生か死か 投稿者:akia 投稿日:7月17日(月)18時22分
「キノコ…?」
オレは顔を引きつらせると、掠れたような声を漏らした。
「そうキノコ」
オレの問いに答えるのは梓。オレと同じように、梓も顔を引きつらせたままである。
「キノコ」
さらに呟きを発するのは、目を伏せたままの楓ちゃん。
「…キノコ?」
上すった声で初音ちゃんが言う。ここは柏木家の居間。そして、ただ一人いないのは?
「…」
オレは無言のまま、台の上に置かれた三つの紙を見た。一つは新聞。記事のとあるとこら
が切り取られていた。今ひとつは、ソレと同じ新聞。さっき梓が買ってきたヤツだ。切り
抜かれていた部分には、地方版の記事として【キノコ大豊作】との見出しが周辺の地図と
共に、大々的に書かれていた。そして最後の一つとは置き手紙…
『夕食までには帰ります…千鶴』
で、あった。
「…」
一同が沈黙し、顔を見合わせた。やがて気まずい沈黙の中、
「止めよう」
オレがそう切り出し、一同は深く賛同したのであった。
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〔鬼哭峠:危険につき、事前通達と装備無き者の立ち入りは禁止。半年前に滑落で一人死
亡。
「は、ふー」
その看板を見たオレは、深く…深くため息をついた。車を走らせ一時間ほどの距離にある
峠につき、そこを眺めたせいである。実はココ、よほど実力を持った登山家でないと非常
に危険な尾根道なのである。山肌は長年の風雨にさらされ、脆く突出し、無数に点在する
角張った石は、ほとんどが浮き石であり、ちょっとでも注意を怠れば、そのまま滑って何
十メートルも滑落しかねない。
「耕一…」
ついと手を引っ張るのは、梓である。楓ちゃん、初音ちゃんは下の車に待機して貰ってい
る。行き違いを考慮してのことだが、さすがに連れてこなくて良かったと思う。何せ鬼哭
…鬼も泣くと言う意味なのだから…。
「と、とにかく、下のお店で聞いた情報{紺のワンピースを着た女性を見かけた}+新聞
の切り抜きから察するに、新聞に書かれている豊作の山は、最短距離を通ってゆくココを
使っての行動と思われる。なぜなら、安全側から行くと人も多く、時間も掛かり、とても
夕方には戻れない事から、ほぼ間違いないと思われる…そう言うわけで、行くしかないか」
一歩踏み出したオレだが、ガラッ…と石が泣き、小さな石ころが地獄の底に落ちていくよ
うな光景を見つめ、思わず足を止めた。
「………」
オレと梓は悲愴な顔で見つめ合い、しばしの躊躇のあと、強く頷きあうと、亡者の如く歩
き出したのであった。つまり、落ちても鬼の力でなんとか出来るが、千鶴さんのは出来な
いと言う事である。そんなわけで、オレ達二人はかなり身軽な格好のまま、尾根伝いに歩
き出したのである。まぁ、適度に注意していれば落ちることもないだろう。オレ達は端か
ら見ればかなり身軽に、ひょいひょいと尾根道を歩き進む。回りから見たら異様な光景な
んだろうなと思いつつ、かなり早めに進めば、はるか先の方に人影がチラと見えた。どう
やら休憩を取っているらしい。
「いた」
梓も気づいたらしく、声を上げた。問題はどうやって止めるかである。行きの車の中で、
色々な案が出たものの、結局は二つの案に絞り込まれていたのである。
「一と二…どっちにする?」
「二」
引きつった笑みで、梓は即答してきた。二…それは、オレが奇遇を装って近づき〔こんな
状況で奇遇もないが…〕、重要な話があると〔奇遇のハズなのに重要とは…〕連れだし、
その辺のお店に入って食事をさせてしまおう作戦である。ちなみに、セリフは全部アドリ
ブであり、失敗すると足でも挫いて〔オレだけか…〕千鶴さんの献身的な看病〔拷問だろ
うな…〕を受ける結果となる。
「一は…ないのか?」
「さすがに、みんなで旅に出ますはマズイんじゃない」
二の作戦は、最後だけが違うのである。それぞれがそれぞれのつてで、バラバラに泊まり
に出ると言うモノである。休養とか、知人の不幸とか…なんかの理由でである。オレとし
ては、挫く案より百倍はまともにとれる案ではあるが…。
「でも、二だとオレの体は?」
「大丈夫よ。この間だって駅のエスカレーターから突き落とされても平気だったじゃない
…ね」
何が"ね"だ。結構無責任なこと言うなコイツ。まぁ、裏を返せばそれぐらい必死になる状
況であるからなんだろうな。
「しかたないな…で、どうって近づこうか?」
「…」
梓がニヤリと笑う。絶対にろくでもないことを考えているときの目だ。
「ちょっとまて、梓…な、何考えてる!」
ジリジリと、梓の視線から避けるように、オレは後ずさった。
「わざわざ尾根伝いに行かなくても…最短距離でゆける道があるじゃない」
そして…梓はゆっくりと指さした。オレの真後ろ。なんとなく細い筋みたいに見える、幅
三十センチほどの獣道を、酷く冷めた瞳で見たのであった。

