「約束」第17章 ヨーク  投稿者:DOM


「約束」
The Days of Multi <番外/時空編>
第17章 ヨーク


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<おもな登場人物>

 柏木耕治    かつての次郎衛門。官は能登介。能登の守護にして雨月城主。
 リネット    耕治の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。
 小太郎     耕治とリネットの間に生まれた男子。
 マルチ     21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。
 セリオ     マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。
         自律型データベース「セレナ」の中によみがえる。
 HM1377  22世紀から来た20体のメイドロボ。
         戦闘用にカスタマイズされている。
 静原主水    天城氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。かつてのエルクゥ討伐隊の一員。
 中村新左衛門  畠山氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。知勇兼備と称される。
 京極広直    近江に領地を持つ京極氏の当主。派手好きで、体面にこだわる男。
 佐々木氏興   もとの京極氏広。近江守、近江・飛騨の守護。
 小笠原信清   信濃の守護。上杉氏と対立関係にあり、柏木氏と同盟を結んでいる。
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 「小笠原の裏切り」を告げる急使が近江に到着したのは、ちょうど佐々木氏興が近江国守に任ぜら
れたその日の夕刻であった。
 同盟の将氏興や、家臣の静原・中村らと共に、いまだ戦後処理に大童であった耕治は、あまりに意
外なその知らせをにわかに受け入れることができなかったが、セリオはただちに事の重大さを悟った。

「−−大変です! 急ぎ、雨月山へ引き返しましょう」

「しかし、なぜ小笠原が?」

 長年友好関係を培ってきたのみならず、近ごろでは両家の縁組みまで軌道に乗りつつあったのに…
…と耕治が不審がると、

「−−恐らく、死んだ京極広直あたりの陰謀の成果でしょう」

「何だと?」

「−−私が迂闊でした。
 すべての可能性を考慮すべきでしたのに……」



 セリオが推測した通り、信濃の寝返りは、広直の画策によるものであった。
 小笠原の家臣の一部を買収した上で、城主信清に、時間をかけて柏木氏への疑念を吹き込ませたの
である。

−−柏木は北陸道諸国を傘下に収めたのみか、最近ではしきりに近江の隙を伺っている。
  これすなわち、京への道を得て幕府を倒し、
  朝廷を擁して天下に号令せんとの企てにほかならぬ。
  もし能登介が首尾よく西方進出を果たし、京の都を手中に収めた曉には、
  その勢い諸大名も敵する能わず、もはや彼の野望をとどめ得る者はないであろう。
  今は柏木の同盟国として体面を保っている小笠原も、
  その時になれば進んで能登介の軍門に下り、
  家臣のそのまた家臣の地位に甘んじなければ、家が立ち行かなくなろう。
  ……いや、大恩ある主君天城氏の首を自らの手で刎ねた能登介のこと、
  言いがかりをつけて、小笠原の一族を絶ち滅ぼさんとの暴挙に出る恐れも
  大いにこれあり……

 最初のうちは取り合わなかった信清も、くり返しそのようなことを聞かされているうちに、次第に
不安になってきた。
 何と言っても、柏木氏は、短期間のうちに大きくなり過ぎたのだ。
 信濃一国を後生大事に領している小笠原に比べ、耕治の領地は北陸七カ国と飛騨の半国。
 この上柏木氏の勢力が増大すれば、両者対等の同盟関係が続くことを期待する方が甘いというもの
だ。
 一度不安を抱いた信清は、最近病気がちで悲観的になりやすいこともあって、暗然たる未来像しか
思い描けなくなってきた。
 そこを見計らって、広直の持ち出した案が、東西合同の対柏木戦線結成である。

 まず、近江の佐々木・六角、美濃の土岐が中心になって、反柏木の兵を挙げる。
 耕治が西方への応戦に出ている間に、上杉勢が越後で陽動作戦を開始、留守を守る柏木方の主力を
おびき出す。
 そうして手薄になった雨月山の本城を小笠原氏が急襲、耕治の根拠地を奪ってしまう。
 帰る所のなくなった柏木勢は、西と東で敵対勢力に囲まれて滅ぶほかないであろう……
 そういうプランであった。

 広直の案で最も意表をついた点は、長年不仲の小笠原・上杉の和解と協力であろう。
 そもそも、小笠原氏と柏木氏が接近した第一の理由は、関東管領の家柄を誇り越後・上野・武蔵を
領する上杉氏に対抗するためだったのだ。
 しかし、小笠原・上杉両家の間が安泰となれば、柏木氏との同盟は不要になる。
 それを見越した広直は、上杉氏には旧領越後の回復、小笠原氏には越中・能登の譲渡をもって誘い、
両者の協力を取りつけてしまったのである。
 越後の青山城を突然取り囲んだ上杉の大軍も、実は柏木方に気づかれぬよう信濃領内を通ってやっ
て来たのであった。
 
