宮内さんのおはなし その四十の八(反則版) 投稿者:AIAUS 投稿日:8月14日(火)16時22分
 高校を卒業したはいいが、特にやりたいことがない。
 広瀬圭一がフリーアルバイターになったのは、そんな理由からだった。
 コンビニ、本屋、建設作業、魚市場、コック、ウエイター、ガソリンスタンド。
 いろんなバイトを試してみたが、特に続けたいと思う仕事はなかった。
 小学校の頃から続けてきた空手で鍛えておいたおかげで、どんな仕事に当たっても肉体が
悲鳴を上げることはなかったが、心の方がもたなかったのだ。

 俺のやりたいものとは違う。

 そんな漠然とした想いが、腰袋をつけている時も、コック帽を被っている時も、黒服を着ている時も
頭の中で回ってしまう。
 俺は何がしたいんだろう、何になりたいんだろう?
 広瀬圭一は自分の部屋のベッドの中で、そんなことを考えていた。

 ゴス! ゴス! ゴス!

 肉の塊を鉄板で引き裂く音。
「ふう……もう朝か」
 その怪音をまったく意に介さずに、広瀬圭一はカーテンを開ける。
 先が見えない圭一の将来とは対照的に、初夏の太陽は爽やかに朝の街を照らしていた。
「圭一様〜。朝ゴハンできましたよ〜」
 ドス、ドス、ドス。
 まるで象が歩いてくるような大きな足音が、圭一の部屋に響く。
「……おひ。何のつもりだよ」
 圭一はうんざりした顔で、自分の前でお盆を持って立っているメイドロボに文句を言った。
 彼の目の前にいるのは、身長190cm、体重110kg、胸囲110cmの巨人である。全身が
分厚い筋肉の鎧で覆われ、耳にアンテナがついていなければ、ボディビルダーに間違われそうだ。
 顔はとてもゴツく、北斗の○とか、魁・○塾に登場しても違和感はないだろう。
「あ…あの、裸エプロンなんですけど。嬉しくないでしょうか?」
 圭一の前で、ウフッ? とゴツい顔の巨人が微笑む。確かに、素っ裸でエプロンを付けている。
「あのな……マッチョ好きならともかく、朝から筋肉の山を見て嬉しい奴はいないよ」
「ひっ、ひどい! 私だって、女の子なのに……」
 胸は大胸筋に覆われて性別の区別がつかなくなっているが、どうやら巨人は女らしい。
「いいから。朝飯できたんだろう? 食わせてくれ」
 圭一は仏頂面のままで、ちゃぶ台を部屋の中央に置く。
「はうう。はい、朝ご飯ですぅ」
「……おひ」
「は、はい。何でしょうか?」
「なんで、俺は朝から靴底みたいな分厚いステーキと気の抜けたコーラ、ボールいっぱいのオカラを
食べなくちゃならないんだ?」
 確かに、ちゃぶ台の上に置かれているのは、分厚いステーキとフタの開いたコーラのペットボトル、
ボールに山盛りのオカラが置かれている。
「で、でも、今日は大豆もあるんですよ?」
 巨人の言うとおり、オカラが入ったボールの横には、茹でただけの大豆がボールに山盛りで鎮座
していた。
「……もういい」
 圭一は不機嫌な表情を隠そうともしないで、オカラを食べ始めた。
「そうです。筋肉を育てるためには良質のタンパク質をたくさん取らないと。糖分の補給も重要
ですよね」
「もう空手はやめちまったんだから、筋肉をつける必要はないんだよ」
「もったいないですよ、やっぱり」
「空手じゃ食っていけないの。それが現実ってものなんだ」
 ガッ、ガッ、ガッ、ゴクゴクゴク……。
「おしっ、ごっそさん。それじゃバイトに行ってくらあ」
 今日は警備員のバイトが入っている。
 圭一は支給の制服に着替えると、裸エプロンの巨人に「いってきます」を言ってから出かけていった。

