朝靄の中 投稿者:akia 投稿日:7月29日(土)11時53分
広い川を前にし、オレは後ろを振り返った。
「と、言うわけで、昨今流行のルアーフィッシングをする事となったわけだけれど…大丈
夫?」
オレの前に、思い思いの装備をする柏木家のレディー達がいた。
「ええ、大丈夫ですわ耕一さん」
何故か、5メートルはあるかと言う長いロッドを片手に、千鶴さんは微笑んでみせる。
「…」
ん〜…何をするつもりなんだろ。そしてオレは視線を変え、梓を見つめた。2メートル程
のロッドに、ちょっとしたベスト姿。多分ワンピース姿の千鶴さんと比べたら、百倍はま
ともなチョイスである。それと…初音ちゃんは所謂セット物のパックを持ち、見慣れた感
じのスカート姿であった。
しかし…楓ちゃんはちょっと…
「楓ちゃん?」
「はい?」
キランと瞳ではなく、偏光グラスを輝かせてこちらを見る。どこぞのメーカー名が入った
キャップに、コテコテのフイッシングベスト。やはりメーカー名が入ったルアーケースを
右手に、左手には大砲のような太いロッドケースを担いでいた。
「耕一さん…わたし、初めてですから教えて下さいね」
楓ちゃんは俯き、恥ずかしげに言う…が、持っているモノを見ると…何も言うまい。
「あ、ああ……さ、さて、みんな基本の投げ方は出来るよね」
引きつり笑顔を浮かべつつ、同意を求めるように問いかければ、みんながこくこくと頷く。
「オレもそんなに詳しいほどじゃないけど、最初は自分が選んだルアーを使うと良いよ。
まずは自由に雰囲気だけでもねって」
『は〜い』
みんなが素直に返事をすると、それぞれ自分のルアーを選び始める。事前に雑誌等を読ん
だせいか、結構みんなは器用に用意し、さっそくキャストを始めた。
「…」
ではでは、ん〜初音ちゃんはいわゆるグラビングバズと言う釣り方だ。ただキャストがう
まくいってないかな。それで、梓は…遠目に見る限りでは、どうやらミノーを使っている
らしい。小刻みに動かしているし、場がスレて無い限りは喰ってくるかな…。で、楓ちゃ
んは…………ジタバグ。水面を動くルアーはまさしくネズミかセミ。やたらマニアックで
レトロなルアーを使う楓ちゃんっていったい何者?
「ふ〜」
落ち着いてと、それで千鶴さんは……………………………はっ!今意識が飛んでいたよう
な…それで、千鶴さんは……タコベイト。一体どこで買って来たんだ!それに5メートル
は超えていそうな長いロッドをブン回し、対岸近くまでソレを飛ばして、狂ったように巻
き続けている。確か、この川にはシイラやGトレバリーはいなかった気がするが…と、と
にかく、一人づつ個別に教えよう。
「まずは初音ちゃんから」
つぶやき、オレは初音ちゃんの脇による。
「キャストは練習の積み重ねだけど、まずはまっすぐに飛ばすように練習しよう」
「うん、判ったよ耕一お兄ちゃん」
そして二三コツを教え、オレは少し離れる。やがて数回キャストを繰り返すと、まっすぐ
飛ぶようになり、一定の距離であれば、障害物の近くにまでキャスト出来るようになって
いた。ん〜飲み込みも上達も早いな、これなら最初の一匹も近いだろう。オレはそう思い
つつ、視線を横へ…ん、今千鶴さんがこっちを見ていたような気がしたが、気のせいかな?
