「約束」 The Days of Multi <番外/時空編> 第15章 近江の戦い −−−−−−−−−−−− <おもな登場人物> 柏木耕治 かつての次郎衛門。官は能登介。能登の守護にして雨月城主。 リネット 耕治の妻。エルクゥのただひとりの生き残り。 小太郎 耕治とリネットの間に生まれた男子。 マルチ 21世紀初頭に製造された試作型メイドロボ。 セリオ マルチと同時期に製造された試作型メイドロボ。 自律型データベース「セレナ」の中によみがえる。 HM1377 22世紀から来た20体のメイドロボ。 戦闘用にカスタマイズされている。 静原主水 天城氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。かつてのエルクゥ討伐隊の一員。 中村新左衛門 畠山氏の旧臣で今は柏木氏に仕える。知勇兼備と称される。 京極広直 近江に領地を持つ京極氏の当主。派手好きで、体面にこだわる男。 京極氏広 京極氏の庶流で、血気盛んな青年。 六角高久 京極氏と同じく近江に領地を持つ、六角氏の当主。 −−−−−−−−−−−− 柏木氏の新しい根城となった「雨月城」を見た者は、だれしもその威容に感じ入った。 柏木庄の背後にある雨月山の上に建てられたその城は、当時日本国中探しても他に類を見ないほど 大きなものだったからだ。 巨石を組んで造った石垣、七層もある天守閣、要所要所に設置された櫓……何を取っても、見る者 を圧倒するだけの規模を誇っている。 ただ、よく見ると、それだけの巨城でありながら、どことなく優美な感じがする。 設計者がセリオだからだろうか、すっきりと美しい白壁、建物の曲線部分などにそこはかとない女 性らしさが感じられ、そのおかげで、見る者に与える圧迫感が大分緩和されていた。 しかし、雨月城が他の城と異なる最大の点は−−外から見ただけではわからないが−−天守閣の地 下に巨大なエルクゥの船、ヨークを蔵していることだった。 (ヨーク…… この城を…… ううん、あの人を守ってね) 城が完成した時、地下への特別な通路をたどってヨークに行き着いたリネットは、早速信号を使っ て「友だち」に呼びかけた。 (これからは、私もたびたびここに来ることができる…… あなたと話をすることができるわ) そう言いながらリネットは、ヨークが返して来た優しい波動を感じていた。 ヨークが喜んでいるのだ。 (ありがとう…… 私も嬉しいわ。 ……お願いだから、私たちを…… あの人や、小太郎を守ってね) 再びヨークの優しい波動がリネットを包んだ。 数年後。 セリオの知略に支えられ、夥しい数の鉄砲を有し、静原・中村を初めとする優れた武将を抱えた柏 木氏は、越後・佐渡から若狭に至る北陸道全部と飛騨の北半を支配下に置く大々名に成長していた。 (−−…………) セリオはこのところ迷っていることがある。 柏木家の勢力をどこまで大きくすればよいか、ということだ。 ともかく将来の安泰のためと知恵を絞り、城を建て、武器を整え、諸制度を合理化し、道路網を張 り巡らし、商業を盛んにし……と考えられる限りの努力を続けているうちに、いつの間にか柏木氏は、 セリオが当初考えていたよりも遥かに大きく成長してしまった。 これだけの規模になると、内外からある種の期待が寄せられるようになる……すなわち、天下統一 の期待である。 最も大きな期待を抱いているのは、柏木の家臣たちだ。 耕治が天下を取れば、自分たちも一国ないし半国を与えられていっぱしの大名となれる……そう考 えるのは、この時代の武士としてはむしろ当然と言える。 また、戦乱の世に飽きた百姓(ひゃくせい、一般の人々)は、天下統一というよりも、各自が落ち 着いて生業に励める平和な世を待ち望んでいるのだが、 詰まるところそれは誰かが日本国をひとつに まとめぬ限り無理な注文である。 