「約束」第21章 降嫁  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第21章 降嫁



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登介。能登の守護にして雨月城主。
 長瀬源忠    もとの中村新左衛門。畠山氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。京都目付。
 禧子(よしこ) 前天皇の娘。「六の宮」と呼ばれる。
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 間もなく、臨時の除目(じもく)が催され、耕治は従四位下「能登守」となった。
 合わせて「天下一武勇之者」などという称号のようなものまで賜ったのも、できる限りの手段を
使って彼の歓心を得ようという、公家方の試みの一つであろう。
 もっとも、賜ったのは称号だけで、取り立てて権限を増し加えられたわけでもないから、要するに
リップサービスに過ぎないと言ってしまえばそれまでだが。

 時を前後して、幕府からも、北陸道全部と美濃・信濃・上野、計10カ国の守護職を認められた。
 これは、耕治が実際に領有している地域のすべてであって、既成事実を追認したに過ぎないと言え
ないこともないが、西国の山名氏のように一族で10カ国以上の守護職を占めたケースはあっても、
たったひとりで、というのは前代未聞のことである。
 こうした破格の処遇が与えられたのは、耕治が将軍に拝謁した時も、宮中におけると同様、些か鬼
の気を解放していたせいかも知れない。

 とにもかくにも、朝廷や幕府から特別な存在、「覇者」として認められることには成功したようで、
上洛の目的はほぼ遂げられたと言ってよかった。



 ただし、他にもやるべきことはあるわけで、耕治はこの間に、長瀬源忠の調査によってわかった反
柏木派の公家や幕閣の名を二、三名挙げて、その罷免を断固たる態度で要求したのである。
 他にも柏木氏にあまり好意的でない者はいるが、該当者全員を処分したりしたら、朝野に怨嗟の声
が満つるのみで、かえって逆効果となろう。
 それゆえ、対象を特に目立つ者だけに絞ることにより、残りの者を畏怖せしめ、迂闊な行動ができ
ないようにしたのだ。

 この罷免要求が朝廷と幕府の双方から容れられたあたりから、皇女降嫁を急ぐべしとの声があちこ
ちで聞かれるようになった。
 つまり、耕治がこれ以上自分の気に食わない人物を更迭するのを防ぐため、早く美女をあてがって
機嫌をとろう、ということだ。
 そんな見え透いた動きに耕治は苦笑しながらも、婚姻の段取りのためにやって来た使者の相手をす
るのだった。



 やがて、六の宮禧子との婚礼の日がやって来た。
 この日、京の柏木邸は、ひっきりなしに訪れる各方面からの祝賀の使者で、一日中賑わっていた。
 結婚、それも東国一の大名と皇女の華燭の典とあって、さすがに華やいだ空気が邸宅の外にまで伝
わって来るほどだ。

 ……もっとも、当の耕治自身はかなり冷めていた。
 むしろ、婚儀が面倒に感じられるくらいだ。

 ようやくもろもろの騒ぎが収まって、夫婦が寝間に引き取った時には、夜もかなり更けていたので
ある。

「…………」

「…………」

 と言っても、格別親しく言葉を交わすわけでもない。
 なぜなら、ふたりは今日のこの日が初対面だったからだ。
 ……いや、実を言うと、まだ「対面」すらしていないというのが正しい。
 相手の顔がよく見えないからである。

 電気のないこの時代、夜はたいそう暗い。
 部屋に灯火があると言っても、照明の範囲も程度も限られていて、下手をすると室内の暗さを際立
たせるための道具ではないかと思われるほどだ。
 それに加えて、六の宮は寝間に入ってからずっと俯いているため、長い髪が邪魔でほとんど顔立ち
がわからない。

 気まずい沈黙の合間に、耕治がぽつぽつと思い出したように言葉をかける。
 しかし、新妻が終始無言で返事をしないので、だんだん馬鹿らしくなってきた。
 もともと、女の機嫌を取るなど柄に合わない方だ。
 まして、これは誰の目にも明らかな政略結婚。

「…わしを厭うておるのか?」

 そんな思いが、やや苛立った声となって発せられる。
 公家は気位が高い。
 口ではうまいことを言っていても、心の中では必ず武家を馬鹿にしている。
 皇女ともなれば、プライドの高さはなおさらであろう。
 ……新婦はやはり俯いたまま、黙っている。

(いつまでこうしていても埒が開かぬ)

 どうせ愛のない結婚。
 このまま「だんまり」を続けるより、さっさと夫婦の真似事をすませて休んだ方がましだ、と思っ
た耕治は、無造作に新妻の肩を抱き寄せた。
 相手がびくっと震えるのがわかったが、構わずそのまま寝床に押し倒してしまった……



 翌朝。
 目を覚ました耕治の隣は、もぬけの殻である。

(寝乱れ顔を夫に見せまいというおなごのたしなみか…… それとも?)

 昨夜、新妻の機嫌を取るのに疲れた耕治は、かなり強引に夫婦の営みを求めた。
 形式的なそれをすませて早く休みたかっただけなのだが、深窓に育った姫には、ひどく乱暴な扱い
と受け取られたかも知れない。

(或いは、「鬼」に陵辱された、とでも思うておるか……)

 日頃軽蔑している武家の男に肌を許さなければならなかったのだ。
 ショックで、自室に閉じ籠っているのかもしれない。

(好きに致せ……)

 耕治は手水をすませようと廊下に出た。
 すると。

(……?)

 庭の隅に、女がしゃがみ込んでいるのが見えた。
 見慣れぬ女性だ。着ている物は身分の高さを示している。
 ……どうやら、まだ顔もよくわからぬ新妻らしい。

(何をしているのだ?)