 裸エプロンの巨人の名前は、ハンマルチと言う。
 HM−12G−14ハンマルチは、量産型メイドロボHM-12マルチを改造して作られたロボットである。
 開発を請け負った研究者がひ弱を絵に描いたような男で、「僕もこんな風になりたかった」という想いを
無責任に投影してしまったため、素体のHM−12マルチとは大幅に外観が異なる規格外の機体に
なってしまった(ちなみにマルチは身長147cm、胸囲68cm、ハンマルチは身長190cm、胸囲110cm
である)。扱いに困った開発者達は20歳になってもブラブラとフリーターを続けている広瀬圭一に彼女を
押し付けたのであるが、存外にうまくいっているようであった。


「圭一様、どんなメニューなら喜んでくれるかなぁ」
 ドス、ドス、ドス。
 ハンマルチの象が歩くような足音を聞き慣れない者は、その大きな足音を聞いて後ろを振り向き、
自分の眼前にスカートを履いた190cmの巨人を見つけてギョっとして驚いてしまう。
 だが、圭一とハンマルチの住んでいるアパートの近所のにある商店街で働く者達はすでに彼女を
見慣れていて、買い物カゴを下げた彼女を見て親しそうに声をかけてくる。
「よお、ハンマルチ。今日もオカラいっぱい持ってきたぜ」
「ハンマルチちゃん。こっちおいで。娘が使っていた髪飾りをあげよう」
「は〜い、みなさん。ありがとうございます〜」
 ごつい顔に微笑みを浮かべながら、ハンマルチは商店街で買い物を済ませていた。
「うわあ。あんたよりも胸が大きい人がいますよ。ほらほら」
「そんなこと大きな声で言っちゃダメだヨ、ヤジマルチ。失礼デショ?」
「レミィさんの胸の大きさも、わしら貧乳族にとっては失礼なんじゃよ」
 自分の背中から、懐かしい声が聞こえる。ハンマルチは不思議に思って後ろを振り向いた。
 そこにいたのは、金髪をポニーテールにした外国人の女の子と親しそうに喋っているメイドロボット
HM−12G−7。彼女の姉、ヤジマルチであった。
「おっ、ハンマルチ。あんた、ここらへんに住んでいたんですか?」
「お久しぶりですっ! ヤジマルチお姉さまっ!」
 ガバッ!
 自分の姉を見つけたハンマルチ感激のあまり、渾身の力を込めてヤジマルチの周囲52cmの腰に
抱きついたのであった。
 ミシミシミシっ!
「うっ、うりゅー! こっ、腰が、背骨が破滅の音を立てているんじゃよー! はっ、離してくだされーっ!」
「お姉さま、お会いしたかったですーっ!」
「うりゅー、うりゅりゅー!!」
 悲鳴を上げているヤジマルチ。感涙にむせび泣きながらヤジマルチにサバ折りをかけているハンマルチ。
レミィは少し距離を取ってから、その様子を珍しそうに見ている。
「ヤジマルチ。ヤジマルチじゃなくて、ヤジスフィーになっちゃってるヨ?」
「そっ、そこで呑気キャラぶりを発揮しないでいいですから、さっさと助けてくだされー!」
「お姉さまーっ!」
「うりゅーっ!」
 そのようなやり取りは、ヤジマルチの背骨が折れる寸前まで続けられた。

 ようやくハンマルチのベア八ッグから解放されたヤジマルチは、商店街の路地に置いてあるベンチに
座って彼女の近況を聞いている。
「あんた、広瀬とかいうカラテカのところで働いているんじゃろ? やはり、一日は礼で始まり、礼で終わったり
するんですか?」
「いいえー。圭一様は今、空手はやめてらっしゃるんですよ。私としては再開して欲しいと思っているんです
けれど」
「無理にやらせるもんじゃないじゃろう。それに、空手バカ一代で食っていけるもんじゃないし。牛は殺せる
から肉屋さんにはなれるじゃろうけど」
「あうー。圭一様にも同じことを言われましたー」
 見ようによっては小学生のようにも見えるヤジマルチが、190cmの巨人であるハンマルチにお姉さんぶって
話している。横で二人の話を聞いているレミィは、一生懸命に笑いを堪えていた。
「んっ? あなた達、なにを話しているの?」
 そこに現れたのは、ランニングの途中の坂下好恵であった。
 空手と言えば、やはり現役でやっている好恵が一番くわしい。せっかくなのでハンマルチとヤジマルチ、
レミィの三人は広瀬のことを好恵に相談してみることにした。

