「約束」第23章 悲しみの日  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第23章 悲しみの日



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<おもな登場人物>

 柏木耕一    鶴来屋の元副会長。
 柏木千鶴    耕一の従姉。柏木四姉妹の長女。鶴来屋の元会長。
 末森梓     柏木四姉妹の次女。末森家に嫁いでいる。
 柏木楓     柏木四姉妹の三女。実は耕一の「正妻」。
         メイドロボ体だが、本物の楓の魂を宿す。
 中居初音    柏木四姉妹の四女。中居家に嫁いでいる。
 柏木芹香    耕一の妻。来栖川グループの元会長。
 柏木彰一    梓の息子。千鶴の養子となって、鶴来屋の会長職を継ぐ。
 佐々木香織   耕一と芹香の娘。来栖川グループの現会長。
         容姿は芹香そっくりだが、明るく活動的、やや能天気。
 佐々木浩    香織の夫。来栖川エレクトロニクスの社長。
 マルチ     耕一の妻(のひとり)であったが身を引いて、千鶴の世話をしている。
 セリオ     来栖川邸のメイドロボ。元、芹香の第一秘書。
 長瀬綾香    芹香の妹で、故・長瀬源五郎の妻。元エクストリームの女王。
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「……さ、姉さん。マルチも。
 いつまでも泣いてないで、そろそろ帰りましょ?」

 綾香がぶっきらぼうに言い放った。

「…………」
 耕一さん…… 耕一さん…… うう……

「うう、ご主人様、ご主人様ぁ」

 それでも、ふたりはなかなか動こうとしない。

「……たくぅ、マルチが泣き虫なのは前から知ってたけど、
 まさか姉さんがこんなに泣くなんて……初めて見たわ」

 そういう綾香の目も真っ赤だ。

「…………」
 楓さんが羨ましいです……

「ママ! いい加減にしてよ!
 妙な気を起こしたら、絶対赦さないからね!?」

 同じように目を泣き腫らした香織が、芹香に向かって叫んだ。

「−−香織さん。
 こういう場所では、あまり大きな声を出されない方が……」

「……ごめんなさい、セリオお姉ちゃん」

 一同は、ようやく芹香を促して歩き出すことに成功した。
 二、三歩行ったところで、全員申し合わせたように振り返る。
 緑豊かな霊園の中にある来栖川家の墓所−−柏木耕一と楓が眠る墓を。



 妻の芹香、「正」妻の楓、娘の香織夫婦と共にずっと来栖川邸で暮らしていた耕一は、もう少しで
80に手が届くというところで、病のため世を去った。
 芹香たち来栖川邸のメンバーも、事前に連絡を受けて隆山から駆けつけて来ていた千鶴、梓、初音、
マルチも、共に深い悲しみに陥った。
 特に芹香の悲嘆は大きく、「泣き崩れる」という形容がぴったりなほどで、周囲の慰めの言葉も耳
に入らない様子だった。
 マルチの方は、耕一と離れていた期間が長かったせいか、芹香ほど取り乱しはしなかったが、それ
でも涙が止まらないようで、いつまでもえぐえぐ泣いていた。

 耕一の妻「たち」の中で、最も気丈だったのは楓だった。
 耕一が息を引き取った直後こそ、その亡骸に取りすがって、聞く者の胸を引き裂くような悲しげな
泣き声を上げていたのだが、やがて涙を拭って立ち上がると、遺体の引き取り手続きや葬儀の段取り
などを進め始めたのである。
 喪主である芹香がまったくあてにならない状態なので、事実上楓が納骨に至るまでの万端を取りし
きったと言ってもよいほどだった。

 だが、その楓は、耕一の納骨の前日、自室の床に倒れて動かなくなっていたのである。
 ただちにセリオが調べたところ−−データがすべて初期化されてしまっていた。
 楓のノートパソコンを調べたが、バックアップデータもすべて消えていた。
 それでも、と家族親族が一縷の望みをかけて再起動させてみたものの−−それは見かけこそ楓のま
まだが、中身は普通のHM−12であった。
 柏木楓は、今度こそ「死んで」しまったのである。
 
 皆は最初、楓が耕一の後を追って「自殺」したのだと思った。あるいはそうかもしれない。
 だが、自殺だとすると、バックアップの消去はともかく、自分自身のデータをどうやって消したの
かが謎だった。
 メイドロボのデータを初期化するには、専用パソコンに接続した上で、特別なコマンドを入力する
必要があるのだが、楓が発見された時には、ケーブルの類いを使用した形跡もなく、パソコンにも電
源が入っていなかったのだ。
 まるで、部屋で何か別の事をしているうちに突然意識を失った−−そういう感じだった。

「きっと、耕一お兄ちゃんが天国に行っちゃったから、
 楓お姉ちゃんも一緒について行ったんだよ。
 メイドロボの体を抜け出して」

 初音は打ち続く悲しみに瞳を潤ませながらも、ふたりはきっと一緒に天国にいるんだよ、と主張し
続けた−−まるで、自分自身に言い聞かせるように、何度もうなずきながら。
 周囲も、初音の意見を聞いて、そうかもしれない、と思った。
 次郎衛門とエディフェルの契りの深さ、メイドロボ体を借りてまで結ばれようとした楓と耕一の思
いの強さを思えば、あり得ない話ではない、と。
 いずれにせよ、外見が楓のHMを、ただのメイドロボとして起動させておくのに忍びないものを感
じた一同は、相談の上、楓の体を耕一の骨と共に来栖川家の墓に納めることにしたのである。



