始まり 投稿者:akia 投稿日:6月25日(日)16時13分
 〈 〉
 真夏の黄昏時。
 ポストの中に一通の手紙。
 「ん、誰からだろ?」
 オレは、ピラと表を返して見る。そこには見慣れた文字が書いてあった。
 「梓の字だな」
 呟き、部屋の中に入る。無論誰か居るハズもなく、一瞬、柏木家での日々が頭に浮かん
だが、とにかく部屋の明かりを点けると、どっと腰を降ろした。
 「んで、内容は…と?」
 呟き、オレは梓からの手紙を読む。梓はああ見えても料理は得意だし、成績も優秀、文
字も達筆なのだが…
 「性格がな」
 思わず呟やいてしまった。とにかく続き続き。
 『耕一、元気か?私は元気だ。じゃなくて、あーっ、もう。
 とにかく私も楓達も元気だ。こ、今度』
 ん、なんか字が乱れてきたぞ?
 『今度、東京で地域物産展が開催される事になって、鶴木屋も観光ブースで出展する事
になったんだけれど…ああ…どうしょう』
 何がどうしょうなんだ?
 『千鶴姉さんが出張する事になったんだ』
 へー千鶴さんが、会えるかな。
 『それで、アンタの所に毎日行くって』
 毎日?なにか…異様に嫌な予感がしてきたぞ!そして、オレの耳には聞き慣れた声が響
く。
 「耕一さーん」
 声に構わず、オレは読み続けた。
 『毎日…ごはん作るって』
 「耕一さん?いるのでしょう?」
 『私も直ぐに行くから、がんばって……ね』
 「耕一さんてばっ!」
 次の瞬間、オレ後頭部に何かが激突した。
 そして…
 「はう!」
 オレの意識は闇へと吸い込まれていったのである。
 〈 〉
 某、都内を走るバスの中。

