宮内さんのおはなし その四十の十四(反則版)  投稿者:AIAUS 投稿日:9月10日(月)23時53分


宮内さんのおはなし その四十の十四(反則版)
 現在、日本の中学校では登校拒否、いわゆる不登校になった児童が43人に1人の割合で
いる。その多くが「ひきこもり」と言われる状態で、自分の家、もしくは近所より遠くに行動範囲を
広げようとはせず、ただ自分一人の世界に埋没して日々を過ごしている。
 中学二年生の尾上恭助も、そういった登校拒否児の一人であった。

 カタカタカタカタ……。
 自室でパソコンのキーボードを叩いている小柄な少年がいる。この少年が尾上恭助である。
 部屋の中にある家具は机とベッドと本棚、そしてパソコンのみ。本棚を埋めている本は恭助の
年齢にはそぐわない難解な書物ばかりで、彼の部屋の無機質なイメージによく似合っていた。
 トントン、トントン。
 日課であるネットのニュースサイト検索をしていた恭助は、ノックの音に気付くのに随分と
時間がかかった。ディスプレイに映る文字の列に無感動に目を通しながら、恭助は返事をした。
「開いているよ、入れば?」
 カチャ。
 部屋に入ってきたのは恭助の母親だった。手には、朝食であろうオムスビとタクアン、麦茶が
載った御盆を持っている。
 自分の方を振り向きもしないでネットに集中している息子を見て、母親は幾度も繰り返した質問を
今日も口にした。
「恭助。今日は学校に行かないの?」
「ああ、いつか行くよ。今は忙しいんだ」
「そう……制服はちゃんと準備してあるからね。いつでも学校に行っていいのよ?」
「うん、ありがとう」
 幾度も繰り返された答えを耳に肩を落として部屋から去っていく母親。 だが、ディスプレイに
集中している恭助はそのことに気付きもしない。
 たまに部屋に顔を見せる母親と父親。それが、ここ一年ばかりの恭助が会話した人間の全て
だった。

 特にいじめられたわけでも、仲間はずれにあったわけでもない。友達はいたし、部活にも出ていた。
 だが、ある日、恭助は気付いてしまったのである。
 自分の過ごす日常がとても空虚で、つまらないものであることを。
 すでに理解していることばかり教えられる授業や噂と世間話で終始する友人との会話。
 落ち着いてはいるが、ルーチンワークと化した毎日。
 そのことに気付いた恭助が、内省にふけるために自室にこもるまでには、さほど長い時間は
必要なかった。
 濁った色の世界で息苦しい思いをするよりは、自分という単色の世界で過ごしていたい。
 それが、今の恭助の素直な思いであった。


 ある日曜日。
 母親の代わりに父親が食事を運んできた以外、いつもと変わらない恭助の日常が始まっていた。
 ただひたすら本を読み、ネット上を流れる情報に目を通す。
 恭助の一日はそのことで始まり、そのことで終わる。
 だが、その日はいつもと少しだけ違っていた。

