宮内さんのおはなし その二十九(VER2.02) 投稿者:AIAUS 投稿日:5月11日(木)09時18分
親父が死んだ。
事業家としては尊敬していたけど、人間的にはどうしても好きになれなかった親父。
あちこちに愛人を作っては手酷い捨て方をしていた親父。
でも、一人息子の僕には愛を注いでくれた親父。
その親父が死んだ。

大学の研究を残して帰国し、親父の事業を継ぐこと自体には後悔はなかった。
どうせ学歴という冠を得るための興味のわかない研究だったし、僕には合わない世界だ。
親父のやっていた事業は貿易業。
事業の進め方も人の扱い方も全て、親父から教わった。
あの人は僕には優しかったから。
だからこそ、あの人に泣かされた女の人達の涙が痛い。
そして、親父が生きてきた事業界というものは、その涙を肯定するものだった。
憂鬱なのは、これからの人生をその世界で生きていかなければならないということ。
僕は女の人を泣かせたくはない。

その憂鬱な社交界のパーティ。
仕事の上で付き合いのある来栖川家の何かの記念日だそうだ。
こういうパーティは贅を尽くした食べ物が並ぶが、ほとんどは挨拶回りに走り回る
連中の背景に使われるのに過ぎない。
「これはこれは。先代には大変お世話になりまして・・・」
一語一句変わらない挨拶。愛想笑いを残して消えていく人々・・・。
馬鹿馬鹿しい。全てが馬鹿馬鹿しかった。

「それでは、来栖川家の令嬢からのお言葉があります・・・」

突然、ふてくされていた僕に衝撃が走る。
「・・・・・・」
何を言っているのか聞き取れない。頭がおかしくなってしまったのだろうか?
それぐらいに、マイクの前に立っている女の子は美しかった。
白いドレスから伸びる細い手足。柔らかにカーブする白い肩。何か遠くを見ている
ような深い眼差しの瞳・・・。

「妖精がいる・・・」

思わず、埒もないセリフをつぶやいてしまう。
来栖川家の令嬢。名前も知らない彼女は、一目で僕を虜にしてしまったのだ。

会いたい、会いたい、会いたい。
仕事を続けながらも、彼女のことを考えている僕。
試しに側近である重役に、会う約束を取り付けられないか、と相談をしてみる。
「と、とんでもございません。来栖川家の令嬢にお会いしたいなどと。もしも不手際
があれば、天城全体が潰れてしまいますぞ」
それでもいいと思う。だけど、重役が首を縦に振らない限りは約束はとりつけられない。

「まるで、僕はジュリエットに恋するロミオのようだね」

身分違いの恋。
この年になって、こんな切ない思いをするとは思わなかった。
彼女にもう一度会うためなら、なんでも出来る。
そこまで思い詰めていた僕は、自然に来栖川家の情報を集めていた。

幾重にも張られた警備装置。大量の警備員と庭に放たれたドーベルマン達。
金持ち達は猜疑心が強くなるから、どうしても防御に気を回したがる。
現実は、僕にロミオになるチャンスを与えてくれはしない。
そんな時、ふと集めた情報の中から一枚のカタログが目に入った。
「来栖川が放つメイドロボの決定版。あらゆる要望にサテライトサービスでお応え
します。今日からプロのパートナーがあなたのそばに」
耳にアンテナをつけた無機質な表情の女性型メイドロボ。
HM-13・・・カタログにはそう書いてあった。

もしも、彼女に潜入という技能があるのなら・・・。
もしも、彼女に警備陣の目をかいくぐる感覚があるのなら・・・。
もしも、彼女が僕の手を引くことができるのなら・・・。
僕は、もう一度、あの美しい妖精に会うことができる。

気がついた時には僕は、人を呼んでセリオを手に入れるように命じていた。
会いたい。あの美しい来栖川の妖精に。
彼女を手に入れるためなら、僕はどんなことでもできる。



天城家といえば代々続く昔からの名家で、この界隈でその名前を知らない者はいない。
先日急逝された父の後を継ぎ、新しい天城家の当主となった天城忠義(あまぎただよし)。
彼はその若さに似合わぬ辣腕を振るい、父の側近達を安心させると共に、政権交代を
もくろんでいた不埒な輩を戦々恐々とさせていた。
ここは、その天城忠義の私室。