「広瀬圭一? うん、知っているわ。故障が多くてタイトルは獲ったことがないけど、高校空手ではわりと
有名な選手だったはずよ」
「Failure? 広瀬もマルチと同じでロボットなのデスカ?」
「「??」」
 レミィの言っていることがわからなくて、好恵とハンマルチの二人はキョトンとしている。
「金髪サムライはややこしくなるから少し黙っていてくだされ。それで、空手チック少女は他に知っていることは
ないんじゃろうか?」
「なによ、空手チック少女って? えっと、ビデオとかなら家に残っていると思うけど。せっかくだから見てみる?」
 好恵にうながされて、三人は彼女の家にお邪魔することになった。

 好恵の家は、商店街から少し離れた場所にあった。
「ただいまー、お母さん。今日は友達を連れてきたから」
 玄関のドアを開けて好恵が言うと、奥から人の良さそうな小柄な中年女性がパタパタと足音を立てて
歩いてきた。好恵のお母さんらしい。
「好恵ちゃん、おかえりなさい。あらあら、こんなにたくさん……」
 好恵の母は、一行の一番後ろにいる身長190cmの巨人、ハンマルチを見て、途中で固まってしまった。
「それじゃ勝手に上がってちょうだい」
 二階の部屋に上がっていく好恵とハンマルチ。
「わしらも上がらせてもらうんじゃよー」
「Me too」
 ヤジマルチとレミィも続いて上がろうとしたのだが、二人の袖を好恵の母がつかんで止めた。
「あっ、あの……好恵ちゃんは、あんな風になったりしないわよね?」
(註:あんな風  身長190cm、胸囲110cm、体重110cmの坂下好恵)
「ウウン。なるヨ」
「きっとなるんじゃよ。好恵は一生懸命な人じゃから」
「いやあああああ!! そんなの好恵ちゃんじゃないぃぃぃぃいい!!」
 哀切な悲鳴を上げる好恵の母は放っておいて、ヤジマルチとレミィの二人はさっさと二階の好恵の部屋へと
上がっていってしまった。


 バシ、バシ、バシィ!
 小気味のいい打撃音が響き、広瀬圭一の前に立っていた選手が膝を落として崩れ落ちる。
「一本っ!」
 ビデオから流れる広瀬圭一の鮮やかな空手の技を、ヤジマルチとレミィ、好恵、ハンマルチは食い入るように
見ている。
「すっ、すごいんじゃよ。今、蹴りが三回くらい連続で決まりましたよ?」
「Fantastic! 素晴らしいカラテの技デス」
「圭一様は強いんです。当然じゃないですか」
 ハンマルチの言葉に、好恵は腕組みをしながらうなずいた。
「確かに、蹴り技、手技、打撃力、持久力、全てにおいてバランスが取れた強い選手ね。試合運びはあまり
うまくないけど、いいものを持っていたと思うわ」
「さすが、月刊『空手道』の愛読者。言うことに説得力があるんじゃよー」
「でも、今はケーイチはカラテをやっていないんダヨネ? ドウシテ?」
 レミィに質問されて、ハンマルチは少し言いにくそうにしながら答えた。
「……空手では御飯を食べていくことはできないんだそうです」
 好恵は再び、腕組みをしてうなずく。
「そうね。それも正しい答えだわ。実際、格闘技で生活していけるような人なんて、ごく一握りしかいないもの。
ほとんどの格闘家は他の職業との兼業か、アマチュアとして参加しているのが現状ね」
「これだけ強いんじゃから、続けていけばいいのに。そのうち、手から『波動拳っ!』とか『ドドン波っ!』とか
出せるようになるかもしれんのに」
「「いやいや。出せない、出せない」」
 好恵とハンマルチが手の平を横に振って、ヤジマルチの言葉につっこむ。
「What!? 出せないんですか、ハドーケン?」
 人間は手から何か変なものを出して戦ったりはできない。
 レミィにそのことを説明するのに、好恵とハンマルチは30分ほどを要した。