 プップー!
 軽トラックのクラクションの音。なにかの荷物を積み降ろしている音。
「注文していた本が届いたのかな?」
 恭助は珍しく、自分の部屋を出て玄関へと歩いていく。恭助は毎週、ネット上で面白そうな本を
見つけては日曜日にまとめて送ってもらうように注文しているのである。その日は近代日本史に
ついて面白い見解を行っている学者の本が届くことになっているので、特に楽しみにしていた。
「では、ハンコをお願いします〜」
 玄関では営業スマイルの宅配員が差し出した伝票に、父親がハンコを押している。
 その後ろから、恭助は顔をのぞかせた。
 玄関の前に置いてあるのは白い長方形のダンボール。ちょうど棺桶ぐらいの大きさで、人間が
横たわって入ることができそうだった。父親は恭助に目配せをすると、素手でバリバリとダンボールを
開いて、中にある梱包剤を取り除いていく。
「……女の子?」
 そう、恭助はつぶやいた。
 腕と足が剥き出しの白いボディスーツをつけた緑色の髪の少女が、梱包剤の中で眠っていたの
である。だが、父親は微笑むと恭助の言葉を訂正する。
「いや、これはロボットだ。友人からのツテでもらったんだ」
 なるほど。確かに父親の言うとおり、眠っている少女の耳のところには白いアンテナがついていた。
「形式番号は……HM−12G−12。アンテナのところに大きくナビって書いてあるな」
 そう言って父親がアンテナを指差すと、そこのところに「NAVI」とロゴマークが印刷されている。
「父さん。この子は家庭用メイドロボットのHM−12マルチだよね? 母さんの手伝いのために
買ったの?」
 父親は再び微笑むと、ダンボールごとHM−12G−12マルチを抱えて玄関から応接間へと彼女を
持って行きながら答えた。
「いいや。これはおまえのために買ったんだ。恭助。今日から、おまえがこれのオーナーになるんだよ」
 恭助の目が驚きで丸くなる。そんなことは全く聞いていなかったからだ。
 だが、大学で助教授の仕事をしている父親はそんな様子を面白がっているだけで、恭助の断りの
言葉などには耳を貸そうとはしなかった。


「困ったな……」
 椅子に腰掛けた恭助は、自分の目の前でチョコンと正座して命令を待っているボディスーツ姿の
マルチを見ながら、素直な感想をつぶやいた。
 恭助の父親は学究の徒の常として普通の社会人と変わったところがあるが、こうして恭助に妙な
体験をさせて反応を観察するのも、そういった悪い癖の一つだった。
「僕が学校に行かないことも、心配しているというよりは羨ましがっているみたいだしな……」
 変わり者の父親を持った不幸を恭助は歎いたが、そうしたところで眼前のメイドロボットが
いなくなってくれるはずもない。恭助はあきらめて、メイドロボットの後に届いた日本近代史の本に
目を通すことにしたのだった。

 黙々と読書をしている恭助。それを横でじっと見守っているメイドロボット。
 最初の頃は彼女の視線が気になったが、よく考えればロボットはロボット。人間の形をしているだけだ。
 そのことに気付いた恭助は、いつものように読書に没頭し始めた。
「………」
 視線が気になる。
「………」
 ロボットはロボットに過ぎないと気付いたはずなのに、なぜかメイドロボットの視線が気になる。
「おかしいな……うわっ!」
「うひゃあ!」
 本から目を外して横を振り向いた恭助は、自分の顔のすぐ前にメイドロボットの顔があったので、
驚いて叫び声を上げた。その声に驚いて、メイドロボットも驚きの声を上げる。
「……なっ、なんだ? なにも命令していないはずなのに」
「いきなり大きな声を上げないで下さいよぉ。ビックリするじゃないですかぁ」
 さらに驚いたことに、メイドロボットは間延びした声で恭助に抗議をしている。
「しゃ、喋った? 自立型人工知能? そんなものが市販されているはずが……」
 恭助の驚きをよそに、メイドロボットは再び顔を近づけて、マジマジと恭介の顔を見つめ始めた。
「なっ、なんだよ」
 恭助がそう問い掛けると、メイドロボットはにっこりと笑って宣言した。

「今日はどこにお出かけになりますか?」

「はあ?」
 外出など、近所のコンビニや電気屋に筆記用具やパソコンの備品を買いに行くぐらいで、ここ
何年もしたことがない。恭助は驚き半分、呆れ半分で声を出した。
「私の名前はHM−12G−12ナビマルチ。GPMによる現在位置把握とサテライトシステムによる
周辺地図のダウンロードによって、世界中のありとあらゆる場所を御案内することが可能な最新型
メイドロボットです。私のオーナーとなられたからには、もちろん、どこかにお出かけになるんでしょう?」
 期待を込めた眼差しでメイドロボット、ナビマルチは恭助の顔を見つめ続ける。
「あ〜、なるほど。父さんらしいと言えば、父さんらしいや……」
 恭助はいきなり自分の家にメイドロボットがやってきた事情を理解すると、再び黙って本に目を落とし
始めた。それを見て、ナビマルチは不満そうに頬をふくらませる。
「お部屋にこもって読書なんてつまんないですよ。外に出て歩きましょう。きっと楽しいですよ」
「……悪いけど、僕にとっては読書が散策なんだよ。暇なら、母さんを手伝っておいでよ」
 ナビマルチの誘いをすげなく断ると、恭助は本の気になった部分に付箋を貼り、ノートにメモを取り
始めた。それからしばらく、ナビマルチは恭助を外へ連れ出そうと頑張っていたが、最後には肩を
落として、トボトボと部屋の外へ出て行ってしまったのだった。