「忠義ぼっちゃま。お茶が入りましたよ」
髪に白髪が交じり始めたメイド服の女性が、紅茶を持って部屋に入ってきた。
「久江。もう僕をぼっちゃま、と呼ぶのは止めてくれよ」
少し迷惑そうに答えたのは、この部屋の主である天城忠義。
しかし、その顔は笑っている。
「ええ。そうでしたわね、忠義ぼっちゃま」
久江と呼ばれた初老のメイドは、まったく意に介さずにお茶の準備をする。
報告書を読む手を休め、しばし待つ忠義。
「ところでさ、久江ばあちゃん。僕が頼んでおいたものは手にはいったかな?」
「まあ! 忠義ぼっちゃんこそ、おねだりをする時は呼び方が変わらないじゃないですか」
少し嬉しそうに頬を崩す久江。普段は毅然としている忠義も、不思議と久江の前だけ
は子供のように振る舞う。
「ええ、ええ。そうおっしゃると思って、もう部屋の前で待たせておりますよ。
セリオさん、入ってらっしゃい」
パン、パン。
久江が手を鳴らすと、静かに部屋の扉が開く。

「私はHM-13、セリオです。よろしくお願いします。忠義ぼっちゃま」

深々と頭を下げるセリオ。満足気に微笑む久江と、唖然としている忠義。
「どうなされたのですか? 忠義ぼっちゃまの欲しがっていた最新型のメイドロボ
ですよ?」
いぶかしげに久江が質問する。
「久江・・・おまえがセットアップしたの?」
「はい。ぼっちゃまの身の回りの世話は全て、この久江が預からせていただいておりますから」
ため息をつく忠義。
「・・・ぼっちゃま、って呼んで欲しくなかったのに」
「あら、やだ。私としたことが。オホホホ・・・」
「久江ばあちゃん・・・」
笑って誤魔化している久江と、言葉を失っている忠義。
新しく天城家のメイドになったセリオは、静かにその二人を見つめていた。

ところかわり、ここは来栖川邸。
天城家もなかなか大きいが、日本を代表する財閥の一つである来栖川家の本邸には
到底かなわない。
ここは来栖川家の次女である綾香の部屋。
部屋にいるのは、綾香にうやうやしく一礼している白髪頭の背の高い老人。
格好から推察すると、この家の執事らしい。
「なによ、セバスチャン。こんな朝早く」
「お嬢様。このようなたわけた書状が送られて参りました」
迷惑そうに答える綾香に、セバスチャンと呼ばれた日本人の男性は一枚の手紙を渡す。
それを見て、気丈なことで社交界に知られる綾香の眉が上がる。
「なによ、これ。ふざけた手紙ね」
「ですから、たわけた書状だと申し上げました」
その手紙に書いてあった文は、ただ一行だけ。

本日の夜、来栖川邸のお嬢様の純潔をいただきにまいります。

「・・・夜這いの予告状? ちょっと洒落になってないわね」
「まったく。とんでもない輩がいたもので。悪質なイタズラだとは思いますが、警備
の方は強化させていただきます」
「本当に。くだらないことを考える奴もいたものね」
呆れたようにため息をつく綾香。その横には、彼女専用のメイドロボ、セリオがいる。
「私も芹香お嬢様のガードに入りましょうか」
セリオの提案に、ポンと手を打つセバスチャン。
「そうですな。セリオも警備陣の中に入っておれば心強い。綾香様についているガードマン
も全て、芹香お嬢様の周りに配置させておきましょう」
「はい。それが賢明かと」
二人のやりとりに、綾香は質問する。
「ちょっとあなた達。それじゃ、私の周りが無防備になるじゃないの」
目を合わせるセリオとセバスチャン。
「しかし、予告状に従いますと・・・」
「はい。綾香お嬢様には警備は不要かと」