 ある意味で、京極広直は一流の戦略家であったと言えるかも知れない。
 広範囲に及ぶ対柏木戦線の結成に成功したのみならず、その動きが耕治の間者に知られたらしいと
感づくや、わざと美濃や丹波などとの交信を頻繁にして見せ、最後には堂々と朝廷に対し「朝敵征伐」
の錦旗を奏請するなど、西方のみの動きに注目させ続けたのだ。
 それゆえ、間者たちもついに信濃や関東の秘かな動向を掴むことができず、常に万事に目を配って
いたはずのセリオさえも出し抜かれてしまったのである。
 もし本陣を不意打ちされてあえない最期を遂げていなかったならば、今頃広直は、自らの仕組んだ
謀略の見事な成功に高笑いしていたことだろう。



「−−信濃からしきりに縁談をもちかけてきたのも、
 同盟関係が円滑に行っているものと思わせるための手段だったのでしょう」

 セリオは、自らの状況判断の甘さに唇を噛みたくなるような思いで、そう耕治に告げた。
 だが、おのれの甘さを悔いていたのは、耕治も同様だった。
 自分の思慮が足りなかったせいで、雨月城が窮地に陥ろうとしている。
 そこにはリネットが、小太郎が、マルチがいるのだ。

「……全軍に触れを出せ。急ぎ、本国へ引き返す!」

 怒りと自責の念におのが身を焦がしながら、耕治は声を絞り出した。



 ……近江から取って返した柏木勢が、夜に日をついで道を急ぎ、ようやく雨月城を視野に収めた時、
城はいつもと何ら変わりないたたずまいを見せていた。

(小笠原勢はどうしたのであろう? リネットたちは無事であろうか?)

 耕治の心配は、家族や友人を思いやる全軍の将士が抱く心配でもあった。
 だが、よほど城に近くなっても、敵も味方も人っ子ひとり姿を見せない。

(一体どうしたというのだ?)

 焦燥感に迫られながら、ようやく城門にたどり着く。
 門は大きく開け放たれたままであった。
 やはり人影はない。

 まっ先に門内に入ろうとする耕治をセリオが押しとどめ、数名のメイドロボに様子を見させること
にした。
 耕治以下、城門の前でじりじりしながら待っている一同にとっては気が遠くなるほどに感じられる
時間が過ぎた後、メイドロボたちが帰って来た。

「いかがであった!? 味方の様子は!?
 リネットたちは無事か!?」

 耕治が焦った様子で問いただすのに、メイドロボたちは一瞬の沈黙の後、

「小太郎様、マルチ様はご無事です」

 と答えた。
 それを聞いた耕治の顔が青ざめる。

「余の者は!? リネットはいかが致した!?」

 メイドロボたちは、何も言わず目を伏せた。
 耕治は、最悪の事態が起こったことを認めざるを得なかった……



 ……疲れた体に鞭打って小笠原の兵と戦っていたリネットに致命傷を与えたのは、皮肉にも柏木方
の銃弾だった。
 リネットの思いがけぬ抵抗に業を煮やした小笠原方が、城内で見つけた鉄砲を持ち出して来たのだ。
 元の同盟軍の強みで、鉄砲の操作法をある程度知っている兵士が、信濃勢にも何人かいたのである。
 見よう見まねで火薬と銃弾の装填をした兵士たちは、リネットが目の前にいる武者との戦いに気を
取られている隙を見計らって、物陰から数発の銃弾を一斉に放った。
 ほとんどがはずれだった。火縄銃で的を正確に射抜くには、熟練を要するのだ。
 だが、「素人のまぐれ当たり」ということもある。
 一発だけリネットの体を抉った弾丸が、まさにそれだった。

 胸から血を滴らせながら、たまらず膝をつくリネット。
 それを見て、今さら飛び道具の効用に気づいた小笠原方は、至近距離から夥しい数の矢を射かける。
 深手を負ったリネットはこれをすべて払い除けることができず、数本の矢を身に受けて、がっくり
とその場にくず折れてしまった。



「……母上!」

 小太郎が悲痛な叫び声を挙げたが、母のもとに駆け寄ることはできなかった。
 あまりに無惨なリネットの姿を目の当たりにしたマルチが、ショックの余り、小太郎を抱き締めた
ままブレーカー落ちしてしまったからである。

