綾香は、隆山に赴い
てそこでホテルを経営している女会長の元に向かった。
 その女会長は綾香の目から見ても美人であり、能力的にもなんら綾香に劣るとこ
ろはない。それでいてお茶目も身につけており、いわゆる綾香と同じ完璧さを身に
つけている人間だった。
 綾香はその女会長に頭を下げた。
 そして料理を教えてくれるように頼んだ。
 その女会長の壊滅的な料理の腕は、料理の達人である女会長の妹をして、真似を
することができない味だと言わしめていた。
 それを頼んだのである。
 女会長は大喜びで綾香にレシピを伝授した。
 さすがの綾香も、この修行には挫折寸前まで言った。後日語ったところ、綾香の
今までの人生の中でこの時ほど命の危険を感じたことはなかったと言う。
 会長の妹たちや従姉妹の死屍累々とした犠牲と引き換えに、ついに綾香は女会長
の料理のレシピを完璧に身につけた。代わりに女会長の家庭が崩壊寸前にまで陥っ
たが、女会長の、
「気にしないで。いつもの事だから」
 という言葉と引き換えに綾香も気にしないことにした。
 これで綾香は大財閥のお嬢様で何でも熟すが気さくで嫌みが無くて庶民的。その
上料理の腕だけはほんのちょっぴり苦手というお茶目さも身につけた。これなら浩
之の庇護欲を誘うこともできるだろう。
 そこまで考えた時、綾香は自分の考えの浅はかさに気が付いた。
 あの女会長の料理の腕は天然だが、自分はその真似出来ない味を、練習で“完璧”
に身につけただけではないか?
 つまり綾香は、逆説的に自分の完璧さを証明してしまったのである。
 綾香は失意に落ちた。
 そして浩之に正直に告白することに決めた。自分が何で悩んでいるかと。多分浩
之は一通り笑って、そしてそんなの別に気にしていないぜと自分を慰めてくれるだ
ろう。
 そして浩之と向かい合う。


「綾香、ほれっ!」
「え、あ…… きゃあああああああ!!」
「うははは。やっぱ綾香、ヘビが苦手って話は本当だったんだな」


 それから一週間、浩之は綾香専用のサンドバッグと化した。



            その何気ない一言が…… (終)



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