 妻は、何かを手のひらに乗せ、もう片方の手でそっと撫でているようだ。
 微かなつぶやきとと共に。

 気になった耕治は、エルクゥの視力と聴力を少しばかり解放してみた。
 そしてまず、妻の手にしている物が何であるかを知って驚いた。
 ……トカゲだったのだ。

 むろん耕治は、トカゲごときに怯えるような小心者ではない。
 だが、うら若い女が、爬虫類を手に乗せて慈しむように撫でているのは、どう考えても異様だ。

 しばらくしてから、耕治は、ようやく自分が耳にしている妻のつぶやきに気がついた。
 力を部分的に解放した時点ですでに聞こえていたはずなのだが、目に入って来た光景があまりに意
外だったので、そちらに神経が集中していたのであろう。
 そのつぶやきとは……

(お友だちになってください……)

 何とも寂しそうな声だった。

(私はひとりなのです……)

 か細いつぶやきだった。

(だれもお友だちがいないのです……)

 聞く者の魂を震わすような、切ない響きがあった。

 耕治は思わず庭に降り立った。
 その気配を感じたのか、妻がこちらに顔を向ける。

 ……美しい女性だった。
 目の覚めるような美貌の持ち主であった。
 漆黒の瞳は深い湖のように静かに澄んでいる。
 流れる黒髪は、耕治が見たこともないほど長く、しかも艶やかで、朝の光に映えている。
 まさに噂通り−−いや、噂以上の麗人だ。
 それほどの美形でありながら、耕治の予想に反して気位の高そうなところはいささかもなく、整っ
た顔立ちにありがちなきつい感じもない。
 目尻がやや下がっているせいであろうか、可愛らしく柔らかい印象を受ける。
 全体に優しげな顔立ちだった。
 ……だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 柔らかくて優しい美女の顔が、悲しみに曇っている様子に、耕治はリネットを思い出した。
 ……人間とエルクゥの和解を求めて次郎衛門のもとを訪れた時、三人の姉を失った悲しみに涙して
いた「皇女」リネット。
 エルクゥの仲間を滅ぼされ、「ひとりぼっち」になって悲嘆にくれていたリネット。
 エディフェルの夢を見て涙を流す次郎衛門を抱きかかえながら、一緒になって泣いていた、「心優
しい」リネット……

 耕治が亡き妻の面影を追っている間に、孤独な皇女はつと立ち上がり、トカゲを両手で包み込むよ
うにしながら、建物の陰に消えていった。



 六の宮との結婚後、耕治は、資金不足のために長らくほったらかしになっていた御所の補修費用を
一手に引き受ける旨申し出た。
 同じく慢性的な財政難に悩む将軍家にも金銀を献上したほか、関白や公卿たちにも昇進の「御礼」
という名目でかなりの金品を送ったので、急にあちこちで耕治の受けが良くなった。
 もちろん彼らは、耕治が自分たちの思惑通り、皇女の美貌の虜になって軟化したものと思い込んだ
のである。

 が、実は、耕治と六の宮は、初夜を除いて一度も枕を共にしていない。
 耕治の京都屋敷(さる公家の住まいであったのを買い取ったもの)には、夫人用にしつらえられた
一画があって、皇女はほとんどそこに閉じ籠ったきりなのだ。
 用事がある時は、嫁入りに際してついて来た侍女があれこれ取りはからっている。
 耕治もあえて妻を自分のもとに呼んだりしないので、ふたりが本当の意味で「顔」を合わせたのは、
婚儀の翌朝、庭先でのただ一度きりであった。

 しかし、耕治は決して新妻を無視していたわけではない。
 長瀬源忠に命じて、六の宮のことをあれこれ調べさせていたのだ。
 その結果明らかになったことは……
 ……彼女が、「虫めづる姫君」だということであった。



 六の宮の父である先帝は短命で、姫が物心つくかつかないかのうちに病死した。
 生母も、彼女が五歳の時に亡くなった。
 その後は肉親と呼べるほどの親しい人もなく、友人もなく、二、三の侍女だけが話し相手という寂
しい境遇に育ったのであった。

 8歳の時、醜い毛虫がやがて美しい蝶になるということを侍女に教えられて、試しに毛虫を取って
来て飼い始めた。
 最初は半信半疑であったが、やがて蛹になり、間もなく美しい羽を広げた蝶々となったのを見て、
姫は驚きの目を見張った。
 以来、彼女は虫を愛するようになったのだ。

 自分の部屋に、ありったけの容器を置いて、芋虫や毛虫やカマキリや蛙、果てはトカゲや蛇やコウ
モリまでも飼おうとするのである。
 もちろん侍女たちは気味悪がって何度もやめさせようとしたが、他の点ではいとも従順な姫がこれ
だけはどうしても譲らず、そのことがいつの間にか外にまで聞こえて、だれ言うとなく「虫めづる姫
君」と呼ばれるようになったのだ。
 そんな風評があるもので、輝くような美貌の持ち主でありながら、一度の浮いた話もなく、17歳
の今日まで独身で過ごして来た、というのである。

 源忠の報告を聞いた耕治は、さては自分のところに嫁いで来ても、恐らく部屋中所狭しとばかり虫
や気味の悪い小動物を飼っているのであろう、と考えて思わず苦笑した。
 ……が、そのことで姫自体を気味悪いと感じたり、離縁しようと思ったりはしなかった。
 あの、庭先での寂しげなつぶやきが−−彼女の真情を漏らした言葉が、耳に残っていたせいであろ
う。

 なおしばらく京に滞在した耕治は、上洛の効果が十分にあったと見極めた上で、本国へと引き返し
て行ったのである−−「虫めづる姫君」を伴って。