「約束」第24章 時を越えて  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第24章 時を越えて



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<おもな登場人物>

 柏木耕一    鶴来屋の元副会長。
 柏木千鶴    耕一の従姉。柏木四姉妹の長女。鶴来屋の元会長。
 末森梓     柏木四姉妹の次女。末森家に嫁いでいる。
 柏木楓     柏木四姉妹の三女。実は耕一の「正妻」。
         メイドロボ体だが、本物の楓の魂を宿す。
 中居初音    柏木四姉妹の四女。中居家に嫁いでいる。
 柏木芹香    耕一の妻。来栖川グループの元会長。
 佐々木香織   耕一と芹香の娘。来栖川グループの現会長。
         容姿は芹香そっくりだが、明るく活動的、やや能天気。
 佐々木浩    香織の夫。来栖川エレクトロニクスの社長。
 マルチ     耕一の妻(のひとり)であったが身を引いて、千鶴の世話をしている。
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 マルチは当惑した。
 すでに亡くなった耕一を「助けてほしい」とは、どういうことだろう?

「あの、芹香さん?」

「…………」
 マルチさんなら、耕一さんを助けることができます。
 ……いえ、あなたにしか、できないのです。

「ど、どういうことですかぁ?」

 もしかして、芹香は、耕一を失った悲しみの余り、頭が……?
 マルチは一瞬その可能性に思い至って、身震いした。

「芹香さん、ご主人様は……耕一さんは、亡くなられたんですよぉ?」

 恐る恐る、事実を納得させようとするマルチ。

「…………」
 それは現代の耕一さんです。
 私が助けてほしいのは、過去の耕一さんなのです。

 芹香は、マルチに話が通じなくて、もどかしがっているようだ。
 日頃のんびりしている芹香にしては、珍しいことである。

「過去の耕一さん、ですかぁ?」

 だが、マルチにはさっぱり話の内容が見えてこない。

「…………」
 500年前の耕一さんです。

 そう言われて、ようやく見当がつき始めた。

「あの、もしかして、それは……
 次郎衛門という、お侍さんの事ですかぁ?」

「…………」
 そうです、そうです!

 芹香は、嬉しそうにうなずいた。

「でも、そんな昔の人を、どうやってお助けするんですかぁ?」

「…………」
 私が魔法を使って、マルチさんをその時代に送り込みます。

「芹香さん……」

 マルチは思わず、芹香の顔を覗き込んだ。
 やはり正気ではないのだろうか?
 芹香の魔法の実力はよく知っているが、いくら何でも時間を遡ることなんて……

「…………」
 この二ヶ月、いろいろな文献を当たって、そのための方法を調べました。
 かなり複雑なプロセスが必要ですが、ようやくそのすべてを解き明かすことができたのです。

「で、でも……」

「…………」
 お願いです。
 これは、マルチさんにしか、できないことなのです。

「どうして、私にしかできないんですかぁ?
 それにどんな風にして助けて差し上げればいいのか、わかりませぇん」

 芹香は口をつぐんだ。
 自分が余りにも性急すぎて、マルチに正確な情報を伝えていないことに、やっと気がついたのだ。
 しばらく黙していた芹香は、おもむろに口を開くと、先ほどよりは筋道を立てて話し始めたのであ
る……



 二ヶ月前、芹香は、精神を集中しつつ占っていた。
 死んだ耕一がどうなったのか、知りたくて。
 その魂は、祝福された状態にあるのか。それとも……
 だが、占いの結果は、思いがけないものだった。
 それは、芹香の夫となった耕一の現在の状態ではなく、「500年前の耕一」の危機を知らせるも
のだったのである。

 歴史の流れにひずみが生じ、未来からやって来た何者かが次郎衛門を襲う。
 放っておけば、次郎衛門は敗れて命を落とし、妻のリネットも殺される。
 その時点でふたりが死ねば、将来の柏木家は存在しなくなる……



「…………」
 そうなれば、耕一さんという人も存在しなかったことになりますし、
 私もあなたも、耕一さんと結婚することは不可能だったことになるのです。
 もちろん、香織も生まれるはずがありません。
 いえ、柏木家の皆さん、千鶴さんや楓さんたちも、生まれて来なかったことになるのです。

