「約束」第25章 ぬくもり  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第25章 ぬくもり



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登守。能登以下10ヶ国の守護。雨月城主。
 禧子(よしこ) 耕治の妻。前天皇の娘で「六の宮」とも呼ばれる。「虫めづる姫君」。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 セリオ     マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。
         自律型データベース「セレナ」の中によみがえる。
 HM1377  22世紀から来た20体のメイドロボ。
         戦闘用にカスタマイズされている。
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「……香織さんはちょっと苦労されましたけど、結局ラテン語の呪文を全部覚え、
 ダイエットもどうにかこなされて、私をこの時代に送ってくださったんですぅ」

 マルチの長い述懐が終わる。
 柏木館の人気のない一画。酒宴の終わった後だ。

「−−そうだったのですか……」

 「セリオ」は、マルチの話を聞いて、いくつかの疑問が解決されたと思った。
 まず、マルチがこの時代に送り込まれた目的。
 驚いたことに、それはどうやら、22世紀からやって来た自分たちが、近江で次郎衛門やリネット
を殺すことを阻止するためだったようである。
 他にも、柏木家の存在意義や、その来栖川家との関係が明らかになった。
 ……「本来の自分」であるHMX−13が、ほとんど来栖川家や柏木家の一員のようになっている
というのも、今の自分と照らし合わせると不思議な感じがするのだが……

(−−それにしても)

 「セリオ」は考える。

(−−柏木家を存続させるためとはいえ、
 ここまで歴史を大きく変えることが、果たして正しかったのか……)

 これでは、柏木の血を残すことには成功したとしても、時代が進んで21世紀に至った時に、マル
チの知っているような「柏木家」が再現されるかどうか、保証の限りではない。
 そうかといって、他の選択肢があったかと言うと……
 いくら考えても答えが出ない。

(−−それに……
 「私たち」がこの時代に送り込まれた目的は、それでは一体何だったのだろう?)

 解決のつかない疑問は、まだいくらでもあった。



 耕治は、わずかな酒で酔いつぶれてしまった妻を抱えて、自分の寝間に入った。
 途中で六の宮付きの侍女(輿入れの時について来た女性)が気がついて、慌てて女主人を本来の寝
間に引き取ろうとしたが、耕治が制して下がらせてしまったのである。

 六の宮は、骨のつくりが華奢で、大人の女性というより年端のいかない少女を抱きかかえているよ
うな感じがする。
 寝床は既に延べてあるので、単純に寝かせてやれば良いわけだが、ふと彼女の軽やかさが愛おしく
思われて、両手で抱えたまま腰を下ろした。
 姫は微かに身じろぎしたが、目を覚ましそうな様子はない。

 耕治は、六の宮が「虫めづる姫君」となった所以を知ってから、何となく哀れを催して、気にかけ
るようになったのだが……姫の方では相変わらず耕治を避け続け、言葉をかけられても返事をしない。
 たまに寝間へと誘っても、侍女を通して「気分がすぐれませぬので……」などと言い訳して来る。
 ふたりが枕を並べたのは、今のところ、初夜の一度だけであった。

(やはり、あの時が少々強引であったか?)

 どうせ政略結婚と割り切ったため、愛情のこもらない行為となってしまった……その時のショック
がずっと尾を引いているのだとしたら、申し訳ないことだと思う。

「…………」
 ははさま……

 不意に、六の宮が小さな声を漏らした。
 耕治はその顔を見たが、まぶたは閉じられたままで、意識を取り戻したようには見えない。

「…………」
 ははさま……

 再びつぶやきが漏れ、それと共に、閉じたまぶたの端から、つと一筋の涙が流れた。

(「母様」と呼んでおるのか……)

 小さい時に母を亡くし、さぞや寂しい思いをしたのであろう……そう思うと、不憫である。
 野武士上がりの耕治も、天涯孤独の身の上だった……エディフェルに会うまでは。
 エディフェルが、次いでリネットが、冷えきった耕治の心を暖め、命を吹き込んでくれたのだ……

