「約束」第26章 友だち  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第26章 友だち



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登守。能登以下10ヶ国の守護。雨月城主。
 禧子(よしこ) 耕治の妻。前天皇の娘で「六の宮」とも呼ばれる。「虫めづる姫君」。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 ゆい      柏木氏に滅ぼされた小笠原信清の娘。
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 六の宮は、前にもまして閉じ籠りがちになった。
 ほとんど自分の部屋から出て来ない。
 たまに姿を現すとしても、自室に近い庭先までがせいぜいであった。
 耕治も、あれ以来、妻と親しく言葉を交わそうという気も起こらないようで、放ったらかしにして
ある。



 そんなある日、たまたまマルチは、庭の植え込みのあたりにぼうっと立っている六の宮を見つけた。
 ……マルチは、記憶を取り戻して以来、この孤独な姫が芹香の姿とオーバーラップして他人とは思
われなくなっているので、早速気さくに声をかけた。

「お方様ぁ、何をしていらっしゃるんですかぁ?」

「?」

 家族も友人もなく、ただ二、三名の侍女にかしづかれて育った皇女は、こういう親しみの籠った接
し方にはどうも不慣れなようで、無表情の中にやや戸惑いの色を浮かべている。
 マルチが重ねて、何をしていたのか問うと、しばらくの沈黙の後で、

「…………」
 お友だちを見ていたのです……

 とだけ答えた。

「お友だち、ですかぁ?」

 マルチは訝しげにあたりを見回したが、他に人影はない。
 第一、六の宮が「友だち」と呼ぶほど親しい存在が、この屋敷にいただろうか?

「その方は、どちらにおいでですかぁ?」

 至極もっともな質問に、六の宮はしばしマルチの顔を見つめていたが、やがて身をかがめて、草の
生い茂っているあたりに手を入れた。
 そして、そこに隠れていた「友だち」を、マルチの目の前に差し出したのである。
 ……チロチロ舌を出し入れしている、大きな青大将を。

 ぷしゅううううううううう……

 一瞬の沈黙の後、マルチは見事にブレーカーを落としてしまった。



 目の前でマルチが失神するのを見て、六の宮もさすがにうろたえた。
 無表情ではあっても、決して無感情ではないのだ。
 気を失った人間の介抱などしたことがない皇女がおろおろしていると、折よく侍女が自分を探しに
来るのが見えた。

「宮様? そろそろお部屋に入られた方がよろしいのでは?
 あまり長く陽に当たられると……」

 言いかけて、宮の足下に倒れている人物に気がついた。

「ひ……!」

 侍女が息を飲む。
 マルチが人前で着用している鬘が、倒れた拍子にはずれて、鮮やかな緑色の短髪があらわになって
いたからだ。

「あ……青鬼!」

 昔は緑色を指して「あお」と呼んだので、侍女の形容はあながち間違いではない−−頭髪の色に関
する限り、だが。

「…………」
 介抱してあげてください……

 と、皇女が頼んだが、侍女はその声も耳に入らない様子で、

「恐ろしや! 何と恐ろしや!
 『柏木能登は鬼の娘どもを侍らせている』とは、かねて聞き及びましたれど、
 かくも恐ろしき姿とは!」

 マルチに角(センサー)があって瞳の色も常人と違うことは、侍女も前から承知していたが、この
時代としては一番人目を引く髪の色とその異様な短さを目の当たりにして、ひどいショックを受けて
いる。

「宮様! かように恐ろしきものの傍に長居は無用です! 
 早うお部屋にお戻りください!」

 侍女は六の宮の袖を引いて連れ戻そうとしたが、

「…………」
 介抱してあげてください。

 宮はもう一度繰り返した。

「何をおっしゃいます!?
 相手は鬼ですよ!?」

「…………」
 でも、気を失って……

「放っておけば、やがて気がつきましょう。
 ……鬼に触れるなど、もってのほかです!
 そのようなことは、とてもできません!」

 侍女は恐怖と嫌悪感を代わる代わるあらわにしながら、心底嫌そうに首を振っている。

(そこまで厭わずとも……)

 ふだんから人の忌み嫌う蛇やトカゲを慈しんでいるせいか、六の宮の方はマルチの髪を見て多少驚
きはしたものの、嫌悪する気持ちはない。
 それよりも、気を失っているのを放っておくわけにはいかない、という思いの方が強いのだ。
 頼みの侍女があてになりそうにないので、しかたなく皇女自らマルチの体を抱えようとする。

「あ、宮様! なりません!」

 侍女は焦るが、「鬼」に対する恐怖感が強すぎて、宮の代わりにマルチを抱きかかえることができ
ないでいる。
 非力な皇女はいささか足をよろめかせたが、幸いマルチが小柄で体重も軽かったため、何とか自室
の前の廊下のところへ寝かせることに成功した。
 もっとも、その時には六の宮は汗だくになっていたが。

 いくら制しても宮が「鬼」の介抱をやめないので、侍女は匙を投げて控えの間に下がってしまった。

(「鬼か蛇か」とは言うけれど……)

