宮内さんのおはなし その四十の十五(反則版) 投稿者:AIAUS 投稿日:1月28日(月)06時18分
細長い貸しビルの四階の一番狭い部屋。
 部屋の窓は隣りの高層ビルに塞がれて、真昼の今でもビルの中は暗いが、その部屋は煌々と
電気がついていた。部屋のドアには「本田探偵事務所」と看板がかかっている。
 シュー、シュー。
 部屋の中から聞こえるのは、コーヒーポットがドリップを終えて蒸気を上げている音。
 そして、それに続くのは誰かがドタドタと走り回る騒がしい足音。
「沸いた、沸いた、コーヒーが沸きましたー! 雄司さん、コーヒーが沸きましたよー!」
 緑色の髪をして耳に白いアンテナをつけた少女が、熱いコーヒーが入ったカップを持って、部屋
の奥にある革張りの椅子に腰掛けている青年、本田雄司へ声をかけた。
「んっ。ありがとうございます、セルチさん」
 本田雄司は吸っていた煙草を灰皿に置くと、読みかけの新聞に再び目を落とす。
「今から持っていきますねー! 今日も御仕事が入っているんですからー!」
 なぜか急いでいる様子の緑色の髪の少女セルチは、熱いコーヒーが入ったカップを持って、雄司
のところへ走っていく。
 ガツッ!
「ひゃああああ!」
 あまり慌てていたものだから、床に置きっぱなしになっている調査書の束につまづいて、セルチは
転んでしまった。
 ヒュルルルルルル〜。
 まるで狙い済ましたような放物線を描きながら、熱いコーヒーが入ったカップは雄司の頭目掛けて
宙を飛んで行く。
 パシ。
「はい。いつも、すいませんね」
 雄司は優雅な手付きでコーヒーカップをキャッチすると、何事もなかったかのように新聞を
読み続けた。
「どういたしまして。さあ、忙しい、忙しい!」
 セルチがバタバタと騒がしく動いて仕事の準備を整えている間に、雄司は今日の依頼に
ついて考えを整理していた。


 事件が起こったのは一週間前。
 場所は、街のある一区画。
 依頼の内容は、探し物。
 探すのは、殺人の疑いがかかっている人物。
 いや、正確には自分の妹を殺したのではないかと依頼者が疑っている人物。
 警察は彼を追ってはいない。
 警察の調べでは、依頼者の妹の死は自殺ということになっている。
 ドアにも窓にも鍵がかけられたマンションの一室での孤独な死。
 方法は服毒自殺。彼女が毎日服用していたカルシウム剤の一つが致死毒であったらしい。

「まあ、今の世の中、毒物など簡単に入手できてしまいますからね」
 問題なのは、動機がないということ。
 警察は若い女性にありがちなノイローゼということで結論づけてしまったが、犠牲者の家族は
そんな理由では納得ができなかった。
「さて、単純な方法だけに特定がしにくい。警察が早く引き上げたのもわかる気がします」
 密室に閉じこもった犠牲者に毒薬を飲ませる。
 不可能な気もするが、実際には簡単なことだ。
 盗聴機が市販される昨今、誰かの部屋に忍び込んで錠剤をすり替えることなど何でもない。
 問題なのは、誰がやったのか、それともやらなかったのか、ということだ。

「出てみますか」
 雄司が気だるそうに椅子から腰を上げると、目の前ですでに外出の準備を完全に整えた
セルチが、出陣はまだか、という様子で彼を待っている。
「行きましょう! 犯人を捕まえますよ!」
「そうだね」
 犯人なんているんだろうか、と思いながら、雄司は外出用の背広に袖を通した。


 犠牲者の女性が住んでいたマンション。
 オートロックなどという洒落たものはなく、部屋の鍵は雄司でも外すことができるような
 簡易なものだった。
「身内とは特定できないということですね」
「でもでも、理由がなかったら、毒殺なんてしませんよ」
「理由ねえ」
 セルチは大家のマスターキーで開けた部屋に入ると、急いで証拠になりそうなものを物色し始めたが、
雄司は動こうとしなかった。
「あ、セルチさん。もう、ここは出ますよ。警察の鑑識の方々があらかた調べてしまった後でしょう
からね。ここにいても進展はないでしょう」
「えー!? でも、まだ調べていないところがたくさんありますよ」
「僕達が調べても調べきれないところまで、鑑識は調べています。その彼らが何も見つけていないの
ですから、僕らには何も見つけられません」
 セルチは不満そうな様子だったが、雄司は彼女のマスターなので、おとなしく言葉に従った。
「まあ、まずは依頼どおり探してみましょうか。被害者の彼氏君とやらを」
 雄司は退屈そうな様子で、被害者の女性の部屋を出て、街へと歩き出した。
 