 あのようなぬくもりが欲しい、と耕治は思った。
 自分の半身ともいうべき存在を暖め、自らも半身によって暖められる……そんなぬくもりが欲し
かったのだ。

 耕治は寝床に妻の体を横たえると、一緒に夜具を引き被った。
 共に体を並べながら抱き寄せてやると、六の宮は無意識のうちに、夫の胸に顔を押しつけて来る。
小さな子どもが、親の胸元で甘えるように。

(この女も、ぬくもりがほしいのだ……)

 耕治はそう思い、まさに互いの体を暖め合うようにしながら、眠りに落ちて行ったのである。



 翌朝目を覚ました時も、六の宮はまだ眠っていた。慣れない酒のせいであろう。
 すうすう軽やかな寝息を立ている妻を起こさないようにそっと立ち上がると、廊下に出て、うがい
手水をすませて来た。
 見ると、六の宮はちょうど目を覚ましたところらしく、半身を起こしてぼんやりしている。
 自分がどこにいるのか、よくわからないようだ。

「……目が覚めたか? よう眠っておったの」

 そう声をかけられて、ようやく耕治の存在に気がついたようだ。

「…………!」

 慌てて夜具を引き寄せ、自分の体を覆うようにする。
 ……特に着物が寝乱れているわけでもないのだが、寝起きの姿を見られたくないのだろう。

「…………」
 ここはどこですか? 私に何をしたのですか?

 非難するような口調に、耕治もいささかムッとした。

「我らは夫婦ぞ?
 ……枕を共にして、何が悪い?」

 すると、六の宮は、耕治の言葉を真に受けて、寝ている間に体を弄ばれたと思い込んだらしく、青
ざめた顔を俯けてしまった。
 目の端に涙が浮かんでいる。

(さほどにわしが厭わしいか?)

 そう考えると、昨夜感じたほのかなぬくもりもどこかへ吹き飛んでしまう。

「……ご主人様ぁ。もうお目覚めですかぁ?
 お食事の用意ができましたけどぉ、
 お方様の分もこちらにお持ちしましょうかぁ?」

 そこへ、マルチのほんわかした声が、部屋の外からかかった。
 ……リネット亡き後、耕治の身の回りの事は、マルチとHM1377たちが見ているのだ。

「そうだな。そうしてくれるか?」

 相変わらず夜具を引き寄せたまま、ふるふると首を振って拒絶の意を示す妻をしり目に、耕治はわ
ざと意地の悪い返事をしたのだった。



 仏頂面の耕治。
 下を向いたままの六の宮。
 いつものマルチなら、ふたりの様子がおかしいことにすぐ気がつくはずだが、今朝は違っていた。

(これが、500年前のご主人様……)

 給仕の合間に、耕治の顔をしげしげと観察する。
 もちろん、耕一と瓜二つ、というわけではない。第一、体格が違う。
 食糧事情の良い21世紀に生まれた耕一に比べ、あまり栄養状態の良くない環境で育った耕治は、
その分背が低いのだ。
 また、耕治は、若い頃野武士をしていたせいか、今でも精悍な雰囲気を漂わせ、特に目つきは鷹の
ように鋭い。……この鋭い目が、今は亡きリネットに向けられる時だけは、まさに慈愛に満ちたもの
に変わるのが、マルチには不思議のようにも当然のようにも感じられたものだ。
 耕一の方は、目つきも全体から受ける印象も、もっと穏やかなものだった−−エルクゥの力を解放
した場合を除いて、だが。

 そのように、耕治は耕一と異なる点がいろいろあるのだが……その気になって見ると、何となく顔
の造作に共通点があるような気がして、何だか懐かしい。

(「ご主人様」……)

 年老いて、病のために世を去ったはずの「耕一」が、今、自分の目の前にいるのだ。
 とても不思議な気がする。
 だけど嬉しい気がする。
 もう会えないはずのご主人様にこうしてお目にかかることができて、もう一度お仕えすることがで
きるなんて……

