「約束」第16章 雨月山  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第16章 雨月山



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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登介。能登の守護にして雨月城主。
 リネット    耕治の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 小太郎     耕治とリネットの間に生まれた男子。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 椎名平八郎   柏木氏の家臣。
 小笠原信清   信濃の守護。上杉氏と対立関係にあり、柏木氏と同盟を結んでいる。
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 耕治が京極・六角の本陣を襲撃する少し前のことである。
 雨月城に越後からの早馬が到着した。

「上杉とな?」

 城の留守居役を務めていた椎名平八郎は眉をひそめた。
 今は柏木氏の領する越後の南部に、上杉氏の部隊が現れた、というのだ。
 ……ただし、とても失地回復を目論むほどの規模はなく、柏木の兵とはまだまともにぶつかってい
ない。
 上杉兵が出現したというので柏木方が急ぎ追撃すると、まるで砂地に水がしみ込むように、いずこ
かへと姿を消してしまうからだ。
 あちこち探しても一向に行方が知れないのでやむなく引き上げると、また思いもかけぬところに現
れて、柏木方の糧食その他の物資の輸送を妨害したりする。
 大きな被害はないのだが、ともかく小うるさくて仕方がないのだ。
 しかも、その神出鬼没さからして、どうやら上杉方は、旧支配者としての強みを生かして土民の一
部を味方につけているらしい。
 柏木氏の支配する地に敵の協力者があり、おかげで上杉の遊撃隊が跳梁跋扈できるとなると、これ
は黙って見過ごすわけにはいかない。将来に禍根を残すことになりかねないからだ。
 そういうわけで、敵の兵数はさほどではないにもかかわらず、越後からわざわざ雨月の本城まで知
らせが来たのである。

−−まとまった兵を出して、怪しい地域をしらみつぶしに調べ上げ、
  敵の逃げ隠れする余地をなくすしかない。

 現地の将も、留守居役の判断も同じであった。
 ……雨月城の守備のために残っている軍勢の大半を越後に差し向け、現地の兵と協力して事に当た
れば、うまく目的を達することができるだろう。
 幸い、西の飛騨や美濃は既に平定されており、南の信濃は同盟国。東の越後に兵力を集中しても、
危険はないはずだ……

 雨月城には折よく、信濃からの使者が滞在中であった。
 能登・信濃の同盟強化のため、耕治の一子小太郎と小笠原信清の娘の縁談が、しばらく前に(小笠
原方から)提案されたことがある。
 ……もっとも、小太郎はやっと満7歳。
 実際の結婚はまだ将来のことで、今は婚約の取り決めという段階に過ぎない。
 耕治もこの話には乗り気で、具体的な話に移ろうとした矢先に今度の戦が始まったため、戦争終了
までお預けということになったのだが……
 小笠原方ではよほどこの縁談に入れ込んでいるのか、耕治の留守中にも関わらず、たびたび使者を
遣わしては、リネットや留守居役に贈り物などして、縁談成立の下準備に努めていたのである……

 平八郎は念のため、小笠原氏の使者に越後出兵の趣きを告げて意見を求めたところ、

「至極ごもっともに存じ申す。
 されば、それがしも急ぎ信濃に立ち返り、主君に言上して、
 援兵の用意など致し申そう」

 小笠原氏も応援してくれるとなると、さらに心強い。
 平八郎は相手の好意を感謝して受け入れることにした。



 日にちを取り決め、柏木軍は西方から、小笠原軍は南方から越後南部に入り、いったん青山城に集
結することになった。
 平八郎自身は、耕治からじきじきに雨月城の留守居を命ぜられた手前、自ら出陣することはできない。
 心きいた部下に兵を授け、「小笠原軍との連絡を密にし、軽挙妄動を慎んで慎重に戦うべし」と言
い含めて、送り出したのである。
 もちろん、近江にある主君耕治にも、越後出兵を報じる使者を派遣したことは言うまでもない。



「あちらでもこちらでも、戦争なんですねぇ」

 越後に向かう軍勢の出発を城の窓から見送りながら、マルチがため息をついた。
 心優しいメイドロボにとって、戦争というものは、勝っても負けても辛く悲しいものなのだ−−要
するに、彼女が仕えるべき人間同志が殺し合いをするのだから。