 チュン、チュンチュン……。
 窓の外で鳴く雀の声。あと一時間もすれば、母親が朝御飯を持って来て、いつもの質問を繰り返す。
昨日は夜遅くまでネット検索を続けていた恭助は、ベッドの上でまどろんでいる。
 ニュッ。
 とつぜん、ベッドで寝ている恭助の目の前に黒い金属板が差し出された。
 グワン、グワン、グワ〜ン!
「うっ、うわあ! なっ、なんだ!」
 恭助の頭の上で騒がしい音を立てたのは母親愛用の中華鍋。それをスリコギで叩いているのは
ナビマルチ。
「朝で〜すっ! さっそく、朝の散歩へと行っきましょうっ!」
 朝からハイテンションなナビマルチの声に恭助はうんざりしながら、気だるげに体をベッドから
起こした。
「朝の散歩って、お爺さんじゃないんだから。そんなに外に出たいんなら、一人で行ってくれば?」
「私のオーナーは尾上恭助、すなわち、あなたです。オーナーを置いて単独で行動することは
メイドロボットの行動基準から外れるんです」
「……オーナーの眠りを中華鍋で叩き起こして邪魔をするのは、行動基準とかに外れていないの?」
「まあ、これぐらいは愛嬌ですって」
 悪戯ッ子のように舌を出して笑うナビマルチに、恭助は頭を悩ませた。もちろん、恭助は彼女の
言うことに従うつもりはない。
「昨日の検索の続きでもするか……」
 まだ眠り足りないが、たまには早起きをするのもいいだろう。
「あれ? あれれ? 散歩には行かれないんですか?」
「行かないよ。母さんが朝御飯を作ってくれているはずだから、そっちを手伝いにいってあげてよ」
「ううっ。お誘いにまた失敗した……」
 肩を落として部屋から出て行くナビマルチに構わずに、恭助はキーボードを叩き始めた。

 翌日も、その翌日も。
 ナビマルチは辛抱強く、というよりは執念深く、というよりは異常にしつこく、恭助を外へと誘い続けた。
 ついに根負けした恭助は、コンビニに出かけることを承諾した。
「やった〜! 努力がついに実りましたぁ!」
 歩いて五分先のコンビニに出かけるのに、ナビマルチは嬉々として喜んでいる。
「そんなに嬉しいものかな?」
 恭助は首を捻りながら、ナビマルチの後をついてコンビニへと出かけていった。
「予測所要時間、およそ五分。それでは御案内しますね」
 ナビマルチはそう言いながら、恭助の横について歩いていく。
「……変わったロボットだな。さすがに父さんが見つけてきただけはある」
 恭助は、そんな感想を漏らした。


 ナビマルチが恭助の家に来てから、いくらか時が経って。
「ナビィちゃん。そこのお醤油取って」
「はいは〜い。わっかりましたぁ」
「ナビィ。今日の新聞はどこに置いたかな?」
「はいは〜い。こちらにですね……」
 すっかり家族に溶け込んだナビマルチは、甲斐甲斐しく家事を手伝っている。
「ナビィちゃんが家に来てくれてから、いろいろと助かるわ。恭助も明るくなったし」
「……そうかな?」
 恭助は母親の言葉を意外に思ったが、父親もそれにうなずく。
「少しは外に出るようにもなったしな。いい変化だ」
 外に出る、と言っても、歩いて五分のコンビニが歩いて二十分の文房具屋に変わっただけの話だ。
恭助としては、普段の書物の海に沈む生活を変えたつもりはない。
「おまかせください。そのうち、恭助さんをもっと遠くへ連れ出してみせますよ」
 誇らしげに胸を張るナビマルチの言葉を、恭介は正直、冗談じゃないと思っていたが、そんな
彼女の誘いに動かされ始めている自分がいることにも、また気付き始めていた。


