楓ネコぱにっく!(後編)  投稿者:DEEPBLUE


続き。

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  楓ネコぱにっく!(後編)



 その後帰宅してきた初音に留守を任せ、同様に帰宅した梓とともに、耕一・千鶴は楓の
探索に出かけた。
「あったくもう!だからいつも言ってるだろ、千鶴姉の料理は非合法活動なんだって!鶴
来屋が破防法で踏み込まれでもしたらどうすんの!」
「…梓、耕一さんがお帰りになったら、あなたとはゆっくりお話しなきゃいけないことが
あるわ」
 姉妹の言い争いに、耕一はひたすら顔を背け聞こえない振りをし続けていた。従姉妹た
ちの家庭の暗部を見ぬように、引き込まれぬように。彼もまた、一人の弱い人間であった。
 鬼だけど。
「大丈夫かな、楓ちゃん。心は楓ちゃんだっていうし、そう無茶なことはしないとおもう
けど」
 耕一が本題に戻す(しかし彼の内的世界では、明らかに話題を逸らし現実から逃げるた
めに放たれた)発言をしたとき。
「耕一さん!あれでは!?」
 4車線の車道に面したところに、一匹の黒猫がたたずんでいた。目印の赤い首輪もつけ
ている。
 どうやら、車道を横切ろうとしているらしい。横断歩道から渡ろうとしているところに、
楓らしい律義さが見える。
 しかし、この横断歩道には信号は無い。
「楓!?」
「耕一、楓が!」
「おう!いやまて、なんだか既視感(デジャ・ヴ)が」
 しかし、走り出したものはもう止まらない。迷っている暇もない。なんだか前にもこん
なことあったような、とか思いつつも、彼は走った。エルクゥの力を小出しにした彼の速
度は、野生動物をも上回った。
「楓ちゃん!」
 あと5m。捕まえる寸前で。
 黒ネコ楓はお約束どおり、ふいっと方向を変えて歩道沿いに走り出した。
「なにいぃぃぃ」
とか叫びつつ、耕一は心の中ではこう考えていた。
(やっぱり……それなら続きは…)
 横を見ると、想像のとおり、巨大十トントラックの獰猛な鼻面が、車道に飛び出た耕一
めがけてまっすぐに向かってきていた。

 ああ、やっぱりなあ。

 空はどこまでも蒼く、雲がやけに近かった。

「ばっきゃろう!前見て歩け!」
 トラックの運ちゃんらしい豪快さで言い放って去ってゆく、加害者。もし後日あったと
したら、気持ちのいい笑みを見せて「気にすんねえ!俺も気にしてねえ」と言ってくれそ
うな、そんな気がする豪快さだ。
 …でも、前は見てたぜ、おっちゃん。横は見てなかったから、当たっちゃったけどな…。
「耕一さん!?」
「耕一!大丈夫なの!?」
 大丈夫なわけはないが、エルクゥの力を出してたおかげで奇跡的に命に別状はないよう
だ。10mほど吹っ飛ばされたようだが、それならだいたい梓にぶっ飛ばされたときと同
じくらいの威力と言うことになる。
「慣れ…か…」
「え?なに、耕一?」
「いや、なんでもない。肩貸してくれ。…千鶴さん、楓ちゃんは?」
「あっちのほうへ向かったようです。急ぎましょう!」


 その後、野良犬と戦い、悪ガキと石を投げ合い、ネコフェチの変質者を狩りなどして、
耕一たちの楓追跡行は続いた。すでに日は落ちかけていた。
「瑠璃子さん…」
 色々あって満身創痍の耕一が、夕日を見ながら現実逃避に走りかけたとき。
「耕一さん!」
 千鶴の、悲鳴に近い声が上がる。
「トースターのコンセントが…え、なに?千鶴さん」
 千鶴が指差す先をみると、そこには、高層マンションの4階ベランダ手すりを悠然と歩
く一匹の黒ネコの姿があった。
「げげ!?」
 いそぎ入口から階段を駆け上がる3人。彼らの運動能力からすれば、エレベーターより
もこちらのほうが早い。
「この部屋だ!」
「耕一、鍵が!」
「ぶち破れ!」
 トリプルキックで吹き飛ぶスチール製ドア。
 ドアといっしょに室内に飛び込む3人。
「楓!」「楓!?」「楓ちゃん!」
 彼らの視線の先には、
「ん?なんだ貴様ら」

