神楽舞 投稿者:Hi-wait
「ヨーク……もうしばらく、持ちこたえて……!」
 先程から振動を続けるヨークに掴まり、リネットは必死に呼びかけていた。
「お願い……もう少しだけ……!」
 しかし、リネットのその願いもむなしく、ヨークは星の引力に引かれ、炎に包ま
れていく。
「リネット! そこは危険よ、早く奥へ!」
「リズエル姉様……でも!」
「リネット、何をしている! 早く来なければ、お前まで焼かれてしまう!」
「アズエル姉様……」
「大丈夫……ヨークは、この程度の炎で死にはしないから。さあ、中へ」
「……はい」
 リネットは頷き、姉たちと共にヨークの中に入っていった。
 少し、自分たちを引き込もうとしている星のことを思い起こす。
 それは、彼女たちの母なる星、真なるレザムと同じ、青い星だった。

「ヨークは生きています。しかし、翼を失いました。ここより出る術は……ありま
せん」
 リネットは、沈痛な面持ちで、目の前にいる男に報告した。
「失いし翼は、元には戻らぬのか?」
 目の前の男……ダリエリが、リネットに問いただす。
「おそらく……」
「そうか……ならば我等は、真なるレザムより救援が来るまで、しばしこの星にて
生きねばならぬ、という訳か……」
「はい」
 ダリエリは、しばらく目を閉じて考えていたが、
「よし、リネット。全員に伝えよ。これより半刻後に、全員をこの場に召集する、
とな」
「はい」
「よし、下がれ」
 再び目を閉じて考え事をはじめたダリエリに一礼し、リネットはその場を後にし
た。

 リネットの姉たちは、満月の下、舞を舞っていた。
 アズエルとエディフェルが笛、琴を奏し、リズエルがそれに合わせて舞う。
 リネットは、姉たちの舞をずっと眺めていた。
「奇麗……」
 姉たちと共に生きて久しいが、これほどまでに美しい舞は初めて見たのだ。
 やがて、舞が終わり、エディフェルがリネットに気付いた。
「リネット……ダリエリのお話は?」
「終わりました……今より半刻後に、全員集まるように、とのことです」
「そうですか……」
 リズエルが目を伏せる。
「それより姉様方、先程の舞は?」
「あの舞は、『神楽』というんだ」
「かぐら?」
「そう。我々エルクゥが、真なるレザムを想うときに舞うものなの」
「レザムを……」
 リネットが俯く。
 自らの失敗で、ヨークをこの星に落としたことを思い出したのだ。
 それを見たアズエルが、あわてて口を開く。
「そうだ、リネットにも神楽を教えてやろう。楽しいから」
「そうですね」
 エディフェルも頷く。
「姉様方……教えていただけますか?」
「ええ、もちろん」
 リズエルは、にっこり微笑んで、笏拍子を手にする。
「ではリネット、私たちが奏するのに合わせて舞ってみなさい」
 姉たちが、それぞれ奏しはじめる。
 リネットも、舞い始めた。
 自らの思いのままに、真なるレザムを心に描いて。
 リネットは、一心に舞っていた。

 半刻後。
 ダリエリの前に、ヨークの中にいたエルクゥ全てが集っていた。
 まず、ダリエリが簡単に現状を説明する。
「……と言うわけで、我等はこれより暫くこの星にて時を過ごさねばならぬ。しか
し、この星にも我等と同じ様な姿をした生命が息づいている様子。いかがしたもの
か、皆の意見を伺いたい」
 ダリエリの問いかけに、エルクゥ達は我先にと喚きはじめる。
「我等は誇り高きエルクゥぞ。この星の生物など、今までと同じように狩り尽くし
てやればよいのだ」
「しかし、今回は今までといささか事情が異なる。彼らとの共存を考えてもよいの
ではないか」
「何を弱気なことを。貴様、我等が誇りを失ったのか!」
 しばらくして、皆の議論を黙って聞いていたダリエリが口を開いた。
「……エディフェルはどうした?」
「そういえば……」
 リズエルは、自らの周りを見回す。
 確かに、彼女のまわりにはアズエルとリネットしか居らず、エディフェルの姿は
見あたらない。
「エディフェル不在にて事を運ぶは無用のことと思う。また時を改めて、皆の意見
を聞きたい」
 ダリエリが静かに宣言する。
 彼女は、『箱船の娘』たるリネットの姉であり、その存在には皆が一目置いていたのだ。
 彼らは立ち上がり、散っていった。

