「約束」第22章 幻  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第22章 幻



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登守。能登以下10ヶ国の守護。雨月城主。
 禧子(よしこ) 耕治の妻。前天皇の娘で「六の宮」とも呼ばれる。「虫めづる姫君」。
 小太郎     耕治とリネットの間に生まれた男子。本名は耕嗣(やすつぐ)。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 セリオ     マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。
         自律型データベース「セレナ」の中によみがえる。
 HM1377  22世紀から来た20体のメイドロボ。
         戦闘用にカスタマイズされている。
 長瀬源忠    もとの中村新左衛門。畠山氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。京都目付。
 佐々木氏興   もとの京極氏広。近江守、近江・飛騨の守護。
 ゆい      柏木氏に滅ぼされた小笠原信清の娘。
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「ご主人様。お帰りなさいませー」

 マルチのにこやかな笑顔が、上洛を果たして来た耕治を出迎えた。

「父上。ようこそお帰りなされました」

 小太郎は、侍の子らしくいささか堅苦しい口調で挨拶しているが、久しぶりに父に会えた嬉しさを
包み切れないでいる。
 いつも小太郎にくっついているゆいは、少し改まった場面なので、侍女たちの間に混じって無言で
頭を下げていた。

「留守中、大儀であった」

 館の広間に座した耕治は、一通り皆の挨拶を受けた後、

「さて、こたびは皆に引き会わすべき者がおる。
 ……入るがよい」

 声に応じて静かに室内に入って来た女性は、そのまま耕治の隣にそっと腰を下ろした。
 六の宮である。
 その高貴な美しさに、侍女たちは思わず息を飲んだ。
 小太郎もぽかんと口を開けている。
 それに気がついたゆいが、何となく膨れ面をしているように見える。

(おやおや。その年でもう悋気を焼くか?)

 耕治は心の中でそっと笑いながら、新しく北の方となった女性を紹介する。

「都にて娶りし妻、禧子じゃ。
 向後仲良うしてくれい」

 禧子が心持ち頭を下げると、我に帰った侍女たちが慌てて一斉にお辞儀をした。

「『よしこ』さんとおっしゃるんですかぁ?
 素敵なお名前ですねー。
 私はマルチと申しますぅ。よろしくお願いしますぅ」

 この時代の改まった挨拶に疎いマルチは、学校での運用試験中に出会った生徒と挨拶を交わすよう
な気さくな感じで話しかける。
 それまで無表情だった六の宮も、さすがに「?」という顔をしている。

「小太郎耕嗣(やすつぐ)におざります。
 以後お見知りおきくだされ」

 こちらはかなり緊張しているのが、周囲にも見て取れる。
 六の宮は小太郎に目を向けると、黙ってうなずくような仕草をした。

「……ゆいと申します。
 小太郎殿の『いいなずけ』です。
 ふつつか者ですが、よろしくお願い致します」

 例の縁談は立ち消えになったはずなのだが、余りにもふたりの仲が良く、耕治も認めているような
ので、本人同志も周囲も、「婚約」をほとんど既成事実と見なしているらしい。
 ……それにしても、わざわざこの場でそのことに触れるとは、無意識の対抗心であろうか?
 皇女は、まだ8歳かそこらの少女に目をやって、ほんの一瞬小さく微笑んだように見えたが、すぐ
に無表情を取り戻した。

 ……自己紹介が一巡すると、六の宮は耕治に向かって小さく頭を下げた。
 ただし、相手と視線を合わせようとはしない。

「……さて、そなたも長旅でさぞ疲れたことであろう。
 部屋に下がってゆるりと寛ぐがよい」

 耕治が新妻の意を悟ってそう言葉をかけてやると、彼女はもう一度頭を下げて、静かに立ち上がっ
た。
 微かな衣擦れの音と共にその姿が消えた後も、着物に香が炊きしめてあったのだろう、品の良い残
り香が耕治たちの鼻孔を快く刺激した。



 半年後、佐々木氏興と長瀬源忠が共に能登へ下って来た。
 氏興は前々から雨月城の噂を聞いて「一度見てみたいもの」と言っていたのだが、ちょうど京都目
付の源忠が能登へ下向する用事があると聞いて、同行を申し出たのである。
 初めて目にした巨城の規模に度胆を抜かれたり、その優美なたたずまいに感嘆の声を漏らしたりし
ていた氏興は、その夜柏木の館で饗応を受けることになった。
 源忠も、目付役御苦労ということで、慰労のために招かれている。