「生まれて来なかったことになる……って、
 もしかして、500年前のご主人様をお助けしないと、
 香織さんも千鶴さんたちも、この世界から消えてしまうってことですかぁ!?」

 マルチがようやくうろたえ始める。

「…………」
 その可能性はあります。
 そんなことにならないためにも、マルチさんの力を貸してほしいのです。

「わ、わかりましたぁ!
 ……あ、でも、エルクゥの力を持った次郎衛門さんにも勝てないくらい強い相手なら、
 私が何をしてもお助けすることなんか……」

「…………」
 いえ、どうやら相手はマルチさんに弱いらしいのです。

「え? 私に?」

「…………」
 はい。500年前の耕一さんを助ける方法をあれこれ占ってみましたが、
 今のところ、マルチさんに行ってもらうしか手だてはないようなのです。
 ……お願いします、マルチさん。
 どうか力を貸してください。

 芹香は見たこともないくらい真剣な眼差しで、マルチを見つめていた。

「……わかりました」

 マルチはしばしの思案の後、口を開いた。

「私でご主人様のお役に立てるなら、喜んで」

 芹香は、ようやく顔を綻ばせた。



 マルチは折よく、一ヶ月ほど前に、来栖川研究所で開発されたばかりの高性能の太陽電池を搭載さ
れたばかりだった。
 まだ試作品の段階なのだが、今までの太陽電池と違って、メイドロボが一定の休憩時間を取ってい
れば、改めて充電する必要がないほどの電力を供給できるという、画期的なものである。
 一般にはまだ出回っていないが、来栖川邸のメイドロボたちにはすでに搭載されていたのだ。
 いずれにせよ、これで、過去に遡っても電池切れの心配はなくなったわけである。



 芹香は、懐かしい魔法使いの帽子とマントを身につけていた。
 ……彼女はすでに白髪となっていたので、マルチは悪いとは感じつつも、ひそかに、

(何だか、ほんとうにおとぎ話に出て来る魔女みたい……)

 と思っていた。

 芹香は床に描かれた魔法陣のまん中にマルチを立たせると、おもむろに呪文を唱え始めた……

 長い長い呪文だった。
 単に長いだけでなく、相当な精神力を要求するらしく、芹香の額には汗が吹き出している。
 その汗は時間と共に増し加わり、ついに、滝のようになって芹香の顔を流れ始めた。
 それでも、芹香は呪文をやめない。
 マルチはだんだん芹香の体が心配になってきたが、彼女の真剣さに圧倒されて、声をかけることが
できないでいる。

 やがて、マルチの体を淡い光が覆い始めた。
 それと共に、何となく体が軽くなってきたような気がする。

(いよいよ……かしら?)

 とうとう過去に送り込まれる瞬間が来たのか……
 マルチは緊張した。
 芹香からあらかじめ、過去に送り込むことはできるが、そこから呼び戻す方法はどうしても見つか
らなかった、と聞かされている。
 たぶん、もう二度と現代に戻って来ることはできないだろう……
 ……が、間もなく光は消え、マルチの体も通常の感じに戻ってしまった。

(……?)

 訝しく思ったマルチは、その時初めて気がついた。
 芹香が、自分の目の前に倒れていることに……



「マルチお姉ちゃん! 何でとめてくれなかったのよ!?」

 香織は、思わず罵りの言葉を口にしてしまった。
 父に続いて、母も帰らぬ人となったのだ。我を失うのも、当然かもしれないが……

「大体、過去に遡る魔法なんて、いくらママでも使えるわけないでしょ!?
 そんなの真に受ける方がどうかしてるわよ!?
 ……せめて、せめて、一言相談してくれたら……!」