実際にそこは道と呼べる上等なモノではなく、地滑りの跡らしい段差が道らしく見えてい
るらしかった。はるか下の方には、何かの動物の骨が見えていたりする。
「…」
とにかく何も考えないようにオレは進む。暫くすると、さすがにショートカットしただけ
あって、人影の見えていた岩の後ろにまで近づけた。そして、呼吸を整え、
「や、やぁ奇遇だね……」
言いつつ、言葉は尻窄みになる。
「は?」
女性が居た。確かに紺のスーツを着た髪の長い女性が…美人ではある。しかし、柏木千鶴
その人では、天地をひっくり返そうと無理な話であった。お、オレはこんな所に来て、ナ
ンパの真似をしたのか!さ、寒い…寒すぎる……。
「なんですか?」
案の定、女性は冷たい視線を向けてきた。ど、どうするオレっ!
「いや…知り合いの女性に似ていたモノだから…」
ってオレは何を言っている。
「…どんな人です?」
は?思いっきり馬鹿にされると思ったのに、彼女は相好を崩し聞いてきた。
「え、え〜と、いとこの女で…」

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一方。
「はい、梓お姉ちゃん」
買ってきたジュースを渡し、初音は空を見上げた。ここは麓の駐車場であり、あのあと帰
ってきた梓は、二人に合流したのである。
「ん、ありがとう」
小さな声で梓は言う。見れば、車の中に楓が眠っているのが見える。
「そう言えば、恐い話し聞いたよ」
「?」
「さっきのお店でね。登山家みたいな人が見たって」
ふるふると身を震わせる初音に、梓は興味本位から、
「どんな話し?」
そう問いかけた。
「え、えーと…この山に登山の練習に来ていた男の人が行方不明になって、それを聞いた
恋人が彼を捜して山に入り、足を滑らせて…死んじゃったの、それ以来あの山でその女の
人が出て、彼を捜して彷徨い、男の人を見かけると一緒に行こうとするんだって」
「へ〜…ん?」
初音の話しに、梓は何か引っかかるモノ感じた。
「その女の人の特徴って?」
「確か、目の覚めるような紺色のスーツだって聞いたけど?」
「…………………」
梓はふと思い出した。確か二日ほど前、自分でドジッた千鶴がコーヒーをこぼし、紺色の
スーツはクリーニング屋送りになったはずである。それに、なぜスーツなのか?いくら千
鶴が変だからと言って、キノコ取りにスーツ姿でくるであろうか?すると…
「…」
汗一筋流し、梓は笑みを浮かべる。引きつった笑みを。初音も何か感じ取ったらしく、し
ばしの間のあと、
「まさか?」
小さな声で恐る恐る確認する様に問う。
「…」
そして、梓はあさっての方向を向いたまま、力強く頷いたのであった。

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一方。
「で、彼を捜しに山へと入ったわけですか」
背中に背負う、藤島さんという女性にオレは声を掛けた。
「そうなのよ。彼ったら一週間後に挙式だったって言うのに!」
声を上げ元気に声を出す。頼むから背中で暴れないでくれないかな。
「でも無茶ですよ。こんな格好で来るなんて」
「あんたが言う?」
間髪入れずに、藤島さんは返す。確かにその通りか…、どう見ても町中を歩く格好だなコ
レは…。
「それにあなただって、いとこの女探して来たのでしょ?」
「いや、あの…千鶴さんは特別な女だから」
「いいな〜、特別だなんて言い方してもらえて」
話聞いてないなこの女。それに、千鶴さんは本当にと・く・べ・つ・な女なのだが、ま…
それにしても、
「このルートでいいんですか?」
オレはそう声を掛けつつ、緑が随分と多くなった沢沿いの道を進む。
「ええ、この道が最短ルートよ…それにしても、見かけによらず体力あるのね。わたしの
彼も体力あったけど」
「家系なモノで」
ほんとである。
「ふぅん」
そして藤島さんは黙り、しばしの沈黙。
「ね〜。あなたが遭難したら、千鶴さんて言う女、どうするかしら?」
突然、藤島さんはそう切り出してきた。
「そうだね〜…お弁当作って探しに来るんじゃないかな?」
ふと想像し、オレは苦笑した。
「冗談じゃなくて」
「冗談じゃなくてね」
藤島さんの言葉を遮るように、オレはそう告げる。
「本当に千鶴さんならやるだろうね。それでオレのこと探し出して『お腹空いたでしょう?
耕一さんのために手作りお弁当を作ってきたの』とか言って、場違いなお弁当を差し出す
に違いない」
自己完結したオレに、
「恋人なの?」
不思議そうな藤島さんの声が掛かる。
「え?えーと…なんだろう」
よく考えてみるものの、考えがまとまらない。けれど、今の関係を言葉にするなら…
「そう、大事な家族だよ」
「!…いいな〜」
なんとなく涙声で、藤島さんは言い、
「ん、ここでいいわ」
何かに気づいた風に続けた。
「いいのここで?」
「ふ〜…本当は迷っていたわけじゃないんだ」
オレの背からストンと降り、藤島さんは茂みに向かって歩き出した。そんな後ろ姿をつい
てゆくと、
「待っている間さ、迷惑かけるのもなんかなって思ってね」
不思議と追いつけず、藤島さんの声だけが聞こえる。
「…少なくとも、素人登山のオレが無事に降りれたんだもの、迷惑じゃないさ」
そう言うオレの前に視界が開けた。そこは古びた石塔と、真新しい花が置かれた場所。そ
う…確か、駐車場脇にあった所だ。
「そう?」
石塔の裏から声がする。
「本当だよ」
「ありがと、そんな事言われたの初めてよ」
おかしそうに、そして哀しげに彼女の声は響く。
「オレ、ちょっと変わっているから」
「そうかも…千鶴を…大事な家族、大切にしてね」
「もちろん」
「じゃ…」
その声は遠のいていく。しんと静まり返った空間。そしてオレは、胸のポケットに入れて
あったチョコを取り出し、石塔の前に置く。それだけの事。
「行くかな」
呟き、オレは振り返ることなく歩き出したのであった。

