楓ネコぱにっく!(前編)  投稿者:DEEPBLUE


投稿ふたつめです。

ほのぼのじっとり風味。

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  楓ネコぱにっく!(前編)



 一騒動だったガディムの事件も無事決着を迎え、ここ隆山も以前のような静けさをとり
もどした。
 大変な騒ぎであったが、悪いことばかりだったわけでもない。個性的な友人が多く出来
たのは、きっと、いいことなのだろう。 梓には、そう思える。

 いま、ここ柏木家に遊びに来ている来栖川芹香もまた、そのとき出会った友人の一人だ。
 彼女は、特に楓と気が合うらしく、時々やってきては二人で何か話をしている。
「運んできたよ〜」
 楓の部屋に二人分の昼食を運ぶように頼んだ初音が、空のお盆を抱えて戻ってきた。
「あ、初音、ご苦労様。……何してた、あの二人」
「うん、えとね…なんか二人で無言で見詰め合って、お茶飲んでた」
「………ふうん………そう」
 我が妹ながら、楓の性格ばかりはいまだ掴みきれない。もっとも、芹香も楓も2人して
不思議な性格なのだから、そのコミュニケーションが不可思議なものであってもなんらお
かしくはないだろう。
 ――梓は割り切りが早かった。


「あれ?なに?」
 洗濯物のかごを抱えた梓が廊下でばったり芹香に行き会ったのは、それから少ししての
ことだった。
「トイレ?それならそこをまっすぐに…え?違うの?なに?タマ?」
 良く見ると芹香は、鈴を首に下げた黒猫を両手に抱えていた。
 柏木家の飼い猫…というか、餌などをあげているうちに居着くようになってしまった野
良猫だ。
 子猫ながら、一度は死線を潜り抜けていたりもする(「柏木家の食卓」参照)。
 タマは芹香の手の中で、なにかを訴えかけるように梓の顔を見上げていた。
「タマがどうかしたの?え?…困ったこと?」
 その時。

 にゃあ

 梓の背中から、なにか鳴き声が聞こえてきた。
 目の前のタマからではない。背後からだ。
 「………何」

 振り向くとそこには――膝立ちし、目を細め、前足…もとい握った手でしきりに顔を撫
でてはぺろぺろとそれを舐めている、楓の姿があった。


「え?おまじないの失敗?…生け贄と楓の心がいれかわってしまったんだと思う……そ、
そう…」
 芹香の説明によると、楓に頼まれて恋愛成就のおまじないを施したところ、何をどう間
違ったのか楓の精神が生け贄に使ったタマの中に、タマの心が楓の中に、それぞれ入れ替
わってしまったようだという。
(恋のおまじないで生け贄って…)
 じゃれ付いてくる楓(体)を適当にあやしつつ、梓はため息をついた。もう今更何がお
きても驚くつもりはない。
「それはいいけど、なんで楓も首輪と鈴つけてんの?…可愛かったから?…あ…そう」
 頬を染めてこくん、と肯く芹香に、梓はもう何も言えなかった。
「にゃあ。ふにい」
「あははは。楓お姉ちゃん、可愛い」
 楓は今度は初音にじゃれついている。意外に浮気性だ。
 初音もけっこう嬉しそうに楓(体)の手をとって揺らしたり頭を撫でたりしてやってい
る。そのたびに楓(体)の鈴がコロコロと軽やかな音を立てていた。
 芹香に抱かれたタマ(体)はその様子に、情けなさそう…にみえる態で視線を送ってい
る。なにせ猫だから、本当のところどういう表情でいるのかわからない。
 芹香は、タマ(体)というか楓(心)というか、とにかくそれをそっと床に置くと、す
くっと立ち上がった。
「どこいくの?え?家に戻って資料をあたってみる?絶対に元に戻す?…そうだね、頼む
よ」
 2、3日かかるかもしれないけど心配しないでください、それまでお願いします。そう
言い残して、芹香は帰っていった。
 自家用ヘリで。