「しかし、勿体無いことは確かね。このぐらい出来る人が野に埋もれて消えていってしまうなんて」
「そうですよ。やっぱり、圭一さんは空手をやるべきなんですっ!」
 好恵の言葉に、ハンマルチは丸太のように太い腕をテーブルに置いて答えた。
 身長190cmでゴツい顔のハンマルチだが、すでに好恵、レミィ、ヤジマルチ達と普通の女の子のように
喋っている。私だって女の子なのに、という主張はどうやら、嘘ではなかったらしい。
「といっても、やはり空手バカ一代では飯を食っていけんのは確かなんじゃよ。主人公、いつでもどこでも空手
しか着ていなかったし。自然石まで割って御飯にせねばならんような生活は勘弁じゃよ」
「ソウダネ。働いて生活していくって大変なことだモノ。空手が本当に好きだからこそ、中途半端なカタチでは
やりたくないのかもしれないネ」
 レミィの言葉に、ハンマルチは黙ってしまう。
 確かに、真剣に空手のことを思っているからこそ、圭一は空手をあきらめたのかもしれない。
「故障がなかったら、なにかのタイトルを獲ることが出来ていれば、どこかの大学の空手部の推薦ぐらいはあった
かもしれないんだけど」
 好恵も残念そうに口をつぐむ。
「ところで、空手チック少女のあんたは将来、どうやって食べていくつもりなんじゃよ? やっぱり、空手着を
きたまま、十年ぐらい山の中で修行したりするんですか?」
「Oh! ヤマゴモリですネ?」
「するわけないでしょ。普通に働くわよ、普通に」
 好恵の言葉に、ハンマルチは首を傾げる。
「普通にというと、空手のオリンピック代表とか狙ったりするんですか?」
「そうじゃなくて、空手以外!」
 ムキになり始めた好恵を他所に、ヤジマルチ、レミィ、ハンマルチの話は弾んでいく。
「一生、空手着を着て生活するつもりなんじゃろうか?」
「坂下さんなら、あるいは出来るかもしれません。私、応援しますっ!」
「将来は後進の空手女子代表を育てるコーチになるのデスカ。アタシの子供にも習わせたいナア」
 好恵のコメカミに青筋が浮かぶ。
「私だって、空手以外にできることだってあるわよ」
「「「たとえば?」」」
 三人に真顔で聞かれて、好恵はボソボソと答える。
「だから、えっと、その……専業主婦、とか」
 好恵の言葉に、ヤジマルチ、レミィ、ハンマルチの目が大きく見開かれた。
「無理じゃよ。無理難題じゃよ。空手マシーン、鉄(くろがね)の城には涙とか恋とか関係ないんじゃよ」
「ヨシエ。バージンロードを空手着で歩くと神様が怒ると思うヨ」
「えっと、その……無理です、はい」
「そんな言い方あるかーっ!!」
 怒った好恵がテーブルをひっくり返す。
「おおっ! ちゃぶ台返しじゃよっ!」
「大リーグボールですカ?」
 好恵の部屋から聞こえる喧騒は、なかなか鳴り止まなかった。


「ただいまー。飯はできているか?」
「お帰りなさい、圭一様っ」
 帰ってきた広瀬圭一をハンマルチが暖かく迎える。相変わらず、身長190cmの巨体に劇画調のゴツい顔は
インパクトがあるが、それなりに幸せそうだ。
「そういえばハンマルチ。おまえの服を買わないといけないな」
 オカラを頬張りながら、圭一が珍しいことを言う。
「えっ? ……あっ、あの何ておっしゃいましたか?」
「また、寝覚めにゴツい裸エプロンなんか見せられたら、たまらないからさ。給料も出たし、服ぐらい買ってやるよ」
 圭一がこのようなことを言ったのは、初めてのことである。
 ハンマルチは体が震えるような喜びを感じる反面、なぜか切なさのようなものを感じていた。


