まるだし刑事(デカ)  投稿者:DEEPBLUE



 ──町4丁目のコンビニにて、強盗事件発生。犯人は拳銃を所持し、女性客一人を人
質にとって立て篭っている模様。至急出動を要請する。


 一課の岩田巌吉(通称:ガンさん)が連絡を受けて現場に急行したのは、午後1時過
ぎのことである。

「状況は?」

 敬礼で迎える所轄の警察官に、岩田は挨拶もなく本題を切り出す。
「変化ありません。現在人質の開放を呼び掛けていますが、犯人は金と車を用意しろの
一点張りで…」
「そうか……持久戦になるな、こいつぁ」
 頬を吹きぬける寒風に、コートの襟を立てる岩田。
 そこに、一本の缶コーヒーが差し出された。
「どうぞ」
 部下の、若い刑事であった。
「おっと、こいつはすまねえ」
 用意されたパイプ椅子に座り込む岩田。
「長い昼下がりになりそうだぜ…」


 犯人と警察とのにらみ合いは、それから2時間立ってもいっこうに緊張の
破れる様子をみせなかった。

「あと10分だ!10分以内に車と金を用意しなければ、この女を撃ち殺す!」
「おとーちゃあん!たすけてえ!」

 犯人の腕の中の女(6才)が悲痛な叫びをあげる。

「女って言うかなあ」
 場違いにして的確な感想を漏らす岩田。
「それよりガンさん、まずいです。このままでは…」
「うむ…」
 こうなれば強攻策に出るか、一旦要求を飲むかしかない。岩田が思案にくれていると、
脇に警察官の一人が立った。
「岩田警部!県警の長瀬警部補に出動の要請が下り、現在こちらに向かっておられると
のことです!」
「なに!あの男が!?」
 岩田の驚愕する顔を見て、若手刑事は表情に疑問を浮かべる。
「長瀬警部補…?何者なんです、その人は」
「そうか、お前は知らないんだったな」
 岩田が部下に向き直ったとき、おりよくパトカーのサイレンが耳に届く。
 その人物が、やってきたのだ。
「長瀬源三郎…県警で検挙率100%を誇る、鬼の警部補と呼ばれる男だよ」
「な…100%!?」
「ああ…しかしそれより驚きなのは、奴が拳銃はおろか…ほとんど何も身につけずに事
件を解決してるってことだ」

 切り裂くようなブレーキ音とともに、サイレンがごく近くでなりやんだ。

「そのことに畏敬をこめて、奴はこう呼ばれている…」

 助手席のドアが開けられ、中から男が降り立った。昼下がりの太陽光に、彫りの深い
顔が影に覆われる。

「『まるだし刑事(デカ)』…と」


 男は、全裸だった。





         まるだし刑事






「お久しぶりですな、岩田さん」
「フ…出来ればこんな慌ただしいところで再会したくはなかったが」

 長瀬は岩田のかつての部下であり、県警と市警に所属はわかれたものの昔は
よく酒を酌み交わした仲だ。
 握手を交わし、互いの肩を叩き合う岩田と長瀬(全裸)。

「状況は聞いています。わたしが説得に赴きましょう」
「まるだしでか。それは危険だぞ(色んな意味で)、長瀬さん」
「フフ、わたしのやりかたはよく知ってるはずでしょう。もう染みついちまい
ましてね。そうそうあらたまりませんや」