 ある日の朝。
 ナビマルチが中華鍋を持って起こしに来る前に、すでに恭助は寝巻きから普段着に着替えて、
パソコンの前に座っていた。
 トントントン。
「開いているよ。入ったら?」
 扉を叩く音に、恭助は振り向かないで答えた。
 ドカンっ!
「お邪魔するんじゃよ〜!」
 扉を蹴り開けて入ってきたのはナビマルチ。だが、いつもと言葉遣いが違う。
「……なっ、なに? また新しい勧誘方法を思いついたの?」
 驚いた恭助はそんなことを言ったが、ナビマルチは恭助の手をひっつかむと、強引に彼を外へと
引っ張っていく。驚いたことに、部屋の外にはもう一体、ナビマルチがいた。
「勧誘と言うよりも拉致じゃな。拉致。これというのもナビマルチが悪いんじゃよ」
「わっ、私は悪くないですっ! 恭助さんに酷いことをしないでください〜!」
「ひどくないんじゃよ。ちょっぴり遠くへ行ってもらうだけじゃから」
「ちょっぴりじゃないです! 距離にして何千キロも離れているじゃないですかぁ!」
「地球からイスカンダルまでの距離と比べたら、滅茶苦茶ちょっぴりなんじゃよ〜!」
「天文単位で地上単位を比べないでください〜!」
 ナビマルチが二人で、好きなことを喋っている。
「……どういうことかな?」
 恭助は頭を整理しようとしていたが、その思考はいきなり背中から襲った衝撃で中断させられた。
「考えるより先に行動じゃよ〜。パイルダ〜オ〜ン!」
 恭助の目の前が暗くなる。
 気付いた時には、恭助は空の上にいた。

 パラパラパラパラ……。
 窓の外に見えるのは翼。大型のティルトローターが翼の上に付いている。
「垂直離着陸が可能な、最新のティルトローター機……米軍にしか配備されていないはずなのに?」
 飛行機の室内で、恭助は冷静に自分の置かれた状況を確認している。
「尾上君、だよな。俺の名前は矢島。悪いんだけど、どうしても君のパートナーのナビマルチの力が
必要になってさ。君とセットで連れてくることになっちまったんだ」
 恭助に親しそうに話しかけてきたのは、重力に逆らって上へ伸びている髪の持ち主。ずいぶんと
若い。もしかすると高校生くらいかもしれない。
「わしの名前はヤジマルチ。この矢島の主人なんじゃよ、って……ギニャー!」
 矢島と名乗った若い男性に、ナビマルチそっくりのメイドロボットがこめかみをグリグリされて悲鳴を
上げている。恭助は窓に向けていた視線を横へと泳がせて、機内の隅で小さくなっているナビマルチを
発見した。
「……説明してもらえるかな、ナビマルチ?」
「はっ、はい。わかりましたぁ……」
 自分を無理やりに外へと連れ出そうとする人物は学校にもいたが、ここまで強引なのは初めてだ。
 ナビマルチの説明を受けながら、恭助は呆れて、ため息をついた。

