「約束」第19章 京都目付  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第19章 京都目付



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登介。能登の守護にして雨月城主。
 小太郎     耕治とリネットの間に生まれた男子。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 セリオ     マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。
         自律型データベース「セレナ」の中によみがえる。
 HM1377  22世紀から来た20体のメイドロボ。
         戦闘用にカスタマイズされている。
 静原主水    天城氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。かつてのエルクゥ討伐隊の一員。
 中村新左衛門  畠山氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。知勇兼備と称される。
 佐々木氏興   もとの京極氏広。近江守、近江・飛騨の守護。
 ゆい      柏木氏に滅ぼされた小笠原信清の娘。
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「マルチ、それ、受けてみよ!」

 ぽんっ

 小太郎が鞠を投げる。

「はわわ…… きゃっ!?」

 ぽこっ

 おたおたした挙げ句に、見事「顔面で」受け止めるマルチ。

「あはははは!」

 そして、それを見ながら、小太郎と共にお腹を抱えて笑っているのは……



(不思議なものよ……)

 耕治は、廊下の角を曲がったところで目に入った三人の姿に、思わず立ち止まりながら感慨にふ
けっていた。
 屋敷の庭でマルチや小太郎と鞠遊びに興じているのは、一年前耕治自らが討ち取った小笠原信清の
娘、ゆいだったのである。

 信清はあまり子宝に恵まれた方ではなく、正妻との間に一男一女を儲けたきりで、後は妾腹にふた
りの子ができたが、いずれも女子だった。
 ゆいは正妻の娘である。兄の信貞の誕生後10年もしてから、ぽつんとできたのだ。
 この「ゆい」こそ、小笠原氏が柏木方を油断させるためにもちかけてきた、小太郎の縁談の相手
だったのである。

 ゆいの母は信州北部の豪族村上某の娘であったが、その村上氏は、昨年の信濃戦争でまっ先に柏木
軍と衝突し、滅ぼされてしまっている。
 従って、小笠原氏の滅亡後は、ゆい母娘がその身を落ち着けるべきところがなくなってしまった。
 それゆえ、復讐の妄執からようやく解放された耕治が憐れんで、母娘とも柏木の館に引き取って面
倒を見てやることにしたのである。

 能登に移り住んで以来、母親の方は亡夫の菩提をとむらうため、念仏三昧の生活を送っている。
 しかし、まだ幼いゆいは、母親と一緒に一日中念仏を唱えているというわけにはいかない。

 そんなゆいにとって、恰好の遊び相手となったのがマルチだ。
 館の庭でひとり、何となく所在なさげにしているゆいを見かけて、マルチの方から声をかけたので
ある。
 ゆいは最初、緑色の瞳をした不思議な少女の出現に戸惑ったが、すぐに打ち解けて仲良くなった。
 そして、リネットの死後マルチを母親代わりになついていた小太郎も、いつの間にかゆいと遊ぶよ
うになったのである。

 実は、小太郎の方は、ゆいが館に来た時から、かなり気にしていたのだ。
 前々から、彼女が自分の「結婚相手」だと耳にしていたからである(縁談が御破算になったことに
は気づいていない)。
 しかし、なかなか言葉を交わすきっかけがない−−それが、マルチを通して自然に親しくなったと
いうわけだ。

 一年経った今では、小太郎(8歳)とゆい(7歳)、マルチ(見た目12、3歳)の三人は、まる
で実のきょうだいのように仲が良く、見ていて微笑ましくなるほどであった。

(まこと、命あればこそ……)

 ゆいの父と兄を殺めた耕治の耳に、少女の明るい笑い声がいつまでも響いていた。



 耕治は、この一年の間に、長年対立関係にあった上杉氏とも決着をつけていた。
 厳密に言うと、上杉の二流の一つ、山内(やまのうち)家との決着である。
 山内上杉は、越後を奪われてからも、なお上野と武蔵北部を領して勢力を保っていたが、小笠原氏
滅亡により柏木方との全面衝突はいずれ時間の問題と考えたらしく、先手を打って、戦火がやんだば
かりの信州に攻め込んで来た。
 柏木の信濃支配が安定する前に叩く、というつもりだったようだ。
 事実、上杉軍の侵入と共に、小笠原の残党が蜂起したりして、柏木方は最初のうち苦戦を強いられ
たが、間もなく本国からの援軍を得て勢いを盛り返し、国内の反乱を静め、上杉勢を追い出し、逆に
上野に兵を進めるに至った。
 緒戦に破れた上杉は、いったん体勢を立て直そうと上野の国を出て武蔵に入り、関東管領の名のも
とに、同じ上杉の扇谷(おうぎがやつ)家を初めとする関東の大名を召集しようとした。
 ところが、召集に応じて相模からまっ先に駆けつけて来た扇谷上杉の軍勢が、隙を見て山内上杉氏
を襲い、これを滅ぼしてしまったのである。
 関東の覇権(管領職)を以前から争っていた上杉二流の反目が招いた、ある意味で当然の結果と言
えよう。