旭日昇天の勢いにある柏木氏に対して、ひょっとするとそういう世をつくってくれるのでは……と いう期待が向けられるのは、これまた当然のことであろう。 逆に、ここまで成長した柏木氏を危険視する向きもある。 近年ますます無力化しつつも、なお「政治の中心」たらんとする幕府。 同じ天下への野望を抱く諸大名。 柏木氏と所領を接する大名たちは言うまでもない。 ようやく柏木氏と勢力範囲が衝突し始めた近江の京極氏なども、反柏木色を強めつつある。 大名として大きく成長することは、好ましいことばかりではない。 真の天下人(てんかびと)が現れた時、余りにも勢力の強い大々名は疑惑の目で見られることにな り、良くて所領を削られ、悪くすれば粛清されてしまう。 セリオが悩むのはそこである。 柏木氏は大きくなり過ぎた。 大きくなったがために、周囲の疑惑や嫉妬を受けて、かえって滅亡することになるかも知れない。 (−−それを防ぐには……) これ以上大きくならないよう工夫するか……しかし、それでは天下への期待を抱いた家臣が納得す まい。 さもなければ…… (−−いっそ柏木家が天下を統一するか……) セリオはこの頃何度もその考えに行き当たる。 もしかして、自分たちがこの時代に送り込まれた目的とは、柏木氏による天下統一を果たすためで はないのか、と。 これと言った根拠のない思いつきではあるが、その考えがどうしてもセリオの脳裏を離れなかった のだ。 (−−柏木による天下統一……) セリオの頭脳の中をその言葉ばかりがぐるぐる駆け巡っていた。 −−近江・美濃に不穏な動きが見える。 柏木氏が周辺諸国に潜ませている間者のひとりから、そう早打ちが入った。 −−かねて柏木家の繁栄を快く思わぬ諸大名が秘かに信を通じ、当方の隙を伺って大軍をくり出し、 一挙に押しつぶそうとしている。 陰謀の中心は、例の京極広直らしい。 天城・畠山・柏木と、その都度自分に利をもたらす者に与してきた京極氏は、領地の関係で、柏木 氏を不倶載天の敵とみなすに至ったようだ。 美濃・丹波・丹後の諸大名、飛騨南部で頑張っている同族の京極氏は言うに及ばず、同じ佐々木氏 の分かれでありながら仲違いをしている六角高久まで誘っているところを見ると、よほどの危機感を 抱いているのであろう。 「−−敵は京都を擁しています。 朝廷や幕府を焚きつけて、事を大きくするつもりかも知れません」 セリオの予想通り、京極氏はどう立ち回ったのか、間もなく朝廷から錦旗を与えられ、「朝敵追討」 の勅旨までもらって、若狭・越前の柏木方の城を攻撃し始めた。 ご丁寧に、幕府からも将軍の一子をかつぎ出して名目上の大将とすることに成功している。 柏木氏を討つための大義名分は、十分整えてあると言えよう。 早くから京極氏の策謀について情報を得ていた柏木方は、ここに至るまでにそれなりの準備を積ん でいた。 第一は、信濃の小笠原氏との同盟関係。 小笠原氏は、越後・上野・武蔵を領していた上杉氏と対立関係にあったため、柏木氏が鉄砲によっ て上杉らの連合軍を打ち負かした直後から、よしみを結んできたのだ。 その親交を一歩深めて、つい先ごろ軍事同盟とも言うべき関係を結ぶに至ったのである。 柏木氏としては、これにより、越後の奪還を目指す上杉家に対抗する上で心強い味方を得たことに なる。 第二は、鉄砲の増産に合わせ、やはりセリオの設計図による、この時代の技術で鋳造できる大砲の 作成。 これは、今後予想される攻城戦に際し、大きな威力を発揮するはずであった。 越前・若狭で戦端が開かれたとの報を受けた耕治は、前々からこの日のあることを予期していただ けあって、ただちに大軍を動員すると、これを二隊に分けた。 