 恭助がさらわれた理由は、以下のようなものであった。
『ある、やんごとなき身分のお嬢様の依頼で、世界の秘境に生息する薬草を集めている』
 そのために結成された捜索隊が世界の各所に散っており、矢島とヤジマルチの二人もその捜索隊の
一員らしい。本来は極秘裏に進めるべき任務なのだが、ヤジマルチは地理に疎いので、自分の姉妹機
であり、ナビゲートのエキスパートであるナビマルチを頼ることを思いついた。言うなれば、恭助は彼女の
おまけである。
「場所は、南太平洋に浮かぶ無人島。このどこかに、こういう花が咲いているらしいんだ」
 矢島は何か楽しそうな様子で、恭助に一枚の写真を見せる。確かに、写真には図鑑では見たことも
ないような不思議な色合いの花が写っていた。
「パイロットの話では、そろそろ到着するらしいんじゃよ。パラシュートの用意はいいですか?」
 パラシュートの詰まった背嚢を背負ったヤジマルチが、元気に手を振りながら、みんなに声をかける。
「そっ、空から落ちるのって、初めてなんですけど……」
「僕だって初めてだよ。まあ、勝手に開くから大丈夫さ」
 恭助は矢島とヤジマルチの強引さに呆れながらも、自分から背嚢を背負い、怯えているナビマルチを
はげました。
「行こうか。どうやら、見つかるまでは帰らせてもらえそうにないよ」
 恭助に手を握られて、ナビマルチは震えながら立ち上がった。恐怖が勝って気付いていなかったが、
その時、恭助は初めて、ナビマルチの前で自分から「行こう」という言葉を口にしたのである。
 何かが、変わり始めていた。


 ザザー。
 白い波が迫ってくる波打ち際。
 矢島が張ったテントに腰を落ち着けた恭助は、連日、島の中へと探索に向かう矢島、ヤジマルチ、
ナビマルチの三人の帰りを待つことが日課となっていた。
「本の一冊も持って来てくれればいいのに……」
 独り言で文句を言いながら、恭助はみんなの洗い物を済ませ、食事の準備をする。
 最初はレトルト食品を温めるぐらいのことしか出来なかったが、一週間経って、なんとか形のある
料理を作ることができるようになった恭助は、目の前に置かれた魚や果物といった食材の前で
今夜のメニューを考えていた。
「煮付けは昨日やったばかりだしな。かといって焼き魚というのも味気がないし。どうせ食べるのは
矢島さんと僕だけなんだから手を抜いてもいいんだけど……」
 図鑑にも載っていないような幻の花を探して密林の中を駆け巡っている三人のことを思うと、
さすがにそこまで薄情なことはできない。恭助はなんとか頭をひねりながら、新しいメニューに挑戦
し始めたのだった。

 夜の浜辺。
 食事を終えた恭助は、横で座っているナビマルチに話し掛けている。
「今日も見つからなかったのかい?」
「はい。島の地図を全て作り終えるぐらいに島の中を走り回ったんですが、まったく見つからないんです。
もう枯れてしまって、この島の中にはないんじゃないでしょうか?」
 ナビマルチはサテライトシステムと呼ばれる衛星通信によって、世界中のあらゆる場所の地図を
ダウンロードすることができる。そして、例え地図に載っていない場所であっても、周辺の状況を記憶し、
図案化することによって自ら正確な地図を作り出すこともできる。
 半日も歩けば一周できてしまうような小さな島。その島の中を三人は何日も歩き続けている。
 それで見つからなければ、確かにナビマルチの言うとおり、花は枯れてしまっているのかもしれない。
 だが、恭助には一つだけ、頭に引っかかっていることがあった。
「ちょっといいかい、ナビマルチ」
 ごそごそとナビマルチに恭助が耳打ちをする。
「ほっ、本当ですか!? いやった〜っ!」
 両手を上げて、砂浜の上をピョンピョンと飛び回って喜ぶナビマルチ。
「そんなに嬉しいことかな?」
 恭助はそう言って首をひねったが、その顔には微笑みが浮かんでいた。