「……マルチお姉ちゃん。
 このまま、この家に残ってくれないかな?」

 葬儀に関することが一段落して、隆山への帰り支度をしていたマルチに、今は来栖川グループの会
長となって多忙を極める香織がそう頼んだ。
 因みに、夫の浩は、来栖川エレクトロニクスの社長を務めている。

「え? ここに、ですかぁ?」

「うん。さっき千鶴お姉ちゃんたちとも相談したんだけど、
 隆山の方は、マルチお姉ちゃんが抜けても何とかなるっていうし」

 もともとマルチが隆山に移ったのは、耕一や楓、香織を来栖川家に送り出してひとりぼっちになっ
た、千鶴の世話をするためだったのだ。
 家事全般苦手の彼女をひとりで柏木家に置いておくことは、関係者一同の不安とするところだった
ので、マルチが志願して千鶴のところへ行くと言い出した時には、皆がほっとしたものだった。
 ……実際、マルチのおかげで、千鶴の殺人料理がご近所に配られるところを何度も未然に防ぐこと
ができたので、ご近所では気づいていないが、マルチは彼らの恩人なのである……
 が、今では柏木家に、千鶴の養子となって鶴来屋の会長職を継いだ彰一(梓の息子)が妻子と共に
住み込んでいるので、マルチが留まり続ける必然性はないわけだ。

「私、心配なのよ。ママのこと。
 二言目には、楓お姉ちゃんが羨ましい、って言ってるし。
 ……ふっと変な気でも起こしたりしたら、と思うと……
 私は忙しくて、いつもママの傍にいるわけにはいかないし」

「で、でも、綾香さんやセリオさんがおいでですよぉ。
 それに『妹』たちも大勢……」

「ただ監視しとくだけならそれでもいいけど、
 私はママに立ち直ってほしいのよ。
 綾香お姉ちゃんたちに聞いたけど、
 ずっと前、ママが会長に成り立ての頃、
 マルチお姉ちゃんのおかげで、ママは随分励ましを受けたっていうじゃない?
 今度も、ママの傍にいて、慰めたり励ましたりしてほしいのよ」

「そ、そうですかぁ……」

 マルチはしばらく考え込んでいたが、

「わかりましたぁ。
 私でお役に立てるのなら、喜んでお手伝いさせていただきますぅ」

 と返事をしたのである。



 柏木家の墓に納めるべき耕一の分骨を千鶴に託したマルチは、そのまま来栖川邸に住み込み、でき
る限り多くの時間を費やして芹香を慰めるように心がけた。
 葬儀が終わって後も、毎日泣き続けていた芹香であるが、マルチの存在がある程度功を奏したのか、
次第に涙を収めることができるようになっていったのである。

 その代わり、芹香の生活は、ほとんど耕一に関することで占められるようになった。
 耕一との想い出が詰まったアルバムを、朝から晩まで飽きもせず眺めている日もある。
 大切にしまってあるウェディングドレスを取り出して、うっとりしていることもある。
 夜中、眠れないままに、マルチの充電を途中でやめさせて、耕一の想い出話を長々と語り聞かせる
こともある。
 ……そして、マルチは、芹香の身に危険が及びそうなこと以外、どんな求めにも、嫌な顔ひとつせ
ずに応じてやるのだった。



 ある日。
 芹香は自室で、耕一の死去以来手をつけていなかった占い用のカードをテーブルの上に並べていた。
 マルチは芹香の邪魔をしないよう気をつけながら、部屋の隅々の埃などをそっと拭いていた。
 と、突然。
 芹香が驚きの声を上げた。
 ……いや、厳密に言うと、声ではない。
 内心の驚きがあまりに大きすぎて、気配となって外に出た、という具合だった。
 そして、その気配は、部屋の隅にいたマルチを振り向かせるに十分なものだったのだ。

「ど、どうなさったんですかぁ!?」

 カードを握り締めたまま蒼白な顔をしている芹香の傍に、慌てて駆け寄るマルチ。
 だが、芹香は答えず、この上なく真剣な顔で、再びカードを切り始めた。
 そして、そのカードをゆっくり、一枚ずつ広げては並べて行き……
 最後のカードを目にして、大きく息を吐いた。
 ひどく険しい顔をしている。

「あ、あの、芹香さん?」

 マルチの途方に暮れたような声は、再び無視された。
 芹香は、棚の中から水晶球を取り出すと、それをテーブルの上に置いて、何やら呪文のようなもの
を唱え出したのだ。
 ……かなりの時間が過ぎた後、水晶球を見つめる芹香がまたもや険しい表情を浮かべるのが、マル
チにはわかった。
 それから芹香は、自分の知っているありとあらゆる占い法を試し始めたが、一つの方法が終わる度
に、必ず眉をひそめるのだった。



 翌日から、芹香の生活が変わった。
 朝から晩まで、食事や睡眠の時間も惜しみながら、膨大なオカルト関係の書物の山と格闘し始めた
のである。
 何かを懸命に調べているらしい。
 だが、ことごとく古めかしい外国の文字で記されたものばかりで、傍で見ているマルチにはさっぱ
り見当がつかなった。

 そんな日が二ヶ月ばかり続いた後。
 芹香はいつになく上機嫌で、マルチにささやきかけた。

「…………」
 マルチさん、お願いがあるのですが。

「はい? 何でしょう?」

 マルチは、久しぶりに明るい表情を浮かべる芹香を見て、ほっとしながら笑顔で尋ねた。
 が、芹香の次の言葉を聞いて、思わず自分のセンサーを疑った。

「…………」
 耕一さんを助けていただきたいのです。

 芹香は、確かにそう言ったのである……