理緒に贅沢をin藤田家 投稿者:DEEPBLUE 投稿日:10月18日(木)01時44分


「さて。本日我が藤田家に理緒ちゃんとその弟良太君を招いた理由は、他でもない」
「はあ……」
「マルチっ!」
「はいです!」
 俺の掛け声に応えて、マルチが事前の打ち合わせどおり、壁の一部を覆った垂れ幕を引
き剥がす。
 そこには、俺がマルチに命じて作成させておいた横断幕があった。


 第一回チキチキ理尾ちゃんに贅沢をさせてみる夕べinASAMA(=藤田家)


「そういうわけだ」
「藤田君……『お』の字が違う」
「……」
 振り向いて理緒ちゃんの言葉を確認し、続いて既に奥のほうで縮こまっている緑の髪し
たロボットを見やる。
「……マルチ」
「ひぃぃ、ご、ごめんなさぁい」
 背中を向けて丸くなり、頭を両手で隠した格好で震えるマルチ。
「だから、難しい漢字は無理せずひらがなで書けっていったろう!」
「や、やれると思ったんですう。背伸びしたい年頃なんですう」
 起動時間総計にすればまだ0歳児のくせして、そんなことを言い出す。
「もっと難しい『贅』はちゃんと書けてるじゃねえか」
「ううう。超並列処理システムによる擬似人格AIに向けてそのようなロジカルな疑問を
発せられても、表層人格としてはただただ困り果ててしまいますぅ」
「わけのわからん言い訳ばかり成長しやがる」
「ふ、藤田君、それはもういいから」
 苦笑する理緒ちゃんに止められて、気を取り直す俺。
「ああ、そうだな。……まあとにかく今日はそういうわけで、日頃の理緒ちゃんの苦労を
労わってとかそういうことは余り関係なく、とりあえず面白そうだからという理由でこの
ような企画を発案したわけだ」
「うわ、すごい本音トーク」
 驚いたような呆れたような(多分後者)理緒ちゃんの声を受け流して、俺はマルチに合
図を送る。
 マルチは頷いて台所に走っていった。
「まあ、まずは飲み物でも飲んで落ち着いてくれ」
「あ、どうも……」
 背後で、マルチがどたばたと帰ってくる気配がした。
 俺と相向かいの理緒ちゃんと良太の顔が、マルチの姿を見てのものか一瞬にして強張る。
 ……そんなに珍しいものか、アレ。
 それとも、理緒ちゃんの家ではアレでさえ入手が困難な状況であるのか。
 そう考えると、俺は切なさに思わず涙を零しそうになった。
 ならば。
 せめていまこの時くらいは、浴びるほどに飲んでいって欲しい。
「に、兄ちゃん家ではアレを飲むのか?」
 良太が緊張した面持ちで言う。
「そんな、驚くほどのものでもないさ。それとも、理緒ちゃん家ではアレを洗濯かなんか
に使ってるとか?」
「い、いや洗濯には使ってないけど……」
 都会的センスに洗練された俺のジョークに、理緒ちゃんが言葉を濁して応える。
「まあ遠慮なんかしないで幾らでも飲んでいってくれよ。なあマル……マルチ違う!それ
違う!」
 何故かカブトムシの入った虫かごを下げてきたマルチを、慌ててまた台所に追いやる俺。
「いや違うんです!なんかカブトムシさんがお腹すいてたみたいだから、スイカあげても
いいですかって」
「いやもうお前はロボットなのになんでそう条件反射で動くんだ。あとスイカはやるな、
腹こわす」
「ロボットだからですよぅ〜」
 泣きべそかいてるマルチをとりあえずほうっておいて、俺は当初の予定通りのものを冷
蔵庫から引き出すと人数分のグラスとともにリビングに持ち帰った。
 日本の夏に馴染み深い、茶色の大瓶。
 カルピスだ。
 俺は、理緒ちゃんと良太、そして自分の前にとグラスを配ると、程よく冷えた大瓶をテ
ーブルの中央においた。
「まずは、このカルピスをだ……」
 にやり、と不気味な笑顔を演出して、俺は二人に順番に視線を送る。
「原液のまま、飲んでもらう!」
 ふたりははじめ、ぱちくりと瞬きして何を言われたのかわからない様子であったが、や
がて意味が飲み込めてくるにつれ顔色を青くさせる。
「え!?ええええ?そ、そんなことして、け、け、警察につかまっちゃったり、しないか
な?」
「いや、やばいよ姉ちゃん!俺が思うに、絶対ギリギリでひっかかってるって!何かの法
律に!」
 未知の快楽への罪悪感に怯える姉弟。
「フフ。こいつの味を知らないことには、まだまだオコサマと言われても仕方ないぜ?二
人とも」
 思春期特有のプライド部分にくすぐりを入れて悪の道に誘うのは、こういう場合のセオ
リーだ。
 狙い通り、二人の表情から垣間見える感情はこちらに傾いた。
「さ。遠慮せずぐっと」
 二人のコップに、酌をする。
 徐々に溜まってゆく白濁の液体をみつめて、緊張によるものかぐびりと喉を鳴らす理緒
ちゃん。そしてその様にちょっと興奮してしまういけない俺。
「どうぞ」
「う、うん……」
「い……いただきます……」
 意思を固めたのか、グラスを手に取ると一気にそれをあおる姉弟。
 俺は、理緒ちゃんがちょっと苦しげにその白くて濃い液体を飲み下していく様子を、凝
と見守っていた。
 それはまさしく、冷静に対象物の行動を記録する観察者の如き有様であり、そこにはい
やらしい気持ちなど微塵も介在する余地は無い。
 ――……。
 ごめん、ちょっとある。
「どうだった?」
 ようやくグラスを空にした二人に、俺は感想を求めた。
「藤田君、これすごい!甘すぎだよ!」
「うん、不味い!不味いよ兄ちゃん!」
「はっはっは。そうだろそうだろ」
 感動した様子で当たり前のことを言う二人の笑顔に、俺は満足する。
「さて、では次は、おもむろに洗濯でもはじめるかな。理緒ちゃん、手伝ってくれる?」
「え?あ、う、うん……?」