「京極様、お久しぶりですぅ。
 どうぞご遠慮なくぅ」

 マルチが酒を勧めると、

「おお、マルチ殿か。お久しゅうおざる。
 息災であられたか?」

 すでに幾分酒が回って上機嫌の氏興が、盃を差し出した。

「時にマルチ殿。
 それがしは、今では京極でのうて、『佐々木』と名のっており申す。
 以後、さようお知りおきくだされ」

「佐々木様……ですかぁ?
 どうしてご名字を変えられたんですかぁ?」

 酒を注ぎながらマルチが尋ねる。

「変えたと申すより、本姓に立ち返ったと言うべきでおざるが……」

「?」

「−−京極のお家は、もともと『佐々木』が本当のご名字なのです」

 わけのわからない顔をしているマルチのために、傍にいたメイドロボ−−の体を借りているセリオ
−−が助け舟を出した。

「−−佐々木姓の方がたくさんおいでなので、区別のために、
 お屋敷のあった地名に因んで『京極』と呼ばれるようになったのですよ」

「ふーん、そうなんですかぁ?」

 マルチはそう言って、再び考え込むような仕草をしてみせる。

「−−私の説明では、わかりにくいですか?」

「いえ、そうじゃなくてですねぇ……
 『佐々木』様というご名字に、何だか聞き覚えがあるような気がしたものですから……」

 マルチはしきりに首をひねっているが、それ以上思い出せないようだった。



「中村様、お酒はいかがですかぁ?」

「これはかたじけない……
 ところで、マルチ殿。
 それがし、今では長瀬源忠という名におざれば、今後はさようお心得くだされ」

「『長瀬』様?」

 マルチの体がぴくりと動いた。
 ……先ほどからそれとなくマルチの様子を伺っていた「セリオ」はそれを見て、

(−−もしや、マルチさんの記憶が戻りつつあるのでは?)

 と思った。
 それが良いことなのか悪いことなのか、今の「セリオ」には、にわかに判断がつかない。

「……中村様の本当のご名字は、長瀬とおっしゃったんですかぁ?」

 気を取り直したようにマルチが聞くと、

「本当の名字、とは?」

 源忠が怪訝そうな顔をするので、マルチは先ほどの氏興改姓の一件を話した。

「……なるほど」

 源忠は、酒でほんのり色づいた顔をいささか綻ばせながら、うなずいた。

「あいわかり申した。
 ……されど、近江守様とは異なり、
 それがしはもともと、由緒正しき姓氏など持ち合わせてはおりませぬ。
 わが父は百姓の倅にて、足軽から身を起こし、幾たびかのいくさに手柄を立てて、
 ようやく士分に取り立てられた身。
 その折、中村に領地を賜りたれば中村を姓とし、
 こたびは長瀬の地を給せられたれば、長瀬を名のりおるに過ぎ申さぬ」

 人は一般に、出世すればするほど、自分が微賎の出であることを隠したがるものだが、源忠は特に
屈託も見せず、そんな話をして聞かせる。

「ふーん、お侍さんもいろいろなんですねぇ?」

 マルチが漏らした正直な感想がいたく受けたようで、源忠は愉快そうに笑い出した。

「ははは。その通り、侍もいろいろ、人はそれぞれ、でおざる。
 ……マルチ殿は面白いことを申されるな。
 わが家の娘も、時折親の思いも寄らぬことを口に致すが、
 マルチ殿も負けず劣らずのような」

 耕治に茶をふるまった時にはそうも見えなかったが、どうやら源忠の娘も、ふだんはボケをかます
口らしい。

「娘さんがおいでなんですかぁ?」

「さよう。みおと申しましてな。
 ……良き折あらば、一度お引き合わせつかまつろう」

「ほんとですか? 楽しみですぅ」

 和やかに会話をしているマルチたちを見ていた「セリオ」は、何となく胸のうちが暖かくなるよう
な感じを抱いていた。
 ……長瀬源忠が、「セリオ」たちの生みの親である長瀬源五郎と何か関係があるのかどうか、それ
はわからない。
 どちらかというと関係がない可能性の方が大きいだろう−−本来の歴史では、柏木氏が大名になる
ことはなく、従って源忠も、少なくとも柏木氏の下で長瀬姓を名のることはなかったはずなのだから。
 だが、どことなく飄々とした感じのする源忠がマルチと笑い合っている様子は、まるでかつての主
任とマルチのやり取りが目の前で再現されているような錯覚を、「セリオ」に催させるのであった。



