宮内さんのおはなし 三十壱の弐  投稿者:AIAUS 投稿日:5月24日(水)06時18分
トントントントントン・・・

俺はリズムよく包丁がまな板を叩く音で目を覚ました。
「おはようございます、耕一さん」
四畳半のアパートに据え付けられた間に合わせ程度の台所で朝食の準備をしているのは、
エプロン姿の千鶴さん。
俺はそれを見て、憂鬱な気分になった。
「どうしたんですか? まだ寝ぼけているの?」
「わっ! 危ないって!」
包丁を持ったまま俺に近づいてくる千鶴さんに、俺は思わず悲鳴を上げる。
「あら、ごめんなさい。私ってば・・・」
悪戯っ子のように舌を出した千鶴さんは、包丁をまな板の上に置くと、まだベッドの
上にいる俺の頬に近づいて、軽く頬にキスをした。
「おはようございます。耕一さん」
柔らかい感触・・・ああ、これが誰はばかることない新婚生活なら、このままガバーッ
と押し倒して、あんなことやこんなことを・・・。
「耕一さん?」
なにかを期待するような眼差しで、俺を見ている千鶴さん。
「いっ、いや。なんでもない。朝ご飯にしようか、千鶴さん」
「ええ・・・って、キャァァァ! お鍋吹きこぼれてる!」
お約束通りの千鶴さんのボケ。もしも梓が側にいたら、つっこみが入っているところだ。
だが、梓はここにはいない。
楓ちゃんも初音ちゃんもここにはいない。
で、なぜか千鶴さんだけが俺の逃亡先のアパートにいる。

「まずったよなあ・・・心配かけまいとして、千鶴さんだけに連絡するつもりだった
のに」

そう。俺は逃げてきたのだ。大事な決断を下すための時間を作るために。
「あの・・・千鶴さん? お仕事の方はいいんですか?」
俺は就職先も決まったし、学校の単位も後は卒論だけだから気楽なものだ。ゼミは
代返が通るようないいかげんな先生を選んだし。
「ええ。足立さんからは心配しないで頑張って来い、って言われちゃいました」
なぜか弾むような声で俺に答える千鶴さん。
何を頑張るのかって?
それがわかっているから、悩んでいるんじゃないか・・・。


(ここより、視点変更。場所は商店街)

「なんだか今日のアヤカ、機嫌が悪いね」
「ああ。反則ばかり使う外人選手がいて、むかついたらしいぞ」
浩之とレミィが私の後ろでなにか話している。
しかし、思い出しても頭に来るわ、昨日の対戦相手!
平気で髪はつかんでくるわ、指がらめはかけてくるわ・・・。
しかも、私が注意しても、
「Sorry.Sorry」
ってヘラヘラ笑うばかりで、全然やめようとしないんだもの。
まあ、その代償は払ってもらったけどね・・・。
でも、頭くるわー。勝てばいい、ってもんじゃないでしょう?

ドン!

もしも普段の私なら、そのぐらいのことで腹を立てたりはしなかっただろう。
ショートカットのラフな格好の女の子が走ってきて、肩が当たっただけだった。
「ゴメン! 急いでいるから!」
その女の子は振り向きもせずに謝罪の言葉だけを残して、走り去ろうとしていた。
でも、その時の私はいつもの私じゃなかった。
「ちょっと待ちなさいよ」
私はいつの間にか、女の子の肩をつかんで低い声を発していた。

「だから、ちょっと肩がぶつかっただけだろ? 急いでいるんだから、構わないでよ!」
その女の子の私をにらむ瞳が、なぜか昨日の外人選手を思い出させた。
「やめろってば、綾香。おまえらしくねーぞ」
「あなたも落ち着いて。アヤカはとってもstrong girl ヨ」 
浩之は私の前に、レミィは女の子の前に立って、喧嘩を止めようとする。
確かに浩之の言うとおりだ。私はこんな街の中で、女の子相手に喧嘩するような人間
じゃない。でも、あの女の子の燃えるような瞳を見ていると、試合中の私のように
強烈な闘争心が湧いてしまう。

「やるっていうんなら・・・相手になるよ」

レミィに押しとどめられている女の子がつぶやくと、急に周りの空気がブレる。
まるで、その女の子の周囲だけが重い空気に包まれたような・・・。
女の子が腰を低く落とす。

来るっ!