「じゃあ藤田君。洗面器借りるね」
 手足の裾を捲り上げた理緒ちゃんは、まず風呂場へと入っていった。洗濯機に、風呂の
残り湯を使うつもりなのだろう。作戦通りだ。
 俺は理緒ちゃんの背中に立つと、風呂桶の水を汲み上げようとする理緒ちゃんの手を優
しく制した。
 不思議そうな顔をして振り向く理緒ちゃんに、俺はゆっくりと首を振って見せる。
「風呂の残り湯は、使わずにやるんだ……洗濯機の給水用の蛇口を、開けっ放しでな」
 理緒ちゃんの瞳孔が拡散する様子が、間近で見て取れた。今、自分の耳にしたことがお
よそこの世の物であるとは思えなかったのであろう。
 それでもなんとか気を取り直したのか、理緒ちゃんは引きつった微笑を浮かべてみせる。
「じゃ……じゃあお風呂のお水はどうするのかな?あ、お庭の畑に撒くとか?」
「うちの庭に家庭菜園はない」
 俺は、あえて冷たい表情をして首を振る。
「じゃあ、じゃあ、その、あの……」

「捨てるんだよ」

「!」

「この、一度俺が浸かっただけの風呂……湧かし直しすらしていない、まっさらなこの水
を!」

「!!」

「そのまま排水溝に……なんの再利用もせずに、流しちまうんだよ!」
「え、ええええーーーーーーーーーー!?」
 風呂場のエコー効果もあって、理緒ちゃんの悲鳴はご近所一帯にまで広まったことだろ
う。あとで言い訳が大変だ。特にあかり。
 それはそれとして、俺は理緒ちゃんを抱き寄せんばかりに肉迫してその頬に手を寄せる。
「さ……やるんだ理緒ちゃん。理緒ちゃん自身の手で、この栓を一気にすぽっと」
「い、いや……わたし、わたし出来ない……」
 目を伏せる理緒ちゃん。
「やるんだよ!その先には、俺たちの新しい世界が待っているんだ!」
「でも、でも藤田君!」
「俺といっしょじゃ、嫌か?」
「藤田君……」
「俺は、救いのない暗闇の底のような背徳の世界でも、理緒ちゃんいやさ理緒と一緒なら
堕ちていける。理緒は……駄目なのか?俺一人を、このソドムの檻の中に残していくのか
い?」
 理緒ちゃんの瞳越しに、俺は彼女のかたくなな心がとけていく様を見る。
「悪徳は美酒……というだろう?さあ、俺と一緒に、今こそ禁断の扉を開くんだ」
「あ……あ……」
 震える指が、風呂栓のチェーンに絡んだ。
 だが、その細いチェーンは理緒ちゃんの心にとってはどれほどの重さをもっているのだ
ろうか。僅かなたるみが伸びきるまで持ち上がったまま、最後の一線を超えることが出来
ない。
 それは誇張を抜きにして、理緒ちゃんの今までの人生と同じ重さをも有しているのかも
しれなかった。
 そう――理緒ちゃんにとってその行動はまさに、己自身の否定とさえ言えるのだろう。
 瞬きもせず手の中のチェーンを見つめる理緒ちゃんの表情が、それを物語っている。
「そう……それこそが君を……いやさ俺たちを良識と言う名の煉獄に縛り付ける鎖だ。さ
あ、それを君自身の手で解き放つんだ。そのときこそ俺たちは、現世の枷から解き放たれ
真の自由を得る」
 俺の甘い誘惑の言葉に後押しされ、ついに理緒ちゃんの指にとどめとなる力が加えられ
ようとしたその時。
「浩之兄ちゃん!これ以上、姉ちゃんを悪の道にひきずりこむな!」
「くっ!?良太か!」
