緑の絆 投稿者:akia 投稿日:6月19日(月)18時47分
 十月。
 見事な秋晴れ。
 陽気も暑くもなく寒くもなく、絶好の行楽日和。
 そして…

 「楓ちゃーん」
 手を振り、オレは大声出す。視線の先には、スパッツ姿の楓ちゃんが、はにかみながら
小さく手を振っている。
 『まもなく二百メートル走が始まります。参加者は指定の…』
 そんなアナウンスが入るが、オレは一切気にもせず、楓ちゃんを視線で追っていた。た
だ、ブルマでないのは残念な事であるが…。
 「耕一さん」
 『まぁいいか、スパッツと言うのも』
 「耕一さん」
 『案外体のラインが出ていて、これはこれで』
 「耕一さん!」
 「はひ」
 グイッと肩を引っ張られ、オレは振り返る。見れば視線の先に千鶴さんが笑っていた。
俗に言う、目だけ笑って無いというヤツだ。
 「今日はみんなで、楓の事応援しに来たのですよね」
 クスクスと口元に笑みだけを張り付け、千鶴さんは問う。
 「そ、そうだ。そうだよね。そうだろうとも…そうそう、応援しないと」
 こくこくと壊れた水飲み鳥の様に、オレは必死に首を降り続けた。
 「でも、もうそろそろお昼ですし」
 千鶴さんの瞳に剣呑とした輝きが光る。そしてね千鶴さんは後ろ手に用意したモノを!
 「耕一お兄ちゃん。もうお昼だよ」
 突然声が掛かった。見れば、ちょっと席を外していた初音ちゃんだ。手には赤色の水筒
とバスケットを持っている……助かった。
 「そうだね」
 オレは愛想良く初音ちゃんの方へと立ち上がりかけたその時、
 「耕一〜、お腹空いたでしょ、今日は腕によりをかけて用意してきたんだから」
 今一人、最後に現れたのは、先に行っててくれと言った梓であった。
 『………………』
 思わず空気が固まる。それぞれがそれぞれのモノを持ち、静かにオレのことを見ていた。
気まずい沈黙。やがて…
 『パーン』
 と、二百メートル走の合図がなった。
 〈 〉
 オレは校舎裏に倒れていた。はっきり言ってココまで来れたのは奇跡であろう。あのあ
とオレは、三人の手作りお弁当を半強制的に食べたのである。そして例に漏れず、千鶴さ
んのサンドイッチを食べた瞬間、意識が遠のき、気がつけばココに倒れていたのである。
 どうやら発作的に水を求めて走り回ったらしいのだが…記憶が無い。
 「…」
 ついでに声も出ない。
 あんな辛いというか痛いというかみたいなモノを食したら、誰だってこうなるだろう。
それにしても、彩りが信号みたいだからと言って、ワサビらしいモノ、マスタードらしき
モノ、一味かもしんないモノの混ざった【たまごサンド】を作るモノだろうか?…なんか、
手足まで痺れてきたような…。
 「大丈夫ですか?」
 聞き慣れた声に視線を動かすと、楓ちゃんともう一人知らない女が立っていた。メガネ
を掛け、ふわっとしたショートカットのよく似合う女だ。年の頃ならオレと同じくらであ
ろうか…?その女がオレの脇に膝を落とした。
 「…たぶん…だいじょうぶ…です」
 オレが何とか声を出すと、
 「大丈夫じゃないみたいですね」
 困った顔をしながらこの女は言う。
 「柏木さん、悪いのですけれど、クラスに戻っていて下さいね。心配なのは判りますけ
れど…そう、もう少ししたら休憩ですからそれまではね」
 優しく告げられた楓ちゃんは、一瞬口ごもるものの、オレの事を心配げに見つめつつ、
 「先生…よろしくお願いします」
 ペコリと頭を下げ、何かを振り払うように走っていくのであった。
 「さて、少しは力が入りますか?」
 先生の問いに、オレは手を差し出した。
 「はい」
 ほほえみ、オレの手を掴む。そしてオレは木陰へと移動したのであった。

 「まぁ見た限りでは、一時的なショック状態で、ノドの方もそれ程酷くないみたいです
ね」
 あれこれと俺のことを診察してくれた結果、そう言う事であった。しかし、オレの体が
人並み以上に丈夫だったから、その程度であったのでは?と考えると、オレは内心冷や汗
を流した。そして、なんとなく先生を見る。確かにキレイと言うよりは、可愛いと言う言
葉がよく似合う女だ。メガネもワンポイントでよく似合っているしね。
 「どうかしました?」
 オレの視線気づいた先生が、声を上げる。
 「あ、いえ……その、ありがとうございました」
 「別に構いませんよ……………それにしても」
 そこで言い噤み、オレの顔をしげしげと眺める。
 「はい?」
 「え…あ、あの柏木さんが慌てふためいて私の所に来たものだから……よほど、彼女に
とって大事な人なんだなと思って」
 「ぶっ」
 オレはせき込み、体を九の字に曲げる。そんな、そんな事真顔で言わないでくれ。
 「あ…え〜と、いとこですから」
 なんとか話を終わらせようと、オレの精一杯の笑顔をつけて話せば、
 「いとこでも結婚は出来ますね」
 さらりとカウンターを返してきた。そ、それはそうだが…まだ彼女は高校生で、若くて
…オレのいとこだけれど…。
 「大事な人なのでしょう?お互い」
 「…」
 だから、そんな笑顔でさらりと言わないでくれ。そしてオレが黙っていると、
 「大事なのは心です。年齢、性別、そして…どんな姿になっても、きっと心は通わすこ
とが出来ますから」
 なんか、重みのあるセリフだな。
 「オレにはよく判りませんが、でも…」
 頭の中に浮かぶのは、もう一人の楓ちゃん。守れなかった、過去の女。だぶらせるわけ
ではない。二人とも過去のオレ、そして今のオレにとって大事な女。螺旋、巡り巡る運命
の輪。なら、今度こそ、絶対にその温もりを手放さない。
 「でも…もったいないから言いません」
 「そうですね。そう軽く口にする言葉ではありませんから」
 なんか、オレ読まれているな…この女に。
 「さて、そろそろ休憩ですね。私は席を外しましょうか」
 「べっ別にそんな事まで」
 「それでは…そう、仕事があると言う事で」
 ペコリと一礼。そして笑顔を浮かべたその顔に勝てるはずもなく、オレはぎこちなく笑
みを返した。
 「はぁ」
 かなわない。そしてオレは一人取り残され、木により掛かった。流れてゆく十月の風。
心地よい雰囲気…