 その頃。
「ひとつ、一人の姫はじめ〜♪ 右手よ、今年もよろしくな〜♪ ……ギニャー!!」
「人の横で、何て歌を歌っていやがるんだ、てめえは!?」
 HM−12−G−7、通称ヤジマルチは、主人である矢島に公園のベンチで頬っぺたをつねられていた。
「だって、暇なんじゃよ〜。玲奈にデートをキャンセルされたからって、わしと一緒にうら寂しく公園で
鳩にエサをやることはないじゃろ?」
「うるさい。小遣い日前で金もないし、部活も休みなんだから仕方ないだろ」
「機械仕掛けの人形と戯れて、現実の女性には見向きもされない。本来の矢島のポテンシャルが戻って
きたん……ギニャー!!」
 再び矢島にほっぺたをつねられて、ヤジマルチの悲鳴が上がる。
「おまえって奴は、少しはかわいらしいことを言えないのか」
「わしはいるだけで、十分にかわいらしくてラブリーなんじゃよ。第一、矢島の言う、かわいらしいって
どんなですか」
「例えば、あれだっ!」
 矢島が指差したのは、向かいのベンチに座っている小柄な女子高生とボサボサ頭の男子高校生だった。
 かなり大きな声で話しているので、遠くからでも二人の会話が聞こえてくる。

「あはは。こういうのって照れちゃうね」
「なんだよ。おまえらしくもない」
「だって、その……こうして二人っきりでいると照れますっていうか〜」
「照れるガラじゃないだろ」
「あ〜、そういうこと言う? 言う? 自分だって嬉しいくせに〜」

 矢島は腕組みをして納得したようにウンウンとうなずいているが、ヤジマルチはゲンナリとした顔を
している。
「少しはわかったか、マルチ。恥じらいってものがツボなんだ」
「……」
「そう、あれだ。嬉しいんだけど恥ずかしい。そこがポイントなんだよ」
「……ご堪能のところを申し訳ないんじゃが、あれは近所でも有名な男同士カップルですぞ」
 ブッ!
 ヤジマルチの言葉に、矢島が派手に吹き出した。
「だっ、だって、女子の制服を着ているじゃないか」
「本人いわく、「似合うから許される」とのことですが。まあ、わしはヤジマスキーが何に目覚めようとも
かまわんのですけれども」
 青冷めた矢島の表情とは裏腹に、向かいのベンチのカップルは楽しそうに会話をしている。
「……なんてことだ。かわいいのであれば、全てが許されるのか」
「ほら、さっさと行くんじゃよ、ヤジマスキー。お邪魔してしまうじゃろ」
 ヤジマルチに引っ張られて、矢島はよろよろとした足取りで公園を後にした。
 
 
「うぅ。異次元を垣間見たような気がする」
「失礼な奴なんじゃよ。本人同士が幸せなら、何でもいいじゃろ」
 この二人の場合、主人よりもメイドロボの方がよほど良識を心得ているようだ。
「それよりもボンクラスキー。あんたの靴下、全部じゃがいも仕様になっているから、
新しいのを買わないといけないんじゃよ」
「あっ。そうだったな。悪い。それじゃ、あそこのコンビニでも行くか」
「了解じゃよ。そうそう。トンカツも忘れんように」
「また腹壊したいのか、おまえは」
 スッ。
 コンビニの自動ドアは音も無く開いて、矢島とヤジマルチの二人を中へと招き入れた。
 
「はっ、離してくれよぉ」
「おっ、お客さん! 喧嘩は困りますっ!」
 店内に入ると、コンビニの客らしき男性二人が喧嘩をしていた。初老の店長が中に入って止めようと
しているが、屈強な体をしている方の男性がひ弱な体の男性の首下を無言でねじり上げており、
とても止められそうにはなかった。
「ちょっと、ちょっと。こんなところで喧嘩をしてはいかんのじゃよ。やるのなら、地下闘技場にでも
じゃな……」
 それを見かねてヤジマルチが止めに入った。矢島もその後ろに続く。
「……?」
 ヤジマルチの耳に付いている白いアンテナが気になったのか、屈強な体の男性は彼女の方を向く。
 その隙に、ひ弱な体の男性は自分を締め上げていた腕を振り解いた。
「……待てよ」
 屈強な体の男性とひ弱な体の男性を再びつかまえようとしたが、その間に矢島が割って入る。
「事情はわかんないけどさ。店長さんが迷惑しているから、外で話したらどうだ?」
「……邪魔するな」
 ボグッ!
 屈強な体の男性のボディブローが矢島の腹に炸裂する。
「ぐえっ!」
「やっ、ヤジマスキーっ!」
 地面に崩れ落ちる矢島は放っておいて、喧嘩をしていた男性二人は店の外へと飛び出していった。
 
