落ちる? 投稿者:akia 投稿日:10月25日(木)19時23分
「はい?」
オレは目の前の光景に心奪われていた。確か・・・原稿の仕上げをしていて、一息つこう
とコーヒーのおかわりを入れにキッチンへと行ったんだ。そうしたら・・・まるで滝のよ
うに天井から水があふれ出して、辺り一面水びだし・・・それで・・・それで・・・

「うわーっ!」

哀しい性。部屋の電気製品より、衣類や金品より先にオレが持ち出しに入ったのは、書き
かけの原稿であったのである。
〈 〉
大きめのバックを地面に下ろし、画材道具を確認すると、オレはそれを担いで歩き出す。
あのあと幸いというかは知られないが、水は直ぐに止まり、直ぐに大家さんと駆けつけた
水道工事の人が事情を説明し始めた。たまたまこの近くでやっていた工事のせいで、水圧
がぐんぐんと上がり、直管からじかに入っている此処が一番直撃を喰らったらしかった。
そして示談とか保証とかの話をしていたが、まぁそれよりもだ。修理日数は早くても三日
は掛かるらしかった。入稿まで五日。現在修羅場モードのオレはどうすればいいんだ!
「はぁ・・・実際つてを頼るしかないか」
ホテルとか真っ先に考えたが、安いところは満室。高いのは無理。一番の安全パイの大志
は地方イベントに行っていていない。瑞希も考えたが・・・テニスの合宿だそうだ。
「つてと行ってもな・・・この近くなら南さんのいる準備会か・・・・・行ってみるか」
そしてオレは、荷物を担ぎ上げたのであった。

オレは南さんに事情を話すと、何処か寝れて描けるスペースがないか聞いてみた。
「そうですね・・・ちょうど今はこみパ関係の追い込みで場所はとても・・・」
「そうですか」
実際こんな話をしていても、バタバタと人が慌てて走り回っている。やっぱりダメか・・
・。
「あら・・・そう言えば、あすこならどうかしら?」
「え!あるんですか?」
「ええ・・・でも」
「見せて下さい!」
大抵の場所なら我慢出来る。
「そうですか・・・じゃあ付いてきて下さい」
そして、南さんに連れられオレは事務所を出る。途中、南さんは古めかしい鍵の束と懐中
電灯を取ってきた。どうやらかなり使われてないところらしいが・・・この際我慢我慢。
そんなこんなで、どんどんと南さんは階段を使い下へと降りていく。
「・・・」
この建物ってこんなに地下が深かったのか・・・。多分もう五階程降りただろうか。各一
階毎の、鍵付きドアがひどく不気味なモノを感じさせたが、仕方ない仕方ない。
「ハイ、着きましたよ」
そして南さんが電気を点ける。
「はい?」
オレは間の抜けた声を漏らした。見えたのは、遙か先まで続くコンクリむき出しの廊下と
一定間隔で並ぶ鉄製格子付きの、ドアの群である。第一印象・・・牢獄。
「南さん・・・ココって?」
「あら、知りませんでした?昔ここ澤井さんの所の編集部だったって・・・それで、その
時の名残がココなんですよ」
南さんは朗らかに言う。どう見たって刑務所だぞ!・・・ん?
「名残って?」
「え?」
聞き返された内容が実に意外だったのか、南さんは驚きの表情を作る・・・が、それでも
冗談で言った事だろうと思ったのか、とんでもないセリフを続けて言う。
「かんづめですよココ」
「か・ん・づ・め」
語源は色々あるらしいが、普通は家とかホテルに漫画家かを閉じこめ、原稿が上がるまで
社会的生活を送らせないと言う、とんでもない事であった。まさしく・・・地獄。
「和樹さん、どうします?」
ニッコリと南さんが問う。しかし、オレの返事は決まっていた。
「遠慮しときます」
・・・と。
〈 〉
南さんの所を出て、オレは当てもなく歩き出した。日はまだ高いところにあるモノの、場
所が決まらない限り、無きに等しかった。
「とりあえずアーケードでもぶらついて・・・」
オレはふと考える。確か・・・アーケードには綾ちゃんのバイト先があったはずだ。事情
を話せば・・・ひょっとして・・・。
「行ってみるか!」
また、重い荷物を持ち上げ、オレは立ち上がったのである。