「早く終わってほしいわね」

 リネットは、マルチに比べれば、まだ戦いというものに免疫がある。
 何と言っても、エルクゥは狩猟民族。
 この星でも、「獲物」である人間相手に狩りを続けていたのだ−−リネット自身は直接狩りに参加
したことはなかったが、周囲の空気にはおのずと殺伐としたものが多かったのである。
 だが、そうした戦いの日常の果てに待っていたのは−−同胞の全滅という悲惨な出来事であった。
 そうした辛い経験を持ったリネットであるからには、マルチに負けず劣らず、殺し合いを忌避する
念が強かったのである。



 雨月城を出発した軍勢は、越後に入っても上杉勢に遭遇することなく、無事青山城に入った。
 予定より一日早い。

「明日には小笠原勢も到着のはず。
 今日はまず、ゆるりと」

 青山の守将のねぎらいを受けた遠来の兵たちは、行軍の疲れもあって、その夜は皆、泥のように眠
り込んだ。

 翌朝。
 ようやく夜が白々と明け始めた頃。

「て、敵襲ーーーーーっ!!」

 物見の兵の叫び声に、城中の者が跳ね起きた。
 慌てて身支度を整えつつ、外の様子を伺った人々は、皆一様に息を飲んだ。
 いつの間にか、城外に夥しい兵が集結している。……上杉の旗さしものを翻しながら。



「まずはいつでも討って出られるようにして、しばらく様子を伺い申そう。
 小笠原の援兵を待って、前後より敵を挟み撃ちにすれば、
 勝利は我が方に帰さんと存ずるが?」

 城内での評定はその方向で定まった。
 上杉方の多勢に柏木軍だけで立ち向かうのは、いささか無謀に過ぎる。
 今日中に援兵が到着する予定なのだ。もう少し待てば、戦いを有利に展開できる。
 幸い上杉方は長期戦の構えを取っており、おいそれと攻撃をしかけて来る様子はない。

「小笠原勢さえ来てくれれば」

 城内は上から下まで、その到着を待ち焦がれていた。

 ……が、ついに小笠原の軍勢がその姿を見せることはなかったのである。



 一方、能登の雨月城は混乱のさ中にあった。
 北方・越後方面に出兵したはずの小笠原軍が、なぜか西進して越中領内に出現したからである。
 信濃から来た軍勢は、「雨月城の守備手薄につき、お助け致せとの主君の命におざる」と称して、
柏木方の二、三の城の付近を難なく素通りした。
 が、越中の半ばまで差しかかった時、ある小城の守将が不審を抱いた。

「失礼ながら、越後援兵についてはしかと承っておりますが、
 雨月守兵の件は初耳におざる。
 当方の不行届きとは存ずるが、一応問い合わせますので、
 しばしこちらにてお留まりを」

 そう申し入れた途端、小笠原軍は牙をむき出し、その城を襲って守将以下皆殺しにしてしまったの
だ。

「信濃が寝返った」

 柏木方にとっては、まさに青天の霹靂であった……



 柏木氏の勢威の象徴、雨月城。
 当時としては最大級の規模と、不思議な優美さを誇る、壮麗な城だ。
 だが、どんな立派な城も、それを守る人数が足りなければ用をなさない。
 守備兵の大半を越後に送り出した今、残りのわずかな兵で小笠原勢を相手にどれだけ支えきれるか……

 越中領内で敵意を露にした信濃勢は、さらに足を早め、一路雨月山目ざして突き進んで来た。
 留守居役の椎名平八郎は、思いがけぬ裏切りに歯がみしつつも、耕治に急使を発する一方で、あち
こちの城に分散している兵力を雨月城に結集させようとした。
 が、十分な準備が整わぬうちに、城は小笠原の大軍に包囲されていたのである。

 耕治の本隊が引き返して来る前に城を占領しようとした信濃軍は、すぐさま攻撃をしかけてきた。
 柏木方では、数少ない守備兵が必死に戦う。
 しかし、彼我の数の差は圧倒的だった。
 戦端が開かれて数時間後、ついに城門が破られ、小笠原兵が城内へと殺到して来たのである……