「ええっと……お客様に合うようなサイズのものは……」
 ブディックの店員が必死になって倉庫をかき回し、ハンマルチが着ることができるような洋服を探している。
店員は最初はジーンズや皮ジャケットのような大柄な男性でも着れるような服装を勧めたのだが、ハンマルチが
男っぽい服を嫌がったので、外国人向けのキングサイズを探しているのだ。
「これなどいかがでしょう?」
 外人女性向けのキングサイズのワンピースが、たまたまディスプレイ用にあったので、店員はそれを引っ張り
出してハンマルチに渡した。
「あっ、ありがとうございますぅ」
 嬉しそうに試着室へ入っていくハンマルチ。布が裂けたりする音が聞こえないので、どうやら着ることができた
らしい。
「ちなみに、お値段はこれぐらいになりますが……よろしいでしょうか?」
「……6桁? マジ?」
 あまりの値段に、圭一は冷や汗をかく。店員はそれを見て、口に手を当て、くすりと微笑んだ。
「本来の値段ではそのぐらいはいただきますが、せっかくの彼女のプレゼントですものね。こちらも勉強させて
もらいましょう……これぐらいでは?」
 店員がパチパチと電卓を叩く。
 圭一の冷や汗はかろうじて止まったが、それでもフリーターの圭一からすれば、かなり高い値段だ。
「ありがとうございます。いただいて帰ります」
「ほら、圭一様っ! 似合いますか?」
 嬉しそうな顔で試着室から飛び出してくるハンマルチ。ワンピースを着ると分厚い胸板と見事にくびれた
腰の差が布で隠れるので、それなりに女性らしく見える。
「ああ、似合う、似合う。探してもらった甲斐があったな」
「ありがとうございます。次回までにまたお客様に合うような服を探しておきますので、よろしければ、また御来店
くださいませ」
 規格外の体形の客にも嫌な顔一つせずに接客したプロ根性のある店員は、うやうやしく頭を下げる。
 圭一は店員に深くお辞儀を返した後、ハンマルチを連れてブティックの外へと出て行く。
 そしてどこかで食事でも取ろうと歩き出した時、圭一とハンマルチは、ある二人の人物に出くわした。

「んっ? ハンマルチじゃねえの? どうしたんだ、こんなところで?」
「……」
 そこにいたのは、ヤジマルチの友人であるマルチネスであった。横にいるのは、齢15歳にして花山組の組長を
勤める少年ヤクザ、花山カヲル。ハンマルチよりもさらに重厚な筋肉に包まれている肉体と、顔面に刻まれた
幾重もの刀傷が、彼が只者ではないことを主張していた。
 花山カヲルがまとう独特の闘気を感じ取ってか、圭一は無意識にハンマルチの前に立つ。
 そこで、ハンマルチの脳裏にある閃きが起こった。
「ハンマルチお姉さまのマスター、花山カヲルさんですね。お噂は常々、うかがっております」
「おっ、おいっ!」
 自分をかばうようにして前に立つ圭一を押しのけ、ハンマルチはゆっくりと腰を落とし、構えを取る。
「……」
「こら、ハンマルチっ! カヲルさんの前でふざけた真似すると、シャレになんねえぞっ!」
 姉であるマルチネスの叱責も、今のハンマルチには聞こえない。
 ビリビリビリっ!
 ハンマルチの筋肉が盛り上がり、圭一から買ってもらったばかりのワンピースが音を立てて裂ける。
「……来な」
 白いスーツ姿の花山カヲルが、ゆっくりと首を軽く上へと動かす。
 ハンマルチの体がロケット弾のように飛び出していったのは、その直後のことであった。

 バガシッ!