「へ〜結構良いところだね」
オレは素直に感想を言う。ココは綾ちゃんの住むアパート。以外とあっさり綾ちゃんはO
Kしてくれて、バイト先からほど近いこの部屋へと案内してくれたのである。
「そうですか?」
「うん、日当たりも良いし、アーケードも近い。結構高いんじゃないの?」
「・・・一ヶ月・・・一万です・・・もう住んで一年います」
「一万?」
なんだそれ!オレは部屋の中を見回す。六畳に四畳半・・・それにキッチンとユニットバ
ス付きで一万?この立地条件なら十万はするぞ!・・・ん、ちょうどバスの隣にドアが見
える。もしかして三室もあるのか!
「さらに部屋があるんだ」
「そこ・・・開かないそうです」
「え?」
見ると、そのドアは壁に半分めり込んでいた・・・じゃなくて、そのドアを開かなくする
ように壁が後付で作られていたのである。欠陥なんだろうか?オレは壁を叩いてみる。す
ると軽い音がした。どう考えても、急いで作った張りぼてである。
「和樹さん・・・私・・・後処理があるので・・・バイト先に戻ります。十分ほどで帰り
ますから・・・待っていて下さい」
「ん、ああ・・・留守番しているから」
「お願いします」
そして、綾ちゃんが出ていく。帰ってくるまでどうしようかな・・・
「!」
気のせいか、今そこの鏡台に誰か写った様な気がする。じっとオレは注視するが、特に何
も写らない。
「疲れているのかな」
と、オレがつぶやいた瞬間!壁にめり込んだドアが狂った様に叩かれる。
「うわっ、なんだ!」
オレは恐怖に駆られつつも、鳴りやまぬドアへと近づく。そして、オレが正面立った瞬間、
ノックは鳴りやんだ。
「となりの人とかかな」
怖々とオレは、ドアの隙間から反対側を覗いてみる。
「ひ」
隙間の反対側から見つめる目と目が合う。そればかりか袖がくいっと引かれた。
「あ、綾ちゃん?」
ゆっくり振り返ると誰もいない。そしてオレがもう一度ドアの方を向いたとき・・・
【でてゆけ】
ぺっとりとした血のようなもので書かれた文字が、ドアに大きく描かれていたのである。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ」
『・・・たす・・・け・・・』
「あ、綾ちゃんか!こ、この部屋?」
慌てて声のする方に戻ると、目の前に足があった。ダメだ・・・見てはいけない・・・け
れど・・・視線が・・・勝手に・・・上へ・・・
「ぴぃぃぃぃぃぃぃ」
オレは慌てて外へと飛び出したその瞬間、
「あの・・・和樹さん?」
正面に綾ちゃんがいた。
「あ、綾ちゃん!この部屋!この部屋!」
オレは部屋の中を指さすが、綾ちゃんはきょとんとした風で、
「何か?」
そう告げてくる。何かって!足が・・・オレはパニックになりつつも、振り返ってみる。
「何も・・・ない?」
気のせい・・・なのか?
「そう言えば・・・私が入るまで・・・この部屋誰も長続きしなかったそうです・・・い
いお部屋なのに」
綾ちゃんはそう微笑む。変わりにオレは頬を引きつらせ、
「あっゴメン。そう言えばオレ用事があったんだ。悪いけど、帰るね」
無理矢理の笑顔でオレは押し切り、綾ちゃん・・・の部屋から逃げ切ったのであった。
〈 〉
「南さんの所も綾ちゃんの所もダメ・・・両方とも、何か大事なモノを捨てないと無理だ
からな・・・そうなると・・・この近所は・・・塚本印刷所・・・千紗ちゃんの所がある
じゃないか!あすこなら広そうだし、大丈夫だ!」
そしてオレは、努めて声を出し、人気の多い所を目指し、鳥肌を押さえつつ、千紗ちゃん
の家を目指したのであった。

「お兄さん、ここで原稿を描きたいんですか?・・・千紗は、構いませんですよ」
「本当?良かった〜」
オレはようやく安住の地を見つけた思いで、へにゃっと崩れた。
「でも、暗いですし・・・うるさいかも知れませんよ?」
「あ、平気平気」
まぁ印刷機が回るぐらいなら我慢だ。
「そうですか・・・じゃ」
いったん奥に消えた千紗ちゃんは、懐中電灯に時計を持ってきて、その上でテキパキとダ
ンボール紙を集めた小屋を造り、
「どうぞですぅ」
オレを中に入れる。わけも判らないままオレが千紗ちゃんを見ていると、千紗ちゃんは印
刷所のカーテンを閉め、戸締まりをし、電気を全て消したのである。あるのはやけに明る
い懐中電灯の明かりだけ・・・かまくらゴッコか?
「千紗ちゃん?」
「一時間もすれば大丈夫ですぅハイ☆」
「は?」
間の抜け声を出した瞬間、ドアがガンガンと叩かれだした。いかん!綾ちゃん家から憑い
てきたか!
「オラーッ!居るのは判ってるんだよ!金出せーっ!」
違う。借金取りだ。オレは千紗ちゃんに視線を向ける。もう慣れたのかは知らないが、平
然と千紗ちゃんは自分の勉強をしていたのである。
「・・・」
飛び交う怒鳴り声に振動。
とてもじゃないが・・・

一時間十八分後。オレは千紗ちゃん礼を言うと、塚本印刷所を後にしたのであった。
〈 〉
「南さんも、綾ちゃんも、千紗ちゃんもダメ・・・一体どうすりゃいいんだ?」
千紗ちゃんの所から少し離れた住宅街。オレはそんな場所で嘆いていた。しかし、これか
らどうするか・・・。
「アレ?確かこの辺に詠美の家があったような・・・」
ちょっと奥まったところから辺りを伺うと、フェンス越しの向こう側に、ちょうど詠美の
姿が見えた・・・が。
「ダメだな・・・ありゃ」
答案用紙らしきモノを掴み、真っ白になっている詠美が見えた。
「そうなると・・・」
空を少し見上げる。否応なしに夕焼けが迫りつつあるのが判る。そしてオレは、財布の中
身を確認し、手近な公衆電話を探しに歩き出したのであった。