 ぐつぐつぐつぐつ……

 煮えたぎる鍋を前に茶碗と箸を握る、柳川の姿があった。
 鍋の傍らには、無残に刻まれ皿に盛られた赤い肉。
「………………………………………………」
 石化する耕一たちに向かって、さらに続ける柳川。
「なんだ。晩飯時に人の家に押しかけてきて、挨拶も出来んのか?やれやれ、これだから
狩猟者の誇りを捨てた半端者どもは…」
「「「死ねえ!!!」」」
 十分に捻りを加えた3点同時のコークスクリューブロウが、柳川の顔面と脇腹と心臓を
抉っていた。
 きりきりと高速錐揉み回転しながら天井にぶつかり、跳ね返って床に叩き付けられる柳
川の体。そのあと、階下からどんどんと苛立たしげな音が響く。棒で天井を突ついて「う
るさい」という意思表示をしているのだ。見かけほど防音設備の充実していないマンショ
ンである。
 無論のこと柳川とご近所さんとの人間関係などどうでもいい耕一たちは、呆然として肉
の山を見つめていた。
「楓……楓……せめてお姉ちゃんの中で、お姉ちゃんと一緒に生きましょう?ね?」
 どぼどぼと鍋の中に肉を投げ込む千鶴。目が危ない。
「あれ?まって、ちょっと、これ豚肉だよ?」
 家事の鉄人梓が、優れた鑑識眼でもって柳川の容疑を晴らした。もう遅いが。
「え?でも、それなら楓は…」
 すでに箸を握り肉を口元にまで持ってきていた千鶴は、涙目を拭ってあたりを見まわす。
「あ、千鶴さん!あそこに!」
「え!?」
 ベランダに面した窓の向こうに、黒ネコ楓がこちらを見つめていた。
 黒ネコ楓はにゃあ、と一声鳴くと、さっと走って見えなくなってしまった。
「ああ、楓!どうして逃げるの!?追いかけましょう、耕一さん!」
「あ、ちょっと千鶴姉。その前にコレ…どうする?」
 部屋の片隅に横たわる血塗れのぼろ雑巾を指差す梓。
「……そうね…。梓ちゃん、お隣へいって、白い粉隠してあるはずだからそれ持ってきな
さい。鍵これ」
 柳川のズボンを探って鍵束を取り出し、梓に放る。
「ち、千鶴さん、それは…」
「警察が来ても、ドラッグでフィーバー状態と認識すればあとは勝手に組織ぐるみで隠蔽
してくれるわ」
「持ってきたよ!」
「じゃあ遠慮なく経口接種させてあげなさい」
 梓が言われたとおりにしているあいだに、千鶴は各所の指紋を拭き取っていた。
 耕一はただ、従姉妹達の手慣れた行動を呆然と見ていることしか出来なかった。
「量、よくわからないからあるだけ飲ませちゃったけど」
「ん〜ん、良い感じよ梓」
 柳川の口からこんもりとはみ出た白い粉の山を見て、親指を立てる千鶴。
「じゃあとっととずらか、もとい楓の捜索を再開しましょう、耕一さん。……あ、それか
ら公僕!税金食らいの分際で、高額納税者に向かって偉そうにしてるんじゃないわよ!2
0時間働け!ぺっ!」
 千鶴らしくない台詞、しかし、鶴来屋代表者として重責を負う者としての、血を吐くよ
うな本音であった。もしくは、前の事件のとき警察に散々いじめられたのをまだ根に持っ
ているのだろうか。梓は、またひとつ姉の知らざる一面を知ってしまった。
 だが、せっかくのその言葉も、残念ながら現在扉の向こうで貴之と感動的な再会を遂げ
ていた柳川の耳には届かなかった。
「さ。いきましょ、耕一さん」
 文字どおりの鬼の顔から一転、聖母のような表情で、耕一に振り返る千鶴。
「あ、あ、うん」
 耕一はちらりと柳川を見て、心の中だけで冥福を祈り、己の非力さを詫びた。
 自然現象にも等しい絶対的な力の脅威を前にして、一介のハーフエルクゥに過ぎぬ彼に
それ以上の何が出来ようか。
 筆者としてはただただ、上記の発言が作品上のやむなき表現であり、一介の低額納税者
として公務員の方々に対し全く他意も本意も無いことを告げておきたい。