「お方様は、お酒をお召し上がりにならないんですかぁ?」

 順々に酒を注いで回ったマルチは、耕治の隣でじっとしている六の宮の傍にやって来た。
 無表情な皇女はマルチにちょっと目をやってから、首を横に振った。

(……?)

 その仕草を見たマルチの胸を、奇妙な懐かしさが締めつけた。
 確かにどこかで同じような光景を見たことがある、という思いが沸き上がる。

「……あ、あの……
 一杯だけ、いかがですかぁ?」

 その思いの正体を知りたくて、マルチは再び尋ねてみた。

 ふるふる

 相手はやはり、無言で首を振る。
 その動きに連れて、艶やかな黒髪が優美な動きを見せ……

(!!!)

 瞬間、マルチの閉ざされたメモリの中から、幾多の映像が浮かび上がって来た……



「マルチお姉ちゃん……
 久しぶりだね。元気だった?」

 香織さん……

「えーとね、あのね……
 その、これが、浩ちゃん。
 ママから聞いてくれてるよね?」

 頬を染めながら恋人を紹介する香織さん。

「初めまして。佐々木浩です」
 
 「佐々木」?
 そうか、これが佐々木浩さん……

「へー、香織もなかなかやるじゃない。
 ……あ、浩ちゃんって、もしかして小さい時公園で知り合ったとかいう、
 あの『ひろしちゃん』?」

 何となく、「これから質問攻めにしてあげるからね」という感じに目を輝かせている綾香さん……

「香織ちゃんに……そうなのか……」

 お父さん? 何だか残念そうだけど、どうして?
 ……そう、これは私のお父さん、「長瀬」元主任。

「やれやれ、香織もいっちょ前にボーイフレンドができる年頃になったんだな。
 いつまでも赤ちゃんだと思ってたのに……」

 何となく悔しそうな「ご主人様」。
 ……私の二番目のご主人様、耕一さん……

「−−ただいま帰りました。
 すみません、予定より遅くなってしまいまして」

 「セリオ」さんも帰って来た。
 そして……

「…………」
 ただいま…… ごめんなさい、耕一さん、香織。ずいぶん待ったでしょう?

 ……そして、芹香さんも。

「いや、たった今着いたところさ。
 こっちこそ、忙しい時に押しかけてすまなかったな。
 香織がどうしても、佐々木君をおまえやマルチに紹介しておきたい、
 って言うもんだから」

 ふるふる

 芹香さんは、首を横に振った。
 一見無表情としか見えない顔に、実は優しい微笑みを浮かべながら。
 「ふるふる」と。

「…………」
 いつでも大歓迎です。かけがえのない家族なのですから……



「…………」
 いかがなされました?

 囁くような小さな声で、マルチは我に帰った。
 柏木館の、酒宴の席だった。
 自分は、六の宮の前で酒の器を手にしたまま、しばらく固まっていたらしい。
 マルチが余り長い間動かないものだから、さしもの六の宮も心配になって声をかけたようだ。

(そうか…… 芹香さんに似ているんだ)

 マルチは、取り戻したばかりの記憶に照らし合わせながら、自分の目の前にいる女性の姿を見てそ
う思った。
 生き写し、というわけではないが、流れる黒髪、やや垂れ目がちの優しい顔立ち、そして何よりも、
一見したところの無表情と囁くような小声が、若い頃の芹香を彷佛とさせる。
 ……そう言えば、六の宮が能登に来て半年ほどになるが、マルチが彼女の声を耳にしたのはこれが
初めてだ。
 隣の部屋で音色の良い小さな鈴が鳴るのがふと耳に入ったような、微かではあるが可憐な声だった。

「…………」
 いかがなされました?