 「梓お姉ちゃん?」
 「何?初音」
 梓の脇で、ちょこんと澄ましていた初音がふと梓に問いかけた。
 「胃薬とかの薬は判るのだけど…」
 視線をずらし、梓の脇にある大きなバッグを見る。よく見れば、イスのクッションがめ
り込む程の重量である事が伺い知れた。
 「鎖はちょっとマズイんじゃない?」
 乾いた笑みで初音が言えば、
 「初音」
 初音の肩を掴み、真剣な顔で梓は言葉を紡ぐ。
 「去年の正月覚えている?」
 「え?んーと…!」
 何かを思い出した初音は、言葉を失った。
 「そう、おせち料理を作らせないと言ったら…千鶴姉、冷蔵庫隠したんだよね」
 額に手を当て、梓はため息一つ。
 「家の営業用冷蔵庫をね………そんな相手に鎖だって心細いよ」
 「んー…」
 さすがに初音も二の句を告げずに、沈黙してしまった。
 「…」
 そんな二人を横目に、楓は一人。キュッと袋に入っている、どう見ても金属バットらし
きモノを握るのであった。
 〈 〉
 「こ…」
 「…耕」
 「ん」
 誰だ?
 「耕一さん、大丈夫ですか?」
 「千鶴さん!」
 声に反応し、オレはがばっと跳ね起きた。
 「ててて」
 なんだ?頭が痛いぞ。
 「大丈夫ですか?」
 「あ、一応大丈夫…あれ、なんで中に居るの?」
 「壊れちゃいました。てへっ」
 てへって…?オレは笑顔で千鶴さんが差し出す、ひしゃげたドアノブを見つめた。どう
見ても、チカラで吹き飛ばされた様な…
 「耕一さん?どうかしました?」
 「いや、なんでもなひ」
 半泣き状態でオレは呻いた。こんな状態でも、千鶴さんに笑顔で語り掛けられたら何も
言えない、自分が可哀想すぎる!
 「そうですか?そうですわ、晩御飯まだでしょう?」
 微笑み、千鶴さんが言う。
 「は?」
 「私、鶴木屋の用事で東京に出て来たのですけれども、耕一さんに会いたくて」
 俯き、少し千鶴さんは恥ずかしげに言う。
 無論、ここまではいい。非常に嬉しい……が。
 「それで、新鮮な材料をたくさん買ってきましたので、今夜はシチューにでもと思って」
 それは全然ひじょうに嬉しくないぃぃぃぃぃ!しかも今は真夏だ!それに、オレにとっ
てはシチューじゃなくて【死中だ!】
 「どうでしょうか?」
 「あ、梓達はどうしたの?」
 とにかく話を変えなくては、このままでは、このままでは…。
 「梓達には学校がありますし、仕事に巻き込む訳にはいきませんから」
 ううっ、千鶴さん優しいなぁ。でも、今のオレにとっては、仇になってるぅぅぅぅっ。
 「さて、耕一さんくつろいでて下さいね。今日から一週間、毎日私が腕を振るってあげ
ますから」
 そう言い、本気の笑顔で、千鶴さんは台所へと消えてゆく。
 「こんな事なら、台所のあるアパートなんて借りるんじゃなかった」
 聞こえない様に呟き、オレの顔は荒れ狂う胃の大逆流と戦うタメ、引きつった笑顔へと
変わったのであった。
 〈 〉
 「あ」
 短い声のあと、
 ―がっしゃーん―
 景気よく音が響き渡った。
 『やめてくれー』とは言えずに、オレは聞こえないふりで、TVに集中しようと努力し
た。
 聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない。
 聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない。
 「あ」
 ―がっしゃーん―
 聞こえる聞こえる聞こえる聞こえるぅぅぅぅぅ…。
 もう嫌だ。心にそう思い、ふと視線を外へと移した時、窓の外の木に上のぼるイヌがい
た。
 「は?」
 正確には、イヌの耳と尻尾を着けた初音ちゃんがいた。
 「は、はつ」
 言いかけたオレに、初音ちゃんは『しー』と言う風に、唇へ指を当てた。
 「何か言いましたか?」
 奥から千鶴さん声が掛かる。
 「は、はつ、ハツが食べたいな…なんてね」
 オレは妙な事を口走ってしまった。ハツって心臓だよな…
 「ハツですか?ちょうどよかった。
 牛さんハツを買ってきたので、入れておきますね」
 「あ、ありがとう」
 うしのはつ!なぜそんなモノ売ってるんだ?と、とにかく、オレは初音ちゃんの方へと
向き直り、窓際へと駆け寄った。
 『ど、どうしたの初音ちゃん?そんな格好で』
 ひそひそと問いかけると、
 『これ、カモフラージュ』
 少しはにかみながら、初音ちゃんは笑った。カモフラージュはともかく、可愛いから詮
索はしないでおこう。
 『ここ、二階だよ、大丈夫なの?』
 『木登り得意だから…それより、まだ?』
 一瞬オレは考え、そして、まだ?の意味を理解した。
 『まだだよ』
 『よかった…でもまだじゃなかったら、話せないか』
 結構初音ちゃんも言うな。
 『それより、みんなも?』
 さり気なく階下ほ見下ろしつつ、オレは問う。
 『梓お姉ちゃんは玄関の方へ回ったよ』
 玄関て、何する気だ?
 『あ』
 何かに気づいた初音ちゃんが、木の後ろへと隠れたが、げっ!尻尾が出てる。
 そこへ、ビールをお盆に乗せた千鶴さんがやってきた。
 「あら話し声がしませんでしたか?」
 そして、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
 「き、気のせいだよ」
 「そうですか?…あら、イヌ?」
 オレの肩越しから尻尾を見つけてしまったらしい。
 「え、ああ…この辺のイヌは木にのぼるんだよ」
 「へー、そうなんですか」
 そして、千鶴さんはなぜかUターンし、台所へと消えてゆく。