 三人が自分たちの部屋に戻ってしばらくして、エディフェルが戻ってきた。
「エディフェル。どこに行っていたの?」
 心配そうに問うリズエルに、エディフェルは答えた。
「月を、見ていました」
「……月を?」
「はい。そこで、一人の男に出会いました」
 リズエルの後ろに控えていたアズエルとリネットは、エディフェルが何を言おう
とするのか、その意図がつかめなかった。
 自然に、質問はリズエルが行うことになる。
「男? この星の?」
「はい。次郎衛門と名乗りました。彼は……」
 と、そこでエディフェルはいったん言葉を切り、
「私たちエルクゥに近い性質を持っていました」
「それはつまり……」
「……はい。私との精神の共感が起きたのです」
「それで、その次郎衛門は……」
「私に愛を抱いたようです。私は、愛に愛をもって報いようと思います……」
「……そう」
 リズエルは、それから何も言わなかった。
 そして、彼女の妹たちも。

 しかし、エディフェルの思いは、無惨にも打ち破られてしまう。

 この星の生命を狩ることを主張していたエルクゥが、独断で狩猟をはじめたの
だ。
 立ちこめる血の臭いは、彼らを狩猟者へと変えた。
 彼らは、人間達を狩り尽くしていく。
 『箱船の娘』の姉たるエディフェルにも、彼らを押さえることは出来なかった。
 そして、エディフェルの恐れていたことが、現実となる。
 人間達の都より遣わされた、鬼の討伐隊。
 その中に、次郎衛門の姿が混じっているのを見つけたのだ。
 彼ら討伐隊は、まず火を放ち、その混乱に乗じて攻め入ってきた。
 しかし、所詮は非力な人間。
 狩猟者にかなうはずもなく、次々に倒されていく。
 エディフェルは、知らずのうちに駆け出していた。

「もはや、ここまでか……」
 次郎衛門は、刀を抜き身のままぶら下げて、呆然と周りを見回していた。
 まわりには、累々と横たわる死体がある。
 しかし、鬼の死体は一つもない。
 全て、彼と共に遣わされた討伐隊の人間だ。
 次郎衛門自身も、多くの傷を負い、疲れ果てていた。
 ふと、次郎衛門は自らの方に駆け寄ってくる人影を認めた。
 無言で刀を構える。
 人影が露わになる。
「お前は……!」
 その人影は、満月の夜にこの雨月山で出会った、異国の娘であった。
「そうか……お前は、鬼の仲間だったのか……」
 次郎衛門の目が、正面から娘を見据える。
 娘は無言だ。
 次郎衛門は、娘に向かい、一歩足を踏み出した。
 その時だった。
 狩猟者たちが、次郎衛門の姿を認め、一斉にかかってきたのだ。
 次郎衛門は、娘の方に集中していたため、反応が遅れた。
 狩猟者たちの爪が叩き込まれる。
 次郎衛門の体が、ゆっくりと倒れ込む。
 やがて狩猟者たちは、次の獲物を求め、走り去っていった。
 娘……エディフェルは、次郎衛門を抱えて、彼らとは反対の方向に走りだし
た……

「エディフェルが……逃亡?」
「そうだ」
 リズエル、アズエル、リネットの三人を前に、ダリエリは重々しく頷いた。
「どうやら、人間の男にほだされたらしい」
「次郎衛門……」
 リネットの呟きを聞いて、ダリエリは顔をしかめた。
「ほう、その男は次郎衛門という名なのか……だが、今の我等にとって、人間と共
存しようという考えを持つエディフェルは不要。しかし、あれの力は強い。……そ
こでだ」
 リズエルは覚悟を決めているのか、俯いたまま何も言わない。
「リズエル、アズエル。そなた達に、エディフェルを抹殺してもらいたい」
「そんな馬鹿な!」
 声を上げたのはアズエルだった。
「私たちに、妹を殺せ? そんなこと……そんなこと、出来るわけないじゃない
か!」
「アズエル!」
 リズエルの叱責が飛ぶ。
「分かりました……姉である私が、責任を持ってエディフェルを……」
「うむ……」
 ダリエリは、苦虫をかみつぶしたような顔をしたまま、立ち去っていった。
「リズエル姉様……」
 リネットの呼びかけにも、リズエルは答えようとはしなかった……