「小太郎。恐れることはありません」

 リネットが、努めて平静を保ちながら、声をかける。

「心得ております」

 まだ年端のいかぬ息子も、気丈に答えてみせた。

 戦局が極めて不利であることは、母子ともに熟知している。
 そうでなければ、平八郎がヨークへの避難を勧めるわけがないからだ。

 今、城の地下にあるヨークの中には、リネットと小太郎、マルチ、そのほか侍女たちや家臣の妻子
たちが身を寄せ合うようにしていた。

(ヨーク…… 皆を守ってね)

 小太郎を抱きかかえたリネットがエルクゥの信号で呼びかけると、それに答えるかのような暖かい
波動が帰って来て、不安におののくリネットの心をいささか和らげてくれた。

 ……ヨークは並外れて大きな生物であると同時に、星々を渡る宇宙船でもある。その内には、膨大
なエネルギーが秘められているのだ。
 しかし、ヨークの務めの第一は、エルクゥ種の保存。
 かつて次郎衛門らの討伐隊によって皆殺しにされ、肉体を失った夥しい数のエルクゥたちは、すべ
てヨークの最奥部に収容され、眠り続けていた。
 彼らの命を、やがて来る転生の時まで持続させるために、ヨークのエネルギーの大半が使用されて
いたのである。
 従って、そうでなければ敵に対して向けられるはずのさまざまな攻撃を、ヨークはしかけることが
できないでいたのだ……



 どれくらいの時間が過ぎたであろう。
 突然、ヨークの入り口の扉を激しく打ち叩く音が聞こえてきた。
 リネット以下、中にいた全員の顔が緊張に強ばる。
 その乱暴な叩き方からして、味方とは思われない……
 やがて、音はさらに大きくなった。
 丸太か何かをぶつけているのかもしれない。
 それに混じって、口汚い罵声が聞こえる。
 ……かなりの時が経過した後、ついに扉が破られた。

 どやどやと、大勢の兵士が入り込んで来る。
 彼らはヨーク内部の異様な光景にしばし呆然としていたが、一端の武将らしい人物が何やら指示を
与えると、皆我に帰って船内を捜索し始めた。
 ……程なく、リネットたちの息を潜めていた部屋が見つけ出される。
 先刻の武将は、リネットに目をとめ、それが噂に聞く耕治の「鬼妻」らしいと見当をつけると、慇
懃に礼をした。

「能登介殿のご妻女とお見受け致す。
 この城はすでに落ち申した。
 わが主君には、『おなごに危害を加えてはならぬ』との仰せにござりますれば、
 お心安くお覚えあって、まずは若殿をお引き渡し願いたい」

 留守居役の椎名平八郎以下、柏木方の守備兵はすでにことごとく戦死を遂げていたのである。

「……小太郎をいかがなさるおつもりです?」

 リネットが静かに口を開く。
 武将はかすかにためらった後、

「それがしは何とも存ぜぬが、
 わが主君は度量広きお方なれば、悪いようにはなさりますまい」

 と答えた。
 その様子を見ていたリネットは、相手が息子を殺すつもりなのだ、と悟った。

「小太郎は、誰にも渡しません」

「否と仰せられて、引き下がるわけにも参り申さぬ。
 さすれば力ずくにて」

 男が促すと、前にいたふたりの兵がリネット親子に近づいて、無理矢理小太郎を奪い取ろうとした。
 その瞬間。

 がっ!

 ふたりの兵士が派手に吹き飛ばされた。
 驚く人々の前で、リネットはいつの間にか立ち上がっていた。
 ……その華奢な体全体に、鬼気を漲らせて。



 ヨークの中は、小笠原の負傷兵で満ちていた。
 息子を守ろうとリネットが奮戦した結果だ。
 だが、敵は次から次へと船内に押し入って来る。
 三人の姉とは違い、もともと戦闘経験のないリネットには、ただ闇雲に鈎爪を振るって相手を動け
なくすることしか思い浮かばない。
 当然、消耗の度合いも激しく、次第に動きが鈍くなってくる。
 それでもリネットは、後から後から湧いて来る新手の兵に立ち向かう。
 ただただ、ひとり息子を助けたい一心で……

 その時。
 船内に轟音がとどろいた。