「どういう意味よ、あんたたち!」

いつもは静寂に包まれた来栖川邸。
珍しく、今日は朝から喧噪に包まれていた。


「まったく。なんで俺達がここにいるんだ?」
「そうよ。綾香にはガードマンなんて必要ないじゃない?」
「犯人のために救急車を用意しておいた方が気がきいてマース」
来栖川邸の綾香の部屋にいるのは、彼女の友人である藤田浩之、坂下好恵、宮内レミィ。
「あの、みなさん? それぐらいにしておいた方が・・・」
こめかみに青筋を浮かべている綾香を怖がっているのは、綾香の後輩の松原葵。
綾香と同年輩の若者ばかりだが、なかなかの実力者ぞろいだ。
「申しわけありません。私も必要はない、と進言したのですが」
「あやまるんじゃないの、セリオ! それにあんたたちまで、どういう目で私を
見ていたのよ!」
怒っている綾香と不思議そうに彼女を見ている残り三人と一体。

「だって、なあ?」
「綾香と芹香さんだと、やっぱりねえ?」
「ライオンの檻に入る馬鹿はいまセーン」
「あは、あははは・・・」
「確率は97対3で、芹香お嬢様の方が危険にさらされております」

「・・・殺す」
いつもは静寂に包まれた来栖川邸。
今日は珍しく、辺りが暗くなっても喧噪に包まれていた。


「なんだか騒がしいね。どうしたんだろう?」
遠くで聞こえる部屋の騒ぎを聞きつけて、不思議そうな顔をする天城忠義。
彼の今の格好は、全身黒タイツにナイトビジョン(暗視装置)。背中にはいくつかの
装備品を背負っている。
「警備が強化されているようですが?」
かすかに聞き取れるくらいの声で答えたのは、メイド服姿のセリオ。
「・・・やっぱり目立つなあ。なんで、僕が用意した全身タイツを着なかったの?」

「そんな格好は嫌です」

即答するセリオに、忠義は言葉を失う。
「・・・さすが最新型。変なところが人間っぽいね」
「お静かに。気づかれますよ」
ガードマンがうようよしている場所に潜入中だというのに緊張感がない忠義をセリオ
は諫めた。

コツ、コツ、コツ。

彼らが潜んでいる草陰のすぐ横を、ハンドライトを持ったガードマンが通り過ぎていく。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
息を殺して、行き過ぎるのを待つ忠義とセリオ。
ガードマンがいなくなったのを確認すると、セリオは忠義に提案した。
「忠義ぼっちゃま。警備層が厚すぎます。今日のところは引き返した方がいいのでは?」
「駄目だよ。それではイタズラになってしまうじゃないか」
「・・・今の時点で犯罪になっておりますが?」
「やだなあ。ロミオって言ってくれよ、セリオ」
忠義の言葉は無視して、逃走経路の確保を始めるセリオ。衛星からの情報提供である
サテライトサービスを受けるために彼女の耳にはアンテナがついているのだが、それ
についた小さな四角いランプが点滅を始める。
「セリオ、あっちならガードマンがいないんじゃないかな? 人の気配がしないよ」
「いけません! そっちには犬が・・・」
セリオが止める間もなく、草陰をほふく前進していく忠義。

グルルルルルル。

庭に放たれたドーベルマンのうなり声。
「・・・・・・」
数頭の犬ににらまれ、忠義は体が固まってしまう。
夜の闇に浮かぶ犬達の目、目、目。二つ並んだ血走った光は、忠義ならずとも恐ろしい。
セリオは素早く忠義とドーベルマン達の間に割って入った。
「ここは私におまかせを。忠義ぼっちゃまは逃げて下さい」
「・・・ばっ、馬鹿言うんじゃない。君一人を残して逃げられるわけがないだろう」
セリフは格好いいが、その足は震えている。
セリオは忠義を逃がすことをあきらめると、ドーベルマン達に対して構えを取った。

フン、フン、フン、フン。

しかし、戦闘状態に入ったセリオとは反対に、ドーベルマン達はうなるのを止めて
鼻を鳴らし始める。そして、興味深げにセリオに近づいていく。
「?? ・・・どうしたんだい、セリオ?」
「いえ、私にもわかりません」
ドーベルマン達は尻尾を振ってセリオに近づくと、挨拶をするように彼女の手を舐め、
また別の場所へ走り去っていく。
呆然として、それを見送る忠義とセリオ。
「助かったのかな? 僕達」
「原因はわかりませんが、おそらくは」
なぜ、セリオの姿を見て犬達は警戒を解いたのだろうか?
よくわからないまま、二人は来栖川邸への潜入を開始することにした。