一隊は、耕治自らが率いて越前方面の救援。 もう一隊は、静原主水を大将、中村新左衛門を副将とし、大砲5門を擁して、飛騨南部から美濃方 面の制圧である。 こうして耕治とメイドロボ親衛隊を中心に、夥しい数の騎馬隊、鉄砲隊、歩兵隊が雨月の巨城を進 発して行った。 大軍の到着に、越前・若狭の戦局は一転し、京極・六角・土岐などの連合軍は敗走を始め、丹波・ 丹後の軍勢はそのまま鳴りを潜めてしまった。 一方、静原・中村らの軍は、新兵器にものを言わせ、飛騨南部の京極氏を沈黙させると、そのまま 美濃に侵入、手薄になっている土岐氏の諸城を次々に抜いて行った。 越前・若狭から敵軍を追い落とした耕治の隊は、美濃を降した静原らと近江北端で合流し、逃げる 敵を追ってさらに南下したが…… そこでさんざん手を焼かされることになった。 地形に通じた京極・六角の兵が、正面衝突を避けながら、執拗なゲリラ戦に持ち込んだからである。 柏木方が態勢を整えてまとまった攻撃を仕掛けようとすると、すぐに山地の奥や湖上へと逃がれて しまう。 追いかけても埒が開かないので諦めると、また思いもかけぬ所から攻撃をしかけて来る。 その繰り返しだ。 (広直らしい……) 耕治はそう思った。 真正面からぶつかれば、こちらの鉄砲隊の餌食になるだけだ、ということを熟知しているのだろう。 こちらが攻めれば逃げ、引けば討って出る−−進むことも退くこともむずかしい状況に追い込んで 翻弄し、徹底的に疲弊させるつもりなのだ。 「−−近江は敵の庭のようなもの。 今のような戦い方では、こちらが不利です。 いったん退却して、戦略を練り直した方が得策でしょう」 セリオの言葉に耕治はうなずいたが、 「しかし、この様子では、こちらが退却を始めれば、 得たりとばかり襲いかかって来るであろう」 「−−その通りです。退くにも十分な構えが必要でしょう」 耕治とセリオが、陣営の奥で撤退の段取りを相談しているところへ、メイドロボのひとりがやって 来て、思いがけないことを口にした。 「ご主人様。京極氏広様がお見えです。 取り急ぎご主人様にお目にかかりたいと……」 「何? 治部大輔殿が?」 耕治はその知らせをにわかに受け入れがたく、 「人違いではないか?」 と念を押した。 「間違いありません。 以前私たちに切りかかろうとした、あのお方です」 例の「鬼退治」の際、氏広の顔はメイドロボ全員の知るところとなったのだ。 「このような時に?」 京極氏とは戦争の最中(さなか)だというのに…… 「お会いになりますか?」 「……会おう。丁重にお通ししてくれ」 耕治が出て見ると、氏広は地面にひざまずいていた。 その周りを、柏木方の武将が睨みつけるようにして取り囲んでいる。 京極氏とは交戦中なので、無理もないのだが…… 「治部大輔殿。お久しぶりでおざる。 ……床几をお勧め申せ」 傍らにいたメイドロボにそう命じると、氏広は、 「いや、それは恐れ多い。 ここで十分におざる」 としきりに恐縮したが、耕治はその手を取って助け起こし、自分の前にしつらえられた床几に押し て座らせると、自らも大将の座に着いた。 「……さても、かような折に、治部大輔殿にはいかなる趣きにて……?」 一通り挨拶がすむと、耕治は早速先ほどからの不審を口にした。 「お尋ねはもっともにおざる。実は……」 ……氏広は、今度の広直の謀略には、一切関知していなかった。 謀略好きの広直は、柏木討伐の企てについて、ごくわずかな側近を除き、京極家内部の者にも秘密 を通していたのである。 氏広も、他の京極家中も、「朝敵追討」の勅が下って、初めて広直が柏木氏と事を構えるつもりで あることを知ったのだ。 