おはよう…瑞穂 投稿者:Fool


 そこは四畳半位の小さな病室だった。
 窓際にベッドが一つと面会人用の椅子が一つ、それと花瓶の乗ってない花瓶立てが一つ
あるだけの殺風景な部屋。
 それが太田香奈子の病室だった。
 彼女はベッドの上で静かな寝息を立てていた。
  
 かちゃり、と入り口のドアが開いて、学生鞄を持った制服姿の少女が病室の中に入って
きた。
 太田香奈子の親友、藍原瑞穂である。
「香奈子ちゃん、今日も来たよ」
 瑞穂はドアを閉めると、ベッドの側にある椅子に座った。
 鞄を自分の座っている椅子に立てかけるようにして置き、瑞穂はベッドで眠っている香
奈子の顔を覗き込んだ。
 頬に刻まれた爪痕が痛々しい。だが、とても安らかな寝顔だった。

 精神に異常をきたした太田香奈子が入院してから半年が経った。
 医師達は様々な治療法を試みたが、そのどれもが彼女の病状を回復させるまでには至ら
ないまま今日に至っている。
 この病室も、入院当初は何人かの同級生が見舞いに来ていたが、今では瑞穂が来るだけ
で、香奈子の両親すら訪れることもない。
 
「そうそう、今日学校でね…」
 瑞穂は毎日放課後になると、この病室に訪れて香奈子に話しかけていた。
 学校の事、友達の事、自分の事…。
 だが、香奈子が瑞穂との会話に応じることはない。
「…って言うのよ、全くおかしいよね」
 話しながら瑞穂はクスクス笑うが、笑っているのが自分だけだと気付き、ふっ、と表情
が翳る。
 瑞穂の目に涙が溢れてくる。
「ううっ、ううううっ…」
 口を押さえながら、声を押し殺して瑞穂は泣いた。

「それじゃ、帰るね…。明日は日曜だから、朝からくるね」
 窓から差し込む西日が部屋を朱に染める頃、瑞穂は香奈子に別れを告げて、病室を後にし
た。
 ドアを閉める前に一度ベッドの方を振り返ったが、香奈子は相変わらずベッドに寝たまま
で動く気配はなかった。
 再び瑞穂の瞳が悲しみに潤む。

 がっちゃん…。

 瑞穂は涙を拭うと、病室のドアを閉めた。


 深夜、草木も夢を見ている時間に、太田香奈子の病室に訪れる人影があった。
 月光が照らしたその人物は、香奈子の同級生長瀬祐介だった。
 祐介はベッドに寝ている香奈子を見た。彼のその瞳にはある決意が浮かんでいた。
「太田さん…待ってて、今起こしてあげるよ…」
 目を閉じ、電波を集め始める祐介。光の粒子が自分に集まっていくのを感じてた。
 やがて、ある程度の電波が集まると自分の意識を電波に乗せ、祐介は香奈子に向かって、
それを放った。

 ちりちりちり…。
 
 香奈子の心の中が、映像として祐介の脳裏に映し出される。
 薄暗い空間の中に、五体をバラバラにされ、まるで壊れたマネキンのように転がっている太
田香奈子が見えた。
「うぐっ…」
 込み上がってくる嘔吐感を必死でこらえる祐介。

 ちりちりちり…。

 頭を数回横に振って気を取り直すと、祐介は慎重に電波を調節し、まず香奈子と自分の精神
的接点を電波で固定する。
 その後、同じく電波を使って香奈子の右手と右腕をくっつけ、接合部分を電波で溶接してい
く。

 びくっ!

 溶接が完了すると同時に、ベッドで寝ている香奈子の右手が動いた。
「よしっ! 成功だ…」
 電波によって破壊された精神ならば、電波によって修復も可能なのではないか?
 これが祐介の考えだった。
 自分の考えが正しかったことに安堵の息を付く祐介だったが、同時に物凄い疲労感を感じ
ていた。
 香奈子との精神接合面の安定、バラバラになった体の組立と溶接。
 一人で同時に三つの作業を行わなくてはいけない。祐介にかかる負担は大きい。
 バランスを失い後ろに倒れ込む祐介。
 その時、背後から誰かが彼を支えた。
「危ない危ない…」
 くすくすと童女の様な笑い声。振り返る祐介の目に映ったのは、
「瑠璃子さん…」
 己に眠る電波の力を解放してくれた少女だった。
「一人で何でもやろうとするのは、長瀬ちゃんの悪い癖だよ…」
「そうだよ、長瀬君…彼女、太田さんの事はキミだけの問題ではないんだから…」
 優しい笑みを浮かべる瑠璃子の背後から、もう一人現れた。瑠璃子の兄、月島拓也である。
「月島さんも…どうして?」
 突然の、予想もしなかった来訪者に、ただただ驚く祐介。
 そんな祐介の心を読み取ってか、
「長瀬ちゃんと一緒だよ…」
 瑠璃子はくすりと笑った。
「さあ、彼女を起こそう…」
 ぽん、と拓也が祐介の肩を叩く。
「月島さん…瑠璃子さん…」
 祐介は自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。
 今の祐介にとって二人が来てくれたのは何よりも心強かった。