〈〈 誰もいなくなった石碑の前 〉〉

しんと静まり返った石塔の裏から、一人の姿が現れた。それは柏木千鶴。
「耕一さん」
つぶやき、千鶴は微笑みを浮かべ、後ろを振り返った。何もいなく、普通の景色…けれど、
千鶴はそちらを見ながら、
「千歳…あの人が私の…私たちの大事な家族よ。信じられないくらい巨大な力を持ち、け
れどそれをも制御する優しさを持つひと」
千鶴の声を聞くような存在は何もない…それでも千鶴は話し続ける。
「私にはあなたを見ることが出来ない。それでも偶然の巡り合わせ…耕一さんはあなたに
会えた…私ではないけれど…私の大事な家族があなたに会えた…」
つぶやく声が少しずつかわってゆく。混じるは微かな嗚咽。
「…泣かないって約束だから…ね。今日はあなたの彼がヒマラヤ登頂に成功した日なんだ
から…あなたの為にってね…私…行くから…またね」
精一杯の笑顔。そして千鶴もまたその場から去ったのである。

〈 〉

「本当に大丈夫だった?」
梓が聞く。ここは柏木家の駐車場。あのあとみんなの所に戻ると、直ぐさま質問責めにあ
い、その度オレは適当に返していた。別に何もなかったのだから、話すこともないし、ま
してや自慢する事ではない。
「だから、大丈夫だって」
「でも、女の人が」
「見間違いだろ、あのあと結局ぐるぐると探し回ったけれど、誰もいなかったし、まして
やそんな話の幽霊が出るなら、なんかなってて当然だろ?」
オレが呆れた様に言えば、さすがに一同は閉口し、神妙な顔で頷いていた。
「さて…」
そんな梓達を後にし、オレは先に屋敷の中へと入る。そして…なんとなく庭の大石の方へ
と向かう。多分…。
「あら、お帰りなさい耕一さん」
そんなオレに声を掛けてきたのは、大石の前にいるのは千鶴さんだった。
「ただいま」
「そう言えば、みんな居なかった様ですけれど、どこにいってらしたのですか?」
ふと人差し指を唇に当て、千鶴さんが小首を傾げる。
「え、あっいや…ね。そう…キノコ、キノコが大豊作とかで、近いし見に行ったんだよ…みんなと」
行った事は事実だから良いだろう。内心汗をかきつつ、オレは表面笑顔で応えた。
「そうですか、ちょうど良かったですわ。買ってきたキノコが足りなかったので、キノコ
ご飯しか出来なかった所なので」
「はひ?」
「さぁさぁ準備、準備」
妙にウキウキとする千鶴さん。しまったぁぁぁぁっ墓穴掘ったぁぁぁぁっっ…。
「耕一さんも手伝って下さいね。今日はみんなでごはんですから」
「…はい」
項垂れるオレ。けれど、
「ありがとう」
『ありがとう』
奇妙な声が耳に響く。二つの重なったかのような声。千鶴さんと…もう一人誰かの声。
「え?」
顔を上げたときには、千鶴さんの姿は遙か先の方。気のせいかな?と思いつつも、現実を
思い出し、
「家族って…楽しいよな〜」
オレはそう呻いたのである。
『…くすくす…』
そんなオレの耳に苦笑が聞こえたのは、気のせいだったであろう…多分。