もうひとつの辛かったこととは、やはり、彼との…親友との別れである。 奴とは同期であり、辛いときには互いを励ましあう仲間であり、また互いの才能に刺激 され互いを高めあうことのできる、好敵手でもあった。 彼──加島とは、そういう意味で友人以上の仲であった。 「長瀬。俺な…会社を、辞めることにしたよ…」 「なんだよ、急に…お前さんがいなくなったら、8研はどうなる」 「あいつらなら…大丈夫だ。俺の育て上げたやつらさ。…大丈夫」 「なあ…なにがあった?」 彼のコップにビールを注ぎながら、わたしは彼の言葉を促した。 「水臭いじゃないか、相談も無しに。せめて、わけくらい話してくれてもいいだろう?私 達は親友、別の言葉で言えば友達以上恋人未満とも言える仲じゃないか」 「別の言葉はいらんが、そうだな。おまえさんにだけは、話しておくか…」 そう言って、彼は一気に杯を干した。 「といってもまあ、別に大したこっちゃない。俺が、労組に所属してたのは知ってるな?」 「ああ」 そう。 彼は昔から、反骨心溢れる漢だった。 聞けば学生時代は、白ヘルで溢れる大学構内を赤ヘル被ってスーパーカブで爆走してい たそうだ。 特に何の意味も見出せない行為であるが、反骨心だけはとりあえず感じられる微笑まし いエピソードだと思う。 「組合で活発な運動をしている俺に、会社の役員会から呼び出しがあったんだよ。話があ るとさ。…フフ、なんだと思う?笑っちまうぜ!」 苦々しげな表情で、叩き割らんばかりにコップをテーブルに叩きつける加島。 「奴等は、俺に昇進をエサに、組合を降りるようにいってきたんだ。要するに、金をちら つかせて、身内を裏切れとさ」 「……」 「……そりゃあな。俺だって、金は欲しいさ。だから俺は、奴等にこう言ってやったんだ。 ガツンとな──」 『そりゃいいですけど、組合のほうには内密にお願いしますよ?マジやばいんすから、あ いつら』 「──しかし、蓋を開けてみれば、それは組合の差し金だったのさ。やつらは、これを機 会に内部の不穏分子を一掃したかったんだ…汚えヤツラさ…」 かっこわるう。 そう思わないでもなかったが、口に出すのは死人に鞭打つようなので言わないでおいて やった。 「結局、俺は孤高の狼になっちまった…」 「ワナにひっかかったの、キミひとりだったんだね」 「軽いオフィス・ラヴにも、昨日清算をつけてきたよ…ずいぶんと、泣かれてね…」 「キミんところには、女性は清掃のおばちゃんだけじゃなかったっけ」 まあ、うちも似たようなものだけれども。 「なあ──覚えているか、長瀬。入社したてのころ。夢に満ち溢れていた、あの頃を…」 「ああ…」 会議を忘れて定時速攻で帰り、電話で呼び出しを受けたこと── 新入社員歓迎会で張り切りすぎ、日本酒一気5連を成し遂げた直後、運ばれてきたばか りのカキ鍋をある意味早めのおじやにしてしまったこと── しかも、カレー味だったこと── TVの放映でブルース・リーにはまり、手製のヌンチャクで練習。研究所の皆にそのテ クを披露していたところ、たまたま視察に来ていた社長と目が合いとても気まずかったこ と──(のち、減棒) 仕事中にインターネットでアダルトサイトを覗いていたら後ろで咳払いが聞こえ、ふり かえるとまたも社長と、さらにとても気まずげな顔をした外部のお客さんが並んで見てい たこと──(のち、減棒) しかも、そのHPが海外ロリコンサイトだったこと── その上、あろうことか画像ダウンロード中だったこと──(のち、来栖川グループ全社 員ウェブアクセス制限) 新機軸の電子レンジの開発で、『ネコを乾かしても死なせない電子レンジ』の研究に研 究予算全額を使ってしまったこと──(のち、ボーナスカット。しかも開発失敗) どれもこれも──特に夢には関係ないが──懐かしい思い出ばかりだ。(上記のエピソ ードは全てフィクションであり、いかなる実在の個人・団体・事件とも関係ありません) 「ああ…懐かしいな」 「ネコ達には…可哀想なことをしたけどな…」 「それはもう言うな。仕方なかったのさ…どのへんが仕方なかったのかはともかく」 これからどうするのか、と訊くと、しばらく郷里に帰って畑を耕すと言う。 「そうか。農家だったな、君の実家は」 「ああ…しがないハエトリソウ園を営んでいる。ウツボカズラとかも、ちょっとやってる けどな」 旬のときには、送るよ。そういう彼の表情は、さりげないハエトリソウへの愛情に満ち ていた。意外に、そんな人生も彼に合っているのかもしれない。 彼とはその日別れ、そして現在いまだ再会には至っていない。 わたしは、メイドロボの衣装を作る協力会社に、打ち合わせに来ていた。