「すまないねえ。大丈夫かい?」
 初老の店長に抱き起こされて、矢島はコンビニの床からヨロヨロと立ち上がった。
「あっ、あの野郎……」
「無理しちゃ駄目なんじゃよ、ヤジマスキー。とにかく、ああいうバイオレンスな輩は放っておいて
じゃな、わしらはゆっくりと靴下選びでもするのがいいんじゃよ」
「……そういうわけにもいかないだろ。あいつ、喧嘩の相手を追っかけていたみたいだしな」
 矢島は口元をぬぐうと、頭を一度だけ強く振り、店の外へと走り出した。
 さすがに部活で鍛えているだけはあって、回復はとても早い。
「君、無茶するんじゃないよ!」
「わしがついていくから大丈夫なんじゃよ。後で買いに行くから、靴下取って置いて欲しいんじゃよ〜」
 初老の店長の心配する声と、矢島の後を追いかけて走るヤジマルチの声が混じる。
 騒がしい追跡が始まった。
 
「さて。ここらへんかな」
 矢島とヤジマスキーが二人を追いかけている頃、雄司は安アパートの前に座り込んでいた。
「なにを呑気に座っているんですか、雄司さん。こうした間にも犯人が犯行を続けているのかも
しれないのに」
「そうだとしても、止めようがないしねえ」
 セルチの言うことを一蹴すると、雄司はポケットから煙草を取り出した。
「う〜」
 焦っているのか、セルチは同じ場所を檻の中の熊のようにうろうろと歩き始めたが、雄司は
泰然としている。
 日も暮れようとした頃、雄司は一人の男性が安アパートへと帰ってくるのを見つけた。

「佐多さん、ですね?」
「……誰だ?」
 いかつい顔で鍛えられた肉体の男性が、雄司をジロリとにらむ。
「牧野さんのことで、お聞きしたいことがあるんですが」
「……知っていることは全て話したはずだ」
 雄司を警察関係の者かと思ったのか、佐多は警戒した様子を隠さない。

「牧野さんを殺した犯人は見つかりましたでしょうか?」

「はあ?」
 セルチが首を傾げる。
 佐多が怪しい、ということで、雄司は依頼を受けたはずだ。
 その容疑者に向かって、「犯人が見つかったのか?」と聞くのは、明らかにおかしい。
「……逃がした。いや、わからん。あいつじゃなかったのかもしれない」
 ボツボツと、佐多は喋る。雄司はそのゆっくりした調子に合わせて、会話を続けた。
 五分ほど佐多と話すと、雄司はその場所から離れた。

「怪しい奴を見つけたのは、あそこのコンビニ。とすると、あの辺かな」
 雄司は何か、わけのわからないことをつぶやいている。                        
「どうなったんですか? 見つかったんですか?」
 勢い込んで聞くセルチに、佐多はうなずく。
「まあ、大丈夫だとは思うよ。多分ね」
 頭の後ろに手を組んで、雄司は呑気に歩いている。
 セルチはすぐにでも駆け出したかったが、主人が何かを知っているのだろうと思って、
ぐっと我慢をした。


 矢島が、先ほど喧嘩をしていた二人のうちのひ弱な体の男性を見つけたのは、それよりも少し前の
ことだった。
「あっ、いた。大丈夫でしたか?」
 ヌメリ。
 そうとしか表現できないような不気味な表情で、ひ弱な体の男性は声をかけてきた矢島を見た。
 ヒュンっ!
「ぎっ、ギニャー! 何か刺さったんじゃよーっ!」
 ひ弱な体の男性の手から飛んできたのは投げナイフだった。咄嗟に矢島の前に立ったヤジマルチの
アンテナに、銀色の刃物が突き立っている。
「なっ、なにするんだ、いきなりっ!」
「ひいいいいっ!」
 情けない悲鳴を上げて、ひ弱な体の男性は逃げ出す。
 ゴンっ!
 その前に立って、男性の頭を一撃したのは、雄司だった。
 