 三人は香奈子の寝ているベッドに並んで立つと、それぞれ電波を集め始めた。電波の粒が
まるで蛍の如く三人に集まっていく。
「瑠璃子さんは太田さんの心の扉を安定させて」
 こくりと頷く瑠璃子。
「僕がバラバラになった太田さんの体をくっつけますから、月島さんが接合面を溶接して下
さい」
「解った…」
「じゃあ…いきます」

 ちりちりちりちりちりちりちりちりちり…

 まず瑠璃子が電波を放った。香奈子の心の扉を開き、その扉が閉じないように固定する。
 次に祐介が電波を使い、香奈子の右腕と右肩をくっつける。
 そして、最後に拓也の電波が、右腕と右肩の接合面を溶接していく。

 びくっ!

 香奈子の右腕が跳ねた。
 続いて、同じように右足、左足、左腕を体にくっつけていく。
 精神世界の香奈子は徐々に元の姿に戻りつつあった。


(太田さん…)
「誰?」
 暗い闇の空間の中で、ゆらゆらと漂っていた香奈子は誰かに名前を呼ばれた気がした。
「貴方は誰? 何故私を呼ぶの?」
(君には迷惑をかけたね…。本当にゴメン…)
「貴方は…月島先輩?」
(人として許されないことを僕は君にしてしまった…。謝って済む事じゃないことは解
ってる…。けど!)
「いいんですよ…先輩…。先輩も辛い思いをしていたんだから…」
(太田さん! 僕は! 僕は・・・)
「だから、そんなに思い詰めないで…」
(太田さん…)
「月島先輩…好きです…。今までも…そして、これからも…」
 自分の気持ちを素直に言ったとき、香奈子は自分が暖かな光に包まれていくのを感じた。  


「終わった…」
 拓也の言葉を合図に、三人とも緊張の糸が切れたのか、次々とその場にへたり込んだ。
 三人は肩で息をする程疲れ切っていたが、その表情は晴れ晴れとしていた。
「くすくす…」
「ふふふふ…」
「はははは…」 
 自然と笑みがこぼれてくる。深夜の病室に、三人の笑い声が静かに木霊していく。
 窓から入る月の光が太田香奈子の目尻に浮かんだ涙を、きらりと光らせた。


 翌朝、瑞穂は再び病院を訪れた。
 ドアのノブを回し、昨日と同じように病室に入る。
 昨日と何も変わらない部屋。相変わらずベッドに寝たままの香奈子。花瓶の乗っていな
い花瓶立て。瑞穂以外座る人がいない椅子。
「おはよう、香奈子ちゃん…今日はとってもイイ天気だよ…」
 瑞穂は一つしかない窓を開けた。心地よい風が小鳥の囀りと共に病室の中に入ってくる。
 両親に手を引かれて病院を後にする小さな女の子が見えた。
 ニコニコ顔の少女と両親。それを見送る医師や看護婦。
 きっと今日が退院日なのだろう。瑞穂は顔が綻んでいくのを感じた。
(いつか…いつかきっと香奈子ちゃんも…)
 その時、
「ふぁぁぁぁぁぁぁ…」
 と香奈子の寝ているベッドから大きな欠伸が聞こえてきた。
 瑞穂の心臓が高鳴った。恐る恐るベッドの方を振り返る。
「う〜〜〜〜〜〜ん…」
 起き上がっていた。太田香奈子がベッドから上体を起こし、大きく伸びをしている。
 昨日までピクリとも動かなかった親友が、今は少し寝ぼけた顔で目を擦っている。
 その事実に、瑞穂の肩が小刻みに震え、瞳が潤んでいく。
「か…かなこ…ちゃん?」
 両手を口に当てて、恐る恐る瑞穂が訊いた。
 香奈子は窓際に立つ親友の姿を見つけると、にっこりと笑った。それは、精神に異常
をきたす前の、太田香奈子が本来持っている笑顔だった。
「おはよう…瑞穂」
 それを見た瞬間、瑞穂は香奈子の胸の中へ飛び込み、そして泣いた。
 香奈子は、そんな瑞穂の頭を優しく撫でてやった。

 よく晴れた休日の朝だった…。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「そういえば太田さん復活作品って見ないな…」
 と思い書いていたら、秋葉凪樹さんが同人誌で書かれてました。
「くっ! 先越された!」(笑)