「……香織さん」

 マルチは神妙な顔で口を開いた。
 芹香を失った悲しみで、香織同様目が真っ赤である。

「もし相談したら、許してくださいましたかぁ?」

「許すわけないでしょ!?
 時間を戻すことなんかできるはずがないし、
 たとえできたとしても、マルチお姉ちゃんをそんな昔に置き去りにすることなんか……」

「だから、芹香さんは、香織さんたちがお留守の間に魔法を使おうとされたんですねぇ」

「何のんきなこと言ってんのよ!?」

「香織さん、お願いがあるんですぅ」

 マルチはひどく思いつめた顔になった。

「お願い?」

「私を500年前のご主人様のところに送ってほしいんですぅ」

「は?」

 香織は思わず、マルチの顔を見つめた。

「芹香さんとお約束したんですぅ。
 香織さんにお願いして、過去に送ってもらって、
 そうして昔のご主人様をお助けするって、お約束したんですぅ。
 ですから……」

「だから!!
 過去に遡ることなんか、できるわけないって言ってるでしょ!?」

「できないかどうか、試してくださぁい」

「試す?」

「芹香さんが亡くなられる前におっしゃってましたぁ。
 自分はあとちょっとという所で力を使い果たしてしまったけれど、
 香織さんならきっと大丈夫だって」

「で、でも、どうやって?
 ママと違って、私は魔法なんか使えない……」

「香織さんは、芹香さんと同じくらい強い、霊能力をお持ちですぅ。
 ですからきっと、魔力の方も……」

「駄目だってば! 第一、私、呪文も何も知らないわよ?」

「芹香さんのお部屋にノートがありましたぁ」

「ノート?」

「魔法の本を勉強されながら、一生懸命何か書いておられたノートですぅ。
 きっとあれに、呪文とか、全部書いてあると思いますぅ」

「馬鹿らしい……」

「せめて、ノートに何が書いてあるかだけでも、ご覧になっていただけませんかぁ?」

「……わかったわよ」



 香織は、今は主のいない芹香の部屋に入った。
 ざっと見回すと、それらしいノートがデスクの上にあるのが目についた。
 ごく普通の大学ノートだ。

「…………」

 香織はデスクに近寄ると、そのノートを手に取ってみた。
 すると、ノートの中に挟んであったと思われるメモと封筒が、はらりとデスクの上に落ちた。

「?」

 香織はメモを取り上げた。
 水色の薄い紙に、青いインクで書かれた文字は、母の手になるものに間違いなかった。

「香織へ
  私に万一の事があれば、このノートをお願いします
                      芹香」

 ……それだけだった。
 次いで香織は、封をしていない封筒を覗いて、可愛いピンク色の便箋を取り出した。

「香織へ
  私の代わりに麻法を使ってマルチさんを過去に送ってください。
  そうしてパパを助けてください。頼みます。
                      母より」

「…………」

 香織はノートとメモ、便箋を持って自分の部屋に帰った。
 すると、マルチは待ちかねたように、

「香織さん! どうでした?」

 と尋ねた。
 香織は無言で、メモと便箋を手渡した。
 マルチは急いで目を通すと、キッとした顔になって、

「やっぱり!
 芹香さんは、香織さんに、
 このノートに書かれている魔法を使ってほしいと思っておられたんですねぇ!
 香織さん! どうか、芹香さんの願い通りに……!」