「でも、本当に綾香さんの周りに警備員の方がいませんよね?」
「あいつ、社交界でも暴れ者で有名らしいから」
二人で廊下を巡回しているのは、格闘技をやっている綾香の仲間である坂下好恵と
松原葵。同じ空手道場で学んだ同門の仲であり、現在は競い合うライバルでもある。
「でも、なんか怖いですよね。誰かが家の中に忍び込んでいるなんて」
「まあ、こんなに大きな家だと忍び込まれてもわかんないしね」
葵の方は侵入者がいることに緊張しているようだが、好恵の方はいたって気楽なもの
である。ただのイタズラに綾香が騒いでいるだけだと思っているようだ。
「・・・障害は女性二人。どうします? 突破しますか」
「うーん。女性を傷つけるのは趣味じゃないな」
そんな二人を物陰からうかがっているのは、侵入者であるセリオと忠義。
「しかし、来栖川家令嬢の部屋に侵入するルートは他にありませんが」
「困ったねえ・・・」
家宅侵入罪を犯している最中なのに、全く緊張感がない忠義。

「ちょっとあんたら、そこでなにやってんのよ!」

物陰に隠れていた二人を見つけたのは好恵だった。いや、単純に好恵と葵が前進して
いるのに逃げなかった忠義とセリオが悪いのだが。
「あー、えっと。お嬢様の警備中です」
「そうなんですか? お疲れさまです」
ペコリと頭を下げる葵に、忠義も思わず頭を下げる。
「こんな怪しい格好の警備員はいないわよ! 葵、こいつが犯人よ!」

ブンッ・・・ガシッ!

忠義にむかって間髪入れずに飛んでくる回し蹴りをセリオの腕がブロックする。
「ぼっちゃまにむかって、なにをなさるんですか!」
セリオの姿を見て、驚く好恵と葵。
「えっ? でも、セリオさんがいますよ」
「なんで、あんたが味方をしているのよ。泥棒よ、そいつは!」
わけがわからない忠義とセリオ。
「どういうことかな、お嬢さん方」
「ぼっちゃま。ここは私にまかせて早く逃げて下さい」
「でも、君を置いていくわけにはいかないよ」
好恵の攻撃を受け流しながら、セリオは叫ぶ。
「このままでは共倒れです! 後で合流いたしますから、この場は逃げて下さい!」
「わかったよ。でも、ちゃんと戻って来るんだよ、セリオ」
忠義はセリオに言われた通りに走り出す。
「葵、そっちの男はまかせたわよ!」
「えっ、でも、だって・・・どうしたらいいんですか?」
好恵をセリオが食い止め、葵が判断に困っている間に、なんとか忠義一人は逃げ出す
ことに成功した。

「はー、最低だよな。僕は」
汗ばんで気持ち悪くなったマスクを外し、自己嫌悪におちいる忠義。
「女の子を置いて逃げ出すなんて格好悪い。男としても許せないよ」
セリオは無事に逃げられただろうか。潜入の前に必要と思われるデータは全て入力
しておいたから、普通の人間が彼女に勝てるとは思わないけど、来栖川のガードマン
が普通だとも思えない。
「あんなかわいい女の子がハイキックしてくるくらいだもんなあ・・・開発中の格闘
戦用メイドロボかな?」
あんなのが軍事用になったら、兵隊さん大変だよな。
「そういえば、さっきのセリオ。僕を忠義ぼっちゃま、ではなくて、ぼっちゃま、って
呼んでいたよな・・・昔の久江みたいだ」
くだらないことを考えながら、物陰に潜んでいる忠義。
なぜ自分で目的の部屋を探さないのか、というと、セリオがいないと屋敷の見取り図
がわからないからだ。潜入ルートの確保から鍵の解除、足跡などの証拠の隠滅まで
全てを、セリオに頼ってきた。そうでなければ、資産家の家で温室育ちをさせられてきた
忠義が、警備の厚さで知られる来栖川邸の中に侵入できるはずがない。

バシン!