私はとっさに浩之を突き飛ばすと、その攻撃に備えるべく拳を振りかぶった。
んだけど・・・。

「あ・ず・さ・せんぷぁーい!」

その砂糖をまぶしたような甘い声が響きわたると、私に突進しようとしていた女の子
の殺気が消えた。そして、怯えたような声で呟く。
「なっ、なんで、かおりがここに?」
「やっと、やっとお会いできましたぁー!」
声が響いてくる方向を見ると、商店街の中を砂煙を上げながら疾走してくる別の女の子の
姿が。やっぱり旅に向いたラフな格好で、背中にリュックサックを背負っている。
「やっ、やばいよー。耕一を捜している最中なのに・・・そうだ、あんた!」
私とにらみ合っていた女の子は私の肩をつかむと、じっと私の目を見る。
「ごめん! 姉貴直伝! 変わり身の術!」

ポイッ!

気がつくと、私の体はまるでボールのように、その「かおり」と呼ばれた女の子に
向かって投げられていた。


ムニムニ。
「いっ、いててて・・・やっぱり只者じゃなかったわね、あの梓って子・・・」
「ああーん! 梓先輩ってば、ダ・イ・タ・ン」
ムニムニ。
重い。
誰かが私の体の上にのしかかっている。

「ねー、あのお姉ちゃん達、何しているの?」
「だっ、ダメよ、忠ちゃん! あんなの見ちゃ?」
「うっわー、真っ昼間から。世も末だねー」
「くわばら、くわばら」

商店街の人達の声。もしかして、私に向けられているの?
ムニムニ。
・・・というか、さっきから気安げに私の胸を揉んでいる命知らずはどこの誰!?
「浩之! あんた、やっていいことと悪いことが・・・」
頭に来て私が叫ぶと、そこにはびっくりした顔で私を見ている「かおり」と呼ばれた
娘と、遠くで知らん顔で遠巻きに私達を見物している浩之とレミィの姿があった。
「えっ・・・!?」
「えっ・・・!?」
顔を見合わせる私と「かおり」。
「いっ、いっやぁぁぁぁ!! あんた誰よぉ!」
「いっ、いっやぁぁぁぁ!! あなたこそ誰ですかぁー・・・でも、この感触はなかなか」
ムニムニ。
「だから、胸揉むのやめてってばぁ!」
「梓せんぱーい! どこにいらっしゃるんですかー(シカト)」
ムニムニ。
「ちょ、ちょっともう! 浩之、何とかして・・・」
私が助けを求めると、浩之とレミィは知らん顔で帰ろうとしていた。
「君、助けを呼んでいるみたいだが」
通りすがりの誠実そうな叔父さんが浩之に指摘する。
そう! ナイスよ、おじさま!
「いえ。俺達、あいつの趣味に口出しするつもりはないッスから」
「そう。愛の前に性別は関係ないノ・・・Good bye、アヤカ」
走って逃げていくんじゃない! そこの二人!
仕方がないので、私は自力で、かおりという名前の女の子を振りほどいて逃げ出す
ことにした。


おかしい。おかしい。
私は走りながら、自分に質問していた。
毎日、ランニングを欠かしたことはない。
おかしい、おかしい。
学校でも、私の足の速さは五本の指に入っているはずだ。
おかしい、おかしい。
「お待ちになってー! そこのなかなかの感触の人!」
なんで、私の足にあの「かおり」っていう女はついてこれるのよ!
「ああん、照れなくてもいいのよ。お姉さんが教えてあげるから!」
お姉さん?
同世代と思っていたけど、もしかして年上?
っていうか、そんなこと考えている場合じゃないってば!
つかまったらどうなるか・・・。
嫌な想像をしようとした頭をブンブンと横に振って、私は逃げ続けた。

「こっち!」

曲がり角を曲がった瞬間、誰かの手が私の腕を引っ張った。
「ああーん! 待ってってばー!」
もの凄いスピードで、かおりが目の前を駆けていく。
危ないところだったわ・・・もうちょっとでつかまるところだった。
「ごめんねー。かおりもあの趣味がなければ、いい奴なんだけどさ」
片手で拝むようにして私に謝っていたのは・・・さっきのショートカットの女の子だった。