「本当に大丈夫なのか? 俺達もついていった方がいいんじゃないか?」
 恭助が自分とナビマルチの二人で島の探検に行きたいと言い出したことについて、矢島は難色を
示した。この島には鳥以外には動物は住んでおらず、蛇などの危険な生物もいない。だが、一行の
最年長として、矢島は恭助の冒険心に水を差さなければいけなかった。なにかの事故が起こってから
では遅いからだ。
「大丈夫じゃよ。ナビマルチがいるし、合図のための発煙筒も持っているんじゃろ?」
 ヤジマルチがそう言うので、矢島は渋々首を縦に振った。日に焼けて黒くなった顔には、まだ心配
そうな表情が浮かんでいる。
「大丈夫です。おそらく、今日には僕達は家に帰れますよ」
 ナビマルチは不思議そうな顔で恭助の横顔を見上げた。その顔は今までのような冷めた少年の
ものではない。ナビマルチがそんな恭助の顔を見たのは、初めてのことであった。

 島の大半を覆う密林。
 バックパックを背負った恭助は、運動不足の体で荒い息をつきながらも、まっすぐに道を進んで
いく。
「あの、そっちは岩山で、植物なんか生えていないですよ。もっと別のところを探した方がいいんじゃ
ないでしょうか?」
「いいんだよ、こっちで」
 先導役のはずのナビマルチが、逆に恭助に腕を引っ張られている。
 地図にない場所に入り、ナビマルチは不安にかられたが、恭助は平然と道無き道を進んでいく。
 ついに、恭助とナビマルチの二人は岩山へと着いた。

 荒涼とした岩の塊。コケ類はまばらに生えているが、とても写真に写っていたような花など生えて
いそうにない。ナビマルチは心配そうな顔で、汗まみれになった恭助の顔を見ている。
「ほら、あそこに生えているよ、ナビマルチ」
「えっ?」
 何気ない様子で恭助は、岩肌を指差す。
 そこには確かに、不思議な色合いをした花が咲いていた。ナビマルチ達が何日も探しつづけて、
ついに見つけることが出来なかった、あの写真の花である。
「あった、ありました〜! これでやっと、おうちに帰れますっ〜!」
 飛びつくようにして、ナビマルチは岩肌から花を摘み取った。
「あはは。あんなに外に出よう、外に出ようと言っていたのに。やっぱり家は恋しいんだ?」
「当たり前です。帰る場所があってこそ、旅は楽しいんですから」
「そうだね。そのとおりだ……どこかで勘違いしていたんだろうな」
 恭助はそう言いながら、バックパックから発煙筒を取り出し、ゆっくりと火をつける。
「あっ……」
「テントまで帰る体力はなさそうだからね。楽をさせてもらうよ」
 パラパラパラパラ……。
 遠くからティルトローターの音が聞こえる。
 恭助のちょっとした旅は、かくして終わりを告げることになった。


 ティルトローター機の機内にて。
 眼下に広がる青い海を見つめながら、恭助は隣りに座っているナビマルチに語りかける。
「結局、本に書いてあることは現実の世界の写しなんだよ」
「? さっきの花のことですか? あの、どうして、あんな岩山に花が生えていることがわかった
んですか?」
「花弁の色が変わっていたから、もしかしたら鉱物が多いところに生えているんじゃないか、って
思っただけさ。そんな荒地に咲く花もあるからね」
「それも、本で読んで知ったのですか?」
「そうなんだ。でも、その本を書いた人は、現実に荒地に咲く花を見て、そのことを記したはず
なんだ。つまり、世界が文字の先にあるのさ」
「……よくわからないんですが?」
 困った顔をして下を向くナビマルチ。その様子を見て、恭助は優しく微笑んだ。
「僕をいろんなところに連れて行ってくれるんだろう?」
「はっ、はい! もっちろんですっ!」
「うん、それでいいんだよ」
 恭助にそう言われて、ナビマルチは満面の笑顔を浮かべた。


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 おまけ

「迎えが来ないんじゃよー。シェーン、カムバーック〜!」
「花が手に入ったから、俺らのことが頭から飛んでしまったようだな」
 矢島とヤジマルチが南太平洋に浮かぶ孤島で見捨てられていた頃、別の場所で見捨てられている
二人がいた。

「あっ、ヒロユキ。鮫だよ、鮫」
「ここはどこだーっ!」
 ボートの上にたたずんでいる藤田浩之と宮内レミィ。薬草はまだ、見つかっていないようだった。