 微笑を見せる長瀬。しかし、その言葉には有無を言わせぬものがあった。

 これが自分の──男としての、生き様なのだと。

「ふん。お前さんのその頑固なところも、ちっとも改まらねえな」

 呆れたような、だが親愛に満ちた岩田の笑みに、長瀬は苦笑で応える。

「それはお互い様ですよ。あいかわらずの頑固親父だ」

「言いやがったな、こいつが」

 岩田はその厚い…だが、皺に覆われはじめた拳で、長瀬の肋骨の浮いた胸
を小突く。

 それはつまり、彼なりの「言ってこい」という合図なのであった。



「ガンさん…なぜ彼は、まるだしを?」

 率直な疑問をぶつける若手刑事。

「ああ…」

 どこか遠くを見つめるような目で、岩田は部下の言葉に応える。

 いや、事実、彼の心はその時に戻っていたのかもしれない。

 岩田と長瀬。本庁きっての名コンビといわれていた時代に。

「奴は、こういっていたよ…」

 岩田が市警、長瀬が県警に移ったあと、一度再会し、その折二人で呑みに行ったこと
がある。



……ねえ岩田さん。銃や手帳やコートなんかで犯罪が無くなるんだったら、世の中もう
とっくに平和になってていいはずじゃあありませんか…


 
 その時、長瀬はまるだしを続ける意味を彼に語ったのだった。

 猪口を傾けながら語る長瀬の横顔は、そのときなぜだか岩田の目には、奇妙に寂しげ
に映った。



「なぜ、そこまで…」

 驚きとともに問を重ねる部下に、岩田はあのときよりは随分と老けてしまったと自分
でも思える横顔を向ける。

「昔のことさ。今回と似たような事件があった。猟銃をもった爺さんが不倫相手の婆さ
んを人質に、結婚してくれなければ二人で死ぬと…」

「うわあ…」

 できれば一生関りたくないタイプの事件だ。刑事はそう思ったが、無論口には出さな
い。

「当時まだ、長瀬は若かった。先走ったあいつは、犯人を制するつもりで銃を…」

「そうか、それで犯人を撃ち殺してしまって…」

「いや。なぜか全然狙いが外れて、人質の婆さんの方を…」

「……そ、そうですか…」



 それ以来、奴は銃を捨てた。それどころか刑事のステータスシンボルである、よれよ
れのコートや折り目の消えたスーツでさえも。


……銃や手帳で犯罪が無くせるなら、か。ナマ言いやがって…


 あの日再会したときの長瀬の表情は、今でも目蓋に焼き付いている。 

 5年ぶりに会って、いまだ己の生き方を貫き続けていた長瀬(まるだし)に、岩田は
徳利を傾けながら言ったのだった。

「いつまで、お前、そのやりかたを続けるつもりなんだ?」

「ずっとですよ。おそらくわたしが…刑事をやめる、そのときまで…」

「しかし、危険だ(いろいろと)!…丸腰の犯人ばかりじゃない。もちろん裸もだ。─
─お前には可愛い奥さんと息子もいたろう?…恐くは、ないのか」

「恐いですよ」

 猪口の水面に映る自分の顔に、長瀬は自嘲めいた笑みを向ける。

「とても恐い。いつ犯人が遠慮無しに撃ってくるか。いつお仲間に陳列罪でしょっぴか
れるか。それを考えると、震えて眠れなくなることもあります」

「長瀬……」

「ですがね。もう途中でやめるわけにはいかないんです。なぜなら──」

 なにか吹っ切れたような、穏やかな微笑を、長瀬は岩田に向けた。

「最近は、妻も──」

「まあ飲め」

 長瀬の言葉を断ち切るように、岩田は酒を勧めた。

 数々の現場で鳴らした岩田も、40過ぎの中年夫婦のプレイ内容など別に聞きたくも
なかった。




 あの時のことを思い出しながら岩田は、ひとり犯人のもとへと一歩一歩近づいて行く
長瀬の背(主に臀部)を見送っていた。

 その後方、5mほどのところを、長瀬を守るかのようについている若い刑事がいた。

 岩田は、その男に見覚えがあった。たしか現在長瀬とコンビを組む、有能な若手刑事。

 有名大卒のキャリア組にも関らず「出世の吹き溜り」と呼ばれる刑事課へ自ら志願し、
長瀬とともに数々の難事件を解決に導いている。

 たしか名前は…柳川。そう、柳川祐也だ。 

 その実力から、長瀬と並び彼もまた「はみ出し刑事(情熱系)」の呼び名をもつまで
に至っている。

 呼び名の由来は、彼が冬でも半ズボンでありそこから時々情熱的に以下略な状態なこ
とからだ。

 若さと裏腹なその人間性の大きさと若さゆえのその他の部分の大きさから、署内の女
性署員の人気を独り占めと聞く。
 
 彼が後方から、コートの内側に手を入れて長瀬の背を守っていた。

 長瀬があそこまで無防備な姿で犯人に迫れるのも、この若い部下を信用してのことも
あるのだろう。 



「見ての通りのまるだしだ。なにひとつ身に付けちゃいねえ」

 銃を構える犯人に臆する様子も見せず、長瀬は両手を上げたままにじり寄って行く。

「来るな、来るんじゃねえ!殺すぞ!」

「まるだしの人間を、撃つのか?──そこまで人間が腐っちまったわけじゃあるまい?」




「岩田さん…!」

「いや、ありゃあ…フェイクだ!」

 長い間コンビを組んでいた岩田には、長瀬の考えることが手に取るようにわかるよう
だった。

「フェイク(はったり)!?」

「ああ…見なよ。やっこさん、なにひとつ身に付けてねえとか言っておきながら───
しっかり靴と靴下を履いていやがる…」


────!