夜九時四十五分。
「よう来たな〜和樹、ま〜事情が事情やさかい、遠慮なく泊まっていってええで」
由宇が明るく言ってくれた。あの後由宇の所に電話してみたのだが、返事は軽くOK。そ
ればかりか、次のこみパ迄泊まっていっていいとの事であった。しかも、雑用してくれる
ならタダでいいとの事である。
「本当に助かるよ。あっちこっちつてを頼ったんだけど、みんな都合がつかなくてさ」
とりあえず荷物を下ろし、チラと外を見る。さっきから雲行きが変だが、今のオレには関
係ないな。
「せや、食事まだやろ?用意して待ってたんや、遠慮せ〜へんで食べなあかんで」
「ほんとか!・・・ありがとう」
いや〜苦労した分、人間て救われるんだな。

とりあえずオレは、適当に通された部屋で食事を待つこととなった。とは言え、かなり立
派な部屋である。・・・さすが老舗旅館だな。
「おまちどおさまでしたな」
スッと襖が開き、由宇ではなくて仲居さんが入ってくる。
「あれ?由宇・・・さんは?」
「はい、嬢はんやったら準備」
そこで仲居さんはいったん言葉を区切り、
「お部屋で用事がある言うてましたよ。それと、和樹さんのところへはあとで行く言うて
ました」
そう言い直した。今の間って?ひょっとして・・・原稿描いていて、修羅場モード突入し
ているからとか?確かに・・・人には言えないよな。
「さて、せっかく用意したのやから、暖かいうちに召し上がってな」
そして仲居さんは、テキパキと料理を並べてゆき、適当な時間で下げに戻るから告げ、此
処から出ていった。
「なんか気が引けるけど、せっかくの好意だからな」
そしてオレは料理に手をつける。さすがに老舗であって、よく判らない具材とかもあった
が、味は百点満点である。それにしても・・・何使っているのかな?とか考えつつ、全部
頂いてしまった。
「お食事終わりました?」
そっと仲居さんが中に入ってくる。
「ええ、とても美味しかったです・・・ところでコレ材料は」
「何か雲行きがおかしくなってきたから、和樹さん、露天に行かれるのでしたら、早う行
かれた方がいいですよ」
「え?」
話の腰を折られたが、確かにガラス越しのその雲行きはどんよりとしていて、木々が揺れ
てきている。ちょっとした嵐の前触れかも知れないな。
「それじゃ急いで入ってきちゃいます」
「はい判りました。それと、お荷物はみつ・・・三日月の間に運んでおきますから」
「三日月の間?」
「ええ、本館から一番奥の離れでして・・・本当は他のお部屋を用意したいのですが、あ
いにくお部屋がそこしか空いてないもので」
「いえ、いいんですよ。こちらから頼んだことですし」
「そうですか・・・すみません」
そしてオレは仲居さんに丁重に礼を言うと、露天風呂へと向かったのである。

「なんか・・・火照るな」
露天から上がり、三日月の間へと向かいながら、オレはふらふらとしていた。湯当たりと
かかと思ったが、そんなに長く入っていた訳でもないし、それ以前に他の女子大生らしい
集団とすれ違ったとき、なぜか鼻血が出てしまったりした。何興奮しているんだかオレは
・・・。
「さてここか・・・ん?」
三日月の間の前までやって来たとき、風のせいか、【三日月の間】と書かれたプレートが
半分外れた。
「あらあら、直しとかないと・・・」
よいしょっと背を伸ばし、オレがプレートを直しかけたとき、その下に本当の古風な字体
のプレートが現れ見えた。

【蜜月の間】

「・・・オイ」
そしてオレは全てを理解し、部屋にはいると、帰り支度を整えたのであった。

『なぁ和樹・・・中に入ってもええ?』
『・・・もう・・・寝てもうたんか?だったらウチも』
『・・・なんや、この紙は?[旅に出ます。探さないで下さい・・・和樹]・・・なにー
っ!和樹逃げやった!』
『佐藤はん部屋がものけのからや!アイツは妙に感が鋭いからな、きっと気づいたんや!
全員使ってかまへん、和樹見つけだしや!山狩りや!あんな上玉探したって見つからへん
からな』
そして、由宇が大魔人の如く出てゆくのを確認してから、オレは軒下から顔を出した。
「・・・」
冗談じゃない。ここで既成事実なんか作られるぐらいなら、死ぬ気で逃げてやる。今は漫
画が大事なんだ!オレは決心し、今や嵐となった中を、下界目指して飛び出すのであった。
〈 〉

三日後。

どうやって帰ってきたのか判らなかったが、オレは自分の部屋の中にいた。体には生傷に
無数の打ち身。さらに何か食べた記憶もなかった。けれど、原稿だけは仕上がっていたの
である。人間必死なればどんな状況でも描けるんだなと思いつつ、オレは前からベッドに
突っ伏したのであった。


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