「…ブン!」
そんなオレの前で、千鶴さんは先ほどとは比べモノにならないくらい、鋭く円を描きなが
らキャストしたのである…そう、まっすぐに…。
「あーっ!対岸の車直撃!…でも、きっと廃車ね。土手に止めてあるのですモノ」
たのむ、聞こえるようにつぶやかないでくれ、千鶴さん。オレは聞こえないフリをし、初
音ちゃん側から離れ、梓の方へと向かった。そうそう、何も見ないし聞こえなかった。
「さて梓は…ほう、うまいな」
さすがに運動神経も良いこともあって、狙ったところへ上手に打ち込んでいるが、
「梓、ルアーはもう少し小刻みに動かすとか、リアクションを変えないと魚の方も追って
くれないよ」
ルアーを棒引きに引く梓に、オレはそう声を掛けた。
「え?…ん〜こんな感じ?」
何か適当に引いているな。
「そうじゃないよ。いいか」
そしてオレはキャストし、水中のクランクベイトにアクションをつける。
「?」
「簡単に言えばさ、このルアーのべろみたいな部分が、水底に当たると感触が伝わってく
るんだ。そしたらリールを巻くのを止め、止める間隔をかえて引くを繰り返すんだ。なれ
てくれば、感触だけで何があるかも判るようになるよ」
「う〜ん…やってみる」
そして梓は納得がいかないモノの、その動作を始める。
「…………あっ!判る。判るよ耕一!」
「そんな調子でがんばってみな」
「うん」
それにしても……梓から離れたオレは、またしても何か視線を感じた。多分視線の主は…
『ひゅおん』
どう考えても、バス釣りに来ているときの音ではないモノが響く。
千鶴さんであった。あいもかわらずもの凄いキャストをし、今度は異常なまでのロッドア
クションでタコベイトがこちらを目指して水面を跳ねてくる。まるで飛び魚だ。
「…」
今回もやはりオレは何も見なかった…事にしよう。
さて、楓ちゃんは何処にいるのかな?オレはその場から逃げるように、楓ちゃんを捜しに
芦原の中へと入ってゆく。
「確かこの辺に入っていくのを見かけたんだけどな?」
呟きつつ、辺りを見れば真新しい靴跡がある。随分と奥に入って行くよな楓ちゃん。やが
て足下のぬかるみが酷くなってきた頃、視界の先に、沈船の水面から出ている舳先の上に
立ち、ロッドを振っている楓ちゃんを発見した。さながら一枚の写真のように、鋭く、そ
して美しくキャストを繰り返し、やがて一匹のバスをつり上げた。
「…」
まちがいない、彼女はバサーだ。そしてオレはその場からそっと離れたのであった。

日もすでに真上に来ており、そろそろ休憩でも入れようかなと思ったとき、ふらふらと彷
徨い歩いていた千鶴さんと出会ってしまった。あああああああああ。
「釣れません。耕一さん」
釣れるわけがないだろうに…。あいもかわらずのロッドとルアー。太平洋ならいざ知らず、
こんな川でなんて。
「ち、千鶴さん。オレのロッド貸してあげるからこっちを使うと良いよ」
「え、でも…そんな竿じゃブルーマーリンは釣れませんよ?」
真剣に千鶴さんが言ってきた。ダメだ。千鶴さんがこの間見ていた釣りのテレビ、アレは
どっかのスターが巨大魚を釣るとか言うヤツの影響のまま、用意してきたに違いない。
「大丈夫だよ…ここにはブルーマーリンなんていないから」
オレが疲れたように言えば、
「ええーっ!いないんですか?じゃあ鮫は?Gトレバリーは?ターポンは?ピラルクは?
滝太郎は?」
「いなひよ」
なんで滝太郎まで知っているんだ?
「とにかく、いないから大丈夫だよ。釣れるとしたらブラックバスかブルーギルだから」
「…食べられるんてすか?」
「…」
やはりそうきたか。
「水質が汚れているから、大抵の所は食べられないんだよ」
「そうですか…」
そんな凄く残念そうに言わんでくれ。
「さて、とにかくやってみようよ」
話を振り替え、オレはそう促した。とりあえずは初心者用にラインは太めにし、グラブに
変更する。これなら大抵の根がかりでも助かるだろう。
「では」
いきなり全力でフルオーバーキャストの姿勢に入る。
「違うって!もっと卵を割るぐらいの力で」
「…はい」
納得しない風ながらも、かなり力強く千鶴さんはキャストをした。…いつもそんな力で卵
を割っているのかな千鶴さん。それでもラインは切れることも無く、かなりの距離を飛ば
し、なかなか良いポイントに入る。普通ならボートでもキャストでも狙えないポイント…
ひょっとして。
「あ!何か重たいです」
そんな入れパクだなんて!