 扇谷上杉氏ではその後、早速使者を柏木方に遣わして、和議を成立させることに成功した。
 すなわち、

 一、扇谷上杉は武蔵を、柏木は上野を領有する。
 二、柏木は、扇谷上杉の関東管領職を認める。
 三、今後両家は定期的に使者を交換し、親交を保つものとする。

という条件のもとに、である。
 これは、関東以外にあまり関心を持たない扇谷家と、北陸道の安定支配以上の野望を持たない柏木
氏との間に利害の一致を見たためだ。



 東方の憂いがなくなった耕治は、再び目を西に転じた。
 京の都、そこにある朝廷と幕府に、である。
 いずれも信頼するに足りぬ、と耕治は思っていた。
 先に京極氏が企てた対柏木戦線の結成に際しては公然とこれをバックアップしておきながら、勝利
が柏木方に帰した途端に慌てて「祝賀」の使者をよこして来る。
 かと思うと、山内上杉の信州攻めが有利に展開している間は、「よろしく関東管領(上杉)の下知
に従うべし」などという御教書が将軍から諸大名あてに発せられたりしている。油断も隙もあったも
のではない。
 ……要するに、朝廷も幕府も「強い者」の味方なのだ。

「このまま捨て置くわけにはいかぬ」

 耕治の胸中からは、朝廷も幕府も、リネットの死を招いた京極広直の陰謀に加担した一味だ、とい
う思いがぬぐい去られていない。
 さすがに、信濃侵攻の頃と違って、「仇である上は根絶やしに」とまでは考えないが、さりとて放
置しておけば、いつまた反柏木の企てに参加するかわからない。
 天皇や将軍には、実際の武力はないが、古来の権威という無形の強みがあって、これがいざという
時には思わぬ効力を発揮するからだ。

「−−京に目付役を置いてはいかがでしょう?」

 耕治の相談を受けたセリオは、そう提案した。
 ちょうど鎌倉幕府が六波羅探題を置いたようにして、都の動きを監視させようというのである。
 すでに京都には、近江に所領を持つ佐々木氏興が居館を構えており、何かと情報を知らせて来るの
だが、耕治以上に一本気な氏興では、公家や将軍家相手の腹芸など到底できそうにない。
 この際、信頼できる部下を京に常駐させるのがよかろう……セリオの案に、耕治もうなずいたので
ある。



 耕治が京都目付として選んだのは、かつての任官運動の際都に使いして無事大役を果たした経験の
ある中村新左衛門で、セリオもその人選に異論はなかった。
 新左衛門は、主君の意を受けると、ただちに支度を整え、かなりの兵を率いて出発して行ったので
ある。

 都では、旭日昇天の勢いにある柏木方の武将が多数の兵士と共に上京したことで、朝廷や幕府と事
を構えてクーデターでも行なうつもりではないか、などという憶測が流れ、上から下まで戦々兢々と
していた。
 が、新左衛門が佐々木氏興の用意した屋敷に入って数日しても特にこれといった動きを見せなかっ
たため、次第に不安の念が薄れ、市中にも常と同じような活気が戻って来た。
 新左衛門としては、柏木氏にとって不利になることがないよう、朝廷や幕府の動きに目を光らせる
ことを第一の務めと考えており、武威をもって脅すのは極力避けるつもりだったのだ。
 それゆえ大方の目から見ると、取り立てて何もせずぶらぶらしているように見える新左衛門だった
が、その実いつの間にか、公家や将軍の側近の中で柏木氏に反感を抱いている人物が誰か調べ上げて
いたりする。
 朝廷や幕府にとっては、むしろ扱いにくい相手であったかも知れない。