HMX──試 作型のマルチのための、衣装を必要としたからだ。 会社、といっても、実質職人気質の社長が一人で切り盛りしているところだ。 彼とは、同じ技術の分野を担う者同士ということもあってか、なにかと気が合いこうし てわたしが直接仕事の依頼にくることも珍しくなくなっていた。 「ふむ──メイド服、オーバーニーソックス、体操服上下(下ブルマ)、スポーツソック ス、園児服(黄色帽、名札付き)、吊りスカート、三つ折ソックス、ランドセル──相変 わらず、隙のねえラインナップだな。お前さんの、技術者としての目の確かさがよくわか る」 「恐縮です」 「ランドセルには──」 「ええ。もちろん、リコーダーを。給食袋もあると、なお良いのですが…」 「わかってるさ。俺もプロだぜ…そのへん、抜かりはねえ」 一流のプロ同士の、熱くも心地よい技術論を交えた打ち合わせ。わたしの、愛する時間 のひとつだ。 資料に目を通していた彼が、ふと、太い眉をひそめる。 「──胸が、無いようだが…」 「メイドロボに、胸など必要ありませんよ。胸などなくても、マルチはその性能の100 %を発揮できます。お偉方には、それがわからないんですよ」 「ふむ…とうとう、やるんだな…」 「ええ。理想を…そして、夢を。そのためには、社長の協力が必要なんです」 「わかった。最高の仕事を、約束しよう」 私達は見詰め合い、頷きあった。彼とは、技術への…とりわけメイドロボへの考え方が 似通っていることもあって、つねづね理想のメイドロボ像について議論を戦わせていた。 そして──いつか、自分の理想とするロボットをつくってみせると。私は、かなり昔か ら、彼に宣言していたのである。 「だが…わかっているな。いくら俺が最高の仕事をしようと、最後はお前さんにかかって いる。おまえさんの仕事ひとつで、俺の作品の生き死にも決まっちまうんだ…。…頑張れ よ」 「…ええ。無論です」 そう。 彼の言う通り、ここからがもっとも大事なところなのだ。 このHM−12プロジェクトの、締めとなる部分。 それは、マルチの性格付けである。 けなげな、ドジっ娘──これが、わたしの出した結論だった。無論、別の意見を主張す る声も大きかった。意地っ張りで不器用だけど、一途で料理の上手い幼なじみ──予想通 りこれも最後まで対立候補に上がりつづけ、わたしもずいぶんと悩んだものだ。 結局、買って初めて会うのに幼なじみもないだろうということで、私の案は無事通され ることとなり、胸を撫で下ろした。 開発には、苦労を要した。従来のAIの思考パターンでは結局、理想通りの反応を得る ことができず、新たに1からアルゴリズムを組みなおす必要があったためだ。 だが、苦労の甲斐もあり予定を1週間ばかりオーバーしたそのころには、まさに理想通 りのはわわでうぐぅな感じに仕上がっていた。 そして──ついにわたしの…いや。わたしを含めた、多くの男達の夢の結晶と言える、 HMX−12プロトタイプマルチが完成したのである。 それから先のことは、多くは語るまい。彼女は試験ということで学校に通い、私の予想 以上のすばらしい性能をみせてくれた。とくにドジっぷり。 そして、儚い恋の味も知った。 結局、私達の作ったマルチは、商品化されることはなかった。 上からの圧力との妥協案。AAAカップの胸はAカップに変更され、また、経費削減と か他いろいろの理由のためドジ機能も削られることとなった。やはり、試作品を見に来て 当の試作品に盛大にお茶をぶっかけられた社長の意向なのか。所詮下っ端の私には、知る よしもない。 HM−13の方は重役のおっぱい星人たちに好意的に受け入れられ、ほぼ試作品の形の ままに商品化されることになった。 以上、駆け足であるが、私達がマルチ開発にかけた情熱がわかっていただけたと思う。 そして、そんなマルチを愛してくれた君に、本当のマルチを託したく思う。 どうか、私達の娘を──よろしく、お願いします。 来栖川電工第7研究開発室HM開発課一同 代表 長瀬 源五郎 ──長い手紙を読み終えたあと、浩之は大きな箱の中身に目を落とした。 そこには、あのときの──つるつるぺたんなままのマルチボディが、眠っていた。 浩之は、優しげにふっと微笑み…そして、口を開いた。 「………………………………………………………………………………記憶は?」 男達の夢。 それは、いつの時代においても──世界を動かす力をもつ、唯一のものだ。 だが、同じ時代において、それが世の中に理解されることは少ない──。 ──チャールズ・ウェストン(ネバダ州在住・工場勤務) <完>