「…ふうん。そう」
 柏木家の長女にして家長、柏木千鶴が梓に状況を報告されたときの、彼女の第一声がそ
れだった。意外に驚いた様子はない。というかいきなり家族のひとりが猫になったとかい
われても、状況認識が追いつかないのだろう。
 彼女たちは今、夕食を囲んでの家族会議に入っていた。
「…梓お姉ちゃん、体のお姉ちゃんにお夕飯、なにあげたらいいと思う」
 楓のお茶碗と猫用の餌皿を手に悩む初音。
「生魚でもあげてみたらどうかしら?」
 無邪気に言う千鶴に頭を抱えつつ、食卓に並んだ皿のひとつをとる梓。
「…とりあえず焼き魚でも食べさせときな。さすがにお箸は使えないだろうから」
「うん。はい、お姉ちゃん」
 初音は梓からサンマを乗せた皿を受け取って、床に丸まる楓(人体)の顔の前に置いた。
 楓(人体)は顔を上げて皿をみやり、ついで初音の顔を見上げる。視線に応えてにこり
と微笑んでやる初音。
 それに納得したかのように、楓は皿のサンマをくわえると、四つんばいで立ち上がった。
 他の3人を牽制するかのように背を向け、一回振り向いて、おもむろに歩き出し部屋か
ら縁側に出る。
 廊下に一度サンマを落とすとその場にしゃがみこみ、ようやく落ち着いてむさぼりだし
た。
「こ、こらあ!ばっちいだろ!そんなとこで食べちゃ駄目え!」
 一連の様子を呆然と見ていた梓がやっとのことで自分を取り戻し、走りよって楓を押さ
えつける。
「ふにい!ふぎい!」
 抗議の声をあげる楓。暴れるたびに首の鈴がからころとやかましい。
「はい、お姉ちゃん…ごめんね、こんなので…でも、普通のご飯じゃ食べづらいだろうし
、お箸も使えないだろうから」
 姉二人が一大格闘を演じる傍らでは、初音がネコ体の楓にご飯をやっていた。皿にご飯
を盛って、焼サンマを乗せたものだ。こちらの楓(猫)は特に文句を言う(鳴く)そぶり
もなく、もくもくと食べはじめた。
「あらあら。やっぱり食卓は賑やかがいいわね」
 現状認識を拒否したかのようなにこやかさで、千鶴は味噌汁をすすり、当たり前のように
梓のおかずに手を伸ばしたりしていた。


「ええ、そうなんです、大変なんです。それで、なんとか耕一さんのお力もお借りしたい
と…ええ…そうですか!たすかりますぅ!」
「あんた何も大変なことなんかしてないだろうが」
 満面の笑顔で受話器を握る千鶴の横で、引っ掻き傷だらけの梓がツッコんだ。
 どうやら千鶴は、現状打破には何もしようとしないくせに状況だけはフルに利用するつ
もりでいるらしい。一企業の頂点に立つ者として当然の判断能力である。
 ちなみに楓ネコと梓との闘争は、皿に乗せたサンマを楓が廊下で食べる、というところ
で妥協点を見ていた。
「あしたの昼過ぎにはいらっしゃるそうよ、耕一さん。さあて、お迎えの準備しなくちゃ
あ」
「やれやれ…じゃあ布団でも出しといてやるか」
 なんだかんだ言って梓も耕一に会えるのは嬉しい。
 すでに大学は長期休みに入ったはずだが、何でも単位が足りずに大量に補講を取ったと
かでこちらにはこれそうもない、と言われていたのだ。
 多分今ごろはノートのあてをつけるのに忙しいころだろう。


「楓ちゃんが猫になった…?」
 受話器を置くと、耕一はひとりごちた。
 心配もある。
 (また)千鶴さんに担がれているのか、という疑念もある。
 が。何にもまして耕一の胸に去来する一つの思いがあった。

 ――見てみてえ。

 既に彼の世界では、ネコミミをつけた楓が首の鈴を鳴らしつつ、扇情的な格好で媚態を
みせつけていた。


「じゃああたしは部活の用事で出かけてくるけど!千鶴姉!あんたちゃんと両方の楓が逃
げ出さないよう見張っててよ!あと変なことするんじゃないわよ!」
「変なことってなによう」
 説明的なセリフを残しつつ、梓は外出していった。
「じゃあお姉ちゃん。わたし買い物行ってくるね。お兄ちゃんに美味しいもの食べさせて
あげたいもん」
「うう、初音はいい子ねえ」
 続けて、初音も。

 そして柏木家には楓’sと、一人の危険人物だけが残された。

「…誰もいないわね。私のほかには、何も出来ないネコ二匹…」
 家事の面では自分がネコ以下であることは棚にあげている。ついでに自分の妹をすでに
匹で数えている。
「つまり今は邪魔物はいないってことよね」
 いそいそとエプロン(ピンクのフリル)をつけ、お約束のように台所へと向かう千鶴で
あった。