 姫が初めて毛虫の類いを飼おうとした時も、更にエスカレートして蛇を部屋に連れ込んだ時も、侍
女は口を酸っぱくしてやめさせようとしたものだが、結局聞き入れてもらえなかった。
 以来、姫に接する時は、適当なところで諦めるコツのようなものが身についている。
 蛇を厭わぬくらいだから、鬼も平気なのかしら、と妙な理屈でもつけて自分を納得させなければ、
「虫めづる姫君」のおもりはとても務まらないのである。



 六の宮は、廊下に横たわったマルチの意識のない体を、そっと撫でさすっていた。
 具体的にどう介抱すればいいのか、よくわからなかったからだ。
 腕を撫で、お腹を撫で、頭を撫で……とあれこれ試しているうちに、不意に、

 ぶうううううううん……

 という音がマルチの体から聞こえてきた。

「?」

 耳慣れない音に皇女が首をかしげていると、やがてマルチがうっすら目を開けた。
 六の宮はほっとして、

「…………」
 大丈夫ですか?

 とささやいた。
 すると。

「あ…… 芹香さん?」

 マルチがぼんやりと呟いた。
 どうやら、まだ意識が完全に戻っていないようだ。

「?」

 皇女は再び首をかしげつつも、マルチの頭を撫でてやる。
 するとマルチは、ぼんやりとした中にも心地よさそうな表情になって、再び目を閉じた。
 が、意識を失ったわけではなく、その唇はぽつりぽつりと言葉を紡いでいる。

「芹香さん…… お約束……守りましたよぉ……
 ご主人様を……お助けする……ことが……できましたぁ」

「…………」

 マルチは自分を誰かと間違えているらしい、と気づいた六の宮だが、さりとてどうしようもなく、
無言で頭を撫で続ける。

「ありがとうございますぅ……
 ほめて……くださるんですかぁ?
 お役に……立てて……嬉しいですぅ」

「…………」

 なでなで……

「これで……皆さん……
 いなく……ならずに……すむんですよねぇ?」

「…………」

 なでなで……

 再起動の途中でなでなでを始めたことが何か関係あるのか、マルチの意識はなかなかはっきりしな
い。

「あ…… 500年前の……ご主人様も……
 やっぱり、優しい、方ですよぉ……
 リネットさんも……」

 そこまで言った時、マルチの表情が曇った。

「うう…… でも……
 あんな……いい方なのに……お気の毒に……
 私…… 私…… お側にいながら……
 何も……して……差し上げることが……」

 リネットが耕治の前妻で非業の死を遂げたことは、辛うじて六の宮も聞いていた。

「…………」
 しかたのないことです。
 あなたのせいではありません。

 涙ぐんでいるマルチを慰めようと、おずおず言葉をかける。

「ありがとうございますぅ……
 そう言えば……ご主人様、新しい奥様を……」

 ぴくっ

 皇女は思わず手をとめた。

「とても……おきれいで……
 とても……お優しい方ですぅ」

(優しい? 私が?)

 戸惑いの表情を浮かべる六の宮。
 ……この人は、私のどこを見て、優しいなどと感じたのだろう?
 私は……私の心は……こんなに冷えきっているのに……

「私……ひと目で、わかりましたぁ……
 だって……昔の芹香さんに……そっくりなんですものぉ……
 とても……お優しくて……
 なのに……ひとりぼっちで……
 だれにも……わかってもらえない……」

(!?)

 ひとりぼっち……
 わかってもらえない……

「でも、きっと……ご主人様なら……
 お方様のこと……わかってくださる……はず……」

「…………」

 ぴたっ

 マルチの言葉はそこで途切れた。
 いつの間にか、妙な音もとまっている。
 ……と。

 ぶうううううううん……

 再び先ほどと同じような音がしたかと思うと、程なくマルチが目を開けた。

「…………」
 大丈夫ですか?

「あ、せり……じゃない…… お方様?」

 どうやら、今度は完全に意識を取り戻したようだ……



「…………」
 こうやって……
 それから、こう折って……

「こうですか?」

 六の宮の手許に目を注ぎながら、一生懸命紙を折るゆい。

「こうやって、こう折って……
 あれ? 何だか変ですぅ」

 どこで間違えたのか、妙な形に折れ曲がった紙を手にして、しきりに首をかしげるマルチ。
 ゆいもマルチも、六の宮の部屋で、彼女の得意な折り紙を教えてもらっているところだ。



 ……例の失神騒ぎの後、六の宮はマルチにだけは心を開くようになった。
 マルチの方も、昔芹香から「お友だちになってくれませんか?」と言われた時の事などを思い起こ
して懐かしい気分になりながら、彼女の部屋を頻繁に訪れるようになったのである。
 ある時皇女が、つれづれに覚えた自己流の折り紙を披露して見せた時、マルチは目を丸くして驚い
たり喜んだりした。
 その折り紙の話をゆいにしてやったところ、「ゆいも教えていただきたい」と言い出したので、今
日はふたりで六の宮の部屋をおとなったのである。
 宮は、小さな客人がついて来たのを見て首をかしげたが、マルチから話を聞くと、微笑をもって受
け入れた。
 その微笑を見ながら、マルチは思った。
 きっといつか、この笑顔が、ご主人様に向けられる日が来るに違いない、と……



「こうやって、こうやって……
 あ、あれ? あれれ?」

 ……頑張れ、学習型のメイドロボ。