天才 投稿者:akia 投稿日:8月6日(日)18時10分
ここは鶴来屋会長室。

「え、耕一さんこっちに帰れるんですか…そうですね。…はい…判りました。みんなでお
待ちしていますわ」
そして、柏木千鶴は受話器を置いた。一人ぽぅと顔を赤らめさせる千鶴。
「そうだわ、折角耕一さんが帰ってくるのですもの、私がぜひ手料理を」
「バタン」
その後ろで音がする。
「あら?何かしら」
とたとたと音のする方に近寄るが、そこには扉があるだけで、特に変わった様子はない。
「変ね。ドアを閉め忘れてて閉まったのかしら?」
小首を傾げる千鶴であったが、
「そうそう…耕一さんに私の手料理を作ってあげないと」
気を取り直し、そう続けたのであった。

一方。

「梓ちゃんかい。実は大変な話があって…そう耕一君についてなんだけど…」
社長室の足立さんは、頭を抱えるように電話の向こうの梓に向かって話したのであった。
〈 〉
柏木家の台所。
「さて、材料も買い込んだし…耕一さんが来るまで時間もあるから、手の込んだモノを作
ろうかしら…そうビーフストロガロフなんかね」
包丁を危ない持ち方でもてあそびつつ、千鶴は無造作にその包丁を叩きつけた。
『バキッ』
派手な音がして、牛のリブが骨ごと真っ二つになった。
「とりあえずは…ダシでもとって」
つぶやきつつ、巨大な銅鍋にそれを放り込んでゆく。
「そう言えば、TVで野菜のくずを入れると良いとか言っていたわね」
そして、乱切りをしたキャベツやニンジンなどなどを無造作に放り込む。
「あら、味付けしてないわね」
次の瞬間千鶴は、1kgはある塩を投入した。
『ぷるるる…ぷるるる…ぷるるる…』
「電話だわ」
そして、トタトタと千鶴が電話を取ろうと移動したあと、キョロキョロと様子を伺いつつ
入ってくる姿が二つ。
「…何考えてんだ…千鶴姉は」
「あはははは」
梓と初音である。
「ダシだの塩だの…しかも」
梓は言いつつ、鍋の中に沈むそれを引き上げた。
「トウモロコシ」
結ばれた五本もあるトウモロコシである。
「野菜のくず以前の問題だね」
「あはははは」
汗一筋流し、初音は乾いた笑いを浮かべる。
「と、とりあえず。戻ってくる前になんとかしよ?」
「ああ」
そして二人は、まさにテキパキと一切の無駄なく鍋の中身を作り替えていくのであった。

「はい終わりっと」
「さぁそろそろ、足立さん話が終わる頃だよ」
「うん」
そして二人は、音を立てずに勝手口から離れたのである。

「ふぅ…足立さんったら隆山音頭を作らないかななんて、突然なんだから」
ぶつぶつとつぶやきながら千鶴が台所に戻ってくる。
「ん?……あら、いい匂い」
鍋の方に近づき、千鶴は中をのぞき込む。
「…?トウモロコシがないわね?溶けちゃったのかしら」
自己完結しつつ、千鶴はスーパーの袋に入っていたソースの元を取り出す。
「ビーフストロガロフの素に、ビーフシチューの素、ビーフカレーの素、ビーフンにコン
ビーフ、それに十三階段特製の丸秘ビーフ汁の素…これを一つの鍋に入れて」
千鶴はそれを中鍋に放り込み、
「確か、お肉を柔らかくするにはパパイヤが良いって言っていたから」
パパイヤジュースをダバダバと流し込み、一気に強火で煮始める。とたんに漂う異臭だが、
千鶴の居る位置には換気扇があるために漂ってはこなかった。
「あ、あの千鶴姉さん…」
「楓、どうしたの?」
突然声をかけられ千鶴が振り返れば、手にノートを持った楓が立っていた。
「ここの部分が判らないから…教えてほしいの」
「え…」
ちらりと鍋を見、千鶴は大丈夫だと判断したのか、
「ええ」
少し困った風ながらも千鶴は頷き、しょうがないと言う風に千鶴と楓は居間の方に歩いて
いった。

「ぶふっ」
「あああああ」
顔色がすっかり悪くなった梓と初音が、半ば倒れるように勝手口から入ってきた。
「気持ち悪い」
「梓お姉ちゃん…」
「よ、よりによって換気扇の風がモロに当たる所にいたとは」
いっちゃいそうな二人であったが、なんとか堪えつつ、いそいそと処分を始めた。
「それにしても…十三階段って、どんな店なんだか」
「う〜ん…」
「まぁ知らぬが仏って言葉もあるしね。それより、せっかく楓が時間を稼いでいるんだ、
さっさと仕上げちゃお」
「うん」
そして、短時間の内に全てを作り替え、二人は処分したモノを持ってまた勝手口から去っ
たのであった。

「高校の問題で毒物劇物の事なんか出るなんて…私ったら熱くなっちゃったわ」
何やら危険なつぶやきをしつつ、千鶴がまた台所に戻ってくる。
「さて、出来たかしら」
そして中鍋からソースを一すくい。
「ん〜良い匂い…味も申し分ないわ。ああ、私ったら料理の天才かも」
自画自賛し、千鶴は満面の笑みを浮かべる。
「あとは混ぜてコトコト煮るだけね」


そして…


「え!コレ千鶴さんが作ったの?」
驚きの声を上げる耕一。
「はい」
「…凄いよ千鶴さん!これなら百点満点だよ」
「そんな」
顔を赤らめさせ、千鶴が恥ずかしそうに俯く。
それと引き替えに、梓、楓、初音は完全に下を向いたままで黙っている。
「これなら、毎日だって食べたいよ」
「じゃ明日の朝もお作りしますわ」
耕一のセリフに千鶴は喜びの顔を浮かべ、残り三人は頭を抱えたまま、その場に沈んだの
であった。

そして翌朝。


「ぶっ」


柏木耕一は意識を失ったのであった。