 肉と肉が力強く打ち合わされる音。
 ハンマルチの拳が花山カヲルの胸板を襲ったのだが、花山カヲルは平然と手の平で受け止めている。
 ブウンッ!
 花山カヲルはハンマルチの拳を握ったまま、軽々と彼女の体を横へ振り回し、地面へと叩きつける。
「アームホイップっ!?」
 マルチネスの叫び声が響き終わる間もなく、ハンマルチはすぐに身を起こし、今度は体ごとタックルを仕掛ける。
 バンッ!
 だが、その必死の攻撃も花山カヲルの一撃で、ハンマルチは顔から地面に沈む。
「まっ、まだまだっ!」
 格闘用に造られたはずの自分が、まったく歯が立たない。
 だが、ハンマルチは立ち上がり、再び構えを取った。
 果敢に、どこまでも果敢に攻めていく。
「……」
「くぅ!」
  しかし、その度に、まるで子供をあしらうかのように花山カヲルは掌撃だけでハンマルチの攻撃をあしらって
いった。
「まっ……まだ、やれますっ!」
 モーターが焼きつき、ハンマルチの肉体を支える構造材が悲鳴を上げているが、ハンマルチはあきらめようとしない。
「……」
 だが、そのうち、ハンマルチは花山カヲルの視線が自分ではなく、自分と彼の闘いを観戦している第三者へ
移っていることに気付いた。

「……いいかげんにしろよ、てめえら」

 響いたのは、怒気に満ちた圭一の声。花山カヲルの細い目がピクリと動く。
「……来るかい?」
 花山カヲルの声が挑発的に響くが、圭一はハンマルチのようにすぐに飛びかかろうとはしない。
 着ていたジャケットを脱ぎ、まだ衰えていない両腕を大きく前に突き出すと、空手独特の呼吸法でゆっくりと
気合を高めていく。
 ジャッ!
 意外にも、先に地面を蹴って動いたのは花山カヲルの方であった。
 車のタイヤを引き千切り、人間の体を軽々と握り潰す恐怖の握撃が圭一の顔へと襲い掛かる。
 スッ。
 圭一の体が揺らぐように動き、真っ直ぐに圭一の顔目掛けて伸びて来た花山カヲルの腕を滑り台のようにして
圭一の伸びやかな拳の一撃が花山カヲルの顔面へと入った。
 バガンッ!
 岩も割れるような一撃。
 だが、花山カヲルは身じろぎもしない。平然と圭一の体を握り潰そうと手を伸ばしてくる。
「だりゃああ!!」
 裂帛の気合と共に、圭一の前蹴りが花山カヲルの腹を襲う。
 ズドンッ!
 しかし、それよりも先に命中したのは、圭一の足よりも長い花山カヲルの拳であった。
 鉄球のような拳が圭一の体を軽々と吹き飛ばし、圭一は二、三回バウンドしながら、地面を滑っていく。
「こっ、こりゃあ死んだかな?」
「いいえ! 完全に十字受けでガードしていますっ! やっぱり、圭一さんはすごいっ! がんばって!」
 マルチネスの言葉を、ハンマルチが否定する。買ってもらったワンピースは裂けてしまい、土埃で汚れてしまって
いるが、顔の半分を口にするぐらいに一生懸命に叫んで、圭一を応援している。
「……」
「嬉しそうな顔しやがって。あんた、そんなに殴り合いが好きなのかよ」
 圭一はそう言うが、花山カヲルは少しも笑っていない。獲物を待ち構える猛獣のように、圭一の顔をにらんで
いるだけだ。
「せいやっ!」
 顔、首、肩、腕の付け根、肝臓、太もも、脛……。
 鞭のようにしなる圭一の蹴りが連続で花山カヲルの鋼の肉体を打ち据えるが、花山カヲルはびくともしない。
 ズドンッ!
 再び、砲撃のような強力な拳の一撃が圭一を吹き飛ばした。
「……」
「やっぱり、嬉しそうだよな……そうだよ。俺だって、あんたみたいな奴と出会えて、嬉しいんだよ」
 圭一は青く腫れ上がった腕を軽く振り、再び花山カヲルへと打ちかかった。
 そのようなやり取りは、三時間ほど続いた。

「だっ、大丈夫ですかっ、圭一様っ!」
「ふっ、ふふふ……」
 花山カヲルに何度も自分から殴られに行った圭一は打撲で身動きできない程のダメージを負っていたが、
なぜか嬉しそうに笑っている。
「……ついてきな」
「ハンマルチ。カヲルさんが、その馬鹿を背負って、ついてこいってさ」
 マルチネスの言葉に、ハンマルチはすぐにうなずく。
 花山カヲルが案内したのは、彼の知り合いであるモグリの闇医者のところであった。