驚いた氏広は、広直を諌めて思いとどまらせようとしたのだが……自らの知謀を頼んだ広直は、諫 言などに耳を傾けるつもりなどさらさらなく、かえって氏広が柏木氏と信を通じているのではと疑っ て、軟禁状態に置いてしまった。 戦場が近江へと移り、ゲリラ戦の様相が深まるに連れ、広直は自軍の情報が漏れることを極度に警 戒するようになり、自然ますます疑り深くなった。 そしてついに、氏広を斬ることに決めたのだ。 だが、氏広を監視していた侍というのが、たまたま氏広の祖父にたいそう世話になったことがある とかで、広直の企みを察知すると、秘かに脱走の手引きをしてくれた。 数名の供を連れただけで命からがら広直の陣を抜け出した氏広は、そのまま耕治のもとへ転がり込 んだ、というわけである…… 「同族で疑い合い殺し合うようでは、京極の家も末でおざる。 いずれ能登介殿によって、絶ち滅ぼされるは必定。 かくなる上は、せめて細々なりと家名を残す工夫をと……」 京極・六角の陣所の位置を教えるので、近江平定後、一郡でもいいから京極氏の生き残りに与えて 家名断絶を免れさせてほしいというのだ。 「……お館様。 京極の腹黒さは、天下の諸大名も及ぶ者なしと申しますぞ?」 静原主水以下の武将たちがささやく。 氏広の申し出に、あからさまな不信の念を表明しているのだ。「罠」に違いない、と。 ……もし、ほかの者が来たのなら、耕治も疑ったことであろう。 しかし、氏広のように一本気な性格の男に、広直の謀略の一端が担えるとは思えない…… 耕治は、出陣の触れを発した。 矢玉が飛び交う。 雄叫びと怒号が聞こえる。 断末魔の声が挙がる…… とある山村を陣所と定めていた京極・六角の軍を、氏広に導かれた柏木勢が急襲したのだ。 氏広の心情を思いやった耕治は、京極兵の犠牲を少なくするために、メイドロボたちと共に陣営の 中央部分に突撃を敢行すると、わずかな時間で京極広直と六角高久の首を挙げてしまった。 案の定、大将を失った兵たちは意気阻喪し、間もなく全軍降伏したのである。 ただ、氏広を逃してくれた侍は、その時点ですでに覚悟を決めていたのか、広直を守って奮戦し、 ついに命を落としてしまった…… 京極・六角氏が滅んで近江が平定されると、まだ戦火が絶えたか絶えないかという状況にも関わら ず、朝廷と幕府から「祝賀」の使者がやって来た。 つい先ほどまで柏木方を朝敵だの賊軍だのと決めつけていたくせに、手のひらを返したような扱い だ。 しかし、弱体化した朝廷や幕府にとっては、その時その時の強者におもねることが、とりあえずの 延命策だったのである。 今、美濃・近江を制圧した柏木軍にとって、都は指呼の間だ。 朝廷も幕府も、その運命を耕治に握られたも同然なのである。 慌ててご機嫌取りの使者を派遣するのも、無理からぬところと言えよう。 苦笑を押し包んだ耕治は、いかめしい態度で使者に面会すると、自分の事はさておき、まずは氏広 に京極・六角氏を継がせること、両家の旧領であった飛騨と近江を氏広に与えることを求めた。 鬼退治以来一貫して耕治への親愛の情を示している氏広を、臣下としてではなく同盟軍の将として 扱うことにしたのである。 耕治の強面に恐れをなした使者たちは急いで都に復命し、間もなく氏広は朝廷から近江守(近江国 司の長官)に任じられ、幕府からは近江・飛騨の守護職を認められた。 万事時間がかかるはずの朝廷・幕府の手続がやけにスムースに運んだのは、よほど柏木軍が恐ろし かったのであろう。 京極・六角の旧領と家臣を与えられた氏広は、この機会に分裂した両家を再び一つにしようと、 「佐々木氏興(うじおき)」と改名することにした。 読んで字のごとく、佐々木氏の再興を願う意図が込められている。 だが、こうして近江の状況が一段落しつつあった頃、後方では思いがけないことが起こっていた……