「母上ぇ!」

 小太郎は何とかマルチの腕の中から抜け出そうともがきながら、再び母に呼びかける。
 その声が、床に倒れて意識を失いかけていたリネットの耳にかすかに届いた。

(……小太郎。ごめんなさい。母さんはもう……)

 リネットは、自分の命が風前の灯であることを悟っていた。

(……あなた。ごめんなさい。約束を破ってしまって……)

 生きるも死ぬもふたり一緒。そう誓い合ったのに……

 リネットは、涙を流しながら、息子に、夫に詫びていた。
 その体から、みるみるうちに感覚が失われていく。
 今はもう、とリネットが思った時。

「……これでもう邪魔する者はあるまい。
 さっさと若君を引きい出し申せ」

 そう指図する武将の声が聞こえた。

(……小太郎!)

 朦朧とした頭が、母性によって一瞬はっきりとした。
 小太郎が……殺される!

(ヨーク! お願い! あの子を助けて!)

 リネットには、もう息子を助ける力はないのだ。

(お願い! お願い! ヨーク!
 あの子だけは…… あの子だけは! ……た、す、け、て!)

 最後に、絞り出すような悲痛なエルクゥ信号を放ったリネットは。
 ……ついに、力、尽きた。



「……その時、急に目も眩むばかりの光がヨークの中に満ち渡ったかと思うと、
 敵兵の姿がかき消すように見えなくなり、
 その直後、今度は一寸先も見えぬ真っ暗闇になってしまった、とのことです」

 照明の絶えた地下のヨーク内部は、まさに深淵のような闇だった。
 そこに、かなりの数の女性たちが失神して倒れているのを発見したメイドロボたちは、急いで彼女
たちを介抱し、先に息を吹き返した二、三の者から事の成り行きを聞いて、耕治に報告したのである。

「−−恐らく、奥方様のご最期にヨークがこらえ切れず、ありったけの力を使って、
 城内に満ちていた敵兵をすべて抹殺してしまったのでしょう」

 「セリオ」はそう注釈を加えた。
 今はメイドロボの体を借りている。
 「卵」のまま、家臣たちの見ている前で耕治とやり取りするわけにはいかないからだ。

「−−そして、ヨーク自身も力を使い果たし、そのまま息絶えたものと思われます」

 さらに分析を続ける「セリオ」。

「…………」

 だが、その言葉も、耕治の耳にどれだけ届いていただろうか。
 彼の心はそのとき、深い後悔と暗い憤りとに満ちていたのだから。

(リネットは……死んだのか……死んでしまったのか!?)

 エディフェルの死の記憶が、再び耕治の、いや「次郎衛門」の胸に蘇る。
 かけがえのない存在、自らの半身を守り切れなかった悲しみと怒りとが。

(先にはエディフェル……今度はリネットまでも)

 堪え難い激情が「次郎衛門」の内から溢れ出ようとしていた。

「小笠原信清…… 赦さぬ、絶対に赦さぬ!」

 主君の漏らす、低く押し殺したつぶやきを耳にした「セリオ」は、そのまま信濃総攻撃の下知が下
される前にと、急いで進言した。

「−−お館様。青山城が上杉の大軍に囲まれているとのことです。
 一刻も早く手を打たなければ、取り返しのつかぬことになりましょう」

 それを聞いた「次郎衛門」は、辛うじて能登介としての責任を思い出す。
 確かに、「セリオ」の言う通りだ。

「……いかにも。ただちに越後救援の支度を致せ」

 耕治は絞るような声で命令した。



 耕治は、近江から帰って来た兵のうち、疲弊の激しい者三分の二ばかりを雨月山にとどめ、残り三
分の一を自ら率いて越後へと急いだ。
 ……こちらは、際どいところで間に合った。
 青山城内では急な篭城のため食糧の備蓄が十分でなく、深刻な飢餓状態に陥っていたのだ。
 このまま座して死を待つよりも、いっそ全員討って出て死に花を咲かせん……という評定がまとま
りかけていたところへ、援軍が到着したのである。
 信濃の裏切りに怒りを燃やす耕治は、その鉾先を裏切り者の同調者である上杉勢に向けて、凄まじ
い勢いで攻めかかった。
 総大将自ら、ほとんど先陣を切るような勢いで進んで行くのだ。
 必然的に、親衛隊のメイドロボも、静原・中村らの武将たちも、引きずられるように戦場に突入す
ることになる。

 ……数時間の激戦の後、上杉方は壊滅的な打撃を受けて散り散りに敗退して行ったのである。