シュガーベイブ 投稿者:Fool
 嗚呼…アツアツの餃子で一杯やりたひ…。ホクホクのお好み焼きで一杯やりたひ…。ジ
ュウシュウの焼肉で一杯やりたひ…。グツグツのキムチ鍋で一杯やりたひ…。
 はふぅ…お腹空いたにょ〜。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 茜色に染まりかけた空の下、商店街は様々な人で賑わっていた。
 夕飯のメニューを考えながら八百屋を覗く主婦――。
 その彼女らに、みずみずしい野菜達を薦める店主――。
 駄菓子屋から騒ぎながら飛び出してくる子供や、昨日見たドラマの話に花を咲かせる女
子高生達――。
 混沌とした活気をはらむ風が俺の横を通り過ぎていく。
 俺はこの時間帯が好きだ。この雑踏に身を委ねていると不思議と心が安らぐ。
 俺の名は橋本。近所の高校に通う高校三年生だ。

「…で、俺思いますに『真・ゲッ○ーロボ』の新OPは旧OP並に熱いんスけど、本編が
それに負けてるんじゃないかって…」
「ああ…」
「第一部…あ、つまり、旧OPの頃なんスけど、あの頃に比べて作品の雰囲気が変わって
る気がするんス」
「ああ…」
「こう、なんつうか、緊迫感みたいなのが薄れてきている気が…」
 さっきから、俺の脇で『濃い』批評をかましているのは、一年下の後輩、矢島だ。
 俺を兄貴と慕ってくれる愛(う)い奴だ。
 放課後、俺達二人は高校の側にある商店街に遊びに来ていた。

「…ん?」
 矢島の話に適当な相槌を打っていた俺だったが、ふと、鼻先を掠める甘い匂いに足を止
めた。
「兄貴?」
 矢島が不思議そうな顔で俺の顔を覗き込む。
「ん、あ、いや、何でもない」
 と、矢島の視線をかわしながら、俺はその匂いの出所を探った。

 それは、すぐに判った。
 俺達の立っている場所から、距離にして数メートルも離れていない所に、小さなパステ
ルカラーの屋台が出ており、小学生と見間違えるような幼い姿をしたメイドロボの少女が
慣れない手つきで何か作業をしていた。
 匂いの出所はそこだった。
「いらっしゃいませぇ〜、クレープはいかがですかぁ〜」
 小さな屋台から吹いた風が、甘い匂いと共にモンブランにガムシロップをかけたような
声を運んできた。

 …クレープ?
 クレープって言うと、あのクレープか!?
 卵と小麦粉を混ぜた生地を薄く伸ばして焼き、様々な具を巻いて食べるアレか!?
 一時期、女の子必須の買い食いフードだったヤツか!?


 喰いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!。


 俺は三度のメシよりクレープが好きだ。…つうか、クレープでドンブリ三杯はイケる。
 当然、そんな事したら胸焼けするが、ま、物の例えってヤツだ。
 つまり、俺はそれだけクレープが好きって事さ。

 一口にクレープと言っても様々な種類がある。
 その中でも、特に俺が好きなのが『チョコバナナクレープ』。
 生地の中にバナナとチョコと生クリームが入っている、ある意味クレープ屋のメジャー
なメニューだが、全ては『基本こそが奥義』。
 上手いんだって、コレがまた。

「美味しいクレープですぅ〜。甘いですぅ〜」
 屋台の方から聞こえる声が俺の脳を刺激する。
 ぐう、と腹が鳴った。
(喰らえ! 思う存分喰らい尽くせ!)
(ほぅら、思い出せよ、あの歯ごたえ、あの舌触り、あの喉越し…へへっ、たまんねぇぜ)
 胃袋の辺りからする内なる声に従い、俺の足はクレープ屋へ向かって動き出そうとして
いた。
 既に欲望は理性の檻を打ち破っていた。その時の俺は例えるなら、甘き狩人。そう、ク
レープキャプターはしもと! 略してCCはしもと! …ってクレープの頭文字って『C』
だっけか?
 ふ、まあそんな事はどうでもいい。今はただ、己が嗜好と食欲を満たすだけだ。
 いざ、クレープ屋へっ!!

 と、欲望のままに屋台へ向かって一歩足を踏み出したその時、
「兄貴?」
 矢島の声が澄んだ冬風のように俺の耳に入ってきた。
 …っ!!
 刹那、俺の中でギラギラと鈍く光っていた物が、急速に冷え固まっていった。
 波が引くように欲望が去っていき、同時に理性が頭の中に戻ってくる。
 お、俺は重大な事を見落としていた。
 矢島だ。
 コイツは俺を兄貴と慕ってくれている。
 その兄貴が、事も有ろうに婦女子の食べ物であるクレープなどを買ったらどう思うだろ
うか?
 それも自分の目の前で、さも上手そうに貪り食ったらどんな顔をするだろうか?。