 
 刑事の目が、驚きに見開かれた。

「本当だ…それに素肌に直接、ネクタイも!」

「ああ。まるだしという時点で、奴は犯人に『何も身に付けてない』と思わせることに
成功したんだ。さすがは昔、一課きっての頭脳派と呼ばれただけのことはある。……だ
が……」

「ええ──」

 部下の刑事は「わかっている」とでもいうように肯いた。
 
 そう。

 岩田の頭にはこの作戦の、そう、たったひとつの問題点が浮かんでいた。






───意味が、無い───





「こいつぁ分の悪い賭けだぜ、長瀬さん…」

 首筋を伝う汗を、岩田はその手で乱暴に拭った。



「撃てよ」

 歩き続ける長瀬の視線は鷹のように犯人の目を射貫き、決して逸らされない。

 銃をもった犯人のほうが恐怖するほどに──彼の目は、真剣だった。全裸なのにだ。

「お前がそこまで腐っちまってるっていうのなら、その証しに俺を撃てばいい。その瞬
間──おまえは全てをなくすんだ。まるだしの人間を撃ったやつとして、男の誇りも、
尊厳も、…全てをな」

 そしてついに犯人の前方、5mのところにまで迫る。

「さあ、人質の女性を開放しろ」

「ジョセイじゃないよー!ユミちゃんだよー!」

「…人質のユミちゃんを開放しろ」

 人質の女性の抗議に応えて言い直す長瀬。

「おっちゃん、ぶらぶらー」

 人質はまだ元気なようだ。だが、これからもそうであるという保証はない。
 
 長瀬は、わずかにあせりを覚えていた。

「く…畜生!」

 追い詰められた犯人は、ついにその銃口を長瀬に向けた。

「!」

 現場に、緊張が走る。





 銃声が、響いた。






 銃口から硝煙が上がる。

 銃を構えているのは逆光眼鏡もりりしいはみだし刑事(情熱系)──柳川祐也だった。

 堅い音がした。犯人の銃が、地面に落ちた音である。

 100m近く離れた距離から、相手の銃だけを狙う。相当な技量とそれに対する自信
がなくては出来ぬ芸当であった。

 神業を見せ付けた柳川は、無言のまま銃を懐のホルスターに納める。

 S&W44マグナム。彼の愛銃である。

 もちろん警察の制式でもなくすなわち不法所持であるので、のちほど彼は取調室のい
つもとは違う席でカツ丼を食うことになるのだがそれはまた別の物語だ。

 
 
 犯人は、全裸の長瀬によって取り押さえられていた。

 人質は、すぐに駆けつけた警官達によって保護されていた。

「長瀬警部補!大丈夫ですか!」

 警官の一人が犯人に手錠をかけつつ、声をかける。

「ああ──」

 そして悔しげに地面に視線を落とす犯人に、穏やかな声で言った。

「裸で何も出来ない男は、所詮銃を持ってたって何も出来やしないのさ──」

 最後にカタつけたの柳川の銃じゃん──そのようなつっこみはこの場の誰からも上が
らなかった。

 皆、男の魂の部分で、長瀬の言葉を理解していたから。



 今、銃器不法所持で連れていかれた柳川と連れていった警官数名を除いて。



「長瀬。どうだ、今夜は一杯」

 長瀬の肩を叩く岩田。その手に、冬の風にすっかり冷え切った長瀬の体温が伝わって
くる。

──こんなに肩を冷やしちまうほど、無理しやがって。いつも言ってるだろう、肩はボ
クサーの命なんだ、と……

──全然…関係ないけどな…

 微笑して、首を振る長瀬。

「いえ……妻が、夕飯作って待ってくれてますんでね」

「ふっ…そうか。そうだな…」



 長瀬源三郎。

 検挙率100%を誇るこの男を、鬼刑事と呼ぶ者もいる。

 だがその実、彼が人情派であり、また家に帰れば一介の愛妻家であることを、幾人の
人間が知ろうか。


 だが、それでいいのだと男は言う。


 彼が丸出しを続ける限り、その生き様は修羅の道以外にはあり得ないのだから。






  完