 なんか今しも悪事をやろうとしたそのときにヒーロー出現でうろたえる悪の幹部さなが
らな感じの、俺。
「藤田君……もうやめよう、こんなこと。わたしたち、こんなことしなくても、普通に、
穏やかに、生きていけばいいじゃない……」
 理緒ちゃんの涙に濡れた瞳が、俺を見上げる。
 その優しい視線は、悪魔に支配されかけていた俺の心を暖かく癒してくれるようで――

「えい」
「あ」

 フェイントで理緒ちゃんの腕をひっぱる俺。
 理緒ちゃんの指はチェーンにひっかかったままだったので、勢いでいともかんたんに栓
は抜けた。
「ああああああああああ!」
 その時すでに理緒ちゃんの体は俺によってフルネルソンに固められていたので、理緒ち
ゃんはただじたばたと暴れながら流れ行く水を見つめ続けるしかなかった。
「ふふふ。ほら理緒ちゃん。お風呂の水が、再利用の機会も与えられないまま無駄に下水
道に落ちてゆくよ。君のやったことだ。君のその手が」
「うわー。姉ちゃん俺、排水溝に渦が巻いてるのって始めて見るよ」
「いやあああっ、見ないで、見ないで良太ーっ」


「さて、ご苦労様。お陰で洗濯も終わったよ」
「本当に疲れたよ……精神の方が」
 ぐったりとした理緒ちゃんにねぎらいの言葉をかける俺。疲れさせたのも俺だが。
「まあお礼と言っては何だが、夕食を食べていってくれよ」
 俺の言葉に、傍らのマルチが元気に手を挙げる。
「はーい!腕に海苔をかけますー」
「いや、今日はいいんだマルチ」
 マルチのボケは、面白くなかったので流す。だが、マルチの方もさしてショックを受け
た様子もみせずほえ、なんでですか?などと聞き返してくるあたり、実は本当に間違って
覚えているのかもしれない。これだから学習型は。
「実は、今日は二人のために特別料理を用意してある。提供は来栖川グループの皆さんだ」
「……何よ、その紹介の仕方」
 出番を待ちかねたようにどやどやと入室してくるのは、芹香先輩と綾香の来栖川シスタ
ーズとトリを押さえるメイドロボのセリオ。
 先陣の綾香の背中からこっそり顔を出す芹香先輩。その後に、無表情のままぺこりと挨
拶して入ってくるセリオの姿がある。
「おう、悪いな無理言って」
「別に、手が出ないってほどの高いもんじゃないからいいけどね」
 綾香のぶら下げた箱を受け取って、セリオが台所に消えた。
「ときに理緒ちゃん。君は北京ダックというものを食べたことがあるかな」
「ううん、無い」
 素の表情で首を振る理緒ちゃんと良太。
「そうか。北京ダックというのはな、生まれてすぐ地面に埋めた壷に首だけ出した状態で
入れられ、そのまま無理矢理食物を口に詰め込まれて育てられる。美味しく太るようにだ。
バイオマンが戦うために選ばれたソルジャーだとすれば、こちらは食べられるために育て
られたダック。言わば食べられエリート」
「嫌だよ、そんなエリート……」
「まあ後学のためだ。セリオが料理するところでも一緒に見学しようじゃないか」
 爽やかな笑顔で理緒ちゃんの背中を押す俺。
「……また何か企んでる?」
「…………いやだなあ」
「ものすごく間が空いた上に、視点も定まってないよ藤田君……」
「人間というのは、他人を信じきれない哀しい生き物だな」
「目を見て言って」