 そのせいもあってか、程なく両者とも、新左衛門を懐柔して手なずけようとし始めた。
 まず朝廷は、こういう場合の常道として、新左衛門に官位を授けようとした。
 無位無官の人間が新たに官位を得ることは、それまでフリーの立場にあった者が、程度の多少こそ
あれ、朝廷という組織の中に組み込まれることを意味するからだ。

 「位」はその人物の役人としてのランク付けで、このランク付けに応じて「官」、すなわち実際の
役職に任じられる。
 従って、位が低いのに高官に任ぜられることはあり得ない。
 また、人手が余っていたりすると、位はあるが任官していないというケースも出て来る。

 新左衛門に与えられた位は従五位下、官は検非違使の尉(「じょう」、判官すなわち三等官)で
あった。
 検非違使は犯罪者の検挙などを目的にした役職なので、実務は武家が担当することが多く、かの源
義経もこれに任じられたことがあって、特に突飛な任命ではない。……戦乱の続くこの時代には、ほ
とんど意味のない官となっていたが。
 位の方も、階層制の厳しい公家にとっては取るに足らぬものであるが、問題は、それが主君の耕治
と同じ位だという点にある。
 朝廷の狙いが、単なる懐柔に留まらず、それこそかつて義経が頼朝に疑われてついに滅んだように、
あわよくば耕治と新左衛門の間に不和をもたらそうとすることにあるのは明らかだ。

 むろん、そうした狙いに気づかぬほど愚かな新左衛門でもない。
 官位を受けるかどうかひとまず保留して、耕治の指示を仰いでした。
 耕治も朝廷の真意を悟って苦笑しつつも、「ありがたくお受けして、『職務に励むべし』」と返事
を出してやった。
 新左衛門は主君の意を汲み、「検非違使に任じられた」という理由で、兵士に市内を巡回させて治
安維持に努めたり、配下の者を使っていっそう情報収拾に励んだりするようになった。
 懐柔策を逆手にとって、より効果的に目付の役目を果たすための裏付けとしたのである。



 朝廷が官位を与えるという言わば公的な手段を用いたのにたいし、将軍家の方はもっと私的な方法
に訴えてきた。
 新左衛門を将軍と側近だけの酒の席に招いて、宴たけなわというところで、将軍自ら懐紙にしたた
めた「名」を賜ったのである。

 もともと武士の主従関係とは私的な結びつきに基づくものだ。
 主人が何らかの「御恩」(たいていは所領)を与え、それを受けた家来が「奉公」をもって返す、
というのが基本である。
 主君から名を賜るという行為も、そうした主従関係を強化する一つの方法として用いられる。

 将軍が示した新左衛門の新しい名は「源忠(もとただ)」というものだった。
 源氏の血を引く足利将軍に忠実であれ、という意図は明白であって、事実「今後も将軍家に忠義を
尽くすべし」とのありがたい「お言葉」までいただいたのである。

 耕治がほかの守護と同様、名目上は将軍に仕える立場にある以上、耕治の将である新左衛門もこう
した「御恩」は断わるわけにいかず、礼を言って拝受した後で、すぐさま耕治に連絡して来た。
 誰かから、「新左衛門は将軍家の家人になった」と中傷されるのを防ぐためである。

 セリオと相談した耕治は、これまた将軍家の懐柔策を逆手に取ることにした。
 つまり、あちらが「名」を与えるなら、こちらは「姓」を与えよう、ということだ。

 新左衛門の従来の名字「中村」は、旧主畠山氏から与えられた領地・中村庄に基づくものである。
 ある意味で、畠山氏の「御恩」を看板にしているようなものだ。
 そこで耕治は、京都目付の労に報いるためとして、中村庄に隣接する広大な長瀬庄を合わせて賜る
ことにし、以後は「長瀬」を姓とするように、と言い送ってやった。
 要するに、新左衛門への「御恩」の最たる賦与者は、畠山氏でも将軍家でもなく、耕治である、と
いうことの意思表示である。

 新左衛門は、新恩給与に対する丁重な礼状の中で「仰せに従い、今後は『長瀬源忠』と名のり申す」
と書いて来た。



「−−『長瀬源忠』……」

 その手紙を示されたセリオは、思わず感慨深げな声を出した(「卵」なので表情はわからない)。
自分の「生みの親」によく似た名前だったからだ。

「いかが致した?」

 耕治が訝しがったが、

「−−いえ…… 立派なお名前だと思いまして」

 すぐに落ち着いた声に立ち戻るセリオであった。