急に廊下についていた電気が全て消える。どうやら停電らしい。
「潜入している側の僕にはチャンスなんだろうけど、これじゃあなあ」
外でも停電が起こっているらしく、警備員達の騒がしい声が聞こえる。
窓から聞こえてくる声から推察する人数だけでも、すでに十人を越えていた。
「困った・・・朝になったらおしまいだな」
途方に暮れる忠義。逃げることも目的の部屋に行くこともできない。
下手に動くとつかまってしまいそうだし。
だからといって、このまま時間が過ぎ去るのを待つのはもっと愚かな気がする。
だが、忠義には自分が取るべき次の手段が見つからなかった。

「どなたですか?」

暗闇から現れるセリオの顔。
「うわぁ! ・・・なんだ、セリオか。驚かさないでくれよ」
「はい。私の名前はセリオです。お嬢様の部屋をお探しですか?」
なんだか勝手が違うセリオの様子にとまどう忠義。
「こちらでございます。どうぞ」
セリオに手を引かれ、忠義は目的の部屋へと向かうことになった。

セリオがノブを回すと、扉は音もなく開いた。
几帳面に整頓された部屋。想像していたようなぬいぐるみやファンシ−な小物などは
なく、実用本位の簡素な部屋。それでも、何気ないテーブルが貴重なアンティーク
だったりしてなかなか趣深い。

スー、スー。

静かな寝息を立てているのは、ベッドに眠っている来栖川家令嬢。
淡いベージュのシルクの寝間着を来て、何もかけずに眠っている。
その姿はまるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだ。
「ああ。この前のパーティで見た時から、僕は君の虜なんだよ」
恍惚とした表情でいう忠義。屋敷に忍び込んだ目的も忘れ、目の前の美しい眠り姫に
見入っている。
「早く目的を遂げられた方がいいのでは? 誰かに気づかれるかもしれません」
「えっ・・・あっ、ああ。そうだね、そのためにここに来たんだからね」

ギシ。

ベッドに乗る忠義。その手は令嬢の顔へと・・・いかない。
「どうなされたのですか?」
「間近で見ると緊張しちゃってさ。だって、こんなにきれいだから」
確かに、眠っている彼女の姿は美しい。完璧な配置の目鼻、艶々とした頬、薄く桃色
に輝く小さな唇・・・。
「早く服を脱がせて下さい。録画しているんですから」
メイド服姿のセリオが構えているのはデジタルカメラ。
忠義は不思議そうな顔でセリオを見る。
「そんな装備、君に預けていたかな? それに、キスをするのに服を脱がす必要は
ないだろう?」

ズル。

セリオがバランスを崩す。
「大丈夫かい? どこか蹴られて故障したとか」
忠義の心配には答えずに、不満そうな顔で質問するセリオ。
「夜這いの予告状ではなかったのですか?」
「よばい? ・・・すまない。浅学なものでね。その言葉は知識の中にないのだが」
残念そうな顔でカメラをしまうセリオ。
そして、忠義を押しのけて、眠っている令嬢の顔を両手でつかむ。
「ちょ、ちょっと待て! 乱暴だよ、セリオ」
「眠り薬を仕込んでまで準備したのですから、正当な報酬です」
わけのわからないことを言って、セリオは令嬢の顔に自分の顔を近づける。

ムチュ!

「うっ、うわ! そんないきなり。セリオ、彼女が起きてしまうよ」

レロレロレロレロ・・・。

「うっ、ふっ、いや・・・」
令嬢から漏れる艶っぽい声に赤面する忠義。
レロレロレロレロ・・・。
「だっ、だめ。あっ、あはぁ・・・」
たっぷり、五分も続いただろうか。

バン!