「ほら。私のおごり」
私はその梓という名前の女に公園で缶ジュースを手渡されても、まだ警戒を緩めなかった。
だって、さっきの気迫はただごとじゃなかったもの。
「なんだよー。まだ怒ってんの? 肩がぶつかったくらいで大げさだねー」
「そうじゃなくて・・・あなた、何者?」
私の言葉に梓はビクンと反応したが、すぐに笑顔を作って私に向き直った。
「柏木梓。ちょっと捜し物があって、この街に来たの」
「じゃあ、梓。あなた、何か格闘技でもやっていたの?」
「ちょっと、ちょっと・・・私、一応ハタチのつもりなんだけど?」
梓は苦笑しながら、私を注意した。
「呼び捨てが気に入らないの?」
「ま、一応ね」
今度は私が苦笑する番だった。
「さっきの人間爆弾のお礼よ」
「あっ、やっ、だっ、だって、さっきのはその・・・」
気性は激しそうだが、素朴な性格のようだ。
「で、捜し物って?」
ペースを握ったことに満足した私は、梓の悩み事を解決してあげることにした。
さっき助けてくれたのは事実だしね。


「こいつを捜しているんだ・・・」
梓が見せてくれた写真に写っていたのは、冴えなさそうな顔をした大柄な男性。
そして、その太い腕を抱くようにして、ロングヘアーの女性がこれ以上ないくらいの
明るい笑顔でピースサインをしている。
「ふーん? もしかして、梓の恋人かなにか?」
私が気軽に質問すると、梓は顔を赤くしてうつむいてしまう。
あれ、カマかけが当たったのかな?
でも、それだったら男の人の横にいる女性の存在が不思議になってしまう。

「・・・勘違いしたんだよ」

ボソリとなにかをつぶやく梓。
「耕一がはっきりしないから、千鶴姉が勘違いしちゃったんだよー!」
その悲鳴のような叫びは、公園にいた鳥が飛び立って逃げ出す程、大きなものだった。

「えーと・・・じゃあ、ちょっと整理しましょうか」
肩で息をしている梓をベンチに座らせて落ち着かせると、私は情報をまとめることにした。
「うん・・・」
やっぱり、梓は素朴な性格だ。熱くなると手に負えないが、普段はおとなしい。
「1.この写真の人物の耕一さんは、あなたと結婚の約束をした。
 2.同居している他の家族に言い出すのが難しかったため、考える時間が
   欲しかった。
 3.それで行方をくらました
 ・・・で、いいのよね」
梓は黙ってうなずく。
「そこを、あなたのお姉さんが勘違いしてついていっちゃった、と」
「ううっ・・・千鶴姉のアホォ・・・」
でも、考えてみると心配する必要はないんじゃないのかな。
「あなたと結婚の約束をしたんでしょう? だったら、間違いが起こるはずがないじゃない」
「違う! 起こるんじゃなくて、起こすんだよ、千鶴姉は・・・」
なーんか、とんでもない問題に足を踏み入れちゃった予感が。
「ねえ、あんた! 耕一を見かけなかった? あいつ、優柔不断なんだ。いつまで
千鶴姉の誘惑に耐えきれるか・・・」
私の袖をつかんで、必死に訴えかける梓の顔を見ると、そうも言っていられない。

「わかったわ! この来栖川綾香にまかせなさい!」

私は胸を叩くと、梓さんにそう言っていた。


「それでね、梓さん・・・」
「梓でも構わないけど?」
「真剣に悩んでいる人をからかう趣味はないの。いいから聞いて。多分、耕一さんが
いる場所はすぐに特定できるわ」
梓さんはパッと顔を輝かせる。
「問題なのは、誰がこの写真を撮ったか、っていうこと。この出来なら、専門の人が
撮ったに違いないわ。その人に聞けばすぐにわかるわよ」
「そっ、そうか! よっし、耕一! 待ってなよ、すぐに助けに行くからね!」
さっきまで落ち込んでいたのに、耕一さんが見つかるとわかると、すぐに明るい笑顔
になった。
いいなあ。そんなに好きになれる相手がいて。

私はしみじみ、そう思った。

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おまけ

「ヒロユキ、アヤカを置いて逃げて、ダイジョウブなの?」
「まあ、取って食われはしないだろ?」
「でも、昨日のアヤカの対戦相手、全治三ヶ月だそうデス・・・」
「しばらく身を隠すか・・・」

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続き物の第弐弾です。

えー、競作の件では皆様に御迷惑をおかけしました。
競作が始まった頃からの過去ログはNTTTさんが保存してらっしゃるので、
tenkodo@mx4.tiki.ne.jp
までメールしていただければ、送ってもらえます。

また、競作に間に合わなかった、出しにくくなったので出せなかったという方がいらっしゃいましたら、
どうか新作として出して下さい。
文末に「kyousaku」と打っていただければ、必ず僕が感想のメールをお出ししますので。

では、感想、苦情、リクエストなどがございましたら、
aiaus@urban.ne.jp
までお気軽にどうぞ。
ではでは。