「光差す庭」 投稿者:DEEPBLUE 投稿日:4月28日(金)12時45分
「光差す庭」








    暖かい光の遊ぶ、あの中庭に帰ろう。


    あなたに再び出会うための、秘密の呪文を唱えよう。









 来栖川グループ前会長、来栖川芹香。

 女性の身ながら来栖川グループの中心としてそれを支えてきた彼女も、年老いた現在と
なっては完全に身を引き、今はただ屋敷の中で、読書とひ孫たちの遊び相手をして時を費
やしている。

 彼女とともに来栖川を導いてきた夫も、今はもう、いない。十年も昔に、亡くなってい
た。


 彼──夫は、古株の重役たちや来栖川の縁者たちが言うところの、いわゆる「庶民」だ
った。

 学生の時に彼に出会い、多くの障害のあるなか思いを通して結婚した。

 妬みまじりの、非友好的な多くの視線。

 芹香が知るだけでも、それは数多いものだった。彼が知るそれは、もっと多くて、辛ら
つなものだったろう。

 だが、彼は変わらなかった。



『ごめんなさい、って?なにがだ?』

『──ん?おいおい、そいつは逆だぜ。ぜんっぜん逆』

『だっておかげで、普通に生きてたんじゃ絶対に体験できねえ色んなことを、体験できて
るんだぜ』

『ま、正直やなこともあるけどな。だけどさ、いいことだっていっぱいあるんだぜ』



 日頃ぶっきらぼうで、不機嫌にも見える顔。

 それが、微笑むと、どうしてこんなにも、包み込むような暖かさを持ち得るのだろう。

 彼は、変わらなかった。

 大企業には必要悪とも言える内部の不正の数々にも、彼は最後まで反発し、ぶつかり続
けた。

 納得いかないことには素直に怒りをあらわす、少年の魂を持ち続けていた。

 最後まで。



『なあ。もし俺が先に逝ってもさ。簡単に付いてきちゃ駄目だぜ』


『少なくとも、俺がいいって言うまでは、駄目だ。一生懸命生きてさ。一生懸命楽しいこ
とやって、そのあとだな』


『え?わかっていますって?…そうか。いい子だな、俺の奥さんは』



 すでに顧問職に移り一線を退いていた彼は、病床のベッドの上で、そういって彼女の頭
を撫でた。

 少年の心を持った、だけど父親のように広量な微笑みは、変わらなかった。





「悲しかった?」

ええ。とても。

「寂しくなかった?」

でも、ひとりではありませんでしたから。

あの人の声だって…わたしが想えば、いつだって聞くことができる。

いまでも。

そのための、一緒にいた数十年だったのだから。

「あたしたちだっているしね?」

そう──あなたたちもいる。

あなたたちも、わたしのなかの、大切なお星様だから。





Every man and every woman is a star.

Every number is infinite.

Here is no difference.





 彼女の好きな、少しだけ昔の人の言葉。


どの思い出も、どの人も。

みんな、わたしのなかの、大切なお星様だから。

せりかも。あやかも。


 自分と同じ名前の、幼いひ孫たちの頭をなでてやりながら、彼女は囁くような優しい声
でそう言った。

 双子の姉妹は嬉しそうな、恥ずかしそうな表情で、黙って曾祖母の抱擁を受けていた。





 その日芹香は、病院にいた。病室のベッドに。

 なんの病気なのか、彼女自身も知らない。

 医者はただ、もうお年ですから──そういうだけだった。

 わたしが知る必要のないことだから、誰も言わないだけなんだろう。

 彼女自身は、ただ、そう思っただけだった。

 ひ孫たちが執事に連れられて、見舞いに来た。

「元気そうだよ。大丈夫だよ」

 あやかはそう言って笑い、

──こくん。

 一生懸命な意思を瞳にあらわして、せりかが妹の言葉に頷いた。

 この子たちの、想い。

 元気なあやかの声。

 最近彼女の影響を受け始めて、芹香の集めた特別な外国の絵本を(わからないなりに)
いつも持ち運んで開いている、せりか。

 窓の外の銀杏の木が、四季に合わせて色々な表情をみせることも。

 病室の白い壁の隅っこに、どんな子供が描いたのか、可愛い落書きがあることも。

 みんな彼女の大切な、こころのなかの輝くかけら。

 それを、そのことを、芹香はこの子たちに伝えたかった。

 いまはわからなくても、いつかはそれを知るように。

 だから。


わたしは大丈夫。もう、いっぱいの、お星様をもっているから。

せりかも。あやかも。

人はみんな心の中に、自分だけのお星様をもっているの。

誰だって、そう、変わりはないの。ただ、そのお星様を見つけることが出来たかどうか、
というだけで。


 彼女がいつもそうしているように、一生懸命に想いを伝える。

 いまはわかってもらえなくても、いつかわかってもらえるように。

「じゃあおばあさまも、お星様をもってるの?みつけたの?」

 あやかの無邪気な表情に、穏やかな笑みを浮かべて芹香は頷いた。

──みつけました、と。

 今も、ここにあります。

 ここに。





 深夜。

 ふと目が覚めて、ベッドの上の身を起こす。

「よっ」

 傍らに立っていた学生服姿の少年が、穏やかな笑みを浮かべて片手を上げた。

 こくん。

 頷くようにして、挨拶をする。そっけなくもみえるその対応に、少年は苦笑する。

 でも、少年は、わかってくれているのだろう。

 頷くだけのその行動に、彼女のどれだけの想いがこめられているのかを。

 少年を、彼女は知っていた。

 とても、よく、知っていた。

「一生懸命、生きたかい?」

 こくん。

「楽しかったか?」

 こくん。

「そっか。約束、守ってくれたんだな」

 あなたとの、約束でしたから。

 一番大事な、約束でしたから。





「おばあさまあっ」

 今日も、ふたりの幼い姉妹が、見舞いにやってくる。

 芹香もいつもの通りに、(自分では笑顔のつもりの表情で)それを迎える。

「ど、どうしたの?」

 いつもならなにかお話をはじめる芹香が、今日はいきなり二人の頭を撫ではじめたから
か、とまどい照れるせりかとあやか。

「え?つかれてるの?じゃあ、眠ってていいよ。あたしたちが、いてあげるから。おばあ
さまが起きるまで」

 あやかの言葉に、せりかも同意の頷きを見せる。

 芹香は、今度ははっきりと微笑んで、頷いて横になった。

 そして、静かに瞳を閉じる。

 とても、穏やかな表情で。



「……おばあさま?」










   暖かい光の遊ぶ、あの中庭に帰ろう。

   あなたに再び出会うための、最後の呪文を唱えよう。



   あなたとかわした、ひとつひとつの小さな約束が、

   二人を結ぶ ちからとなるように。













「よ、先輩。中庭でお昼寝か?え?夢を見てたって?どんな夢?」


「良く覚えていないけど、幸せな夢でしたって?」


「そっか、よかったな。先輩」











<おわり>