「見学ですか?ですが、もうほとんど終わってしまいましたが」
 セリオの言う通り、大皿にはすでにタレに漬かった鳥皮が綺麗に並んでいた。傍らには、
真っ白く裸に剥かれた丸の鳥が鎮座している。
「え?だって……これをこのまま食べるの?」
 不思議そうに鳥の形を残したままの肉の塊を指差す理緒ちゃんに、セリオは首を振る。
「いいえ。北京ダックというのは、皮を食べる料理なのです。肉の方は、お客様にはお出
ししません」
「えええっ!?」
 理緒ちゃん、また絶叫。思惑通り。
「じゃあ……その、肉の方は……」
「…………捨てます」
「な、何いってるの!食べられるじゃない!」
「北京ダックは皮を食べるものなのです。そのために育てられてきたのです。いかに食す
ことが可能だろうと、それ以外の部分は骨や内臓と同じ。お客様に出すようなものではあ
りません」
「……じゃあ、どうしても捨てるって言うんだね」
「…………ハイ」
 まあ実際の話、大抵の中華料理屋ではまかない(従業員の食事)に出したり、客に頼ま
れれば普通に調理して出したりしてるらしいけど(豆知識)。
 しかし今回の場合、セリオには良く言い含めてある。セリオはあの肉を、理緒ちゃんに
は渡すまい。
「…………」
「……………………」
 二人の目と目が牽制し合う。
 中央に弾ける火花(古典的表現)。
「マルチさん!」
 皮を剥がれ丸裸になった鳥を、セリオはいきなり見事なフォームで投擲した。
「はいです!」
 見事な息の合いようでそれをキャッチするマルチ。
 流石は姉妹。
 分離したオイルの薄い方と濃い方を使い分けているだけのことはある(嘘)。
 蒸した丸の肉を受け取ったマルチは、踵を返して走っていった。
「あああ、どこに!?」
 慌ててマルチを追おうとする理緒ちゃんを、今度はセリオがチキンウイングに固めて制
している。ものが鳥なだけに。
 程なくして、玄関口からやけに楽しそうなマルチの声が聞こえてきた。
「犬さん犬さん、美味しいですかー?」
 ばうっ、ばうっ!
「うわああああああああああああ!?」
 理緒ちゃん、マジ泣き。アンド吼え。
「おーいマルチ。骨は取ってやるんだぞ?鳥の骨は、喉に刺さるからな」
「はいですー。しっかりOKですー」
「OKじゃないぃ……はふぅん」
 セリオの腕から解放され、そのままがっくりと膝をつく理緒ちゃん。
 セリオはそんな理緒ちゃんの脇に腰を下ろすと、図々しくも元気付けるかのようにその
肩に手を置いた。
「決して無駄になったわけではありません。なぜなら、野良犬の方だって必死に生きてい
らっしゃるのですから」
「わたしたちも、これでけっこう必死に生きてるんだけど……」

 なお、その後本命の北京ダック(皮)は皆で美味しく頂いた。
 何故か理緒ちゃんは泣きながら食べていた。


 楽しかった(俺的に)一日も終わり、俺は帰宅する理緒ちゃん達を送ることにした。
「どうだった理緒ちゃん?贅沢の感想は?」
「うん……いやもうなんていうか、カルピスは普通に薄めたほうが美味しいってことはよ
くわかったよ」
「ははは、何を今更」
 笑い声が、俺と理緒ちゃんと良太の三人に広がる。
 そう。贅沢はたまにこんなちょっとした、けれども大切な事を教えてくれる。
 気ぜわしい日常の生活では気づけずにいる、だけどほんとは自分のすぐ傍にある答。
 道端に咲く、可憐な野花のように。
「おお見ろ二人とも!星だよ!いや、これもまた最高の贅沢だなあ」
「うわ、すごいや兄ちゃん!強引に美しく締めようとしてるよ!」
「ははは、良太こいつめ」
 ちょっと強めにこづいたりしてみる俺。そうやって良太とじゃれつつも、しかし俺の耳
は

「肉……」

 小さく呟く理緒ちゃんの声を、聞き逃したりはしなかった。
 聞こえなかったフリはしたものの。




<おわり>

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9440/