「マルチ? いかが致した?」

 耕治の怪訝そうな声で、ようやく我に帰った。

「あ? す、すみません、私ったら……」

 夕べは奥様、今朝はご主人様の前でぼんやりするなんて……

「体の具合でも悪いのではないか?」

 鷹のように鋭い目つきが、心配で和らげられていた。
 耕治にとって、マルチはいわば、リネットの妹のような、大事な存在なのだ。

「いえ、何ともありませえん。
 ……それより、お代わりはいかがですかぁ?」

「ん? ……ああ、では頼む」

 差し出された腕にご飯をよそいながら、マルチはふと、同じようにして耕一に給仕をしていた時の
ことを思い出した。
 耕一のアパートに匿ってもらっていた頃の、ふたりきりの食卓で……
 柏木家に引っ越してからの、にぎやかしい食卓で……
 マルチは耕一のために、給仕をしたのだ。
 何度となく繰り返された日常の、ありふれた、しかし今となってはかけがえのない営み……

「マルチ?」

 ご飯をよそう手を止めて涙を拭いているマルチの姿に、耕治は思わず座を立って、マルチの肩に手
を置いた。

「やはり具合が良くないのではないか?
 ……それとも、何か辛いことでもあったのか?」

(ご主人様……
 やっぱりご主人様は、優しい方ですね……
 いつの時代にも)

「ち、ちがいますぅ。……私、嬉しいんですぅ。
 こうしてまた、ご主人様にご飯をよそって差し上げることができて」

「ん?」

 耕治はむろん、怪訝そうな顔をするばかりだ。

「あ、いえ、その……
 ええと、ご主人様のような立派な方にお仕えすることができて、
 本当に幸せだと思ったら、嬉しくて涙が出て来たんですぅ」

「何だと? ……はは、今さらおかしなことを言うやつだ」

 耕治は幾分照れたような笑いを浮かべる。
 と。

 すっ……

 眼前で繰り広げられているほのぼのした光景を無視するかのように、六の宮が立ち上がった。
 そのまま部屋を出て行こうとする。

「あ、せり……、お方様」

 呼び止めようとしたマルチは、とっさに500年後の耕一夫人の名を呼びそうになって、慌てて言
い換えた。

「お食事はいかがなさいましたぁ?」

「…………」
 十分いただきました。

 背を向けたまま、六の宮が答える。

「で、でも、ほとんど手をつけておられませんよぉ?」

「…………」
 もう十分です。

「でも、せめて……」

「マルチ。都のおなごは小食なのだ。
 無理に引き止めずともよい」

 耕治がやや皮肉っぽい口調で言うのにも特に反応を返さず、六の宮はそのまま出て行ってしまった。



 廊下を歩いて自室へ向かう。
 朝から、何となく腹立たしい気分だった。
 ……なぜ、あのふたりはあんなに打ち解け合っているのだろう?

 六の宮は、別に耕治とマルチの仲に嫉妬していたわけではない。
 自分の持たざるもの−−親しい者同士の暖かい交わりを、目の前で見せつけられたことへの不快感
が、朝食の席を中座させたのだ。

 やがて自らにあてがわれた一画に戻ると、彼女に気がついた侍女が、

「宮様。もうお食事はおすみですか?」

 と尋ねた。
 今朝は夫婦一緒に朝食を取る、とメイドロボのひとりから聞かされていたためである。

 こくん

「では、いつものように手習いの……」

 と言いかけた侍女の脇をすり抜けて、六の宮は部屋に入る。

「宮様?」

 やや狼狽気味の侍女を無視して、もうひとつ奥まった部屋へ。
 ……そこには、大小さまざまの籠や箱が、置かれていた。

 そっと一つの箱を取り上げて、蓋をあけると……
 トカゲが顔を出した。
 柏木の京都屋敷の庭で、婚礼の翌日見つけた、あのトカゲだ。

(おはよう…… おなかはすいていませんか?
 ……具合は悪くありませんか?)

 何となく耕治とマルチのやり取りを意識の底に置きながら、トカゲを撫でる皇女だった。