「ううっ……圭一様のことを思ってやったのですが、これでよかったのでしょうか?」
 ボロボロになったワンピースを悲しそうに見ながら、ハンマルチはうなだれていた。
「本人が嬉しそうだったから、いいんじゃねえの? それよりも、ほら。直してもらうから、そのワンピース
よこせって」
 花山家で圭一の回復を待っているハンマルチは、マルチネスの言葉に素直に従った。
 圭一が空手が好きだったのは本当だった。
 だが、そのことを思い出させたことが、果たして圭一のためになったのか。
 いまだ、ハンマルチの心は惑っているままであった。


 半年後。
 空手、キックボクシング、ムエタイなどの打撃系の格闘技の選手ばかりを集めて開かれるシュート系格闘
エンターテイメント、『バウンサーゲート』が開かれることになった。
 その選手欄の中に「広瀬圭一」の名前が載っている。
「圭一様っ! デビュー戦ですっ! 全力を出していってください!」
「おうさっ! わかっているよ!」
 バンバンッ!
 派手にグローブを打ち鳴らし、セコンド席にいるハンマルチに圭一は答える。
 その肉体は半年前にカヲルと戦って負けた頃と比べると、見違えるような鍛えられ方をしていた。
 誇らしそうに鉄腕を掲げる圭一の顔はやはり、嬉しそう、であった。
 自分の判断は間違っていなかった。
 ハンマルチの顔がやはり、嬉しそうに喜びで輝く。

 空手、無所属、広瀬圭一選手。

 後に『瞬殺』として恐れられる空手家は、こうして生まれたのである。
 

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 おまけ

 ヤジマルチとレミィ、好恵は、圭一の部屋に遊びに来ている。
 圭一は空手の練習に出かけているので、迎えているのはハンマルチ一人。
「待っていてくださいね。すぐにお茶を用意しますから」
 190cmの巨体で床をドスドス踏みながら、ハンマルチは台所へと走っていく。
「ぎにゃー。すっかり若奥様みたいになっちまったんじゃよ、ハンマルチの奴」
「いいなあ、あこがれるよね、ああいうの」
「ヨシエ、まだビルドアップするのデスカ? ヨシエのママ、泣いちゃうヨ?」
 好恵がレミィの頭に空手チョップを入れている間に、ヤジマルチがゴソゴソと戸棚をいじっている。
「これは何ですか?」
 ビニールに入れられた円形のゴム製品を見て、好恵とレミィの動きが固まる。
「風船ですか? なんで、こんなもんが戸棚に入っているんじゃろうか?」
 ビニールを破ってヤジマルチが不思議そうに、「風船」を眺めている。
「あっ、あはは……愛、愛だよね、やっぱり」
「ソウ。LOVEダヨネ、LOVE……」
「えらく、ふくらみにくい風船なんじゃよー……ぎにゃ!」
 「風船」をふくらませようとしたヤジマルチの頭を好恵が空手チョップで叩き、静かに「風船」を元の位置に
戻した。
「愛って偉大だよね……」
 台所で鼻歌を歌いながら働くハンマルチの後姿を身ながら、好恵は呆然とつぶやく。
「スガタじゃなくて、ココロネを愛スル。やっぱり、武道家って凄いデス……」
 レミィもまた、呆然としてつぶやいている。

「せい、でい、せやっ!」
 その頃、圭一は変なところで自分の株が上がっていることに気付かないまま、ひたすら、道場でサンドバック
相手に汗を流していたのだった。

−−−+++−−−
 初めての方が、この作品だけを単体で読むと理解できないと思われますので、
念のために解説を。
 このおはなしは「HM−12G」シリーズというマルチの派生機達が起こす物語を
描いたヤジマルチ・シリーズという作品の一部です。 
 ご興味のある方は、こちらの第一話から読み始めてくださいませ。

http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/miyautibanasRi01-14-1.htm

 感想、苦情、御意見などがございましたら、
aiaus@urban.ne.jp
までお気軽にどうぞ。

http://www.urban.ne.jp/home/aiaus/