 …
 
 ほほに何か触れる。柔らかな温もり。今も昔も経験した事のある…ぬくもり。
 「ん」
 薄く目を開ける。どうやら眠っていたらしい。そして、ぼんやりする視界には…
 「耕一さん?」
 「ん、ああ…楓ちゃん」
 「起こしてしまいましたか?」
 頬に触れていた手を戻し、少し困った顔をしながら楓ちゃんは言う。
 「ん…いや、大丈夫だよ」
 ふと、空を見上げ、オレは返事を返した。
 「…耕一さん?」
 少し前に身を乗り出し、楓ちゃんが問う。
 「本当に大丈夫だよ」
 呟き、オレは楓ちゃんを抱きしめる。
 「あ」
 短い声。そして、その吸い込まれそうな瞳で、オレの瞳を見つめる。
 「そうだ」
 オレは呟きポケットからそれを取り出した。
 「?」
 きょとんとした風の楓ちゃんに、
 「プレゼントだよ」
 オレは構わず、楓ちゃんの掌にそれを握らせた。
 「……?」
 恐る恐る、自分の左手を広げれば、ボールで遊ぶイルカをモチーフにした小さな指輪が
現れた。ボールの部分は秋の陽を受け、煌びやかな緑色の輝きを放っていた。
 「今はピンキーリングだけどね」
 オレは軽く笑って見せた。
 「…」
 楓ちゃんもオレに笑顔で返そうとするが、何かに耐えかねて俯いてしまう。そして、キ
ラリと一滴、何かが流れた。
 「ありがとう…耕一さん」
 体を震わせ、囁く様な声で楓ちゃんは言う。オレはそんな楓ちゃんをもっと引き寄せる
と、
 「ずっと側に居るよ。いつでも…どんな時でも」
 耳元で囁き、優しく唇を重ねた。
 ぬるい吐息。楓ちゃんはしばらく微睡む様に瞳を閉じていたが、スタートの音が辺りに
響き渡ると、静かに瞳を開いた。
 「私…」
 声を上げかける楓ちゃんを、オレは優しく立たせた。
 「がんばってきて、楓ちゃん」
 そして、髪を優しく梳く。
 「はい」
 すっと顔を拭き、楓ちゃんは微笑む。心から安心した微笑み。そして、楓ちゃんは左小
指にリングをはめ、手を天にかざし、やがて自信の胸へと抱きしめた。
 「応援していて下さいね」
 ひなたのネコの様な微笑みを浮かべると、楓ちゃんは走り出したのであった。
 「がんばってね」
 オレはそう声を掛けつつ、視線を横へ巡らす。そして…
 「あの〜見えてます」
 茂みから覗く顔に声を掛けた。
 「えっ…ばれてました?」
 はにかみつつ出てくるのは、先ほどの先生である。
 「途中からですよ。メガネがキラキラしていたから」
 オレが苦笑混じりに告げれば、先生はほほを指でかきつつ、
 「こころ…通って良かったですね」
 本当に嬉しそうな顔をしながら言う。
 「はい」
 そして、オレは手を見つめる。まだ残る、楓ちゃんの感触。
 「大事なひと……離さないであげて下さいね」
 先生は笑った。そう…哀しい笑い。自分には無理だっだったからと言う自嘲の響き。
 「あなたは……いえ、なんでもないです」
 言いかけ、オレは話すのをやめた。その哀しみの瞳の内、力強い何かを感じたから…。
 「では、楓ちゃんの事頼みますよ、先生」
 ポンと先生の肩を軽くたたき、オレはその場から走り出した。そう、確か楓ちゃんのレ
ースが近づいているハズだから。
 「はい」
 力強い声。オレはチラと後ろを見た。彼女に何があったかは知らない。しかし、これほ
ど優しげに微笑むひとは数少ないであろう…そんな微笑みを見た。昔とは違う。姉妹がい
て、友達がいて、こんな優しい先生もいる。だから…楓ちゃんは幸せになれる。
 「してみせる!」
 そしてオレは、歓声溢れるグラウンドへ……
 『どん』
 と言う音と共に、『きゃ〜』と言う声。その声は千鶴さん。そして目の前に何か落ちて
くる。落ちてくるは何かの個体。声を上げようとしたオレの口へと、ソレは落ちてきた。
 そして…

 「のえ〜っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ」

 オレの意識は、八百メートルリレーをぶっちぎりに走り抜き、走り幅跳びで宙を駈けた
あと、プッツリ途絶えたのであった。