 「は?」
 再び現れた千鶴さんの姿を見て、オレは間の抜けた声を上げた。
 「知っています?赤イヌって食べられるらしいって」
 牛刀を(オレは持ってないぞ!)片手に千鶴さんは言い、意気揚々と窓際へ近づいてゆ
く。
 「!」
 びくっと、初音ちゃんの尻尾が反応する。
 「ちょっ、ちょっと千鶴さん!オ、オレ、イヌはちょっと…それに野良じゃないかも知
れないし」
 必死にオレが止めようとすれば、
 「てへっ、冗談ですよ、耕一さん」
 キラリンとした笑顔で、千鶴さんは返す。
 「そ、そうなんだ」
 「それじゃ、あと少し待っていて下さい」
 くるりと回り、牛刀を弄びながら、千鶴さんは奥へと戻ってゆく。
 「…」
 オレはそれを確認すると、慌てて窓際に寄り、初音ちゃんに声を掛けた。
 『もしもし、大丈夫初音ちゃん?』
 『ひっくひっく……怖かったよぅ、耕一お兄ちゃん』
 涙声で初音ちゃんは言う。千鶴さんの冗談は洒落にならないからな。
 『ともあれ、危ないから下へ降りてなさい』
 『うん、判った。でも…もう少ししたら、二人とも行動起こすって言っていたよ』
 『え?』
 二人って…楓ちゃんもか?
 『それじゃ』
 オレが問う前に、初音ちゃんはフワリと下へ降りてゆく。
 「行動って?」
 「なんですか?耕一さん?」
 そこに、鍋を持った千鶴さんが入ってきた。
 「え、いや別…………にい!」
 言いかけたオレの目は、鍋に集中していた。続けて何か言いたかったのだが、言葉は出
てこない。
 そして、千鶴さんは可愛いミントをはめた手で、オレの前に鍋を降ろした。
 「さー、熱い内に」
 続けて、千鶴さんは微笑みを浮かべたままで、オレの前でフタを開けようと手を伸ばし
た。
 「ひ」
 ようやく、オレは一言発した。それが精一杯。
 「はい?」
 「ひっ」
 「大丈夫ですよ、火は止めましたから」
 ちがーうっ!!
 そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。
 そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。そうじゃないんだ。
 そうじゃ…ないんだーっ!!
 でも、オレの口は酸欠の金魚の様にパクパクするだけだ。でも…たのむから千鶴さん、
ソレを開けないでくれ。その、いっつ、でんじゃらす、にゅう、なモノを!
 「はい、どうぞ」
 フタに、とうとう千鶴さんの手が掛かる。その何かの…しっぽが出てるナベブタを…
 「ひーっ」
 その時、明かりが消えた。
 「え?停電」
 千鶴さんの声がする。
 なんで、真っ暗になったんだ?
 「覚悟!」
 あ、梓の声だ。
 「梓!」
 千鶴さんの声だ。
 「いいえ、私は単なる通り魔です」
 「うそおっしゃい!通り魔は通りに出るモノよ!」
 目一杯千鶴さんが力説するが、なんか二人とも会話がズレてる。
 「うっ、とにかく…抜け駆け禁止―っ!」
 「きゃーっ」
 なんか、ドタバタとしてる。
 「観念しな!」
 ジャラと鎖みたいな音がする。
 「こんなモノ!」
 次の瞬間バラバラと、何がが飛び散る音が響いた。
 「うげっ!」
 「あーずーさぁぁぁぁー…」
 千鶴さんの低く、地の底から響く様な声と共に、辺りの温度がぐんと下がった。続けて
近所のイヌ達が一斉に吼え始める。これは、洒落にならんぞ。
 「わ、わたしは…単なる通り魔で」
  気に押されてか、しどろもどろになりながら、梓は言う。
 「そう…通り魔なら、簀巻きにされて、表に転がされても文句言えないわよね」
 くすくすと、千鶴さんは笑った。そして、闇の中何かが光り…
 「うむーっ」
 梓のうめき声が響いた。
 「さよなら…通り魔さん」
 その時、オレの前を誰かが通り過ぎ、『びょぉん』と言う風切り音と共に、
 「ゴスッ」
 そう、鈍い嫌な音がした。
 「な、なんだ?」
 オレが問うと、
 「耕一さん大丈夫ですか?」
 楓ちゃんの声がした。
 「え、楓ちゃん?今の音は一体?」
 「き、気のせいですよ」
 ちょっと、上擦った声で楓ちゃんは言い、細長いモノを後ろに隠す。
 今の………バット?
 「…そう言えば、梓は?」
 「むーむー」
 「なんか、一瞬にして簀巻きにされてしまったみたいですね」
 うめき声のする方に寄った楓ちゃんが声を上げる。
 それにしても、オレの部屋にむしろなんかあったかな?
 そう思った時、
 「耕一お兄ちゃん大丈夫?」
 ばたばたと暗闇の中、初音ちゃんの声がする。
 「大丈夫だよ、初音ちゃん」
 オレがそう返すと、
 「よかった…今電気点けるね」
 安堵の声を上げ、とたたと近づいてきた。

 ああ、これで平穏な日常に戻るんだな…

 しかし…

 電気が点き、

 「あっ!」
 「むーっ!」
 「初音!」

 三人の声が響いた。

 初音ちゃんが梓の体に躓き、宙を舞う。それを助けようと楓ちゃんが手を伸ばし、二人
ともオレの前のテーブルに突っ込む。

 「あ」

 二人分の体重と勢いが重なり、テーブルが跳ね上がった。初音ちゃんと楓ちゃんは頭を
ぶつけ合って仲良く伸び、落ちてきたテーブルの角は、梓の頭を直撃し、あえなく失神し
た。けれどそんな光景を前にしても、

 オレは、呆然としていた。なぜなら…

 テーブルが跳ね上がったせいで、ソレは宙に浮かび、空中で広がった。
 そんな光景を眺めながら、オレは馬鹿げた事を考えていた。

 「毒喰わば鍋までだっけ?」