「……マルチお姉ちゃん?」

「はい?」

「この……メモの方はともかくとして、こっちの便箋。
 こんな可愛いの、ママの趣味じゃないわよ?」

「え? そ、そうですかぁ?
 き、きっと、手近にそれしかなくて……」

「それに。……ママは、『魔法』を『麻法』なんて書き間違えないと思うけど?」

「ええ!? 間違ってますかぁ!?」

 マルチは焦って便箋を覗き込んでいる。
 ……もはやバレバレと言うべきだ。

「第一、ママは私にメッセージを送る時は、必ず『芹香』って書く癖があるのよ。
 『母より』なんて、一度も書いたことないわ」

「あううう…… 申し訳ありませぇん」

 マルチはすっかり悄気ている。

「全く呆れちゃうわね。ママの手紙を偽造するなんて」

 香織は不機嫌そうな顔をしている。

「香織さん……」

 マルチは小さく呟いた。そして……
 床に、ひざまずいた。

「マルチお姉ちゃん?」

「香織さん。この通りですぅ。お願いしますぅ」

 マルチは、床に頭をぶつけそうなくらい、何度も大きく頭を下げた。

「ちょ、ちょっと! 何してんの!? やめてよ!」

 香織は慌ててマルチを助け起こそうとした。
 が、マルチは土下座をやめない。

「お願いですから、魔法で私を過去に……」

「駄目だって言ってるでしょ!?」

「そうしなければ、耕一さんはいなかったことになるんですよぉ?」

 マルチの悲しげな声に、香織はハッとなった。

「……耕一さんがいなかったら、香織さんも生まれるはずがないんですよぉ?
 千鶴さんや、梓さんや、楓さんや、初音さんや……
 みんな、いなかったことになるんですよぉ?
 この世から、消えてしまうんですよぉ?
 それでもいいんですかぁ?」

「マルチお姉ちゃん……」

「私、嫌ですぅ……
 私の大好きな人たちが、みんな消えてしまって、
 その人たちの大切な思い出も、全部なくなってしまうなんて……
 とても我慢できませぇん!」

「マルチお姉ちゃん……」

「お願いですから、私を……」

「マルチお姉ちゃん!!」

 香織はいつの間にか涙を浮かべていた。

「私だって、嫌よ!
 私の家族が、みんないなかったことになって、消えてしまうなんて!
 ……でも、それじゃ、マルチお姉ちゃんはどうなるの!?
 ひとりだけ、遠い昔に置き去りにされちゃうのよ!?」

「それでも構いませぇん」

「構うわよ!」

 香織は悲鳴のような叫び声を上げた。

「大切な人や、大好きな人がいなくなってしまうのがどんなに辛いことか、
 私だってよくわかってるわよ!
 この三ヶ月の間に、パパも、ママも、楓お姉ちゃんも失ってしまったんだから!
 この上、マルチお姉ちゃんまでいなくなってしまったら、私はどうすればいいのよ!?」

「香織さん……」

「うう…… やだよぉ!」

 香織は、床に腰を下ろしたままのマルチにしがみつくと、小さな子どものようにわんわん泣き出し
た。
 マルチが母親代わりのようにして面倒を見てやっていた、あの頃に返ったかのように。

「うわああああん! いやだ、いやだ、いやだよぉ!
 マルチお姉ちゃん、いなくなっちゃやだぁ!
 もうこれ以上、私を悲しませないでよぉ!
 うわあああああああん……!」

「香織さん……」

 マルチは、泣きじゃくる香織を優しく抱き締めると、泣きたいだけ泣かせてやったのである……



 どれくらいの時間が過ぎただろう。

「……香織さん。少しは落ち着かれましたかぁ?」

「……うん……ごめんね」

「香織さん」

 マルチは改まった口調になる。

「魔法を使ってください」

「マルチお姉ちゃん……」

「ほんとはわかっておられるんでしょう?
 それ以外に道はないって」

「……でも、ママの占いが間違っている可能性も……」

「本気でそう思っていらっしゃるんですかぁ?
 芹香さんは、何度も何度も確認しておいででしたよぉ?」

「…………」

「香織さん……」

「マルチお姉ちゃん……
 ほんとに、それでいいの?」

「構いませぇん」

「……わかった。
 ……ほかに、どうしようもないものね」

「ありがとうございますぅ」

「ふっ…… 仕方ない、ここはひとつ、頑張ってみるか!」

 香織はようやくふっ切れたような笑顔を見せて立ち上がると、母のノートを取り上げて、ぱらぱら
とめくってみた。

「……ちょ、ちょっと、これ、もしかしてラテン語?
 ひえー、この年になって、外国語を一から勉強しろっての!?
 誰かに翻訳してもらわなきゃ……
 あ? ここは日本語だわ。なになに……?
 初心者のための準備段階として……
 えええーっ!? 一ヶ月のダイエット!?
 何よ、このメニュー!? これじゃ、三日も持たないわ……!」

 どちらにしても、香織は辛い思いをしなければならないようだ……