手の内 投稿者:akia 投稿日:7月2日(日)11時18分
微笑みを浮かべ、彼女はオレの名を呼ぶ。
その体は徐々に冷たくなり、まるで重さまでも失われてゆく錯覚に襲われた。
そう…信じられず、まるで夢のようだ。


夢?


オレには判らない。彼女がいなくなると言う現実が…


彼女?


そう、憎むべき、恨むべき、忌むべき、存在。
しかし、彼女はオレを救ってくれた。
オレを救ってくれた。側にいてくれた。
側にいてくれた。そして、愛してくれた。
こんな目に遭っても…
彼女が言う。それはもう、オレの耳には入らない。
ただ、その滲んだ視界の内に、彼女の姿を写すだけだ。
「だめだ…死ぬな、死ぬな、死なないでくれ…エディ…」
言葉は唐突に消える。鈍い痛みが頭を突き抜けた。

 

もう少しだ。

 

何がもう少しなんだ?

 

もう少しで揺らぐ。

 

揺らぐ?

 

オレを押さえつける檻が開く…もう少しで…

 

なんだ?一体?オレは…何を言っているんだ……

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「耕一さん、どうかしました?」
「?」
突然名前を呼ばれ、オレは我に返った。目の前に、屈み込むように覗いているのは千鶴さ
んだった。
どうやら、お茶を煎れてきてくれたらしい。
「…え、いやちょっと、うとうとしていたみたいだ」
照れ笑いを浮かべ、オレは居間から中庭をのぞき見る。
「そうですか…何かひどく辛そうでしたから」
心配そうに千鶴さんは言い、オレの顔を見つめた。
そんな顔してたのかなオレ?
「そう?別に悪い夢見てたわけじゃないし」
それはホントだ。別に夢なんか見た記憶はない…そう、ない。
「?…そうですか、お茶置いておきますね」
そう言い、千鶴さんは席を立った。そして、ほんの一瞬哀しみの隠った瞳でオレを見た様
な気がした。
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千鶴は居間から出ると、廊下を静かに渡ってゆく。向かう先は廊下の奥…楓の居る部屋。

「…」
千鶴は楓の居る部屋の前まで来ると、一呼吸つき、小さくドアをノックした。
「楓…入るわよ」
そう告げ、千鶴が中に入ると、自分の腕を抱き、静かに俯く楓が居た。そして千鶴は一歩
進み、後ろ手にドアを閉める。
「楓、刻が近づいているわ」
千鶴のその言葉に、楓はピクンと反応した。
「おじさまの様になるのか、それとも」
言い噤み、千鶴は自分の手をじっと見つめる。それを見て、
「千鶴姉さん!まって、お願いだから、もしかしたら」
楓は声を上げ、千鶴の手を掴む。しかし、千鶴はその手を優しくほどき、
「鬼の力を制御出来るかもと?」
そう冷たく言い放ち、感情を殺した瞳で楓を射抜いた。
「おじさまも必死に戦ってらしたわ、でも」
言い続ける千鶴の瞳は冷たい。それは現実を見てきた瞳。傷つき、何も出来ずにいただけ
の自分を知る瞳。だからこそ…
「昔に一度…そして、今。鬼の力は再び耕一さんの心を蝕みだしている。もしも、血の衝
動に駆られ、耕一さんが誰かを殺めようとした時には」
そして、千鶴は言い噤む。それは一つの決心。
「耕一さんは大丈夫」
楓は声をあげる。惑いなどない澄んだ瞳で、
「だいじょうぶ」
再び言葉を紡ぎ楓は微笑む、それは涙を堪える為の笑み。
「記憶は封印。
思い出さなければ、封印は封印のまま。
思い出さなければ、私の………
エディフェルの事を」
そして一筋、銀の雫が楓の頬流れ落ちてゆく。
「楓」
「だから、もう少し待って、わたし、わたし…
耕一さんから離れるから、忘れてもらうから……れるから…」
声を震わせ、楓は顔を伏せる。そんな楓を千鶴はその腕に抱き留め、髪を優しく梳いた。
「…ご…めんなさい、ごめんなさい、こめんなさい…」
そして、堰を切ったかの様に、楓は子供の様に泣きじゃくるのであった。
「…」

――でも楓、あなたが耕一さんを想えば想うほど、心は惹かれ逢うのよ――

目を閉じ、楓を抱いたまま、千鶴は心の中で呟くのであった。



そして…



「最近変な夢を見るんだ…


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