 次郎衛門が、薪を摂って帰ってきたとき、小屋の前に一人の女性が立っているの
に気付いた。
「……あなたは?」
 その声に、女性はこちらを振り向く。
 その顔は、能面のように蒼白で、無表情だった。
「次郎衛門殿か……」
「いかにも」
「私は、エディフェルの姉、アズエル」
 一言一言、噛み締めるようにいう。
「エディフェルの姉上……これは、失礼を。さぁ、どうぞ中へ」
「それには及びません」
 アズエルと次郎衛門の間に、もう一人の女性が現れる。
 彼女の顔も、アズエルと同じように全くの無表情だ。
「あなたが次郎衛門殿ですか……私はリズエル。エディフェルとここにいるアズエ
ルの姉です」
「あなたもエディフェルの姉上でしたか……」
 リズエルは、寂しげに微笑み、
「次郎衛門殿……我々も、つらいのです。分かってください……」
「許されよ……」
 そう言い残して、リズエルとアズエルは跳躍した。
 それを見送る次郎衛門。
 だが、じきに薪を背負い直し、小屋の中に入っていった。
「………………!」
 小屋の中は、血の海だった。
 そして、その真ん中で倒れているのは……
「……エディフェル!」
 次郎衛門は、エディフェルの下に駆け寄り、あわてて抱き起こした。
 素人目にも、もう長くないのが分かる。
「エディフェル! エディフェル! ……あの二人か……!」
 次郎衛門が、怒りのあまり震える。
 その体は、一部エルクゥの本性を現しはじめていた。
「リズエルを……恨まないで……彼女は一族の掟に……従っただけだから……」
 エディフェルが、そんな次郎衛門に語りかける。
「私たち……きっと巡り会える。必ず……」
「ああ……必ず会える……必ず探し出してみせる……! たとえどんなに離れてい
ようとも、必ず探し出して、この手にお前を抱きしめてやる!」
 その言葉にエディフェルは微笑み……息を引き取った。

 アズエルは、泣いていた。
 リズエルは、黙って俯いている。
「姉上……私は、エディフェルの考えがようやく分かった気がする……やっぱり、
私たちは争ってはいけないんだ……そうでなかったら、あの子がかわいそうじゃな
い……!」
「アズエル……」
 リズエルは、そんなアズエルの肩をそっと抱き寄せ、
「アズエル。皆まで言わなくてもいい。私にも分かっているわ。私たちは争うべき
ではない。ダリエリにそう言いましょう」
「もちろんだよ!」
 リズエルは、リネットの方を向き、
「リネット。あなたは黙っていた方がいい。私たちは、いつも一緒なんだから、悲
しまないで……」
 そう言いおいて、アズエルと共にダリエリの所に向かった。
 そして、いつまで立っても帰ってこなかった……

 リネットの手の中には、一振りの剣があった。
 真なるレザムで鍛えられた、退魔の剣……『羅刹』。
 『羅刹』を抱え、リネットはある場所へ向かった。
 姉から聞いていた、次郎衛門のいる小屋へと……

「……これを俺に?」
 『羅刹』を手に取り、次郎衛門は呟いた。
「はい。是非ともあなたに受け取っていただきたいのです。唯一、エルクゥに対抗
できるあなたに……」
 次郎衛門は、『羅刹』を抜き放ち、満月にすかし見る。
「……いい刀だ」
 『羅刹』は、月光を反射し、青白く輝いていた。
「それでは、遠慮なくいただいておく」
「ありがとう……」
 リネットは去っていった。
 それを見送りながら、次郎衛門は呟く。
「エディフェルを奪った奴らを……これで……」

 その夜、火の粉が夜空に舞った。

 次郎衛門が『羅刹』を携え、エルクゥ達を襲撃したのだ。
 エルクゥと同じ力を持つ次郎衛門に『羅刹』の力が加わり、彼らは次々と倒され
ていった。
 リネットは、その有様を呆然と眺めていた。
 こんなはずではなかった。
 エルクゥと対等の力を人間が有すれば、彼らも共存を考えるかもしれない。
 そう考えて、リネットが独断で行ったことだった。
 しかし、それが裏目に出た。
 まさか、次郎衛門が自分たちを滅ぼしに来るとは。
「姉様……」
 リネットの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 母なる星、真なるレザムよ。
 願わくば、ここで滅び行く我等にさらなる暗き海の旅を……

 リネットは、舞い始めた。
 姉たちを想いながら、真なるレザムを想いながら。
 閉じた目から、涙を流しながら。
 一心に、舞い続けた。
 姉たちから教わった舞を。
 姉たちから教わった、神楽舞を……

 その様子を、次郎衛門はぼんやりと眺めていた。
 美しい……
 そう思った瞬間、次郎衛門の心に得も言われぬ後悔の念がわき起こる。
 この美しさは、悲しみの心。
 この優雅さは、嘆きの心。
 その原因を作ったのは、自分。
 エディフェルの復讐と信じ、ここに乗り込んできた、自分。
 次郎衛門は、一心に舞い続けるリネットから、視線を上に向ける。
 満月が、炎に映えて赤く見える。
 次郎衛門には、それがリネットの流す心の血に見えた。
 赤い月を見上げ、次郎衛門は誓った。

 この命ある限り、あの娘に償おう。
 今日の悲しみを覆い隠すほどの喜びを、あの娘に与えてやろう……

                              <完>