「ほっ、解いてくださいよぉ。僕が何をしたっていうんですか」
 ひ弱な男性は手を縛られて情けない声を上げている。
「人に向かって刃物を投げつけておいて、何を言っていやがるっ!」
 矢島は本気で怒っていた。もう少しずれていたら、投げナイフは自分の大事なパートナーの
顔面に直撃していたからだ。
 ニタリ。
 愛想笑いのつもりなのか、ひ弱な男性は矢島に笑いかけたが、そのあまりの無機質に、
ヤジマルチとセルチは震え上がった。
「なっ、なんか、怖いんじゃよ、こいつ」
「G−7姉さん、警察を呼びましょう、警察」
 セルチの言葉に、雄司はうなずく。
「まあ、呼んだ方がいいんじゃないかなあ」
「まっ、待って下さいよ。当たったのはロボットのアンテナなんだから、いいじゃないですか。
僕はてっきり、さっきの奴が追いかけてきたのかと思って……ひいいい」
 怒りが頂点に達した矢島に首を締め上げられて、ひ弱な男性は情けない悲鳴を上げた。
「いやいや、それだけじゃなくてね。殺人容疑で」

「「「「えっ?」」」」

 その場所にいた人間全員が、一斉に雄司の方を見た。
 雄司は黙って、ポケットからカルシウム剤が入った薬瓶を取り出す。
「うっ!」
 ひよわな男性がうめき声のような音を立てた。
「それって、さっきドラッグストアで買っていた薬ですよね。それがなにか?」
「これって、一粒だけ別の薬が混じっているんだよ。牧野さんを殺した薬がね」
「違う、俺は違う。知らない、そんなことは知らない」
 淡々と話す雄司の言葉に、ひ弱な男性は意外なほどの大声を出した。だが、雄司の言葉は続く。
「棚の一番奥に、一粒だけ毒が入った製品を置いておく。悪戯にしては、随分と手間をかけたものです」
 矢島は、男をつかんでいた手を放した。男の不気味さに、怒りが負けたのだ。
「さて、警察を呼びましょうか」
 程なく、パトカーのサイレンの音が聞こえた。
 

「結局、あいつの動機って何だったんでしょうか?」
 充電ベッドの上に寝る前に、セルチが雄司に質問をした。
「さあ。本人にしかわからないんじゃないかな」
 寝るのをぐずる子を諭すように、雄司はセルチの髪を撫でる。
「雄司さんは、あいつが犯人だって、すぐにわかったんですか?」
「毒薬が置かれていた場所の近くにいた挙動不審者を捕まえただけだよ。あとはブラフさ」
「すぐに犯行を繰り返すって、わかっていたんですか?」
「手間隙をかけた悪戯を諦める。これはなかなかつらいことだよ。さあ、もう眠りなさい。
明日も仕事があるんだから」
「はい。わかりました、マスター」
 充電ベッドの上に横たわったセルチに、すぐに眠りが訪れる。
 明日には、あの事件はニュースになるだろう。
 マスコミにでも詰め掛けてくれば、慌てた雄司の姿が見られるだろうか。
 そう思ったセルチの寝顔は、少しだけ微笑んでいた。
 
----------------------------------------------------------------------------------------------
(おまけ)

 風呂場にて。
「ぎにゃー! シャンプーが、わしの目に侵入してくるんじゃよ。ハットはないんですか、ハットはっ!」
「こら、動くなって!」
 矢島がヤジマルチの髪を洗っている。
 二人での入浴は毎日のことなので、本人達はなんとも思っていないが、彼の友人である藤田が聞いたら、
血の涙を流して羨ましがりそうな後継である。
「まったく。おまえ、精密機械だっていう自覚がないな。頭が砂だらけじゃないか」
「泥団子遊びがいけなかったんじゃろうか」
 矢島はヤジマルチの髪に入り込んだ砂粒を取ろうとして、丹念に髪を洗っている。
「うひっ!」
「十でとおとお……ギニャー!!」
 珍妙な矢島のあえぎ声と悲鳴が上がったのは、それからすぐのことだった。

「歌うな!! 触るな!! もむなー!!」
「月まで届くか、試してみたかったんじゃよー! お尻ペンペンは勘弁ーっ!」

 彼女である玲奈が聞いていたら、おそらく矢島の命はないだろう。
 それだけは、断言できた。

---------------------------------------------------------------------
初めて読まれる方は、こちらからお読みくださいませ。

http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/miyautibanasRi01-14-1.htm

感想、苦情、リクエストなどがございましたら、
aiaus@urban.ne.jp
まで、お気軽にお知らせください。
                                                                                                             

http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/