 再び六の宮が問う。

「……あ、す、すみません。私ったらぼんやりしてしまって。
 あの、何でもないんですぅ。大丈夫ですからぁ」

 慌てて弁解するマルチをじっと見ていた六の宮は、何を思ったか、

「…………」
 少しお酒をいただけますか?

 と言い出した。
 或いは、マルチが固まっていたのを、自分が酒を断わったせいだと勘違いしたのかもしれない。

「え? ……あ、はい。どうぞー」

 マルチは急いで、彼女の手にした盃に注いでやった。
 六の宮はしばらく盃を眺めていたが、やがて思い切ったように口をつけると、一気に傾けた。

「…………!」

「あ、だ、大丈夫ですかぁ!?」

 酒に慣れていないらしく、けほけほとむせる皇女の背中を、慌ててさするマルチ。
 ……耕治は、しばらく前から氏興や源忠らと四方山話に花を咲かせており、妻やマルチの様子には
気がついていないようだ……
 しばらくして落ち着きを取り戻した六の宮は、やや赤味がかった目もとでマルチを見つめながら、

「…………」
 マルチ殿はいつも笑っておいでですね。

 と言った。

「え? そ、そうですかぁ?」

「…………」
 はい。楽しそうです。

 酒が入ったせいか、珍しく言葉数の多い皇女。

「…………」
 よほどお幸せなのですね。

「え? ……はい、私は幸せですよー」

「…………」
 お館様が大事にしてくださるからですか?

 六の宮は、世間の風評通り、マルチが耕治の側室だと思っているようだ。

「ええ、ご主人様は、私のことをとても……」

 言いかけたマルチはふと、最初のご主人様である浩之と、二番目のご主人様である耕一の事を思い
出して……

「…………」
 泣いているのですか?

 六の宮が怪訝そうに尋ねる。
 そう、マルチは涙を浮かべていた。

「す、すみませえん。何でもないんですぅ」

 慌てて目を擦るマルチ。

「…………」
 もしや、お館様に苛められて……?

「そ、そんなことはないですぅ。ご主人様は優しい方ですぅ。
 そうじゃなくて、ちょっと悲しいことを思い出してしまったものですからぁ……」

「…………」
 悲しいことですか? 何か辛いことがあったのですか?

「い、いえ、大したことじゃないんですぅ……」

「…………」
 良かったら、話していただけませんか?

 六の宮が真剣な顔でそう繰り返すので、マルチは細かい点を抜きにして、大切な人をふたり亡くし
てしまった、それをふと思い出して悲しくなったのだ、とだけ答えた。

「…………」
 そうですか……

 六の宮の瞳には、共感の色が見えた。

「…………」
 あなたも大切な人を亡くしたのですね……

 六の宮にとってかけがえのない大切な存在は、母親だった。
 父親のことはほとんど印象にない。それくらい早くに亡くなったのだ。
 母親こそは、唯一の肉親であり、愛情の源泉であった。
 だから、五歳にして母親を失った時には、一晩中泣き続けた。
 もはや自分に残されたものは何もない、そんな感じがしたのである。
 それから彼女は、自らの心を閉ざすようになった……

「…………」
 もう少し、お酒をいただけますか?

 盃を差し出す皇女の目が赤く潤んでいるのは、酒のせいばかりなのだろうか……



 夜も更けて、酒宴もお開きになった。
 (たった盃三杯で)酔いつぶれてしまった妻を見て、耕治は苦笑しつつも、その体を抱きかかえて
寝所へと運んで行った。
 後片付けを手伝っていたマルチは、「セリオ」に声をかけられて、廊下へと出て来た。

「何ですか、セリオさん?」

「−−ちょっとお話が…… ここでは何ですから」

 「セリオ」はマルチを人気のなさそうな所へ連れて行くと、まじまじと相手の顔を見ながら、

「−−マルチさん。……思い出したんですね?」

 と言った。
 マルチははっとする。

「−−思い出したんですね?」

 「セリオ」がたたみかける。
 マルチはうつむきながら、

「はい…… 思い出しました。何もかも」

 そう返事をした。

「−−教えていただけませんか?
 あなたがこの時代に来たわけを」

 マルチはしばらく下を向いて黙っていたが、やがて顔を上げると、おもむろに口を開いた……