涙 終わる時 投稿者:Hi-wait

 一体、自分はなんのために生まれてきたのか。
 そんなことを思うようになったのは、いつ頃からだろうか。
 彼女の名は、瑠華。姓は、月島。
 母の名は、瑠璃子。父の名は……
「瑠華ちゃん」
 自分が育った、施設の人間だ。
「また、一人で考え事?」
「はい。ちょっと、両親のことを」
 それを聞いたとたん、その中年の女性の表情が曇る。
 15年前。
 一人の女子高校生が、植物人間になりながらも出産した、一人の女の子。
 それが、瑠香だった。
 その時、母親の名が「月島瑠璃子」であることはすぐに分かったのだが、父親の
ことは、どうしても分からなかった。
「瑠華ちゃん。あなたの両親は……」
「分かっています。ただ、何となく考えてただけですから」
 そうして、彼女は自嘲的に笑った。

 生まれたときから、瑠香は一人だった。
 共にあるべき母親はなく、父親は誰かも分からない。
 全くの他人の中で育った瑠香は、これと言った友達もなく、いつも一人でいるよ
うになった。
 それを見た同級生は、「月島さんは一人でいるのが好きだから」と言って、ます
ます瑠香から離れていく。
 悪循環だった。
 彼女とて、何も好きこのんで一人でいるわけではない。
 ただ、人付き合いの仕方を知らないのだ。
 しかも、彼女の生い立ちをからかう者も現れる。
 瑠香は、一種の人間不信に陥った。
 自分は、なんのために生まれてきたのだろう。
 そんなことを考え始めたのは、その頃だったかもしれない。
 しかし、それが「自分は何者なのだろう」に変わったのは、つい最近のことだった。

 その日、瑠香は学校の帰りに本屋で立ち読みをしていて、すっかり遅くなってし
まった。
 既に日も暮れた道を、小走りに帰っていく。
 どんっ。
 誰かにぶつかって、思わず尻餅をつく。
「あ、あの、ごめんなさ……」
 瑠香は、そこで言葉を失った。
 彼女がぶつかった相手。それは、柄の悪そうな、二人の少年だった。
「オイ、ぶつかっといて、それだけって事はねーよな?」
「それなりに、詫び入れてもらうぜ」
 普通ならば、この程度で怯えたりはしないかもしれない。
 しかし、瑠香は同年代の者と会話を交わすことが極度に少なく、それ故にこの少
年達の態度が未知のものに思えたのだった。
「あ、あの……」
 おろおろする瑠香に、彼らは近寄ってきて、
「ちょっと来いや!」
 と言って腕をつかんだ。
「い……いやああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 その時、瑠香の中で何かがはじけた。
 おそるおそる目を開く。
 その時目に入った者は、自分の回りの紫電の瞬きと、苦悶する少年達だった。
 少年達は、しばらく痙攣して、ぱったりと動きを止める。
 目が死んでいた。
(母さんと……同じ……?)
 そう。彼らの目は、前に病院であった、瑠璃子の目と全く同じだった。
 いや、瑠璃子だけではない。
 15年前にあったという、集団精神異常……その被害者達と、同じ目をしていた。
(母さんをあんなにしたのは、この力……?)
 ほとんど思考能力のなくなった頭で、ぼんやりとそれだけを認識する。
 そして瑠香は、のろのろと鞄を拾い、施設へと帰っていった……

 それからだった。
 自分が使うことの出来る、異常な力。
 その存在に戸惑い、迷い、そして瑠香は心を閉ざしていった。
 前以上に他人と触れあうことを恐れ、そして離れていった。
 別に、寂しくはない。
 私は、普通じゃないもの。
 普通じゃないから、他の人と一緒にいちゃ駄目なんだ。
 普通じゃないから……

 あのとき以来、例の紫電の瞬きが見えたことはない。
 しかし、「自分は何者か」という問の答えも見えてこなかった。
 やっぱり、答えを知りたい。
 誰か、教えて。
 私は一体、なんなの?
 その時だった。
 瑠香の回りに、紫電の瞬きが集い始めた。
 あのときと同じだ。
 瑠香は、想いをその瞬きに乗せる。
 私は一体、なんなの?
 誰か、教えて……
<教えてあげようか?>
 突然だった。
 瑠香の心に直接、その声が響いてきたのだ。
「……誰?」
 声に出して、問いかける。
<僕は、長瀬祐介。一応、君の父親になるのかな……>
「とうさん……?」
<ああ、声は出さなくてもいい。君の言いたいことを、電波に乗せて飛ばしてく
れ>
 瑠香は、頭が混乱してきた。
 とうさん? 電波?
 この人は、一体何が言いたいのだろう?
 不思議なことに、瑠香は一人の人間が自分の心に直接語りかけてくる状況を、不
審に思ってはいないのだった。
<電波というのは、君が今使っている力のことだよ。君が電波で話しかけてきたか
ら、僕も答えることが出来た>
(どうして? どうして今まで、何も言わなかったんですか?)
<……僕は、取り返しのつかないことをしてしまったから>
(取り返しのつかないこと?)
<君の母親……瑠璃子さんの心を、消してしまった……>
 その声は、苦渋と後悔に満ちたものだった。
(とうさんが……かあさんを……?)
<そう。自分も巻き込んで、破壊しようとしたんだ。けど、僕は残った。その時、
僕は怖くなった。だから、自分の心を、凍り付かせたんだ。電波を使ってね>
(電波? 電波って、なんなんですか?)
<はっきり言って、僕にもよく分からない。けど、今から思うに、この力は、人と
人とを繋ぐ力だと思う>
(………………)
<この力は、人の精神を丸裸にする。そして、そこに自分の想いを割り込ませる。
その想い次第で、電波は武器にもなるし、コミュニケーションの手段にもなる>
 父親と名乗った祐介は、淡々と語り続けた。
<君には、僕と同じ道を進んで欲しくない。電波の力を、暴走させないでくれ>
(分かりました……)
 嘘だ。
 自分は、こんなに聞き分けが良くない。
 この人は、多分本当に、私の父さんなんだろう。
 なら、すぐにでも父さんの所に行きたい。
 行って、一緒にいたい。
<僕たちはいつでも、君と一緒にいるよ……>

 それきりだった。
 いくら呼びかけても、祐介は答えてこなかった。
 しかし、その最後の言葉は、瑠香の心に深く根付いた。
(父さんと母さんは、いつも私と一緒にいる……)
 そのことを、噛み締める。
 これからは、自分について悩むこともなくなるだろう。
 そして、友達を作ることもできるかもしれない。
 これからなんだから。全ては。

                           <完>