 タクシーで「柏木家に」と言えば、説明要らずで運んでくれるのは便利だと思う。
 そんな感想を抱きつつ耕一が柏木家の門をくぐったのは、ちょうど正午ごろのことであ
る。
「おじゃましまーす。誰かいないのー?千鶴さーん?梓ー?」
 玄関の鍵は開いているが、声をかけても誰も出迎えてくれる様子はない。
 不思議に思い、奥を覗き込む。その時、耕一はおかしなことに気付いた。
「…!?なんだこの酸性洗剤にアンモニア溶液を混ぜ込んでトンコツスープで煮込んだよ
うな異臭は!?ま、まさか地方都市お得意の危ない宗教団体の毒ガス兵器!?やばい!お
ーい!千鶴さん!みんな!いるのかあ!」
 上がって奥に駆け込んでいく耕一。小学校のとき防災訓練で習ったとおり、ハンカチを
口にあてている。
「耕一さん!」
「千鶴さん!無事だったか!」
 どさくさに紛れて耕一にしがみつく千鶴。
「こ、耕一さんお久しぶりです!じゃなくて大変なんです!」
「そうだ、とにかく外へ…」
「楓がどっかいっちゃったんです!」
「なに!?…わかりました、俺が探しますので、千鶴さんはとにかく外へ!」
 悲壮な決意を込めて、千鶴の肩を抱き命ずる耕一。
「え、ええ…あの」
「なんです!?ここは危険なんだ!とりあえず外に出て、連絡を!」
「あの、危険とか外とか、何をおっしゃっているんです?」
「そりゃもちろん毒ガス…」
「ガス?おかしいわね、元栓は閉めたと思ったけど」
 台所へ走る千鶴。
 その背を呆然と見送る耕一。
 なぜ千鶴さんが台所へ?
 なぜ千鶴さんが元栓を?
 そして、なぜ千鶴さんは、高濃度に汚染されたこの空気の中で平然としていられるのか?
 答えは、足元にあった。
「か、楓ちゃん!?」
 首輪と鈴をつけた楓が、漫画的表現なぐるぐる目で倒れていた。
「だ、誰がこんな酷いことを」
 助け起こそうとした耕一は、傍らにおいてあったネコ用餌皿に目をとめた。

 紫色の流動体が、底の方に溜まっていた。

「ちゃんと閉まってましたよー?うふふふ、実は耕一さんに食べてもらおうと思って、ビ
ーフシチューを煮込んでみたんですけど」
「そ、そうですか…いやあ、言われてみれば良い匂い…だった、かも…しれないなあ。あ
と、正○丸あります?千鶴さん」
「正○丸て昔は征○丸て書いて、某国と戦争してたときに名付けられたって知ってますう
?」
「知りません…。いえ、千鶴ちゃんのマメ知識はいいですから、楓ちゃんの命を助けて上
げてください」
「ネコって牛肉駄目だったかしら?」
「犬が玉ねぎ駄目ってのは聞いたことありますが」
「あ、きっとそれねえ。玉ねぎも入ってるし」
 どこに、とは耕一は聞かなかった。紫色のシチュー?の中では、牛肉も玉ねぎも判別つ
かなかった。
 なにより、異臭により危険域にまで達した意識は、既に細かいツッコミを可能とする思
考力を失っていた。


 空気の入れ替えに、30分。
 楓(体)に薬を飲ませてベッドに寝かせ、耕一はようやく千鶴の話を聞く余裕を得た。
「…はあ、そんなことが」
「それで、ネコの楓のほうにも味見させようと思ったら、するするっとわたしの手を抜け
て縁側から表のほうへと逃げてっちゃったんです」
(そりゃそうだよなあ)
と耕一が口には出さなかったのは、純粋に自己保存の本能からである。
 好き好んで断崖から飛び降りるような真似をするのは、自殺志願者とレミングスだけだ。
 しかし、事は重大である。
 いや、千鶴のビーフシチューのことではなく――それはそれでとても重大だが(処分法
とか)――、楓のことだ。
 耕一の脳裏に、車とか、野良犬とか、悪ガキとか、ネコフェチの変質者とか色々な想像
が一瞬にして駆け巡ってゆく。
「わかりました!俺も協力します。楓ちゃんを探しましょう、千鶴さん!」


(後編へ続く)