 そして、数えて約7時間のデッドリー・チェイスの末に。
「つかまえたあっ!」
 スライディングタックルで飛び掛かった千鶴の腕の中に、タマ楓は捕らえられていた。
 にゃあ、ふぎゃあと喚きつつ、激しく暴れる楓タマ。しかし、千鶴はしっかりと胴体を
掴んで離さない。
「さあ。お家に帰りましょ?あらあら、大丈夫よ、そんなに脅えなくても。お仕置きは軽
めにしといてあげるから」
 千鶴の言葉に、また顔の縦線((c)さくらもも)を増やす耕一と梓。
「あ、いたたたたた!」
 ばりばりばり。
 ネコ楓は爪を立てて千鶴の顔を引っかき、その手から逃れ出た。
「あ、楓!」
「ち、千鶴さん…」
 少し離れたところに降り立ちこちらの様子を伺うネコ楓から、耕一と梓は、恐る恐る(
嫌だったが)千鶴に視線を移していく。
 千鶴の顔面に無数に刻まれた、格子状の痕(きずあと)。
 しかし、二人は笑う気にはなれなかった。
 同時に、何もかもすべてがもう遅いことに気が付いた。
「そう…もういいのね、楓」
 どこかの母親兼博士みたいな言葉を呟きながら、どこからか柳刃包丁を取り出し構える
千鶴。
「ち、千鶴さん!?」
「千鶴姉!」
「もういいの。いいのよ。楓の体は残ってるんだし、法的には全然おっけー。これからは
あれを楓として大切に育てていくわ」
「ちょ、ちょっと!」
 二人の制止、届かず。千鶴は猛禽類のすばやさでタマ(兼、楓)に躍り掛かった。
 夜闇に銀の閃光が走る。
 しかし、敵とて元野良動物。とっさに身を躱す。
 かちゃり、と音をたてて、赤い首輪が地に落ちた。体の方には、傷はついてないようだ。
「ああっ、目印の首輪が!」
「ちょっと千鶴さん!落ち着いて!正気に戻ってください!」
 決死の(本当に)覚悟で千鶴に抱き着き、止めようとする耕一。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
「千鶴さん!俺の声が届かないのか、千鶴さん!」
 そんなことをやってるうちに、黒楓ネコはさっさと逃げていってしまった。唯一の目印
の首輪を残して。それを絶望的な気持ちで見送る梓。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
「千鶴さんっ!」
「殺してやる殺して…はっ、耕一さんの声。私は何を?」
 あたりを見回して現状を認識し、耕一に抱き着かれる自分の姿を発見してぽっと顔を赤
らめる。
「あ、いやだ耕一さん。いきなり外で、しかも無理矢理だなんて…そういうのはもう少し、
なんていうかお互い経験を積んでから…」
「ななななに言ってんだよ!それより楓ちゃん逃げちゃったよ、千鶴さん!」
「ええ!?なんで?」
「いや、多分千鶴さんに殺されそうになったからだと思うけど」
「あ、あたしったらまた我を忘れて心にも無いことを。ごめんなさい、耕一さん。あなた
の義妹(いもうと)になるべき子を、わたし…」
「(…義妹?)いや、未遂だから良かったよ。それより、顔の傷大丈夫、千鶴さん?」
「心配してくださるんですか。優しいですね、耕一さん…」
「いや、梓や初音ちゃんたちと違って、もう傷の治りも遅いだろうしね。残ったら大変」
「ほほほ。耕一さんたら」
 サクサクサク
「ぎゃあああああああ」