					☆★☆

「兄貴っ!! 見損なったぜ!! 兄貴は硬派だと思っていたのにぃぃぃぃぃっ!!」
「違うっ! 違うんだ矢島! これには訳がっ!!」
「へっ、これからはもうアンタのことは兄貴とは呼ばない…アバヨ」
「待てっ! 待ってくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

					☆★☆

「兄貴?」
 そして、翌日学校では女子に「やだぁ〜! 橋本君ってばクレープとか食べるなんて〜」
とか、「え〜、硬派だと思ってたのにぃ〜。幻滅ぅ〜」とか後ろ指刺されるんだ。
「兄貴っ!」
 嗚呼っ、俺が今まで築き上げてきたイメージが音を立てて崩れていく…。
「兄貴ってばっ!!」
「え? あ、ああ…」
 矢島に強く呼ばれて俺は我に返った。
 やべぇやべぇ、どうやら向こうの世界へ行っちまっていたみたいだ。
「ふ、何でもねぇよ」
 そう言って、俺は矢島の頭に軽く手を置いた。
「…あ、兄貴」
 ぽっ、と頬を朱に染めてはにかむ矢島。
 ちくしょう! 可愛いじゃねぇか!
 …やっぱ、コイツだけには嫌われたくねぇな…。
 クレープの事は残念だが、今回は諦めよう…。

「行こうぜ、矢島」
「は、はい…」
 決心が揺らぐ前に、俺は矢島を促してその場から離れようとした。
 が、
「ほっぺたが落ちる程に甘いですぅ〜」
 そんな俺の心など知る由もない、クレープ屋のメイドロボが大きな声で道行く人に呼び
掛けている。

 ぬぐぁ〜! やっぱ喰いてぇ〜!

 再び沸き上がる食欲。

 いや、落ち着け俺! 今ここで、一時の欲望を満たす為の代償はでかすぎるぞ。

 理性と本能が頭の中で火花を散らす。

「あまあまですぅ〜。とろとろですぅ〜」
 甘い声が本能に加勢する。
 ゴクリ、と嫌に大きな音を立てて喉が鳴った。

(ほらほら、我慢する事なんて何もないんだぜ…。日本の憲法でも『男子、クレープを食
すべからず』とは書いてないからな…)

(駄目だ! ここで誘惑に負けてしまったら、俺は全てを無くしてしまうぞ! いいのか?
目の前の可愛い後輩を失っても? いいのか? 学校で後ろ指刺されても?)

(喰えよ、喰っちまえよ…)

(喰うな、喰ったら負けだ!)

(喰え…)

(喰うな!)

(くえ…)

(くうな!)

(クエ…)

(クウナ!)


 ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
 俺はっ! 俺は、どうしたらいいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!


「兄貴?」
 自分に『行こう』と言いながら、一向に足の動かない俺を見て、矢島は訝しげに首を傾
げる。
「ん? あ、いや…何でもない…何でもないんだ…」
 平静を装って矢島に笑いかける俺。でも、きっとぎこちない笑みになってるだろう。口
の端が引きつっているのを感じる。
「…変な兄貴」
「ははは、さ、さぁ今度こそ行こうぜ」
 なんとか、本能を抑え込み、俺は矢島の背を押しながらいそいそと、その場から立ち去
ろうとした。

「クレープですぅ〜 美味しいですぅ〜」
 そして、またしても俺の心を挫く甘い声。
「ほえ? クレープ?」
 しかし、今回、その声に反応したのは矢島だった。
「マジっスか? 俺、クレープってめちゃくちゃ好きなんス!」
 え? そうなの?
 なぁんだ、矢島もか…。はは、悩む必要なんて無かったんだ。
「あ、俺ちょっと買ってくるっス!」
 そう言って、屋台に向かって駆けて行く矢島。
 あ、俺のも頼むぜ。
「おい! 矢島!」
 俺の声に矢島は一度立ち止まり、
「兄貴は何がいいっスか?」
 と訊いてきた。
 俺か? 俺は勿論『チョコバナナ』よ。
 …と俺が言うよりも早く、矢島は「あっ」と何かを思いだした顔になったかと思うと、
邪気のない笑みを浮かべて舌をチロっと覗かせた。
「…そうか、兄貴は硬派だからあんな甘い物は食べないっスよね」
 そう自分で納得して、屋台へ走っていく矢島。

 いや、違う! 違うんだ! 俺も喰いたいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!

 矢島の後を追いかけて行きたかったが、アイツの『硬派』って一言が俺の足に鎖となっ
て絡み付く。

 おろろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……。

 俺は心の中で号泣していた。


「う゛めぇ! う゛めぇっスよ!」
「……」
「やっぱ、クレープは『チョコバナナ』が最高っスよね!」

 数分後、口の周りを黒と白で汚しながら、矢島は俺の目の前で、さも旨そうにクレープ
を貪り食っていた。

「くぁ〜っ! たまんねぇっス!」
「……矢島」
「はい?」
「……いや、何でもない…」

 吹き荒ぶ無情の風は、冷水の様に俺の心に染みた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ありがちやね…。
 誰かとネタが被ってたらゴメンナサイ…。