「と、とにかく竿を立てて合わせるんだ」
「はい!」
気合い一閃。もの凄い勢いで千鶴さんが竿を立てた。それだけで黒い何かが宙を駆け、オ
レの後ろにソレは飛んで消えていった。どんな力であったのかは知らないが、とにかく3.
40メートルくらいの距離から何かを抜き上げ、あまつさえ後ろにすっとばすとは…。
「あれ?」
「………」
二人そろって後ろを振り返れば、そこは土手。そして遙か向こうには雑木林…その奥は県
道だったと思う。視線をゆっくり巡らせれば、遠目に見える梓もそちらを見てボー然とし
ていた。そして…
「さて、とにかくやってみようよ」
現実逃避。
「はい」

時間は流れたが、千鶴さんの当たりはまったくなかった。途中何回か休憩を進めたが、千
鶴さんは『せめて一匹は釣りたい』との事で、ひたすら竿を振り続けている。
「しかし」
よくやるよな。ぼんやりとその光景を眺め、オレは空を見上げた。見れば既に日も暮れか
かり、夕焼けが広がりつつあった。ちなみに楓ちゃんと初音ちゃんは車の中で寝ている。
朝早かったからな…。視線を横に移せば、コンビニに行っていた梓が歩いてくるのが目に
入った。
「耕一」
「ん?」
ぱたぱたと手を振り、梓がオレのことを呼ぶ。 
「今さ、警察の人と話したんだけど」
影に隠れたオレに、梓がそう言う。
「警察?」
そう言えばさっき上からオレの方を見て、同情そうな笑みを浮かべていた若い警察官がい
たっけ。
「うん。何時間か前に地元の選挙カーがそこの道を通ったんだけど、その時にさ選挙カー
に60センチ近くの大きな魚が放り込まれたんだって」
魚…?オレの脳裏にフラッシュバックするモノがある。違う…ハズだ。そんな事。
「多分対立候補の嫌がらせだとかで、警察が動き出したんだけれど、そんな巨大な魚を…
しかも生きたまま手に入れることなんか普通じゃ無理だろうから、きっと第三者がやった
のじゃないか?って言う話になったの」
巨大…生きたまま…。そしてオレは梓の背越しに見える風景を見つめる。
「それでさ、その魚を釣った人を探していて、たまたまTV撮影に来ていた○なべプロっ
て言う人が重要参考人として捕まったの」
「○なべプロ。あの釣り番組のバサーだろ…」
「そう、釣れた魚ブラックバスなのよ」
ようやく話たい事に行き着いたのか、梓は引きつった顔で言う。
「帰るぞ」
オレは短く言い切り、一気に走り出した。そう…ビギナーズラックなんて絶対ないんだ!

さすがに疲れたのか、オレが終いにして帰ろうと言ったら、少し残念そうながらも片づけ
を始めた。そして片づけが終わった後、オレは慌てるよう車を発進させたのであった。
「…」
高速に入り、なんとか一息ついたオレは、ミラー越しに後ろを見る。寝ている初音ちゃん
に楓ちゃん…眠たげな千鶴さん。オレの隣には顔が引きつったままの梓。
「耕一さん…」
とろんとした風の千鶴さんが声を上げる。
「な、なに?」
思わずビクビクしながら問い返せば、
「…今日は本当にお疲れさまでした…」
優しい声でそう言ってくる。
「あ、ううん。別にコレぐらい大丈夫だよ」
はははと乾いた笑いを浮かべ、オレは軽く返した。…このまま…何事もなく…帰れますよ
うに…。けれど、オレの願いはうち砕かれた。
「…一匹目の大きなブラックバス…何処に飛んで行ったのかしら………」
千鶴さんの何気ないつぶやき。
その後、千鶴さんは微睡みの淵へ…。
そして…オレと梓は、恐怖の淵へ…。
『ぶーっ!』
一瞬の間の後、二人そろって吹き出したのであった。