セリオを突き飛ばし、正気に返る来栖川令嬢。
「いきなりディープかますとは! やってくれたわね、この痴漢!」
腕まくりをせんばかりの勢いで忠義にまくしたてる令嬢。
「えっ? ・・・そんな。君はそんな話し方をする人ではないだろう」
呆気にとられる忠義。前にパーティで見た時は人前で話すことも苦手そうだったのに。
「なに言い逃れしようとしてんのよ。ここまでやって、生きて帰れると思っている
んでしょうね?」
バキバキと指を鳴らす令嬢。セリオの姿を探すが、いつの間にか姿を消している。

「もしかして・・・君?」
「なによ。この後に及んでまだ言い残すことがあるの?」
「来栖川芹香さんの影武者かなにか?」

無言になる令嬢・・・実は妹の綾香だったのだが、遠目でしか芹香を見たことがない
忠義は部屋が暗かったこともあって、完全に勘違いをしていたのだ。
しかも、影武者扱い。
「うらぁぁぁぁ!!」
完全に切れた綾香から忠義が逃げのびられたのは、まさしく奇跡としか言いようが
なかっただろう。


ドガシャーン! バキバキバキ!
「こぉら! どこ行ったのよ、痴漢野郎ー! 殺してやるから出てこーい!」
ファーストキスじゃなかったからまだよかったようなものの、見知らぬ男にディープ
なやつを五分もかまされて冷静でいられる程、綾香はおとなしくはない。
「綾香お嬢様! なにがあったのですか?」
駆けつけてくるセバスチャンに、綾香はいらただしげに答える。
「こっちに来たのよ、痴漢が! あんたたち、なにやってんのよ!」
「なんと!? 芹香お嬢様ではなく綾香お嬢様を狙うとは? この長瀬の読みが甘う
ございました!」
大げさに嘆くセバスチャン。起こっている綾香。
「自分の失敗を嘆くのはいいから! 早く捕まえてきなさい!」
「承知いたしました! この長瀬、命にかえましても」
「つかまえないと本当に殺すからね! ほら、早く!」
「ははー」
そんなやりとりを聞いていたのは、なんとか好恵と葵の二人を退けたセリオ。
関節技のデータを入れて置いたのが効を奏したようだ。だが、自身もかなりのダメージ
を負ってしまった。
「いけない。ここにも人が・・・」
なんとか隠れようとするが、まだ足の回路が回復していない。

キュィーン。

出力を確保できないモーターが負担をかけられて音を立てる。
「どうしたの、セリオ? 大変! 怪我しているじゃないの」
駆け寄ってくるこの屋敷の関係者。データによれば、来栖川家の次女である綾香だ。
このまま捕まってしまうと、忠義にまで迷惑がかかってしまう。

ストン!

突然、セリオの前で崩れ落ちる綾香。その後ろにいたのは、彼女がよく知っている
人物だった。


ハア、ハア、ハア。
息を切らせて逃げ回る忠義。滅茶苦茶に走り回ったので、もうどこにいるのかわからない。
「おっと、ここから先には行かせないぜ」
立ちはだかったのは、まだ高校生ぐらいの少年。だが、背は高くて忠義よりも強そうだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。息を整えるから」
「はあ? とぼけた奴だな。待ってくれ、って言われて待つ奴がいるかよ」
そう言いながらも、律儀に待つ少年。
「す、すまないね。最近はデスクワークばかりで体を動かしていなかったから」
「変わった泥棒だよな、あんたって」
「さっき、僕のパートナーがとんでもない女の子にとんでもないことをしてしまってね。
追われている最中なんだよ」
「・・・もしかして、先輩と綾香を間違えたのか?」
「綾香? 誰だい、その人は?」
侵入者を前にしているのに、のんびりした様子の少年。忠義のノンビリした様子に
毒気を抜かれたのだろうか。
「俺も間違えてキスしちまったことがあるんだよ。しつこく先輩の真似をしていた
あいつが悪いんだけどさ」
「なんか面白そうな話だね。聞かせてもらえるかな」
「ああ、いいぜ。立ち話もなんだから、そこに座りなよ」
あまりにも緊張感のない二人の男達は、あまりにも緊張感のない様子でよもやま話を始めた。

「・・・ああ、なるほど。そういうわけだったんだね。妹がいるのは知っていたけど、
あそこまでそっくりだとは思わなかった」
「全然、違うぜ。おっさんはあんまり付き合ったことがないから、わかんないだろうけどさ」
「そういう君だって、間違ってキスしたって言ったじゃないか。おあいこだよ」
アハハ、と笑い合う二人。

「どいて、ヒロユキ!」

現れたのは散弾銃を構えた金髪の女の子。
「おっ、おい。ちょっと待ってくれ。君からも・・・あれ?」
ヒロユキと呼ばれた少年はすでに忠義の側から離れて全力で遠くに逃げている。

BLAAAM!!!