「…お兄ちゃんたち、遅いね。どこまで探しにいったんだろう」
 留守番をつとめていた初音は、お茶を前にふうっとため息をついた。
「でも、それじゃあお姉ちゃん、別にタマと入れ替わっちゃったわけじゃなかったんだあ」
 初音の前には3人の人物がいて、同様にお茶の湯気を浴びていた。
 いや、例外が一人いて、その人物はお茶そっちのけで茶請けのかりんとうをひっきりな
しにつまんでは口に入れている。
 淡い色の髪とうつろな瞳が神秘的な少女、月島瑠璃子である。
 あとの二人は来栖川芹香に、柏木楓。
 楓は、既に人間の人格を取り戻した表情で座っており、首輪も外していた。
 耕一たちが出かけたあと、しばらくして芹香が瑠璃子を連れてやってきた。
 そして楓の部屋の中でなにかごそごそやっていたかと思うと、人間に戻った楓をつれて
出てきたのである。
 多分まじないのときに目の前に(生け贄の)ネコがいたため、催眠術のような効果で楓
さんのネコなペルソナがあらわれ一種の猫憑きのような状態になってしまったのでしょう。
 月島さんの力で本来の楓さんを起こしてもらったので、もう大丈夫です。
 芹香は、初音にそう説明した。
 ネコなペルソナってなんだろう、と初音は思ったが、そこは深くツッコまずにおいた。
「入れ替わってしまったというのは私の早とちりでした、ごめんなさい…って、いいんで
すよう、こうやってちゃんと治してくれたんだし。え?大体記憶等は肉体に依存するもの
なので、科学的に言ってそうそう人格が入れ替わったりするわけが無い?…はは、そうな
のかな、よくわかんないけど」
 初音はひたすらにお人好しな性格なので、あんたが科学的とか言うか等のツッコミは思
い浮かびもしなかった。
「と、とにかくありがとう、芹香さん、瑠璃子さん。お姉ちゃんも良かったね、元に戻っ
て」
「………(コク)」
「………(コク)」
「………(ぽりぽりぽりぽり)」←瑠璃子
「あ、そういえばお兄ちゃんたち遅いね。まだタマのこと探してるのかな?」
「…………」
「…………」
「…………(ぽりぽりぽりぽり)」
「あ、あの…」
「…………」
「…………」
「…………(ぽりぽりぽりぽり)」
 今更ながらに、初音は気付いた。この状況は、ある意味3大スター揃い踏みだ。
 この3人を相手に一人で間を持たせるなど、並大抵の人物に出来る技ではない。
 そしてもちろん、初音にも出来ない。
「(ひぃぃぃん…お姉ちゃんお兄ちゃあん、早く帰ってきてえ)」
 初音のエルクゥの声は、月下の耕一達に届いただろうか。
 とりあえず瑠璃子には(電波として)届いたらしく、かりんとうを握ってない方の手で
ぽんぽんと頭を叩かれた。慰めているつもりらしい。
「ど、どうも…あれ?…タマ?」
 にゃあ、と呑気な鳴き声をあげて、ドアの隙間からタマが姿を表した。
 薄汚れて首輪も無い状態だが、ケガはしていないようだ。
「お前だけ帰ってきたの?千鶴お姉ちゃんたちは?」

 にゃあ。

 答えたのかもしれなかったが、初音にはわからなかった。


「楓ちゃああん!もうお姉ちゃんぜえんぜん怒ったりしてないから、おとなしく名乗り出
なさいぃ!!」
「晩飯の支度間に合わないよおおおおお!!!」
 雨月山山頂。鬼の因縁深いこの場所で、二匹の鬼が吼えていた。
 町中からかき集めた、大量の黒ネコ達に囲まれて。
「母さん!親父!え?こっちくるなって?どうしてだよ、親父い!!」
 そしてその傍らでは、包丁傷を全面に刻んで大地に伏した一匹の鬼が、いましも現世の
境を踏み越えようとしていた。
「楓え!いいかげんにしないとお姉ちゃん本当に怒るわよおお!!」
「うう…いっそ全部もってかえろうよう、千鶴姉」
「駄目よ!そんなことしてあの屋敷は猫屋敷だ、猫屋敷に住んでるからお嫁の貰い手が無
いなんてご近所様に噂でもまかれでもしたらどうするの!」
「誰も言わないよお、被害妄想だよ千鶴姉…」
 ついに(何度目かの)姉妹喧嘩を始めた二人の横では、
「フフ…えでぃふぇる…お前は、美しいな…」
横たわったままの鬼が、ついに走馬灯も前世までいきつき、これはこれで結構大変なこと
になっていた。



<終わる>