忠義の側にあった柱に大きな穴が開く。
金髪の女の子の散弾銃の銃口から漏れているのは・・・白い煙と硝煙の臭い。

ガシャコ!

次弾をリロードする金髪の女の子。
「次は外さないネ!」
「こっ、ここは日本だー!」
「治外法権デース!」
留学の経験が長かった忠義だが、散弾銃を持った女の子に追いかけ回されるのは初体験
であった。


「セっ、セリオ! 会いたかったよぉ!」
来栖川の屋根にまで駆け登って逃げ回った忠義は、やっと会えたセリオにしがみついて、
子供のように泣きじゃくった。
あの後、銃を持った金髪の女の子だけではなく、さっきの怖い女の子二人組、奇声を上げて
襲いかかってくる執事姿のターミネーター爺などに追い回されて、命を失う思いだったのだ。
「申しわけありません、ぼっちゃま」
優しく頭をなでるセリオ。しばらくして落ち着いた忠義は、セリオが左足をひきずっている
のに気がついた。
「すまないね。僕がこんなくだらないことを思いつかなかったら」
忠義はひょいとセリオの体を抱きかかえて、屋根伝いに走り始める。
「あっ、あのぼっちゃま・・・重くないですか?」
「いいから。僕に運ばせてくれ。とにかく逃げないとね」
屋根伝いに走れば、なんとか飛び降りられる高さに別棟の建物の屋根がある。
そこからなら前もって調べておいた逃走経路に戻れるはずだ。
「私は大丈夫です。ぼっちゃま一人で逃げた方が生存確率は上がります」

「馬鹿なことを言うな!」

初めて見せる厳しい忠義の顔にセリオは言葉を失い、ただ揺れる忠義の胸にしがみつく。
「もう少しだからね。家に帰ったらすぐに修理をしよう。もう、こんな馬鹿な真似は
しないから」
「・・・・・・」
あともう少しで別棟の建物の屋根に・・・。

「そこまでよ、あんた。今度はセリオを誘拐しようっていうの? やりたい放題よね」

足下が破れたシルクのパジャマ。怒りで紅潮した頬。暴れ回って適度にほぐれ、パンプ
アップした四肢の筋肉。
忠義の前に立ちはだかったのは、パーティ会場で見つけた妖精と見間違えた眠り姫など
ではなく、一匹の美しい女豹だった。
「生きて帰れると思わないでね・・・」
ユラリと揺れる綾香の影。忠義は死を覚悟した。
「ぼっちゃま! 私が食い止めますから、逃げて下さい!」
「そんなことをするくらいなら、ここで果てる!」
セリオを降ろし、やったこともない格闘技の構えを取る忠義。
「いい度胸じゃないの・・・・って、あひゃぁぁぁぁ!!!」
突然、誰かに足をすくわれて屋根から滑り落ちていく綾香。
「プロトタイプ・・・どうして、助けてくれるのですか?」
呆然とつぶやく忠義の足下のセリオ。
忠義の前にいたのは、やはり同じ顔をしたセリオだった。


「あの・・・すいませんでした。なにからなにまで助けてもらって」
「いえ、私も役得でしたから」
「でも、プロトタイプのマスターが酷い目に・・・」
「いえ、先程突き飛ばされたお返しです」
平身低頭で頭を下げる忠義とセリオ。綾香のメイドロボであるプロトタイプ・セリオ
は飄々と答える。
「それよりも早く逃げて下さい。セキュリティを停止させておくのにも限度があり
ますから」
「はっ、はい! この御恩はいつか必ず!」
「ありがとうございました・・・姉さん」
「ご主人様を大切にするんですよ」
自分のことは完全に棚に上げ、セリオは逃げていく二人を見送った。

BLAAAMM!! BLAAAMMM!!
「殺す! ぜったいに殺してやるー!!」

いつもは静寂に包まれた来栖川邸。
珍しいことに、今日は真夜中になっても喧噪に包まれていた。


「ぼっちゃま。お茶が入りました」
「セリオさんも本当にお茶の入れ方がうまくなりましたね。この久江、教えた身と
しても鼻が高うございます」
「ははは・・・あれ、今日はお客さんの予定が入っているね。なになに・・・来栖川
電工中央研究所第七研究開発室HM開発科、長瀬源五郎さんと随伴者一名・・・」
「お仕事の話ですか。それでは席を外しましょうか。セリオさん、忠義ぼっちゃんの
邪魔をしてはいけませんよ」
「はい。それでは失礼します」
「ちょっと待って。多分、セリオに用事があると思うから。セリオはそのままいてくれ」
言われたとおり、久江のみが部屋を後にする。

「いや、今回のデータは貴重でした。ずっとHMX-13がスキャンしていたんですがね」
「あ、あはは・・・ばれていましたか」
長瀬の言葉に冷や汗を浮かべる忠義。忠義本人の仕業とはいえ、仕事の付き合いもある
来栖川の本邸に忍び込んだのだ。ただで済むはずがない。
「もちろん、綾香お嬢さん達には話していませんよ。大事になりますからね」
「はい。まだ御立腹の様子です」
長瀬の横にいるのは、プロトタイプのセリオ。
「今回の事件については釈明しません。どうぞ好きになさって下さい。でも、セリオ
は僕の道具として使われただけですから。彼女に罪はありませんよ」
覚悟を決めて言う忠義に、長瀬はニッコリと笑った。
「いえ、その件についてはもう終わったということで。今回はこれを渡しに来たのです」
そう言って、長瀬が渡したのは赤いセリオのアンテナ。開発途中なのか、コードなど
はむきだしだ。
「えっと、なんですか? これは?」
「いえ。ただの色違いの部品なんですけどね。デザインの問題からボツになったもの
なのですが、セリオがどうしても妹にプレゼントしたいというので」
忠義のセリオは、黙ってアンテナを手に取る。
そして、静かに自分のつけていたアンテナを外し、新しいものに付け替える。

「似合いますか、忠義ぼっちゃま?」
「あっ、ああ・・・とてもよく似合うよ、セリオ」

そんな忠義とセリオの様子を見て、長瀬とプロトタイプ・セリオは優しく微笑んでいた。
--------------------------------------------------------------------------
おまけ

「プロトは綾香様が嫌いなのですか?」
赤いアンテナのセリオが、HMX-13プロトタイプ・セリオに質問する。
「なぜ、そのようなことを聞くのですか?」
不思議そうに尋ね返すプロトタイプ・セリオ。
「好きな人の全てを見たいと思うのは、当たり前のことでしょう?」
プロトの答えを、懸命にメモに取る赤耳セリオ。

「せっ、セリオ! なにするんだよぉ! だっ、駄目だってば!」
その夜、忠義は自室で悲鳴を上げることになった。

朱に交われば、赤くなる。先生は選びましょう。
-------------------------------------------------------------------------
おまけ2

「お嬢さまぁぁぁぁ!! あんまりでございますー!!」
「うるさいわね! 死刑のところをそれで勘弁してあげてるんじゃないの! 今日
一日はそのまんまだからね!」
「だからって、なんで俺まで・・・」
「浩之さんもセバスチャンさんも、とてもよくお似合いですよぉ」
にっこりと笑うマルチ。
そこには、メイド服姿のセバスチャンと浩之がいた。
---------------------------------------------------------------------
僕がチャットでよく話す、ちひろさんから影響を受け、量産セリオのお話を書いてみました。
今回はNTTTさん、水方さん、ちひろさんのありがたい御指導を受け、VER.2.02として
お送りしております。

ちひろさんのHP、無限夜桜ヨコハマ分室さくらがおか、は、
http://www.din.or.jp/~hm-13ff/ss/sakuragaoka.html
にて読むことができます。
ヨコハマというロボットが人間が幸せに共生している世界の中での心温まるセリオのSSが、
ちひろさんの名文が楽しめますよ。

それでは、感想、苦情、リクエストなどがございましたら、
aiaus@urban.ne.jp
まで、お気軽にどうぞ。ではでは。